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2013年6月18日火曜日

「ZARDの歌」




笹沢左保という作家がいた。
「木枯し紋次郎」はあまりにも有名だ。

「あっしには、関わりのない事でござんす」は当時日本中で使われた。
笹沢左保は大のボクシング好きで確か自宅の屋上にサンドバッグをぶら下げそこにパンチを浴びせていた。

その笹沢左保が生前、ある週刊誌にある人生観を書いていた。
何年も前に書いた事が今の時代を見事に表している。
笹沢左保の一刀恐るべしだ。

「近頃、独自の人生観を持たない日本人が多くなったという。若者はその日その日の充実感が得られたら、それでよしとする。中年になると保身と利益を重視して生きていくというだけの現実を優先させる。初老の人々は趣味を大事にして、潤いとゆとりある生活を望み、自然に情緒を追い求める。さらに年老いるとひたすら健康と長寿を願うようになる。こうした傾向が強まった事から、日本人は確固たる人生観を持たなくなったそうだ」

なんとも耳の痛い事よというか、言葉が痛い。
テレビでは紋次郎役の中村敦夫が口に長い楊枝を銜えビュッと飛ばすのが定番のシーンであった。道中合羽に三度傘がたまらなく、粋で鯔背で颯爽としていた。
そうだ今男たちは「イキで、イナセで、サッソウ」としている事を忘れてしまったのだ。

かく言う私もすっかり不粋な男となってしまった。
男が売りのつもりだったが、未だ未だ精進不足、真の男の道は遠い旅路の先だ。
命のやり取りをしていた十代の頃は、朝起きると「オイオイ、アチコチイテェーガ今日も生きてるぜ、生きている内に今日も遊ぼうぜ」などと粋がったものであった。
人生観などという言葉には無縁の日々であった。
男が刃物の如き感性と、溶岩の如き熱い感情を体の芯から求めるには戦い続けるしかない。道中合羽をなびかせて阿修羅道を行くのだ。そこに死は無い。
永遠に戦いを続けさせられるのだ。

友よ、恩人よ、決して戦いに敗けないで行こう。
どんな四苦八苦があろうとも、粋に行きましょう。
「心に太陽を、唇に歌を」人生観は男は度胸、女は愛嬌で。
ZARDの歌を主題歌に♪負けないで、負けないでさあ行こう・・・。

2013年6月17日月曜日

「リヨン樺澤選手」




16日(日)小宅の二階、四畳の寝床は蒸し暑く、クーラーを入れれば寒い。
不眠症人間にとっては最も苦手な夜が来る季節だ。

午前二時過ぎによし一杯と一錠飲んで少し寝て午前五時からの日本VSブラジルのサッカーを見よう、その続きで全米オープンを見て、新聞読んでシャワーを浴びて、カルピス飲んで1035分辻堂発の列車に乗ってディファ有明へ行こうと決めた。

一階の床に座布団三枚を縦に置いてタオルケットでカバーする。
大きなタオル地の夏掛けと枕を持ってきて寝床完成だ。だがやはり上手に寝付けない。
仕方ないずっと起きていようとなった。

ほぼ19年夏はこんな生活だ。
朝陽が入ると眩しいのでアイマスクは欠かせない。
私の特技は座布団三枚を置くスペースがあれば十分生活できる事だ。
広いとかえって落ち着かない。
冷えた缶入りのハイボールと、細いスミノフアイスを一瓶用意してグラスに入れちびちびと飲む。

テレビを付けっぱなしにしていた。
うとうとしているとダァーンとブラジルのネイマールが矢の様なゴールを入れた。
オオッ始まったかと正しく座り直す。

ブラジルは速い、鋭い、速い。日本は遅い、鈍い、遅い。
パスの速さが比べ様がない。身体能力も格段と違う。
日本は足が短い、高さもない、で、ダァーンと後半早々決められる。個人技も全く勝てない。オーストラリア戦で引き分けて大喜びしている場合じゃないという思いが的中する。
終了間際なんともあっさりドーンと決められ、03で負けた。
サッカーの03は野球でいえば150で負けた様な大差だ。

全米オープンが5時半からテレビ朝日で始まった。
いつもの日曜日なら6時から老政治家によるワンパターンの日曜放談を見ているのだがそれはパス。日本選手はボロボロだ。プロとアマ程の大差がある。
フェアウェイを外しラフからでもバーディーがとれる優しいゴルフ場でプレイをしている日本人選手はあらゆる高度な技術と強いハートが求められる全米オープンなどではボギー、ダブルボギーの連発である。

ただ新人の松山英樹選手には大きな可能性を感じた。
21歳ながらも落ち着いている。久々の大物出現だ。
何より大ファンのタイガー・ウッズもボロボロであった。

11時半ディファ有明入り口に着くとすでにデザイン界の巨匠、井上嗣也さんが来ていた。少し遅れて兄弟分も到着した。
三人でムエタイ(タイ式ボクシング)の世界タイトルマッチを見るのであった。
三人とも大のボクシングファン。格闘技好きなのだ。

メインイベントの「リヨン樺澤」選手とイランの「メヘダット・サイヤディ」選手戦がお目当てのカードだ。リヨン選手はすでに二階級の世界チャンピオンである。

群馬県前橋市で国士会というジムを運営している。大型バスが何台も来ていた。
「リヨン樺澤ツアー」と貼り紙があった。

この試合のセコンドをするリヨン選手の先輩(舞台役者兼演出家)と知り合いである。
実は二人を起用して来年のカンヌ国際映画祭に出品する短編映画をずっと考えている。
シナリオがビシっと決まらず、ブレにブレているので試合を見てみよう、そこに何かヒントがあると思ったのだ。

場内に日本国歌とタイ国歌、イラン国歌が流れる。 
1000人程でディファ有明は満員であった。
日本女子VSタイ女子2分✕5回のエキシビションが8試合あった。
で、いよいよメインイベント。3分✕5回。リヨン選手は国士舘大学の出身なので大学の後輩チアガールがキラキラとリング上で三曲踊る。

さあ、ゴングが鳴った。
見た目強そうで本当にもの凄く強いリヨン選手、短髪、口ひげ精悍そのもの。イランの選手は長身、長髪の色男。ガァーンと一発ハイキックが入ってイラン選手はイランと恐怖度100%で1R終了、2R逃げるイラン追うリヨン、コーナーに下がるイラン、バカボコとパンチ、ビシバシガチンと足蹴りがイランに集中。でお終い。

リオン樺澤の強さ抜群。
私の頭の中でバチバチバチとアイデア連発、これだ、これだ。やっぱり来て良かった。一年間モヤモヤしていたのが晴れた気がした。

木曜日に杉田陽平くんという気鋭の画家と彼の個展会場で会う。
昼食を一緒にする。ゾクゾクする絵を描く人だ。 

舞台役者兼演出家とムエタイの王者と現代絵画の旗手を一本の映画の中で共演してもらえば(?)映画のテーマは「哲学とは死の稽古だ」このソクラテスの言葉を映像化する。
超低予算で映画界の世界チャンピオンを目指すのだ。

といってもこれは一睡もしないで帰りの列車に乗った私の起きたまま見た夢かもしれない。芸術は細部に宿る。

2013年6月14日金曜日

「常在戦場」


金環蝕 ※イメージ




安倍晋三内閣総理大臣を支えているのは、官房長官である菅義偉である事は衆目の一致するところだろう。

経済界となると今やこの人を置いて他にはいない。
安倍晋三の大のお気に入りが楽天会長兼社長、三木谷浩史(50)だ。

財界といえば経団連、経済同友会、日商が中心であった。
重厚長大企業の代表とか、電力・ガスのエネルギー企業、自動車や家電メーカー、科学・薬品会社の代表がトップの座を占めて来た。
特に経団連の会長は財界総理といわれ時の内閣に物申して来た。

が、安倍晋三は経団連(オールドエコノミーと呼んでいる)たちが大嫌いで事ある度にシカトし冷たく接し続けている。米倉弘昌経団連会長は当初は安倍晋三をナメきって好きな事をいっていたが、今やただのひれ伏し老人となってしまった。

三木谷浩史たちはベンチャー企業787社(一般311社、替助476社)を集め、新たに新経済連盟を立ち上げた。
フューチャーアーキテクト、サイバーエージェント、ライフネット生命保険、GMOインターネット、一休、カカクコム、ニトリ、ベネッセ、グーグル、ぐるなび、セガサミー、ケンコーコム等々だ。

安倍晋三が総選挙に大勝した時、真っ先に会ったのは三木谷浩史であった。
その仲介人は出版界の仕掛人、幻冬舎の見城徹(62)だ。
今この三人が政策に大きな影響を与えている。

薬のネット販売全面解禁は厚労省が反対したが、産業競争力会議に民間議員として参加していた三木谷浩史が「解禁しないなら私はこの会議にいる必要がない」と辞任をほのめかした。安倍晋三はあたふたとし、全面解禁となった。
新たな政商気取りが誕生した瞬間といえる。

これにより世の中には覚醒剤の元になるエフやベタ(喘息の発作止)などの薬が自由にネットで手に入る事となる。暴力団にとっても万々歳なのだ。
かつての主力経済団体と官僚たちはこの次第を黙って見過ごす事は決してない。
楽天と対立するソフトバンク・ヤフー孫正義は反撃に出るだろう。

官界、財界が望むのは安倍晋三の病気再発か失政だ。
そして麻生太郎が政権を担ってくれることなのだ。幻冬舎の見城徹は今やフィクサーとなり新興企業の社長たちを安倍晋三に引きあわせている。
官房長官である菅義偉は苦々しい思いだろう。

もし三木谷浩史や幻冬舎の社長が不審な出来事にあったら、それは今起きている事が出発だろう。黒澤明の映画の様に「悪い奴ほどよく眠る」なのだ。
山崎豊子が書いた「金環食」は太陽の輪郭は赤々としているがその中は真っ黒いのだ。
私はつい映画的に物事を考えてしまう悪い癖がある。

ただ胸騒ぎがする。何か嫌な感じがしてならない。
闇の中で何が語られ、何をしようとしているのか。
何事も起きないという事はありえない。霞ヶ関は怖い人間の住む村だ。
君子危うきに近寄らずという。

歴史上表に浮上した政商やフィクサーで絶頂を全うした人間は一人も居ない。
今ほどせかせか落ち着かず忙しい政権はない。これほどあたふたしている政権はない。
これほど病的な政権はない。常在戦場、大乱ありありだ。(敬称略)






2013年6月13日木曜日

「ベーコンの顔」


フランシス・ベーコン ※転載しております


プロ野球が開幕したと同時に、ホームランバッターでない選手がボカスカホームランを量産している。昨年までならポキッと折れていたはずがヒットになる。
レフト、センター、ライトフェンスを超えないはずがバンバカフェンスを越える。
本当に真芯に当たれば、上段じゃなく場外となってしまう。

日本プロ野球機構がやっぱり噂されていた飛ぶボールに戻していたからだ。
そんな事はない、昨年と同じ反発力だとバックれていたが、昨日やっとこさ飛ぶボールに変えた主旨をというか言い訳を公表した。

ストライクゾーンもボール半分くらい狭くなったり、広くなったり主審によりマチマチとなっていた。統一球で狭いストライクゾーンだったはずが各球場で違っている。
球場には投手の癖から投げる球、打者の狙っている球を見破るスパイだらけ。

各チーム共通しているのはWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)に出場した選手の殆ど調子が出ていない事だ。
内海、杉内、澤村、前田(建)、長野、稲葉、神様井端様とあれだけ活躍した井端はまるで別人となっている。 
WBCでイマイチであった田中(将)や能見はガンガン勝っている。

 スポーツ選手の体は精密機械と同じで一ミリ、二ミリのズレで調子が崩れる。
その微妙な調整時期にWBCの試合に出るからシーズンに入ると調子が出ない。
六本木辺りで遊びまくっているWBCとは無縁の外人選手がボカスカ打ちまくり、打率上位を占めている。

不満と不信の塊となった日本選手の顔は、ピカソのゲルニカや、フランシス・ベーコンの描く肖像画の様に歪み、変形してしまっている。
気の毒にWBC疲れがどっと出ているのだ。

柔道界のケジメのなさ、レスリング界の公然としたロビー活動の酷さ、野球界のルールのルーズさ、オリンピック招致に血眼になってロビー活動する国辱的な猪瀬知事の英語のスピーチ(聞くに耐えない)。

どうして日本国というのは何もかもが玉虫色でアンフェアでデタラメなのだろうか。
未だに島国根性なのだ。アメリカのメジャーリーグの監督、コーチの第一の仕事はいかに選手生命を長く保つかだが、日本では目先の勝ちだけにこだわり、選手を潰して行く。


日本ハムの有望な新人選手が高校野球じゃあるまいし、投手と打者を交互にやらされている。右投げ左打ちだから投げる右手は打つ時相手投手に対して右手の甲を向けて構える、そこにデッドボールが当たって骨折したらもう投手としてはお終いになる(選手生命も)。

日本プロ野球をいずれ背負って立つ逸材を大事に育てて欲しいと願う。 
DeNAはホームでの交流戦は111敗だ。スパイ活動をしていないのかもしれない。
正直者中畑清がんばれだ。

ちなみにセ・パ両リーグの本塁打数は、昨年610日時点で325試合で296本、今年は10日現在512本である。

2013年6月12日水曜日

「殺人注意報」



長野県といえば日本でも有数の教育県であり、長寿県でもある。

梅雨が開ければ夏と暦の上では決まっています。
夏といえば昆虫採集をしたものです。
私たち都会っ子は採取した昆虫は標本にして残しました(宿題なんかもあった)。

さて、長野県では「昆虫食」がずっと昔から伝わって今日に至っています。イナゴや蜂の子、ザザムシ、カイコのさなぎなどを甘辛く煮て食べるのです。
栄養価が高く、健康にもいいと今や静かなブームなのです。

FAO(国連食糧農業機関)では、食料危機を乗り越える一策として昆虫を食べようとレポートをまとめた。
「食用昆虫・食料及び飼料の安全保障」によると、世界ではカブトムシやクワガタ、芋虫、蜂、バッタなど1900種以上の昆虫が食用とされている。
タンパク質、脂肪、カルシウム、鉄分なので栄養価に優れている。
家畜に比べて少ない餌で育ち、温室効果ガスの排出量も少なく環境に優しいと評価。
食料や飼料としての活用をすすめている。
調理に手間がかかり気持ち悪いという人が多いのは当たり前だが、人間とは何でも食べてしまう動物だ。

東京都墨田区のカフェ&バー「リストランテ・アブセント」では「イナゴのペペロンチーノ」が人気とか。イナゴを甘辛く佃煮にし、唐辛子とニンニクで調味したパスタの上にたっぷり載せた一品。値段は1200円。イナゴは川エビの様な食感だとか。
杉並区のカフェバーでは「カイコ尽くし丼」2000円が出るとか(想像したくないが)。
ある大学では「食用昆虫科学研究会」が発足、群馬県では「イナゴンピック」が開かれている。「昆虫食入門」などという著書も出ている。長野県人は昆虫を食べて来たから長寿なのかもしれない。

私らの会社に長野県佐久出身者が二人いる。
昆虫を食べたのは見た事もない。一人に昆虫食ってる話知ってるかと聞いたら、勿論知ってますよと来たもんだ。コオロギ&イナゴ&クロスズメバチ丼とかが出て来るかもしれない。

私は死んでも食べれない、または食べたら即死だ。
新橋に玉木屋という佃煮の有名店がある。恐る恐る入ってみたらありました。
イナゴみたいな佃煮が。

誰か1200円出すから「イナゴのペペロンチーノ」を食べて来てくれないだろうか。
アフリカ大陸の人口が今後爆発的に増え、やがて世界の人口は100億人を超える。
いよいよ昆虫食が食卓に出るだろう。
夜な夜なキャーとかギャーとか、ギモヂワルイとか、ヤメテーシヌーとかの絶叫が聞こえて来るはずだ。

バッタもバタバタ逃げ出しているという噂を聞いた(?)
セミたちは緊急セミットを開催して今年の夏は土の中から出るのは止めようと決定したらしい(?)
クワガタたちはガタガタ震えが止まらないで精神安定剤を服用し始めたという(?)
クモたちは文字通りクモの子を散らす様に消えてしまった(?)

夏はやがてやって来る。昆虫食をコレウメエワなんて言って食べる人たちにムシムシコロコロキンチョール、またの名はルーチョンキをブシューと噴きかけてはイケマセン。食べている人たちが虫の息になってしまいますので。これは殺虫ではなく殺人だから要注意。

「1250円の付き合い」




五・八のお客さんとは5×8=40「しじゅう」利用してくれるお客さんの事。
三・三とは3×3=9「苦情」をいうお客さん。
710円のお客さんは7(ナナ)と10(トウ)だから「納豆」なお客の事。

銀座とか官公庁の側で深夜じっとロング(長距離)のお客を待っているタクシーの運転手さん。
例えば霞ヶ関でお役人さんのご帰宅を待っているところへ、すみませんいいですか、とかいって乗り込んで悪いけど銀座四丁目までといえば、そのお客は「流れ弾」に当たっちまったという事になる。ついてないというか、とばっちりという事だ。

逆に千葉まで行ってくれとか、埼玉とか神奈川までといえば運ちゃんは、ヤッター青タンの(割増の表示は青色)お化けだというヤッホーな事となる。
お化けとは、遂に出たぞみたいな事なのだろう。

タクシーの運転手さんは、野球の話と宗教の話と政治の話はタブーとしている。
下手に質問に応じたり、自分は◯△のファンですとか、□☓教はどうしようもないですねとか、☓☓党は日本を滅ぼしますね、なんていい気になってヘラヘラ喋ると、大モメにモメたりする。

私に仕事を出してくれていた大酒乱の人がいた。
ある会社の宣伝課長は大の巨人ファン。運ちゃんは大のヤクルトファンだった。
アタマに来て後ろからタバコの火を運転手の頭部にこすりつけちまった。
その日巨人がボロ負けしたのだ。

で、どうなっちまったか。
当然です、長い髪の毛がコゲコゲになってチリチリになってそのまま交番へ、行き先は調布であった。東京オリンピックのマラソンコース折り返し点の少し先にある交番へ。
で、十日間留置されたのだ。

こんなお客を「大きな忘れ物」というらしい。
確かに体の大きな人だった。
その後も何度か酔っ払っては交番のご厄介になったと聞いた。

その夜長い打ち合わせが終わり、赤坂五丁目交番斜め前から新橋までタクシーに乗った。その運転手さんは山形出身だった。名前が本間さんだったから、冗談でもしかして山形と聞いたら、えっなんでといった。
山形の鶴岡に本間家という豪商がいただろ、お殿様より偉いとかいう歌に唄われた程の商人がさ、だから当てずっぽうでいったんだよ。
びっくりしたですよ、あの本間家と全く関係ないですといって笑った。

私はタクシーに乗ると必ず名前を見る。
 山形はいいとこだな大好きだよといったら、お客さんはと聞くから岡山だよといった。山形のさくらんぼと岡山のブドウどっちも旨いなーと果物談義している内に新橋に着いた。1250円の短い付き合いだった。

これから稼ぎ時だ。
お化けの客がきっと出るぞ今夜はといったら、えっといって振り返って笑った。
立派なヒゲがお殿様の様だった。

2013年6月10日月曜日

「ある別荘」



惜櫟荘 ※写真はエンタ魂さんより転載


本屋大賞を受けて今やベストセラー作家となった男、その名を百田尚樹という。
五十代を過ぎて放送作家から転じて小説家となった。

「海賊といわれた男」出光石油の創始者、出光佐吉の物語の様だ。
面白いと評判だが、私は読んでいない。

69日(日)TBSの人気番組「情熱大陸」に出ていた。
その中で出版社の編集長と食事をするシーンがあった。
二人は云う、「小説は売れてナンボ」だと。百田は云う、よく読まれなくてもいいんです、なんていう小説家がいるが、だったら☓☓☓☓すればいいんだよ。
編集長は云うあなたは小説の世界を変えているよと、超豪華な食事を前に、独特の語りをする。小説はビジネス、出版社も売れてナンボのビジネスと白ワインをグイと飲もうとしていた。

熱海に岩波書店の創始者であった岩波茂雄がこよなく愛した別荘「惜櫟荘」(せきれき)というのがある。別荘と土地2900平方メートル。
高名な建築家、吉田五十八(いそや)が大の建築好きであった岩波茂雄と共に生んだ途方もない別荘だ。見事としかいい様のない作庭。

数寄屋造りの建物自体は30坪程だが、一本の木から一枚の板、瓦、襖、障子、畳、一個の石に至るまで全て国宝級の造りである。
惜櫟荘には並み居る文豪や財界、政界、思想界などの大立物が集まった。

私の大好きな映画監督、ポーランドの巨匠アンジェイ・ワイダ夫妻も何度か訪れ、そこから見える絶景を見事な水彩画として描いた。

その別荘の隣人が佐伯泰英という時代小説家だ。
売れないドキュメント作家だった佐伯泰英はある時編集者から、「官能小説とか時代小説を書かないならお終い」といわれて全く知識のない時代小説に取り組んだ。

すでに五十代を過ぎていた。
出版社はまずは単行本を出し、売れたら文庫本にする方式であったが、佐伯泰英ははじめから文庫本のみであった。

スペインの闘牛とかを書いていた作家、どうやって歴史を知らないという作家が当代一売れまくる時代小説家になったかは分からない。
特殊な才能の持ち主なのだろう(?)もの凄いペースで書きまくり、売りまくる。

佐伯泰英は云う、私の小説は小説ではありません、ただの「商品」ですと。
その佐伯泰英が幾らかけたか想像もつかない莫大なお金を使って、惜櫟荘をいったん解体し地盤を整備した上で建築当時そっくりに復元した。

日本中の名人といわれる職人たちが集められた。
吉田五十八のお弟子さんの建築家が手がけた。
かつて文豪たちがここに泊まり込み、原稿用紙に愛用のインクと万年筆で名作を書き残した。今の主はパソコンに向かっている。

岩波茂雄は泉下でどう思っているだろうか。
「商品作家」が愛すべく惜櫟荘を買い上げた事を。
百田尚樹もまた商品作家といえる。自作が売れているか、どの本が売れているかどうかを終日気にしている。今や文学青年も文学少女も死語になってしまった。

私はハーレクインロマンのごとき、文学性を求めない百田尚樹や佐伯泰英の生き様を支持できない。むしろ気の毒に思ってしまう。
出版社のパペット(操り人形)に過ぎないからだ。真の主なき惜櫟荘はすっぱりと取り壊すべきであった。文庫の父、岩波茂雄のためにも。建物は人を選ぶ。

2013年6月7日金曜日

「私の勝てない人」




「時間ですよ」という人気テレビ番組があった。
銭湯を営む夫婦と家族、そこに来る人々のドラマだ。
夫が船越英二、妻が森光子だった。全裸の女性が洗い場で体を洗うシーンが毎回あった。

勿論正面からは映さない。
番台に船越英二が座っていても決してノゾキや痴漢行為で警察に捕まったりはしない。
女性たちが何故銭湯の番台に座る男に全てを見せて平気なのか未だに分からない。
その逆に女性が番台に座っていても男は全く意識をしない。
番台の上には小さな座布団と小さな引き出しがあり、女性が髪を洗う時に余分に水を使う為、それを表す細長い木の板が置いてある。

スケベなお客は入浴代のお釣りをもらうふりをして番台の向こうの方をチラチラと見る。
風呂場には奧の方に必ず曇りガラスがあり、そこに円形の透き通るガラスの部分がある。私の後輩が銭湯の息子だったのでその訳を聞くと、風呂場でのぼせて倒れたり、滑って転んだりしていないかを時々見張るらしい。

三助さんという男がいてお金を払うと背中を流してくれる。
銭湯の側の飲み屋でその三助さんとよく会った。
おい、三助さんよいつもあのガラスから覗いてんだろというと、ヘイ仕事でやんすからなんて言っていた。三助さんが捕まる事はない。
女性の心理とは銭湯に於いては実に奥深く、実に開放的であり続ける。


私が敬愛してやまない一人の男がいる。
私にとって唯一無二、絶対的存在である。男の名を江頭250という。
深夜250分になるとその人間性の全てが豹変する事からその名がついたと誰かに聞いた。

芸人であるが何が芸風なのかは不明だ。
エガちゃんと呼ばれ愛され、嫌悪され、尊敬され(?)、一目も二目も置かれ、その実は出来れば側に寄らないでと思われている。

奇怪な体、奇怪な髪、奇怪な姿、上半身は裸であり、口からはツバが飛び散る。
人の群れを見るとその中にダイブしてしまう。
当然人々はキャーキャー、ヤメテ、キタナイ、サイテイとなる。

芸といえばこれが芸であり芸風でもある。
逃げ回る相手はどこまでも追い、倒れると馬乗り、押さえ込み男女構わずキスをしまくる。いかなる有名タレントでもお構いなしだ。そのエガチャンというか、エガさんが先日 

25日、タワーレコード新宿店でブリーフに手を通して肩まで引っ張り上げるネタ「ブリーフ重量挙げ」に挑戦した。ところがブリーフが破れ全裸となってしまった。
観客約300人、エガちゃんはそのまま当然の様に観客の中にダイブしてしまった。

その場がとうなったかはご想像していただきたい。
で、警視庁保安課と新宿署に「公然わいせつ容疑」で事情聴取をされたのであった。
私のエガちゃんは「お騒がせしてすみませんでした」と謝罪した。
「芸風は変わりますか」の質問には答えなかった。芸風といっても江頭250は存在そのものが芸風だから、本人も答え様がないのだ。

佐賀県出身47歳、もし入獄したら差し入れに行こうと思っている(?)私は途方も無いバカな奴が大好きなのです。「バカほどの芸」に勝てる奴はいないのです。




2013年6月6日木曜日

「机上の空論」




ヴィンセント・パターソンという振付&演出のカリスマがいる。
マイケル・ジャクソンやマドンナもヴィンセントの抜群のアイデアに力を得て、世界中を虜にしたPV(プロモーションビデオ)を生んだ。

シルク・ドゥ・ソレイユではエルビス・プレスリーをまるでサーカスの様に再現した。
名作、名品、名人の影には必ず振付けをつける人、影の人間がいる。

その社長の人物を知りたければ、その番頭を見ると分かる。
その親分を知りたければ、その若者頭を見ればいい。
その総理大臣の実態を知りたければその官邸を見るといい(といっても一般人は中に入れない)。


外国の大統領にはちゃんとした振付師がついていて立ち振舞から笑顔、泣き顔、怒髪天を突く顔まで振付ける。またその日のスーツ、ネクタイの色、ワイシャツとのコーディネイト、靴や靴下の色まで振付ける。

現在の総理大臣である安倍晋三は何故髪の毛が真黒か、歩く速さ、手を挙げるタイミングが何故いつも同じか。
演説の原稿には漢字の部分に全てフリガナがあり、ト書き(振付プラン)には、ここで前を向く、手を広げる、水を飲む、息をつぐ等々が書き込まれている。

株価を作り上げる振付師は日銀の黒田東彦総裁だがこのひとは一日中でも自らの理論をしゃべり続ける自信過剰人間、だがその麻薬的手法は大間違いである事が見えてきた。
経済学者等というのは会社を経営した事のない人間なので過酷な会社経営の戦場では全く使い物にならない。

始末の悪い振付師の集まりが有識者会議だ。
何十人も集まっているがしゃべるのはほんの少し、何もいわず日当をもらって帰るお粗末な人間ばかり。そもそも「有識者」なんて誰が決めたのかわからない。

もし自分が自分でオイラは、アタシャ有識者だなんて思っていたらオメデタイ度100%だ。講演のギャラを上げる肩書きと名誉が欲しい浅ましい者共だ。
アベノミクスはアベノリスクとなってきた。
アベクロミクスはアベクロミスとなり、官邸内では「何だいあの黒田のヤローでかい口叩きやがって、やってる事が全然アベコベミクスになってるじゃねーか」と大混乱。
罪のなすり合いをしているのではと予想される。

机上の空論という振付けほど国民を苦しめるものはない。
第二次世界大戦も机上の戦争では大勝利であったと伝えられている。
小さな会社の経営という四苦八苦を味わっている人間から見れば有識者なんか何人集まっても「へ」みたいなものだ。

私ならヴィンセント・パターソンを呼んで来て振付けを頼む。「マイケル・ジャクソンの今夜はビートイット」みたいにやって下さいとね。ちなみにCM業界で今いちばん稼いでいるのは振付師さんたちなのです。

2013年6月5日水曜日

「勝つことこそ価値」



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梅雨が雨を降らせる事をすっかりサボっていた、生温かい赤坂一ツ木通り。
夜九時二十分、会社の人間と打ち合わせが終わって店の外を二人で歩いていると、アチコチの店から人が溢れ出ている。

一体何事かと思えばサッカーの中継を、人、人、人が一杯飲みながら声援を送っているのであった。テレビ画面では00であった。こんな光景をずっと昔に見た。
テレビが未だ家庭に普及していなかったので街頭テレビや電気屋さんの前で見たのだ。

見たスポーツはプロレスだ。
力道山がシャープ兄弟やルーテーズやプリモ・カルネラやデストロイヤーやブルーノ・サンマルチノやボボ・ブラジルと血みどろになって戦う姿に人々は熱狂した。
プロレスの人気は今のサッカー人気の100倍か1000倍以上だった。
無敵の柔道王木村政彦と力道山の死闘は日本人同士でもあり国家的イベントとなった。空前絶後、無敵の木村政彦は力道山に空手チョップを浴びせられ、蹴りまくられ半死状態となった。わずか15分位であったが歴史的シーンでありそれはテレビ時代の幕開けだった。

我が家にはテレビはなかったので、電気屋の嫌味な親父や意地悪なババアに取り入りながら大人たちと見た。また近所の絵描きさん家に行って20人位で見せてもらった(見物料の代わりに庭でとれた柿やイチジクなんかを持って)。

プロレスのスポンサーは三菱電機であった。
試合前リングの上を風神とか雷神とかいう掃除機で掃除した。

私の住んでいた荻窪駅の北口マーケット裏の街頭テレビは満員電車の10倍位でぎっしりであった。未だカラーテレビではなかった。力道山は、人間発電所とか動くアルプスとか覆面の魔王とか鉄人を相手に61分(何故か60分でない)を闘いぬいた。
日本の興行界で今なお力道山を超える興行師はいない。

赤坂一ツ木通りは立ち飲みブームである。次から次に店がオープンしては閉店する。
外国のパブで飲む男たちはやけに格好良いのだが、日本人がワイングラスかなんかを小指を立てて飲んでいる姿は笑っちゃうくらい全然似合っていない。

家に帰りニュースで引き分けて抱き合う選手たちを見て複雑な気がした。
勝負に勝ってこそ価値がある。日本のサッカーが未だそのレベルなのだろう。
PKでやっとこさ一点入れてヤッタ、ヤッタでは天下はとれないだろう。
予選の試合なのに歴史的一戦なんて叫んでいるうちはダメだ。

プロ野球ではアメリカで使いものになれない外人がボカスカ打ちまくり。
日本を代表して大リーグに行ってボロカスだったのが、オールスター人気投票第一位(途中だが)という現状に愕然とする。

かつては有能なスポーツライターが実に良い文章を書いていた。
時に槍の様に鋭く、時に母親の胸の中の様に優しく、時にパトロールカーの様に警告を発していた。今や一人も気の利いた書き手はいない。ちなみに私の一番好きなスポーツであるボクシングでは引き分けで喜ぶ選手は一人もいない。