先輩が母校の後輩に対して贈るこれほどの感動的言葉はないだろう。
但しこの言葉は声ではない。スクリーンに映された文字だ。
歌手であり音楽プロデューサーでもある、つんく♂さん(46)が喉頭がんの再発により、命をとるか、声を失うかの選択を迫られた。
彼は歌手の命、「声」を失うことを選び新しい人間として生きる「命」を得た。
彼は母校近畿大学の入学式にゲストとして登場した。首にはスカーフ、手にはギター、顔はおだやかな笑顔であったが、両の目は潤んでいた。
スクリーンには、「一番大切にしてきた声を捨て、生きる道を選びました」のメッセージが出た。後輩たちの入学を祝う曲をギターで弾いた。口を動かしていたが声はない。
私はそれを見ていて目頭が熱くなった。諦観を知った一人の人間の美しさを知った。
プロデューサーの才能はモーニング娘を育てたように有能であり、作詞作曲もすばらしい。
大切な声を失ったがこれからも人々を感動させてくれるだろう。天は彼に二物も三物も与えてくれていた。
作家故城山三郎氏は“粗にして野だが卑ではない"というある主人公を書いた。
その逆を行くような一人のカリスマ編集者が画面にいた。ベストセラーを連発する会社を生み育てた。彼はいう。大切なのはGNOだよと。
G→義理、N→人情、O→恩返しだと。そしてこう追加した。
人脈なんかブタのエサだ。癒着せよと。
徹底的に努力し、熱狂し、癒着せよということらしい。
それが「金」につながるんだ。まんまるに膨張した顔、ミル貝のような口びるを大にして語った。
私の知人があることを相談にいったらまったくGNOでなかったと聞いた。
ケチな男だったよと。
最近報道界や政界に積極的に癒着を目指している。実に、“粗にして野で卑"の姿だった。
(人のことはいえた私ではないが)
四月四日・五日、一人の男に感動し、一人の男に失笑した。
前者は良き人生を送り、後者は天罰が下るだろう。
金と権力を追う人間の顔は誰より貧しく見えた。
つんく♂さんの言葉、「私も声を失って歩き始めたばかりの一回生。皆さんと一緒です。」
何と気高いではありませんか。
私の四十年来の親友は十数年前に食道癌で声を失った。が、血の出るような努力で食道発声法を学び一つの機具を使って声を出せるようになった。
宇宙人の声のようだが会話が出来る。ノド元にはポッカリと穴が開いている。
この男の紋章だ。オサケアリガトウスコシズツノンデルヨと電話の向こうで話す。
共に闘ってくれるいい奥さんに恵まれた結果だ。