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2013年11月27日水曜日

「三度目の日」


イメージです

シラスコロッケ、シラス丼、シラスマン(肉まん風)、シラス揚げ(さつま揚げ風)、とれたてシラス、釜ゆでシラス、シラス盛り放題定食、江ノ島は火山も無いのにシラス大地(?)だ。

十一月二十四日(日)快晴、訳あって江ノ島神社に行った。
小田急線江ノ島駅から橋まで人、人、人、橋の上から江ノ島まで人、人、人、橋から神社まで人、人、人、富士山はぼんやり灰色だった。
海の上には洞穴巡りの船、釣り船が遠くにチラホラ、ホラホラ。

ヨットが気持ちよさそうに海の上をセーリング、友人が出ているかもなと思いつつ橋の上を歩く。風を受けウィンドサーフィンを楽しむ人、あーこの国は平和(?)なのだなと思ったりもする。

観光地を生かすも殺すもお天気次第。
この日はすこぶるつきの観光日和で、お土産屋さんや食堂やまんじゅう屋さん、おかき屋さん、ソフトクリーム屋さん、海老せんべい屋さん、何でも1000円ショップなどは大賑わいであった。神社までのゆるい坂道は殆ど満員電車であった。

イカ焼き、ハマグリ焼き、タコ焼き、トウモロコシ焼き、貝の串焼き、サザエのツボ焼きなどお醤油の焼き焼きのいい香りが元気よく鼻の穴に入って来た。
顔が隠れてしまうほど大きな海老せんをかじって歩く若い娘さん、バリバリしていると段々と顔が見えて来る。

アレッ、確かあった射的屋がいつの間にか和装小物に様変わりしているではないか。
それにしても地引網にあんまり入っていないシラスがなんでこんなにあるんだろうと疑問に思う。

湘南シラスが売りのこの地に本当に湘南シラスがこれだけいるのかい(?)
近頃何もかもが偽装とか、誤表示と続々と「お白州」の場に出されている。
あのイカも、あの貝も、あのサザエも、怪しいな、長い歴史を誇る店がある。
そこの太った三代目だか、四代目だかがラムネの栓をボッシュと抜いていた。

橋の上にズラリと並んでいた屋台のおでん屋さんが何とか条例で消えてしまった。
江ノ島の文化だったのに。富士山を見ながら波の音を聞く、サザエのツボ焼きを食しながら冷えたビールをグビィプハァーと飲む。次に大根、チクワブ、はんぺん、つみれと進む。そんな楽しみがもう無い。

目的のものを手にし、今日みたいな平和(?)な日が続くといいなと駅に向かった。
「病気平癒御守」二つ、今年この御守を頂きに来た日は確か三度目だったかなあと思った。アジの干物のいいのを出している店で何故か買うかと思ったが「御守」が魚臭くなるといけないと思い止めた。人気のホットケーキ屋には人、人、人が並んでいた。

2013年11月26日火曜日

「トッピング」




厚労省が発表した就職後三年以内に仕事を辞めた「大卒離職率」の割合は、今年で31%だとあった。

ある会社で就職の試験官を務めた人の、へえーと思う記事を読んだ。
ある学生の面接を終える、「最後に何か聞いておきたい事ありますか?」と言ったところ思いがけぬアクションがあった。
学生は「今日の僕の面接、何点ですか?」別の試験官が「全体的に何点かは直ぐに測りかねるけど、君のあの話は良かった、今度はあの部分を強調すればいいんじゃないかな」と応えたのだと。

今の学生は究極の“フィードバック好き”評価結果をすぐに伝え、課題を示す。
ちゃんと相手にしてやらないと就活サイトにいろいろ書き込むらしい。
「結果を順位付けしてきちんと公表せよ」という学生が増えているという。
入社後も自分の評価を非常に気にする「僕が作った企画書、どうでしたか」とか「さっきの僕の顔変でしたか?」とかを言うらしい。

今の二十代はSNSで仲間に報告し、〈いいね!〉の承認をもらいたがる。
個の対応を求めるその他大勢として扱われる事が苦手。
そのため、少しでも不安を感じると、他人からの〈いいね!〉というフィードバックを求めるのだとか。正直に本人の評価の低さと効率の悪さを指摘すると、ワッと泣き崩れてしまう。面倒臭いが〈いいね!〉を適当に伝えないと嫌がらせで何をされるか分からない。

記事の内容は企業の人選びの難しさと、人材育成の難しさを物語っていた。
リクルートスーツという黒い蟻ん子の様なファッションというか面接用制服が生まれたのはいつからだろうか。黒い若者の群れを見ると私は気持ちが不安定になってしまう。
私服になるととてもいい感じの若者があの群れに入ると没個性となってしまう。
私服の方がその若者のステキなセンスが分かると思うのだが。

リクルートスーツで来るもよし、一着しか無いスーツでもよし、ジーンズにTシャツでもよし(水着だとモデルのオーディションかスポーツウェアや下着のオーディションになってしまうからマズイ)と思うがそれ以外ならOKにした方がきっと良い人材に出会えると思う。

「私」を知るには「私服」が基本だ、この若者はスーツにしたらきっと〈いいね!〉をイメージするのが面接する人間のセンスなのだと私はずっと思っている。
あるいはリクルートスーツじゃなく私服になったらどんなセンスだろう、きっと〈いいはず!〉とイメージするのが大切だ。

かつて〈いいじゃないの!〉と思って、ハイ君採用!といったら半日で辞めた者、一日半で辞めた者、三日で辞めた者などいろいろな若者がいた。
私に見る目が無かったという事だ。オイ、アイツ昼飯食いに行ったきりどこへ行ったんだよ、もう何時間も経ったじゃないの!若者はずっと長い昼飯を食っていたのだと理解した(?)。

ある年、恵比寿にある「香月」というラーメン屋に行った。
トッピングで有名な店、入社して三ヶ月は試用期間なのだが、二人の若者をその店に連れて行った。肝試しでなく、バカ度だめしに。
ラーメンにモヤシ、ノリ、チャーシュー、ネギ、メンマ、ニンニク、煮玉子など十三種をトッピングしたらとんでもない大盛りラーメンが出て来た。

さぁ〜ご馳走だ、食べれやと言ったら、一人はえっと絶句、一人は大きく深呼吸をした。オレたちの仕事はバカになんなきゃダメなんだぞなんて言った。
さて、その結果は(?)私は本当にバカでした。

2013年11月25日月曜日

「S」

朝日新聞、リレーおぴにおんより






十一月十九日(火)朝日新聞朝刊十五面に「リレーおぴにおん」私の悪人論⑧。
元北海道警警部であった、稲葉圭昭(よしあき)さんの話に、この国の警察の闇の一端を見た。また人間は強いようで弱いものなのだというのを確認した。

書き出しはこう始まる。
ヤクザと言えば反社会的存在で悪人というイメージですが、刑事として多くのヤクザと接してきた実感としては、彼等の大半は悪人というより弱い人間でした。
子どもの時の非行で警察の世話になり、学歴も職歴もないのでまともな仕事につけず、いじけた気持ちを引きずったまま暴力団に入って虚勢を張っている印象が強いですね。

稲葉さんは道警で銃器捜査を担当、八年間で100丁以上の銃を押収し、「銃器捜査のエース」と呼ばれた。銃の摘発には暴力団関係者に情報提供者(スパイの頭文字Sをとって「エス」)として協力をしてもらうことが必要だった。

稲葉さんは20人のエスを上司に報告して運用していた。
今では考えられないことだが当時は当たり前だった。
彼等と付き合う時は常に自分の方が優位に立つよう気をつけたという。

彼等には「ウソをつかない」「約束を破らない」を守った。
約束を守っている限り彼等は裏切らないから。「今月は数が足りないから出してくれや」と頼むとちゃんと出してくれた。

そんな中で一人のエスに裏切られた。
その男は、頼むと死に物狂いで銃を探し出して来た。ある意味真っ直ぐな性格だった。
ある時、そのエスが稲葉さんの上司から「拳銃100丁出してくれたら、警察の予算から一千万くらいポンと出す」と言われ真に受けてしまった。
稲葉さんは「そんなのホラに決まっているだろう」と言ってもエスはきかなかった。


やがてそれがウソとわかり、ある事情で上司からエスは遠ざけられた。
Sは怒りの矛先を上司だけでなく稲葉さんに向けた。
ある日Sは覚醒剤を持って警察に出頭し、逮捕後の裁判所での勾留尋問で稲葉さんの覚醒剤使用を告発、その後拘置所で自殺してしまった。

稲葉さんは、銃器捜査から外され、閑職に追われた。
孤独感と絶望感、体を張ってやってきた警察官人生を否定されたように感じた。
そして常に「死にたい」と思うようになり、自暴自棄になり覚醒剤使用という第一線を越えてしまった。

今ではそんな自分を恥ずかしいと思い、反省している。
虚勢を張っていても自分自身も弱い人間だった。

稲葉さんは覚醒剤取締法違反などで服役、現在は自身の体験をもとに著書を出している。「恥さらし、北海道警悪徳刑事の告白」興味ある人は読むといい。
テレビドラマや映画で警察の暗部をテーマにする作品がやたらと多い、人間はそれが好きだからなのだろう。

新聞社や雑誌社は「ネタ元」という情報提供者を手足の様に使っている。
裏情報は何より手に入れたいからだ。毎日、車や列車で人身事故が起きている。
そんな中に「エス」や「ネタ元」がいるのではと思ったりする。

特定秘密保護法案の成立が確定的となった。
この国は暗黒の時代に向かって行く。
稲葉圭昭さんは現在六十歳、命を懸けて警察の闇に挑んでもらいたい。
朝日新聞にその写真を大きく出したのは、勇気ある事だ。
日本中の警察を敵に回すのだから。その身を国民が守らねばならない。
S」はどの社会にもいる。

2013年11月22日金曜日

「紅とんぼ」




この女性歌手が唄うと言ったら私は地の果てまで行くだろう。

歌手の名は「ちあきなおみ」、日本歌謡史で東の横綱が「美空ひばり」なら、西の横綱は彼女だ。アイドル歌手から始まり、シャンソン、ポルトガルの「ファド」また流行歌のカバーと自らの唄うべき歌の道を探した。

ある時一人の音楽プロデューサーから一曲の歌をすすめられる。
歌の表現力、歌唱力、音階の広さ、音質の深さ、声の艶っぽさ、何もが美空ひばりに匹敵していた。そして「ちあきなおみ」でなければならない世界を持っていた。

名曲「喝采」はプロデューサーの読み通り人の心を掴んだ。
歌を志ざして故郷を棄て、愛する人を棄て列車に乗った、そして喝采を浴びる日をやっと向かえた歌手に届いたのは黒い縁取りの葉書だった。

 こんな死亡通知の歌を「ちあきなおみ」は一つの芸術の高みにして哀切りステージを生んだ。余人を持って変えがたしの心を打つ歌だ。日本レコード大賞を受賞する。

だが1992年、愛する人、郷鍈治という日活の役者(宍戸錠の弟)を病で失ってしまう。以来「ちあきなおみ」は二度とステージに立たなくなり、歌の世界から姿を消した。
それ程まで愛された郷鍈治はどんな男であったのだろうか。

私は吉田旺作詞、船村徹作曲の「紅とんぼ」という歌が好きであった。
新宿駅裏で五年間小さなBARをやっていたママが店を閉める心情を唄ったものだ。
一曲の中に「ちあきなおみ」の歌のエッセンスと歴史が全て入っている。

演歌、歌謡曲、シャンソン、ファド(アマリア・ロドリゲスが有名だ。曲の名を「難船」)ファドはギター相手に酒場で一人唄う心情歌、叙情歌だ。
まさに難船の様に自分は何を唄うべきか、ずっと五線譜の波の上で探していたのだろう。その先にぽつんと見えた灯りが、新宿駅裏にあった「紅とんぼ」だったのだ。

何が何でもテレビに出たがる時代、「ちあきなおみ」はその心魂を愛し続けた男のために捧げているのだろうか。まるで歌そのものの様だ。
今でも唄えば一番上手い歌手であることは誰もが知っているはずだ。


先夜、それをしみじみ聞く機会があった。
この歌にはどの酒が似合うのだろうかと迷った。
唄っていたのは勿論「ちあきなおみ」ではない。一人の酔客だった。




とんぼ

:吉田旺
作曲:船村

(から)にしてって 酒も肴も
今日でおしまい 店仕舞
五年ありがとう しかったわ
いろいろお世になりました
しんみりしないでよケンさん
新宿駅裏とんぼ
想い出してね々は


2013年11月19日火曜日

「ポールと水炊き」

(日刊スポーツより)





人間は手に入らない物が手に入ったらどうするか。
例えばそれがお金なら先ずは「ルノアール」のモーニングセットを食べながら今日のゆで玉子はいい出来じゃないかとそれをポコッと口に入れる。
スポニチとか日刊スポーツを読む。

昼には「長寿庵」に行ってミニ盛り、ミニかつ丼セットなんかを声を大にして頼む。
夜には「お多幸」なんかに行って大根、ちくわぶ、糸コンニャク、ハンペン、ねぎまを頼む。更に串かつ辺りまでヨロシク!となる。

いいなぁこんな幸福はとつくづく思うのだ。
そうだ入らないはずだったんだから、牛すじとタコまで行くべしだ。
日本酒を一合冷酒でやってからハイボールだ。

持つべきものは親なる友なり。
十一月十八日(月)私は中学時代の同級の友と共に東京ドームに行った。
入らないと思っていたコンサートのチケットが友の凄腕に依り手に入ったのだ。

開演七時十二分。観客約五万人。
ウォー、キャー、ワァー、ドヒャーと総立ち。出て来ました、現れました。
「ポール・マッカトニー」がです。一曲目は、Eight Days A Week
ウォー、ポール、ポール。もう説明は無用です。

九時四十分チョイ過ぎまで、全39曲、勿論ビートルズナンバー(28曲)となるともう東京ドームは大爆発です。1960年代に青春時代の中に居た人、人、人がもうその手が割れんばかりにバチバチ叩き合わせるのです。

現在日本で売上NO.1の新作「NEW」を真ん中に入れ、急所どころはレディ・マドンナ、レット・イット・ビー、ヘイ・ジュードで大合唱、イエスタデイで極上のしんみり感を味わうのだ。ポール・マッカトニー71歳最高!を友と共に連呼したのです。

 音楽はやはりすばらしい。
一曲の中のワンフレーズで世界中の国境を越えて繋がる事が出来るのだから。

もう一人凄い男が居た。友の隣にオレンジ色のダウンジャケット、銀髪の外人女性としっかり手を握り合っている。年の頃は45歳位、中上健次とダンカンと崔洋一を足して3で割ったような感じ、この男ビールをしこたま飲み過ぎたのか、グワァーっと始まってから一時間三十分近くずっと眠ったままだった。 
50000分の1の大物との隣合わせだったかもしれない。
 
アンコールは一度、二度、三度。もう二度とポールに会える日は来ないだろう。
友と東京ドームを後にしながら「ポール牧」があそこに出たら最高だったなと言ったら、バカ言ってんじゃないよと言われてしまった。
そうかな、指パッチンの芸人ポール牧とポール・マッカトニーのジョイントなんかいいと思うんだけどなぁー。ポール牧は自分であの世に行っちゃったけど。
 
ポール・マッカトニーは100歳でもきっとギターを左手で弾きながら、2ビート、4ビート、8ビートで愛と平和と明日への「NEW」を唄い続けていてほしい。
伝説は決して死ぬ事はない。

ジョン・レノン、ジョージ・ハリスンに捧げる歌を唄っている時、オーロラビジョンに若き日のビートルズのメンバーの写真が現れた。
音響、ビジュアル、照明全て第一級のコンサートだった。

チケットを入手してくれた御礼に東京駅八重洲口の居酒屋でアジと黒ソイの刺身を頼み、あんまりイマイチだったので水炊き二人前を頼んだ。こちらは更にイマイチであった。
友にまた借りが出来てしまった。最後のおじやがマアマアだった。

次は十二月十二日「矢沢永吉」をヨロシク!なのだ。
そうそう、来年三月にビートルズをそっくりパクッた「レットイットビー」という四人のメンバーが日本で公演する。世界中で大人気、みなさんぜひチケットを入手して下さい。
ビートルズにソックリです。見た目も曲も。
伊勢エビとバナメイエビの違いですがいい味出しているのです。

2013年11月18日月曜日

「肉体言語」





リンゴ男子、高く舞え!イルカとなれ!とキャッチフレーズ。
“美と身体エネルギーの化学反応に一気に引き込まれた”演出家・宮本亜門とおすすめの言葉。

青森大学男子体操部にスパイダーマンの演出家が挑んでビックリしたなぁー、すごい、すばらしい、驚異的!超絶!を連発したのが、東京・代々木会場でのイベントだった。

私の敬愛する中野裕之監督が、そのノンフィクションフィルムを完成させ、十一月十四日(木)午後三時三十分〜四時五十分(作品七十八分)東京港区新橋スペースFS汐留で完成披露試写会があった(超満員)

映像試写の前に中野監督のご挨拶、トレードマークのソフト帽がガッチリと背の高い体に合って素敵だった。ある番組を見た三宅一生さんがその躍動感に感動、他のスケジュールを全てキャンセルにしてこのプロジェクトに情熱を注ぎ込んだ。
 このフィルムは、公演の準備段階から本番当日までの三ヶ月にわたる、ニュースタイルのドキュメントタッチのフィルムである。

コスチュームデザイナー、イッセイミヤケと振付師ダニエル・エズロウの演出、27人の若者たちは、地元は勿論のこと福島・埼玉・愛知などからも青森大学に入学していたガッツリな奴等。初めて与えられたコンセプトとテーマ。

高校・大学の監督やコーチとの格闘と猛練習の日々、中野監督は撮影監督もするのでその一部始終を追う。カツ弁を食べる者、唐揚げ弁を食べる者、福島訛り、愛知訛りの若者たちが青森訛りと、オレたちのアイデアも生かすでヨォーと、笑い、ほうばり、空中に舞い、マットの上に転がり、信じられない縄跳びをする。

集結、団結、飛散、飛翔、27人は個となり、疾走、拡大、また一匹ずつの魚になり、イソギンチャクになり、大波になり、一本の縄になり、一枚の布となる。

このフィルムを見て人間は、海から生まれた生物体である事を知る。
ファッションの原点がきっと海に打ち上げられた樹々の蔦ではなかったかと想像させられる。それを纏って糸として布としていったのではないだろうか。
肉体言語(ボディランゲージ)の映像に感動してほしい。

十一月三十日(土)〜一週間限定モーニング上映・テアトル新宿。
連日午前十時〜。三十日と十二月一日には中野裕之監督の舞台挨拶も予定されている。
スペシャルイベント、十二月十二日(木)、日本一の音響を誇る立川シネマシティ・シネマ・ツーへ是非。十九時会場、十九時半開演、みなさんの友人知人をお誘い合わせて下さい。

またこの頃すっかり感動を忘れてしまった人々に。
この頃すっかり体が硬くなって、ハリもお灸もマッサージも効かなくなった人々におすすめしたい(相当体がほぐれます)。

また若き映像作家たちに、中野裕之監督の取材の優しさと編集の素晴らしさを学んでいただきたい。「FLYING BODIES

2013年11月15日金曜日

「校庭10周だ」




2000メートルを超えるメキシコの高地で生活する民。
移動手段は二本の足しかない。

この地に「ララムリ」というほぼ自給自足の民がいる。
彼等は一日中走る、走る、ひたすら走るのだ。メキシコはかつてスペイン軍によって襲われ支配された。

戦いを嫌った「ララムリ」は逃げて、逃げて、走って、走って高地に安住するようになった。彼等の現金収入はヤギを育てて売る事と、100キロのマラソンに出て6位までに入賞するしかない。断崖絶壁を登り下る。急な坂を転げ落ちる様にひたすら走る。
タイヤのゴムで作った素足同然のサンダルで。

平地を走る速さはオリンピック選手のタイムと同じ位だ。
6位に入れば家族一年分の食料代となる。
一人の伝説のランナーは今年も1位を目指していたのだが彼はその会場までの70キロを歩き、そして走ってきた。その疲れがすでに若くない超人の足を痛めていた。

ランニング写真専門のカメラマンはスタートして直ぐに、そのあまりの速さと凄さについて行けない。レポーターとして来た元K-1チャンピオンの魔娑斗はアスリートであり足自慢だったがやはりスタートして直ぐについて行けなかった。

33歳の伝説のランナーは足の痛みに耐えながらも最後まで走り抜いた。
男として、父として、夫としてのプライドだ。
優勝者のタイムは8時間余、伝説のランナーは10時間余だった。
「ララムリ」は間違いなく世界一走る民だ。

そのルーツは「ララヒッパリ」という足による球技からだ。
松の木をナタで丸く切ったソフトボール大の固い球を、10歳から15歳位の子が、まるまる一晩中素足同然の足先で蹴り上げながら走る。
サッカーの原型かと思ったらそうではない。

丸い玉は彼等が信仰する太陽なのだ、太陽を転がし動かす事によって太陽の永遠の輝きを願うのだ。トウモロコシの豊穣を願って。
ヤワな都会人は固い球に足先が触れただけで悲鳴をあげるだろう。女性たちは赤、青、緑、黄、橙、色鮮やかなスカートを持って集まって来る。勝者にスカートを賭けるのだ。

漆黒の闇の中「ララヒッパリ」のスタートだ。
オールナイト競技なのだ。松明の灯りを持った大人が伴走し、少年たちをファイト、ファイトと応援する。球は崖から転がり落ちたり、イレギュラーな運動をしまくる。
真っ直ぐには行かない。少年たちの足と指は痛むが敗けてなるかとひたすら固い球を蹴り走る。トウモロコシよ沢山なってくれと思いながら。

「ララムリ」の民は急勾配の岩の中に住んでいる。
主食はトウモロコシで作ったナンみたいなものと大きな豆だけ、一日二食だ。
固い球を蹴りながら連帯感を深めて行くのだという。
夜が明け敗けた少年たちは悔し涙をため次にはきっと勝つ事を誓う。

「ララムリ」の民は明るい、仲が良い、人と人が励まし合う。
物質文明にどっぷりとつかった私は強烈な蹴りを入れられた(明け方にドキュメンタリー番組を見た)神も仏も信じない私に、太陽は信じなさいと命じられた。
地球上をたった一つの太陽が守ってくれているのだから。

北京の子どもたちが描く空には真っ赤な太陽は無いという。
福島の子どもたちは青い海を描かないという。

小泉純一郎元総理がこれは俺の感性だと脱原発を声高に叫び出した。
日本はヤバイというのだ。1112日記者クラブには350人近い記者が集まった。
この国は間違いなく、全てにヤバイ方向に向かって、走って、走って、走り進んでいる。
「ララムリ」と違うのは、皆利権に向かっているという事だ。

日本列島を空から見てみると分かる。この国は世界一の山林の国なのだ。
いつの日か中国からの大気汚染や原発の放射能から逃れる国民が山に向かい走りに走るだろう。地上では無実の民が、お前はスパイだろうと疑いを持たれ、それから逃げまくっているだろう。

自分さえ良ければいいんだという自己主義と、権力の暴走に対する無関心がいちばんヤバイ!と思う。コラッ「ララムリ」は凄いが「オラムリ」だと。
そんなことを言う奴は罰として校庭を10周走って来い。

2013年11月14日木曜日

「ビンボーと貧困」


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「よし、朝だ!」というのも、「あーあ朝か」というのも考え方次第だ。
泳ぎもせず、漕ぎもせず一生を終えるな。
こんなはずじゃなかったのに、という考え方は捨てなさい、こんなはずなのだから。
下足番を命じられたら、日本一の下足番になってみろ。そうしたら誰も君を下足番にしておかぬ。
直ぐ役立つ人間は、すぐ役立たなくなる。
何かをさせようと思ったら一番忙しいヤツにやらせろ、それが事を的確にすませる方法だ。
過去にこだわる者は、未来を失う。
十年守りの経営をしたら企業はダメになる。
急成長会社では、無能な者が要位にいる。会社の成長についていけなかった人々だ。
優秀な兵学者が師団長として戦って、勝ったためしがない。
有名な経営学者が経営すると、会社はたいてい倒産する。
経営者が忙しいのは自慢にならぬ。
決定の場においては、トップは常に孤独である。
もっとも重要なことは、自分ひとりで決めるべし。
人の悪口はすぐ報告せよ。しかし言った人の名は言うな。
偉くなったら、バカになる修行をせよ。
小才は縁に出会って縁に気づかず。中才は、縁に気付いて縁を生かさず。大才は、袖すり合った縁をも生かす。
百人のうち九十九人に誉められる者は決していい人物ではない。
すぐ、分かりましたという人間に、分かったためしはない。
何を笑うかによって、その人柄はわかる。

ずっとむかしのある日、図書館の分厚い本の中から気に入った言葉をノートにとっていた。就活をしている人、経営をしている人、会社を辞めようと思っている人、あいつは許せないと思っている人。少しばかり参考になればと記した。

“貧困”のために学校に行きたくても行けない子どもを救いたい、等しく勉強をさせてあげたい。そのために資金を集めたいとNPOの若者は言った。
日本は寄付後進国、先進国の中ではオシリから勘定した方がはやい。
それでも3.11以後寄付ビジネスというのが盛んになって来た。

大手広告代理店の友人はとてもヒューマニスト。
その知人に協力を、何か切り口をと宿題を頼まれて、ずっと箱の下の方にあったノートを引っ張り出して思案の水にさざ波を起こしてみようと思った。

若い人に“貧困”っていうと何を連想すると聞けば、エジプトやシリア、中東の難民とかタイとかバングラディシュとか、中国の奥地などという。
日本に貧困はあるかと聞けば、ビンボーな人はいるけど貧困の人はいないんじゃないと言う。何か分かった様で分からないのだ。

つまるところ貧困と言っても若者たちの心には刺さらないというのが分かった。
それじゃ、30代、40代に聞けばなんと若者たちとほぼ同じ。
それじゃ、50代、60代、70代と聞いて回ると昔はさあとか、あの頃はとか、今思えば本当に何もなかったなあと昔話になってしまった。


大学の入試方法が点数より人間本位で選ぶなんて、入社面接みたいな変てこな話になって来ている。基本は学力だと決まっている。
それに面接する人間がそれに値するかが問題だ。
文教族たちが悪巧みを考えているのが見え見えだ。アレでひと儲け、アレでもひと儲けと。

来週火曜日に宿題を提出しなければと思っている。
先人の言葉はためにはなるが、やはり参考にはならない。

私が大好きな言葉が一つある。「千人殺すも一人殺すも、取られる首は一つ『河竹黙阿弥』」一度しかない人生、どんなに貧しくとも、自分の好きな事をしている人が、楽しそうで美しい。

よし!調子が出て来る午前二時五分と十八秒、一から出直して考えてみよう。
貧困を世に知らすべき策を。そういえば13日の夜、愚妻が作った山梨名物「ほうとう」は米が少ない土地が多かった。そこで武田信玄がそこらにあった野菜を自らの刀でぶった切っては入れたとか(宝刀ともいう)。

台所で包丁を持っている愚妻の姿にドキッとした。
我が家もかなり貧困だからな。

2013年11月13日水曜日

「勉強になる」




感じのいい人はみんなからも感じがいいといわれていて嬉しかった。
その逆に感じが悪いといわれていた人が、やっぱりみんなから感じが悪いといわれていたので人間の見る目は大きくは違わないと思った。

私の家の直ぐ側にサークルK というコンビニがある。
私は新聞やウーロン茶や雑誌を買いによく行く。
そのサークルKに「いとう」さんという252627位の女性の店員さんがいる。
 決して美人ではない。背は155センチ位、髪の毛は長くはなく、少し茶色だ。

 「いとう」さんは私が知る限りコンビニ史上一番感じがよく、とにかくテキパキしている。こんな思いは私だけかと思ったら、息子も嫁さんも、愚妻も孫たちも、ご近所の人々も、みんなみんな「いとう」さんは最高の店員さんだと口を揃えて言う。

いらっしゃいませから始まってレジを打ち、お釣りを出し(お札を出し、大きいの一枚二枚はやらない)、レシートを出す、いらないよと言えばハイと小箱に入れる。
袋はご一緒でいいですか、これとこれは別々の袋にしますねと何から何までキビキビとして一連の動きが実にスムーズであり誠意に満ちている。
作り笑いなどはしない、自然の小さな笑顔が実に気持ちいいのだ。

結婚をしているか、していないかは聞いた事がないので分からない。
もし、していなかったら独身男性におすすめの女性だ。
きっと幸福な家庭を作ってくれるだろう。毎日は出ていない、週に二日位出ている。
夜はいないところを見ると結婚しているのかもしれない。

「いとう」さんのファンは多い。店の斜め前に「アレセイア」という男女共学の私立中・高校がある。土日部活を終えた学生が、サークルKの入り口にある木のベンチに座ってアイスを食べたり、グミを食べたり、キットカットを食べたりしている。

去る九日土曜日の夕方、そのベンチに友人の娘さんが友達二人と座っていた。
娘さんはラムネの白い粒を食べていた。友達の一人はメールを見ていた。
もう一人は何かのパンフレットを見ていた。
その横にバスケット部なのか背の高い男の子が二人立っていた。
一人はカップヌードルをすすり込み、一人はペヤングソースやきそばを食べていた。

私は知り合いの娘さんに部活だったのと聞いたら、そうですと応えた。
そうだ、今日こそ聞いてみようと思い、この店で一番感じのいい人は誰と聞くと、男女五人一斉に「いとう」さんと言った。

やはり、そんじゃ一番感じ悪いのはと聞くと「☓☓」と言った。
 やはり、私も同じであった。今、あるショップの立ち上げに参加している。
ショップの命は接客するスタッフだ。この処アッチコッチの店に行ってはいい感じ、嫌な感じの勉強をしている。

「いとう」さんはいい感じ度ダントツ100%だ。
ちなみに私は不動の嫌な奴NO.1だ。辻堂か茅ケ崎に来たら是非富士見町バス停斜め前にあるサークルKに立ち寄って下さい。「いとう」さんに出会ったら私が嘘つきでない事が分かる筈です。とっても勉強になる女性です。

2013年11月12日火曜日

「ポールはずっと挑戦中」



※楽天ニュースより


みかん箱一個に天津甘栗の大袋四つ(勝栗は縁起物)これが相当に重かった。
十一月八日、舞台演出家&主役の友人が代々木の青少年総合センター442で稽古中、その撮影と激励に行った。銀座で買った差し入れをタクシーに乗せて向かった。

着いたら直ぐ側にと思った読みが浅かった。
入り口にこれ以上はクルマ乗り入れ禁止、まあ仕方ないかとみかん箱をひとまず置いて箱を開け、そこに天津甘栗大袋を四つ加えた。
以前舞台を見た時に20名位出演していたので一箱なら二個ずつ食べてもらえると思った。

ゲートの入り口のボックスに人のよさそうな五十代の男の人がいた。
すみません、ここどこですかとデスクの女性が渡してくれた地図と青少年総合センターの配置図を見せた。
カルチャー棟42はあそこの階段か、あそこのエレベーターで2階まで行って、あそこに見えるところの4階ですと教えられた。
えー、あそこか、この箱とカバンを持って随分遠いではないか、おじさんこれ持ってくれるなんて頼めそうにない。
よし、と心を強く持ちカバンを斜めがけにして、箱の両サイドに開けてある小さな丸い穴に指を入れた。

ヨイショと持ち上げて一歩、二歩、三歩…中指と薬指が思い切り痛い。
よし底を持つかと持ち上げる。重ーいではないか。
牛歩のように歩いてやっとエレベーターへ、そこを出て見ると、どーんと長い廊下があるではないか。金魚が何匹もプニョプニョ泳いでいる水槽の前に箱をドスンと置く。

42が分からない。
インフォメーションがわかりにくい、どこだろうか、いつもの事ながら一人で行動している時は子ども以下の自分が情けない。
おっ人が来た、すいませんときっと役者さんだと思った人に聞いた。
その人は役者さんではなかったが親切な人で42はずっと奧の左側ですよと教えてくれた。

重そうなみかん箱を持っていたのを見て、大変そうですね手伝いましょうか、なんてひと言も言わずに行ってしまった。親切そうに見えたのに。
指がかなり痛い、腰も腕も痛い。
そうか下に置いてラグビーのスクラムみたいに押せばいいじゃんか、とやっと気がついた。こりゃー楽ちんだ、箱の上にカバンを載せて押して押しまくる。

42に着いた。
なんでこんな簡単な事に気が付かなかったんだと思いつつ、ドアを開けた。
おっ、広—い。あっいたいた。でも真剣な姿を見て声は出さなかった。

次にあっ、いたいたの人は監督の寺尾学ぶさんとカメラマンの川西さん。
そっと静かに、どーもどーも、えっこれ持って来たのですか?そーなのそーなの遠い重い旅路だったよと言う。台本片手に演出する友人が素敵だ。
稽古する役者さんたち10人程、沖縄の三線を弾く人もいた。

いいなぁーこの空気。
近々上演の通し稽古は緊張感がピーンと張り詰めていた。
みなさん差し入れ頂きました、みなさんとても丁寧にどーもありがとうございます。
そこで撮影させて頂きシナリオの中にどう生かすかを考える。

この日はもう一箇所撮影に向かった。
東大和市にある杉田陽平さんのアトリエにレッツゴー。川西さんのクルマはベンツの4WD3500CC、グイグイ走って一時間二十分、立川駅前で差し入れを買う。
おせんべい二種、飴二種、ピーナッツなど。

お酒は飲まないと聞いていたのでお菓子にした。
緑色のアパートの一室、ジャジャジャーン、素晴らしい!130号に極彩色の杉田ワールド。絵の具だらけの床にペタンと座って撮影開始。この絵は十一月末に展覧会に出すそうだ。

既にNYの人が買う事で決まっているとか。
武蔵野美術大学出身30歳。ご注目あれ、天才の出現を。
才能✕才能✕才能、この出会いから予期せぬ科学反応を生む事が私の実験だ。


「青春は何もかも実験である」という。
クリエイティブを志す人間はいつまでも青春時代の中に居なければならない。
実験の成功は失敗の中からしか生まれない。
この日の最後は一人の女性のオーディション、ベンツ4WDは夜の赤坂へ向かった。

十一月十八日ポール・マッカトニー(71)の東京公演に行く。
音楽は永遠に青春だ。
新曲「NEW」の中のフレーズに「自ら 選んだ道を行けばいい 保証なんて 何もないけど 失うものも 何もない」ポールはずっと挑戦中だ。