朝日新聞より |
六月二十四日、朝日新聞を数ヶ月前止めてしまったので、その日その日近所のコンビニとか駅の売店で買っている。
自公大勝、民主大惨敗、維新失速、みんなが一人から七人と躍進した。
反自民の票は共産党へと向かって議席を倍増+一議席増やした。
朝、毎、読、産経、日経、東京、神奈川新聞朝刊を三時間余りをかけて読んだ。
どこも強大な権力に対し去勢された動物の様に論評は似たり寄ったり、突き当りであった。名刀村正でスパッと斬ったような記事はなかった。
そんな中で朝日新聞二十九面、神奈川県版になんともステキな記事と出会った。
「熱球83歳女子高校生」と横大見出し、「定通制軟式野球県決勝にベンチ入り」とベタ白抜きの立て見出し。「高津高四年チエさん」と立て小見出し、「ピンチで伝令初戦は守備も」と横に大きく中見出し。六回裏一死満塁のピンチを迎え、伝令としてマウンドに向かう「上中別府チエ」さんと写真のキャプションがある。またもう一枚の写真には「試合後、準優勝のメダルをかけてもらった=いずれも相模原球場」というキャプションがあった。
上中別府チエさん八十三歳(名はかみなかべっぷと読む)。
チエさんは川崎市の定時制高校にかよっている。
鹿児島県出身で尋常高等小学校を卒業し、十五歳で終戦を迎えた。
戦争中は芋の蔓を食べるほど困窮し、空襲に備えるなどして勉強する余裕もなかった。
「英語を勉強したい」と思い続け76歳の頃川崎市の夜間中学に進学、川崎市立高津高校定時制に入った。クラスメイトからはチエさんと呼ばれている。
チエさんは高津高の弁論大会で「もっと勉強したい」と訴えると、泣き出す生徒もいた。子ども二人、孫五人、ひ孫四人。好きな言葉は生涯現役。
「まだまだ勉強することばかりです」という。
担任で監督の中島克己教諭(45)から昨秋「子どもたちにいい影響を与えて欲しい」と野球部に誘われたのだ。決勝戦の相手は過去二年連続で破れた強豪戸塚高校。
試合は0−4で敗北。全国大会出場を逃して泣き崩れるバッテリーにチエさんは「よく頑張ったね」と声を掛けた。小学校以来だというメダルを首かけてもらった。
本当にワクワクドキドキしたと記事にあった。
百歳まで生きるつもりだったが三年寿命が縮まった事があった。
大会初戦、日々輝学園神奈川校戦で大量リードした五回に左翼選手として試合に出た時、ボールが飛んで来ないでと願った時だ。
この記事を書いた記者名は(竹野内崇宏)と記してあった。
こんないい取材記事を読むと、もう一度朝日新聞を定期購読するかという気持ちになる。記者氏が書いたものは、紙面1/4、6段組であった。私はそれを下手に抜粋したのに過ぎない。私もチエさんを見習って勉強をしないとただのオッサンになってしまっていく。
政治家の皆さん、一度チエさんの弁論を聞くべしだ。
この国を救うヒントを頂ける筈だ。
フレー、フレー、高津高校定時制軟式野球部、がんばれチエさん。
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