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2013年6月28日金曜日

「名糖牛乳」






あいつは都鳥(みやこどり)だから気をつけろという言葉をご存知でしょうか。
都鳥とは何も京都や東京で飛んでいる鳥の事ではない。

清水次郎長の子分、森の石松が親分が人を斬った刀を四国の金毘羅様に収めに行く(二度と人を斬りません)石松代参として有名な話だ。
旅の途中次郎長ゆかりの草津追分の見受山鎌太郎に会う。

その地に都鳥吉兵衛兄弟という悪い野郎がいた。
吉兵衛は石松がまとまった金を持っている事を知り、石松からその金を借りる。人のいい石松はすぐに返してもらえると思っていたが吉兵衛は返さない。
しびれを切らした石松はあの金を返せと吉兵衛に迫る。
吉兵衛は金を返すからと石松を呼び出し、寄ってたかって石松を斬り殺してしまう。

と、まあ大筋はこんな話なのだがそれ以来渡世人の世界では、ずるい奴、嘘をつく奴、借りた金を返さない奴を指して、あのヤローは都鳥だからというようになった。
または悪い野郎は都鳥というようになった。

世の中都鳥ばかりとなってきた。
恩を仇で返す事が当たり前となって来た。

さて、都鳥吉兵衛はどうなったか。
当然親分清水次郎長は子分二十七人衆を引き連れ、石松の仇を討ちに行く。
二度と人を斬らないと誓った次郎長だが、子分の仇を討たねば渡世人とはいえない、都鳥吉兵衛兄弟は次郎長のライバル、甲州の黒駒勝蔵に助けを求めるが見捨てられる。
次郎長一家は都鳥一家を見事やっつけるのであった。

浪曲師広沢虎造が「呑みねえ呑みねえ、寿司を食いねえ寿司を、もっとこっちへ寄んねえ、江戸っ子だってね、神田の生まれよ、そうだってね〜」という船上のやりとりを名調子で語るのを、少年の頃銭湯のラジオでよく聞いていた。
冷えた名糖牛乳をグイッと飲みながら。

借りたものは返す、金で返せないなら終生かけて真心で返すしかない。
男がいちばん人に対していいにくい言葉は「あの貸した金返してくれ」なのだ。
悪い野郎都鳥たちは等しく、借りたものは貰ったものとシカトを決め込むのだ。

ホラッ、あそこにも、そこにも都鳥は飛んでいる。
学術名は悪党科シャッキンバックレトリという。人のいいヒトの側に近づく習性がある。このトリは掟では斬り殺していい事になっている。

2013年6月27日木曜日

「エスカルゴちゃん」


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木の葉には雨が似合う。
その大きな葉の上にかたつむりがじっとへばりついている。
手で触れるとその吸い付く力を最大限発揮して離れようとしない。かたつむりの表面は浅利貝の如き模様があってヌルヌルとしている。

一昨年平塚の七夕ですくってきた五センチ位の金魚が拡大を続け今や二十センチに近づいてきた。大金魚となってしまった。信じられない事に一匹の子金魚を生んで親子三匹、でんでん虫の側で気持よく泳いでいる。
小さな池の中で何を考えているか分からない金魚たち。

前世は何であったのだろうか。
でんでん虫に語りかける。お前は何でそんなにしがみついているのか、親兄弟はいるのか、更にお前は幸福なのかなど声を掛けたが、逆にお前はどうかと言われた気がした。
ほんの少し前に向かって動き出したのだ。
その構造的動きはキャタピラの様である。

お前は何にしがみついているのかと更に私に語りかける。
ウルサイ、エスカルゴめ、炒めて食べちゃうぞといえば、少し私を小馬鹿にした様に二本の角がピクピクと動いた。一瞬そのかたつむりが巨大化して私に襲いかかり全身にへばりつき私を食べにかかってきた気がした。

雨が強くなってきたのでその場を離れた。
ある貝の中に、あるナメクジが入り込んでずっと居座っている内に、かたつむりとなった様だ。どんぶりの中の細い細いハゼの木はすでにその命を終えてしまったと思っていたが水をあげていた、じっと見ると五ミリほどの小さな枝が出て緑の葉がついていた。
幸福か知らない人間ほど不幸な人はいない。晴れ間しか知らない人に雨の風情は分からない。雨上がりの朝ほどステキなものはない。

ある賢人はこんな言葉を書き残した。「出来るか出来ないかわからない事は、出来ると思って努力せよ」なめくじもきっと初めて貝に入り込む時、考えに考え一大決心をしたのだろう、新しい創造とは誰もやらなかった事を考え、勇気を持って前に進むのだ。「悠々として急げ」の教えもある。

2013年6月26日水曜日

「責任者は誰だ」




「人生幸朗」という夫婦漫才の大名人がいた。
二人のボヤキ漫才はズルズルしている有権者や、ヌルヌルしている権欲者たちに対し、「何しとるんや、責任者を呼んで来い!」とボヤくのだった。

上村春樹、山下泰裕、斉藤仁などの金メダリストたちのズルズル度は100%、ヌルヌル度100%、日本柔道連盟という情けない男たちの集団はでっかい体ばかりだが、弱虫小虫ばかりだ。

柔道家を名乗る資格ゼロ、金メダルを返上すべし。
連盟は一度解散すべし。子どもたちに、学生たちに、柔道を愛する人たちに対し腹を切るべし(そんな根性は誰もいないが)「人生幸朗」夫婦なら責任者呼んで来い!となるのだが、その責任者が人間のクズ、柔道家のクズ。

お前たち一体何が怖いんだ、何を隠しているんだ、何でそんなにビクビクしてるんだ。
講道館生みの親、嘉納家にとって余程都合の悪い事があり、それを隠すのにあと45ヶ月かかるのだろうか。戦わない柔道家、ルールを守らない柔道家は退場なのだ。

警告、警告、警告だ。金メダルより金まみれ。
文科省もきっとどっぷり度100%だ。やっぱり責任者呼んで来い!

2013年6月25日火曜日

「ハナミ歳の野球少女」


朝日新聞より


六月二十四日、朝日新聞を数ヶ月前止めてしまったので、その日その日近所のコンビニとか駅の売店で買っている。
自公大勝、民主大惨敗、維新失速、みんなが一人から七人と躍進した。
反自民の票は共産党へと向かって議席を倍増+一議席増やした。

朝、毎、読、産経、日経、東京、神奈川新聞朝刊を三時間余りをかけて読んだ。
どこも強大な権力に対し去勢された動物の様に論評は似たり寄ったり、突き当りであった。名刀村正でスパッと斬ったような記事はなかった。

そんな中で朝日新聞二十九面、神奈川県版になんともステキな記事と出会った。
「熱球83歳女子高校生」と横大見出し、「定通制軟式野球県決勝にベンチ入り」とベタ白抜きの立て見出し。「高津高四年チエさん」と立て小見出し、「ピンチで伝令初戦は守備も」と横に大きく中見出し。六回裏一死満塁のピンチを迎え、伝令としてマウンドに向かう「上中別府チエ」さんと写真のキャプションがある。またもう一枚の写真には「試合後、準優勝のメダルをかけてもらった=いずれも相模原球場」というキャプションがあった。

上中別府チエさん八十三歳(名はかみなかべっぷと読む)。
チエさんは川崎市の定時制高校にかよっている。
鹿児島県出身で尋常高等小学校を卒業し、十五歳で終戦を迎えた。
戦争中は芋の蔓を食べるほど困窮し、空襲に備えるなどして勉強する余裕もなかった。

「英語を勉強したい」と思い続け76歳の頃川崎市の夜間中学に進学、川崎市立高津高校定時制に入った。クラスメイトからはチエさんと呼ばれている。
チエさんは高津高の弁論大会で「もっと勉強したい」と訴えると、泣き出す生徒もいた。子ども二人、孫五人、ひ孫四人。好きな言葉は生涯現役。
「まだまだ勉強することばかりです」という。

担任で監督の中島克己教諭(45)から昨秋「子どもたちにいい影響を与えて欲しい」と野球部に誘われたのだ。決勝戦の相手は過去二年連続で破れた強豪戸塚高校。
試合は04で敗北。全国大会出場を逃して泣き崩れるバッテリーにチエさんは「よく頑張ったね」と声を掛けた。小学校以来だというメダルを首かけてもらった。

本当にワクワクドキドキしたと記事にあった。
百歳まで生きるつもりだったが三年寿命が縮まった事があった。
大会初戦、日々輝学園神奈川校戦で大量リードした五回に左翼選手として試合に出た時、ボールが飛んで来ないでと願った時だ。

この記事を書いた記者名は(竹野内崇宏)と記してあった。
こんないい取材記事を読むと、もう一度朝日新聞を定期購読するかという気持ちになる。記者氏が書いたものは、紙面14、6段組であった。私はそれを下手に抜粋したのに過ぎない。私もチエさんを見習って勉強をしないとただのオッサンになってしまっていく。

政治家の皆さん、一度チエさんの弁論を聞くべしだ。
この国を救うヒントを頂ける筈だ。
フレー、フレー、高津高校定時制軟式野球部、がんばれチエさん。

2013年6月24日月曜日

「コーチは嫌い」




高学歴、キャピキャピ、肉感的かつ開放的の女子アナと、田舎出、物知らず、世間知らずの野球漬けの肉体派プロ野球選手が何故多数結婚するか。

その謎は(?)「率」という一文字にあった。
(独自の見解だが)プロ野球の選手は打率、防御率、守備率、盗塁成功率、バント成功率など沢山の率を求めて生きる職業だ。片や視聴率と好感度率が絶対率となる。
「率」に追われた女子アナと野球選手は「率」について会話が弾む。
取材し、同行し、食事を共にしをずっと続けていると、もはや職場結婚となってしまう。で♡♡ホテルなどに同行取材となって行く。

女子アナはほぼ面食い、マッチョ食い。テレビ局内にいる不健康が服を来ている様な同僚には嫌悪の極みを感じる。えっ、カップヌードルにコンビーフ乗っけてるとか、イヤだサッポロ一番に赤貝の缶詰ぶっかけてるとかを見続け、えっウソ、気持ちわりーと同僚や上司、局員にはまず惚れないというより愛情の対象にしない。

一方プロ野球選手は優しい。
金はたんまり、お腹が割れてる、筋肉がゴッソリムンムン包んで来る。
子どもみたいに純粋、言った事はなんでもしてくれる。ティファニー、エルメス、グッチ、フェラガモ、シャネル、ヴィトン、アルマーニ、コーチ(コーチは鬼コーチを連想するのであまり好まないらしい)など欲しい物はすぐ買ってくれる。
 イタリアン、天ぷら、寿司、フレンチ、焼肉、ステーキ、たこ焼きとなんでも食べさせてくれる。

実はタレントや芸能人の殆どはケチばかり、セコイのばかり。
ちょっと触られただけでも虫唾が突っ走る。ベッドの上でも下手でしつこい。
で、女子アナと芸能人の結婚は少なく、例えしても長くは続かない。
マッチョな肉体から発する長く、太く、強い下半身のメッセージは、インテリかぶれの女子アナの母性本能に直入する。

最近ある事で人気女子アナだった女性と食事する機会があった。
局内で一番ダサく、気持ち悪い、イケてなく、しつこく、ブランドおたくのヤボテンで、人気ワーストワンは元サッカー選手の☓☓△△だとか言ってた。
どんな奴だったか(?)野球選手はやはり人気だった。
何故かサッカー選手は1人もいなかった。何故だろうか。

2013年6月21日金曜日

「原宿昭和軒」


杉田陽平さんの個展は渋谷西武B館8Fにて30日(日)まで開催中です


おじさんは50歳位。
おじさんは身長175センチメートル位。
おじさんは一人。
おじさんは汗びっしょりでクタクタの白いTシャツ一枚。
ズボンはこってり汚れていて、昔白かったであろう前掛けで見えない。頭の毛は少ない。おじさんはいつもは7時半閉店なのにその夜は八時十分を過ぎても働いていた。
おじさんのお腹はボッコリ突き出ている。

デザイナーの三宅宇太郎君と友人が出演している短編映画を一本観た後(その映画館は細い路地の全く目立たない処にあった。
座席数は三十席であったがなんと補助椅子も出ており、立ち見でギッシリ六十人近く入っていた。おしゃれな若者ばかり、みんな映画大好き、短編映画31500円であった)

その日、渋谷西武B館8階で現代絵画の旗手、杉田陽平(28)さんの「はてしない物語」の個展を見に行った。監督の寺尾学ぶさん、プロデューサーの奧野和明君と共に。杉田陽平さんの独自の絵画に出会って以来のファンである、20点の絵はすでに完売に近かった。
杉田陽平さんには寺尾学ぶ監督と進めている来年のカンヌ映画祭出品のため、短編映画の美術をお願いしている。

西武A8F美々卯にて四人で昼食をしたのだが、わたしは遅刻したので少しのうどんと小さな海老天二匹と少しの刺身しか食べなかった。四人で映画作りの話に熱中した(若い感性は素晴らしい)

で、話をおじさんに戻すと、私はお腹がグーグー減っていた。
場所は原宿、細い路地は原宿ファッション店が並んでいた。オイ、何か食べるかとなった。静かに細々と降る雨の中二人でトボトボ歩く事78分。

左手に「昭和軒」という看板が目に入った。
ちゃんぽん、皿うどんの字が強烈な引力を放っていた。
よし、ここにするべしと入店、狭い、テーブルが四つ、カウンターに五人位の席(少し暗くて見えない)私たちは入り口右手に座る。
隣には中年男性二人、中年女性一人。

餃子、ソース焼きそば、鶏の唐揚げ(サービスだった)、回鍋肉をつまみにビールと日本酒を飲み語り合っていた。
左斜め前に若者男子二人、右に後から入ってきた35歳位の長身の男(餃子を頼んだが終わっていた)ビール大ジョッキをゴクッ(常連風)。

おじさんは、企画、制作、販売、ビール入れ、日本酒入れ(一升瓶から徳利へ)何もかも一人でやる。汗びっしょり、顔はニッコリだ。

私たちは餃子を頼むが売り切れ、レバニラ炒め700円とちゃんぽん820円、皿うどん+チャーハン+スープ+お新香1000円、それとビールと日本酒1合、追加1合を頼む。何しろ一人、なかなか料理は出てこない、ビールも日本酒も。

おじさんが一つ一つ作ってはお客さんに出している。
おい、宇太ちゃん手伝ってやれよとなり、優しい宇太ちゃんは酒入れや料理運びを手伝う。おじさん一人で大変だなといえば、私は二代目なんでヘイ、一人でヘイ、すいませんねとかいって笑う。その顔いい事この上なし。

さて、やっとレバニラ(旨い!最高!)ちゃんぽん+紅しょうが(旨い!絶品!)皿うどん(旨い!絶好調!)を二人でシェアして食べる。おじさんは料理の遅れたお客さんに唐揚げをサービスしている。

あんまり旨いのでパウチされたメニューをカバンに入れてしまった。
おじさん、このメニュー持って帰っていい?と聞けば、えっ、何、あっコピー取ってきます。いやいいです、何枚かありますからといってくれた。
今度持ってくるから、私はこういう特別な店に出会うとこんな事をする。
また必ず来るよという最高の愛情表現なのだ(万引きじゃない)

今度行ったら絶対ソース焼きそば(旨そうだった)、その次はワンタンメンだ。
そのまま帰れると思ったが、9時半頃、仕事を頼んでいる人に連絡を入れると諸々問題、難題発生中とか。そこにタクシーで向かう。

その仕事が終わったのが午前二時過ぎ、けっきょく家に帰ったのが四時近かった。
朝刊が来ていたので読んだ。お腹が減っていた。バックから色々出すと、メニューが。
そうか、B4判のメニューを見て、いいおじさんを思い出した。原宿の奥は深い。
ちなみに餃子350円、ラーメン600円、ワンタンメン700円。営業時間11:30から19:30、火曜定休日、電話03-3401-6732。おじさん一人だから時間のある時におすすめです。

2013年6月20日木曜日

「AとBの関係」


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過去には夢にまで出て来たいい男と、現在は夢に出て来てはうなされる男。
その男は同じである、と女性(34)はいう。

一方、過去には夢の中で愛を信じ合ったいい女性と、現在夢の中で殺されそうになる怖い女性が同じであるという男(29)。

つまり私の目の前にいる二人の男女は、かつてときめきの仲であった。
が、ある事で二人の間は修繕不能の障子の破れた穴となってしまった。

その穴の原因はお互いの宗教観であった。
いい男はA教信者であり、いい女性はB教信者であった。
出会った二人はずっと互いの宗教を話さなかった。

知り合い、付き合い、抱き合い、重なり合いを続けた。
ある日女性は女性としての来るべきものが来ないのを知り、医師のところへ行った。
「おめでとうございます」といわれた。
ああ、うれしいと男に連絡をした。
えっ本当となり二人はいつもの様に会った。女性は当然結婚してくれると思った。

さて、そこから話は複雑の度を増し二人の間には渡るに渡れない宗教の海峡が現れた。
A教とB教は相入れない。近づけない。
二人の親ならびに親族一同は、一体何を考えているんだとなってしまった。

ある日、男は「君には悪魔の神が宿っている」といった。
女性は男に「あなたには邪悪な仏が潜んでいる」といった。
もはや二人だけの問題ではなかった。
神と仏がぶつかり合い、愛などの入る余地は一寸もない。
二人が放った言葉の風力で空いた障子の穴は虚空を写し出していた。
その空には青色は無く、一片の雲すらない。

生む、生まないの悲愴の会話は、一族の血脈の歴史の重さにより悲愴度を増していった。二人は悪夢を見続けた。夜は恐怖の闇色となった。夜と朝の間は地獄の行間となった。
異宗教同士の愛は万華鏡の中に入り、何が実体なのか分別不能となっていった。

昨晩一本の国際電話が入った。
二人は今オーストラリアの片田舎にいるという。
はじめに男が出て、次に女性が出た。二人の後ろに赤ちゃんが泣く大きな声が聞こえた。
詳しいいきさつはぜひお会いした時でといわれた。幸福そうであった。

何が何してどうなったかは分からない。
ただ二人には、ある日茅ヶ崎にある海の見えるカフェテラスで、愛とはすべからく現実からの逃亡だよ、神も仏もありゃしないよ、なんていったはずだ。
二人はきっと異教の重みを背に海を渡って行ったのだろう。
愛の結晶の宿る大きなお腹を庇いながら。 

619日夜、1025分から約15分、私は子機を持って上から下へ、下から上に動きつつ励ました。私と二人との関係は実に謎めいていた。外は梅雨と台風がコラボレーションしている。風と雨が主張し合っている。室内はベタベタ蒸し暑い、冷房をドライ+2にした。

2013年6月19日水曜日

「第五小学校前」






たかだかタイヤメーカー(ミシュラン)が1つ星だ2つ星だ3つ星だなんてランク付けしやがったのを、ああ有難やなんて喜んでいる店にロクなところはない。

銀座にある有名な寿司屋があり、先年タイヤメーカーから3つ星をいただいた。
その寿司屋がG8サミットの前、ポーランドを訪れていた日本国内閣総理大臣の日本の食文化の紹介とやらに一役買った。

大間のマグロをはじめ寿司ネタは日本から空輸、普段使用している鍋釜まで空輸した。
当然主人と若い衆も空輸だ。税金の無駄使いで割り切ればいいのだが、私にはその寿司屋とは1つ星どころか黒星寿司屋の思いしかない。

ある有名なホテル内にも出店している。
ある年のある夜、私は大切なお客さんとそこへ行った。
予約なしで行った(一応メンバーなのでOKであった)。

夜七時頃店内には八割方お客がいた。
右手に少しカーブしたカウンター、左奥にテーブル席、そこに有名な政治家と某大手企業オーナー。私は二人でカウンターのやや真ん中へ。さほど広くはない。
板前が56人。着物の女性(店員さん)が3、4人。

私たち二人の前に年の頃は478の板前さんがついた。
細面、ビシっと頭に鉢巻、で何からいきましょうとなった。
コハダ、ヘイ、◯☓湾のコハダ。
白身、ヘイ◯△海の白身。
赤身、ヘイ、△□海の赤身。
穴子ツメつけて、ヘイ、□☓湾の穴子。
玉(ギョク)だけ、ヘイ、☓☓山の鳥が生んだ玉。

私と連れの人と交互に頼めばいちいち産地を言って出す。
握りがあまいのでシャリがユルユル、寿司はぱっと食べてパッと帰るのが基本(一杯飲む時以外は)。

で、シメにかっぱ巻き、ヘイ、◯□産のきゅうり。☓◯の海苔と来た。
そのかっぱ巻きは手巻きでというのを切ってくれといって六分割に。
その六分割がバラバラの高さで階段の様であった。
更に食べようとすると海苔がしっかり巻かれていないのでパコッと割れた。
で私はプッツンした。

オイ、さっきからイチイチウルサイんだよ、◯☓湾だ、☓☓山だ、△□海だと食べりゃ分かるんだよ、ウマイかマズイかは。この店ははかっぱ巻きもちゃんと巻けないのかよ。

店内はザワザワ度100%となっていた。
アジだって、サバだってイチイチ産地をいって連れの人に出していた、私の評価は低かった。だがしかし値段はバッチリ高かった。
名門だ、名店だ、3つ星だなんて笑わせやがる。

ポーランドくんだりまでノコノコと本物の寿司職人なら行く訳はありゃしない。
「あっしの握る寿司は江戸前でやんす、ポーランド前では出せません」ときっぱり断る筈だ。

3つ星で思い出した店があった。
小・中学校の頃ノートや鉛筆やなんかを買った文房具店の名が「三星文房具店」だった。東京都杉並区天沼の杉並第五小学校バス停留所前にあった。

2013年6月18日火曜日

「ZARDの歌」




笹沢左保という作家がいた。
「木枯し紋次郎」はあまりにも有名だ。

「あっしには、関わりのない事でござんす」は当時日本中で使われた。
笹沢左保は大のボクシング好きで確か自宅の屋上にサンドバッグをぶら下げそこにパンチを浴びせていた。

その笹沢左保が生前、ある週刊誌にある人生観を書いていた。
何年も前に書いた事が今の時代を見事に表している。
笹沢左保の一刀恐るべしだ。

「近頃、独自の人生観を持たない日本人が多くなったという。若者はその日その日の充実感が得られたら、それでよしとする。中年になると保身と利益を重視して生きていくというだけの現実を優先させる。初老の人々は趣味を大事にして、潤いとゆとりある生活を望み、自然に情緒を追い求める。さらに年老いるとひたすら健康と長寿を願うようになる。こうした傾向が強まった事から、日本人は確固たる人生観を持たなくなったそうだ」

なんとも耳の痛い事よというか、言葉が痛い。
テレビでは紋次郎役の中村敦夫が口に長い楊枝を銜えビュッと飛ばすのが定番のシーンであった。道中合羽に三度傘がたまらなく、粋で鯔背で颯爽としていた。
そうだ今男たちは「イキで、イナセで、サッソウ」としている事を忘れてしまったのだ。

かく言う私もすっかり不粋な男となってしまった。
男が売りのつもりだったが、未だ未だ精進不足、真の男の道は遠い旅路の先だ。
命のやり取りをしていた十代の頃は、朝起きると「オイオイ、アチコチイテェーガ今日も生きてるぜ、生きている内に今日も遊ぼうぜ」などと粋がったものであった。
人生観などという言葉には無縁の日々であった。
男が刃物の如き感性と、溶岩の如き熱い感情を体の芯から求めるには戦い続けるしかない。道中合羽をなびかせて阿修羅道を行くのだ。そこに死は無い。
永遠に戦いを続けさせられるのだ。

友よ、恩人よ、決して戦いに敗けないで行こう。
どんな四苦八苦があろうとも、粋に行きましょう。
「心に太陽を、唇に歌を」人生観は男は度胸、女は愛嬌で。
ZARDの歌を主題歌に♪負けないで、負けないでさあ行こう・・・。

2013年6月17日月曜日

「リヨン樺澤選手」




16日(日)小宅の二階、四畳の寝床は蒸し暑く、クーラーを入れれば寒い。
不眠症人間にとっては最も苦手な夜が来る季節だ。

午前二時過ぎによし一杯と一錠飲んで少し寝て午前五時からの日本VSブラジルのサッカーを見よう、その続きで全米オープンを見て、新聞読んでシャワーを浴びて、カルピス飲んで1035分辻堂発の列車に乗ってディファ有明へ行こうと決めた。

一階の床に座布団三枚を縦に置いてタオルケットでカバーする。
大きなタオル地の夏掛けと枕を持ってきて寝床完成だ。だがやはり上手に寝付けない。
仕方ないずっと起きていようとなった。

ほぼ19年夏はこんな生活だ。
朝陽が入ると眩しいのでアイマスクは欠かせない。
私の特技は座布団三枚を置くスペースがあれば十分生活できる事だ。
広いとかえって落ち着かない。
冷えた缶入りのハイボールと、細いスミノフアイスを一瓶用意してグラスに入れちびちびと飲む。

テレビを付けっぱなしにしていた。
うとうとしているとダァーンとブラジルのネイマールが矢の様なゴールを入れた。
オオッ始まったかと正しく座り直す。

ブラジルは速い、鋭い、速い。日本は遅い、鈍い、遅い。
パスの速さが比べ様がない。身体能力も格段と違う。
日本は足が短い、高さもない、で、ダァーンと後半早々決められる。個人技も全く勝てない。オーストラリア戦で引き分けて大喜びしている場合じゃないという思いが的中する。
終了間際なんともあっさりドーンと決められ、03で負けた。
サッカーの03は野球でいえば150で負けた様な大差だ。

全米オープンが5時半からテレビ朝日で始まった。
いつもの日曜日なら6時から老政治家によるワンパターンの日曜放談を見ているのだがそれはパス。日本選手はボロボロだ。プロとアマ程の大差がある。
フェアウェイを外しラフからでもバーディーがとれる優しいゴルフ場でプレイをしている日本人選手はあらゆる高度な技術と強いハートが求められる全米オープンなどではボギー、ダブルボギーの連発である。

ただ新人の松山英樹選手には大きな可能性を感じた。
21歳ながらも落ち着いている。久々の大物出現だ。
何より大ファンのタイガー・ウッズもボロボロであった。

11時半ディファ有明入り口に着くとすでにデザイン界の巨匠、井上嗣也さんが来ていた。少し遅れて兄弟分も到着した。
三人でムエタイ(タイ式ボクシング)の世界タイトルマッチを見るのであった。
三人とも大のボクシングファン。格闘技好きなのだ。

メインイベントの「リヨン樺澤」選手とイランの「メヘダット・サイヤディ」選手戦がお目当てのカードだ。リヨン選手はすでに二階級の世界チャンピオンである。

群馬県前橋市で国士会というジムを運営している。大型バスが何台も来ていた。
「リヨン樺澤ツアー」と貼り紙があった。

この試合のセコンドをするリヨン選手の先輩(舞台役者兼演出家)と知り合いである。
実は二人を起用して来年のカンヌ国際映画祭に出品する短編映画をずっと考えている。
シナリオがビシっと決まらず、ブレにブレているので試合を見てみよう、そこに何かヒントがあると思ったのだ。

場内に日本国歌とタイ国歌、イラン国歌が流れる。 
1000人程でディファ有明は満員であった。
日本女子VSタイ女子2分✕5回のエキシビションが8試合あった。
で、いよいよメインイベント。3分✕5回。リヨン選手は国士舘大学の出身なので大学の後輩チアガールがキラキラとリング上で三曲踊る。

さあ、ゴングが鳴った。
見た目強そうで本当にもの凄く強いリヨン選手、短髪、口ひげ精悍そのもの。イランの選手は長身、長髪の色男。ガァーンと一発ハイキックが入ってイラン選手はイランと恐怖度100%で1R終了、2R逃げるイラン追うリヨン、コーナーに下がるイラン、バカボコとパンチ、ビシバシガチンと足蹴りがイランに集中。でお終い。

リオン樺澤の強さ抜群。
私の頭の中でバチバチバチとアイデア連発、これだ、これだ。やっぱり来て良かった。一年間モヤモヤしていたのが晴れた気がした。

木曜日に杉田陽平くんという気鋭の画家と彼の個展会場で会う。
昼食を一緒にする。ゾクゾクする絵を描く人だ。 

舞台役者兼演出家とムエタイの王者と現代絵画の旗手を一本の映画の中で共演してもらえば(?)映画のテーマは「哲学とは死の稽古だ」このソクラテスの言葉を映像化する。
超低予算で映画界の世界チャンピオンを目指すのだ。

といってもこれは一睡もしないで帰りの列車に乗った私の起きたまま見た夢かもしれない。芸術は細部に宿る。