赤城の山も今夜を限り、生れ故郷の国定の村や、縄張りを捨て国を捨て、可愛い子分の手めえ達とも、別れ別れになる首途だ。加賀の国の住人、小松五郎義兼が鍛えた業物、万年溜の雪水に浄めて、俺にゃあ生涯手前という強え味方があったのだ।
とまあこんな名調子はご存知「新国劇」の定番中の定番「国定忠治」の名場面、演じるのは辰己柳太郎大先生だ。大、大、大好きだった。そしてもう一人の大先生は島田正吾だ。
大、大、大超大好きだった。仕事でヘロヘロしていた若い頃仕事の合間時間をつくっては「新国劇」の国定忠治を観に行った。動の辰己、静の島田、動の長嶋、静の王の様な日本の歴史に残る名コンビだった。
で、何故こんな話をかというと五人の孫達が夏休みで家に泊まりに来ている。その孫たちに近所のサークルKに行って何か好きな物買っていいよと言ったら五人とも「ガリガリ君」と言ってアイスのケースに向かった。みんな大、大、大好きなのだ。
お店の人に聞けば人気ダントツNo.1だというではないかい。で、このガリガリ君の製造元が群馬県の赤城乳業だ。このガリガリ君の広告は昔私のところで手伝っていたが今は一志亮氏という私の処に居た優秀な男が他所の会社でどんと立派なり見事に仕切っている。
悩みと言えば売れすぎて広告をしない位とか(世の中上手くいかないものだ)で、更にこの一志亮氏の兄貴分だったのがやはり七年程わたしの処に居た赤城廣治氏だった。
今や超売れっ子の男、やがてこの国の広告界のリーダーになるであろうと思っている。何だか国定忠治が「赤城」というキーワードで繋がっている。孫と一緒にガリガリ君をガリガリ食べながら思わず上手いネーミングだなと思った。
私は「やわらか赤城しぐれ」が中でも好きだ。地方には地方の名品が沢山ある。これからは広告活動も道州制になって行くだろう。中央集権的戦法はもう古いのだ。これからは古いのが新しい。遠いのが近い存在となるのだ。新国劇の国定忠治は弱い農民をいじめ抜くお代官をブッタ斬ってお訪ね者となった。今も昔も泣く子と地頭には勝てないと諦めて年貢を納めて来た。魯迅はいう、中国人は何があってもいつも芝居を観るただの観衆だと。
なにやら日本人もそうではないかい。全く無様な中央集権に対し怒りを表さないただの観衆の様だ。出て来い現代の国定忠治よ。又、又、年貢の数が増えるのだ。電気、ガス、煙草、お酒、消費税。稀代の悪代「菅」往生際の悪い男をブッタ斬るのだ。そして刀こぼれした刀で首をガリガリと切り落とすのだよ。
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