11月26日深夜、風邪をこじらせていた近所に住む息子一家の下の孫(1.8歳)の症状が悪化、茅ヶ崎市立病院の救急に行く。
直ぐ肛門よりカテーテルを入れ検査、CTスキャン、腸の傷から出血しているかも、もしもの場合は開腹手術をしないといけない、市立病院では小児外科が居ないので伊勢原の東海大病院へ転送となる。
市立病院の医師と私が救急車に乗る。
息子とお嫁さんは自分たちの車で向かう。
愚妻は二人の孫を見るため息子宅へ。
さあ〜、大変だ。
その日26日選挙関係の仕事の最終チェックを終えてぐったりとしていた。
が、そんな事はいってられない。救急車の中はクッションが悪くガタガタ揺れる。
点滴も揺れる。孫の目はぼんやり開いたまま、早く着けと願う。
30分後に到着した。
その日以来、12月4日(朝九時から内視鏡検査、8時までに来る様にとの事で6時に起きシャワーを浴び、7時にお嫁さんの車を待って向かう。
息子は社長と二人だけでやっている建築会社の土木基礎職人。
年の瀬で納期があり現場に行かねばならない。
昼時には小学生の孫二人が学校から帰ってくる。
愚妻は朝から支度し、弁当屋の様になり、朝9時か10時に病院から見舞いを終えて帰ってくる息子夫婦の分も勿論作って帰りを待つ。私は3時〜7時までお嫁さんと付き添いだ。
手洗い、消毒、マスク、院内感染も防ぐための紙の防護服を身に着ける。
家に帰り横になっていても、小さな子は夜中朝方に急変する事があるのでウトウトしながらも寝ずにいる。
27,28,29,30,1,2,3,4日まで全ての予定はキャンセルをしてもらった。
小児病棟にはいろんな子供が入院している。
見ると胸がしめつけられる、ツルツルの頭になった3歳位の子がいっぱいいる。
夕方から夜になるとお母さんやお父さんが見舞いにくる。
母の力はやはり凄い、ぐったりしていた子も母親を見ると立ち上がって喜ぶ。
ダッコしてもらって本当に嬉しそうだ。
ママ帰らないでえーという女の子の声が耳にこびりつく。
私の孫は未だ言葉がしゃべれないが、ダッコしてコアラの様にお嫁さんにしがみつく。
それでもビデオを見る間は私にずっとダッコされイスに座りジッとしている。
私の両足はしびれ、腰はパンパンとなるが、とにかくダッコする。
点滴、心電図などが体中につけられイライラ度100%で、モウ〜、モウ〜といい続ける。
何故あえてこの様な事を書くかといえば、親と子は愛情で繋がっていれば本当に幸福なのだ。特に母親の愛は何よりも子供にとって最高の事なのだ。
“転石に苔は生えず”という。この意味は転がっている石には苔が生える事はない、だから何かせよ(ローリングストーンズだ)。
他にこんな意味もある。商売ばかり替えていると財産ができないとも。愛情は金では決して買えない。三つ子の魂百まで。子は父と母の愛を決して忘れない。
12月4日検査を終え、酸素吸入を受け眠っている孫を見ながら病室を出る時、隣の部屋のツルツルのハーフの子が、また来てねといって手を振った。
その病室の一つのベッドにいる4〜6歳位の子は、生まれてから起き上がった事はなくずっと同じ姿勢で生き続けている。
その父親と待合室で顔を合わせ思わず互いに頭を下げた。ずっと退院は出来ないらしい。
小田急線本厚木の駅前に、ヤンキー先生こと義家良介氏が不気味な目をして演説をしていた。パラパラと動員された150人位の老人たち。
熱気、活気、ヤル気まるでなし。
駅の側にあったご飯屋さんでお刺身定食を食べた。
12月6日は久々の東京へ私の大切な二人の兄弟分との鉄板焼きの忘年会、何とか会えそうで良かった。一夜を楽しく過ごしたい。