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2015年9月25日金曜日

「何回も難解」



この人の作品はあまりにも難しく、あまりにも暗く、重く、あまりにも長い。
だが大好きなのだ。

ロシアの代表的監督、アンドレイ・タルコフスキーの映画を連休中に三本観直した。
レンタルビデオで観た時は返却しなければならず、ただじっと観た。

大巨匠の映画は現在活躍している殆どの映画人に影響を与えたといっても過言ではない。カンヌ映画祭に出品すれば必ず何かを受賞する。
宇宙、希望、絶望、人間、苦悩、愛、生、死、キリスト、神、争い、生きて行く上で全ての要素に迫る。

一本161分から183分だ。
三本で約500分、いい言葉を書き留めるからその3割増しであった。
そのためにDVDは購入しておいた。
「惑星ソラリス」「ストーカー(密猟者の意)」「アンドレイ・ルブリョフ」である。
この三本の中にある哲学的言葉は、現代社会に生きる私たちの胸に刺さる、その一部を紹介する。



宇宙船ソラリスの中での科学者の言葉「同情心というやつは、ときに有害だ、人を苦しめる。苦しみは生活に陰をさし猜疑心をもたらす。でも本当にそうか、私はそうは思わない。生活に不要なのは全て有害なのか、そうじゃない、絶対に有害ではない。トルストイも苦しんだ、そもそも人類を愛することができないと。助けてくれ僕も人を愛する、だが愛とは感じることはできても具体的に説明することが困難な概念だ。人は失いやすいものに愛を注ぐ」(惑星ソラリスより)

「振動させ続けなさい、あなたの心にー。生じたその響きを、情熱と称するものは魂と外界の摩擦だ、気をいっぱいにして脆弱であれ。幼子のように弱くあれ、弱いことは偉大であり、強いことは無価値だ。人は生まれたときは、弱くてやわらかい、死ぬときは堅く干からびている。木は成長するとき、やわらかでしなやかだ。乾き堅くなると木は枯れる、硬さと強さは死の仲間だ。やわらかさと弱さは、みずみずしさの現れだ。堅くなったものは勝つことがない」(ストーカーより)

ゾーンといわれる不思議な空間の中で自称物理学者と自称作家の会話だ。
ストーカーとはゾーンに案内する密猟者のこと。
ゾーンの中には人間の一番の望みをかなえる「部屋」があるという。
が、ゾーンから生きて出るのは…(?)今日は寒い、冷たい雨が降っている。

人間の心の中にゾーンがあるのだと思った。
人や物事にかけた愛情は、それによる苦しみに比例するという。
分かったようで分かんない。週末にまた観ることにする。

今日は朝から雨、まったくよく降りやがる。
テレビをつけるとどのチャンネルも“乳癌”と“胆管癌”の解説をしている。
「アンドレイ・ルブリョフ」は中世ロシアの天才的イコン画家の苦悶する物語。
何回観ても難解だ。

2015年9月24日木曜日

「九月二十三日の事」




今年も残り100日を切った。
過ぎ去った265日は早く感じることもあれば、遅々としていたような感じもある。

海岸に行って石ころを手にして海に向かってそれを投げた。
水面に平行に投げると石ころが海面を一回、二回と飛ぶ。
上手くいくと三回、四回となる。

水切りというのだが、回数を多く得るためにはなるべく平っぺたくて軽いのがいい。
重い石はどぼんと沈む。
それに驚いたのか(?)ボラの子がピョンピョンと海から飛び出す。

午後四時頃投げ釣りをする人がいたが何も釣れていない。
聞けば何日も釣れていないのだとか。お目当ての貝殻は見つからなかった。
未だ100日近くもあると思い少し大きい石を手に遠投した。
やることはやってやるぞー!と、石はそれほど遠くまで投げれなかった。

休みの間少年たちの野球の試合や練習を見て回った。
監督に怒鳴られ叱られ続ける少年たち、その度に大きな声でハイ!ハイ!と帽子をとって頭を下げる。
少年たちは誰にでも帽子をとってコンニチワとかアリガトウゴザイマスと頭を下げる。
早朝から暗くなるまでハードな練習をする。連休などは無い。

コラー何やってんだボールを怖がってちゃダメだっていってんだろー、コラー、コラー、コラーが続く。監督の声はすこぶる甲高い。
ずっと見ていると自分が叱られている気がした。

今年もあと100日を切った。
少年たちに負けないよう私も自分への練習をしようと思っている。
海岸にあるサイクリングロードにはマラソンの練習をする人々が黙々と走っている。
一方は江ノ島に向かい、一方は富士山の方に向って。

五輪真弓の名曲「恋人よ」を思い出した。走る人のことを“マラソンマン”と歌った。
女性も多いがマラソンマンでいいのだろうと思った。
海の上にポツン、ポツンと動くのは波を待つサーファーたちだ。
海を離れ家に向かうとき、少年たちを叱る監督の声を思い出した。

野球に上手くなりたかったらボールから逃げんじゃないヨオ!
そうです、何事も逃げたら負けなのです。楽に生き抜ける人生なんてありゃしない。
失敗したってドンマイ、ドンマイだ。

2015年9月18日金曜日

「飛ぶ鳥、後は…。」



銀の週間→シルバーウィークが明日から始まる。
人生の後半をいかに生きるかしばし考えてみよう。モノ忘れは酷くなった。
前の日何を食べたか忘れてしまう。人の名前が全然でない。
え〜、あの、あれ、あれ、あいつだよというセリフのやりとりが多くなった
毎日着る物に関心がなくなった。そのクセやたらに食欲はある。
日々服用している薬を飲んだかどうか忘れている。
朝・昼・夜・食間・就寝前と薬局に分けてもらわないとダメですよとなる。
え〜、もしもし、ハイハイ、あれ誰でしたっけと電話をかけた相手を忘れてしまう。


「人生は…死ぬまでの暇つぶし」といったのは確か山本夏彦さんだったと思う。
「生きてるだけで丸もうけ」といったのは確か明石家さんまさん。
「年寄り笑うな行く道だもの」は確か永六輔さんであったと思う。

私の師匠であり大先輩であった人は「飛ぶ鳥、あとはメッタメタ」だよといい、銀座の高級クラブにツケを山ほど残して逝った。
大和のハイヤー代も山ほど会社のツケで残していた。
でも、いい仕事も山ほど残していたので太っ腹の会社が精算した。
みんなに愛されていたのでツケは何分の1かで済んだ。
勿論私も先輩のツケを二軒分払った。

先輩は生きている間中“シルバーウィーク”だった。
ゴールド→お金に対して全く興味なく、使うことばかりに興味があった。

“いぶし銀”といえば中年のいい男のことだ。ロマンスグレーともいわれた。
50代、60代の人が読む週刊誌の特集は、毎週これから、愛欲を楽しめと見出しが踊っている。女性に興味を失った時、男としての人生は終わりとなる。

ある賢人の言葉に「悪いことのできない人より、悪いことができて悪いことをしない人の方が、人がついてきて成功する。」この人は高級百貨店グループを生んだ。
私は大先輩の生き方に共感する。

あれ、今日薬飲んだっけ、メシ食ったっけ。
誰の電話だったっけ(?)銀座のクラブのツケは約束の日に振り込んでもらった。
みなさんよいシルバーウィークでありますように。

2015年9月17日木曜日

「モンゴルのことわざ」



私がこのブログを書き始めたのは、九月十七日(木)午前一時二十七分〇九秒である。NHKをつけっぱなしにしている。中米コスタリカ、世界一美しい森という映像に白いテロップがある。
「国会関連のニュースは動きがありしだいお伝えします」と。

国会周辺は“戦争法案”採決反対の人、人、人。
警官、警官、警官。
護送車のような警備の車、車、車、雨、雨、雨。
国会内は怒号、怒号、怒号。

自民党並びに政府はまさかこんなことにはと思っているはずである。
何しろ圧倒的な数を持ち、相手しているのがガッタガタの少数野党ばかり、だから全部合わせたってたかが知れてる、どうせ寄せ集めの民主党や維新なんか簡単に切り崩せる。

ここまではその通りだが、ネット社会を知らなすぎだ。
この社会の人たちの凄さと怖さを甘く見ていた。政党対政党ではないからあらゆる手練手管も通用しない。あっという間に繋がる威力に対抗できない。
政治家一人ひとりが何を語り、どう行動したかは永遠にファイルされる。
次の選挙のときにそのファイルが威力を発揮して攻め立てるだろう。

安保反対のデモとはそこが決定的にちがう。イデオロギーの問題でなく、生活者レベルの反対行動だから老若男女がネットで繋がる。数では安保デモだがその質では圧倒的に今回のデモの方が強力だ。

ある政治家はあんなデモはすぐに雲散霧消する、といったがネット社会で繋がった情報はどうやったって消すことはできない。
世界中ともオンタイムで繋がっている。
プラハの春望、エジプトもタイも、全ての打倒権力はネット社会の民衆によって成されている。永田町の政治はネット社会に対して遅れている。

現在午前二時〇一分四十八秒、NHKのテロップは変わらずだ。
映像はラグビー日本代表の五郎丸歩選手の成功率85%への驚異的プレースキックの目標を「アスリートの魂」という番組で追っている。
ラグビーは試合が終わればノーサイドだが、ネット社会を敵に回したらノーサイドはない。朝までには特別委員会の採決をするだろうが、実はここからが終わりの始まりであったことを永田町は知らされるだろう。
テレビの画面では五郎丸歩選手が45度の角度から見事にチョークキックでゴールに成功していた。

「歴史は夜動く」有名な言葉を思い出した。モンゴルのことわざにこんなのがあった。「逃げた馬はつかまえられるが、一度口から出た言葉はつかまえられない」政治家のはなった全ての言葉はネット社会がつかんで放さない。

外は雨、雨、雨である。

私も放った言葉で失敗ばかりしている。

2015年9月16日水曜日

「13発の銃弾」



「飼い犬に噛まれる」、信頼していた人間や、手塩にかけて育てた人間に裏切られたりした時に使われる言葉だ。


その紀州犬は余程凶暴だったのだろう。
身長120センチ、体重21キロであったという。犬は七歳。

千葉県松戸市の路上で飼い主など3人を噛んで警官3人に銃殺された。
首輪とリードで住宅の敷地に繋がれていたが逃げ出した。
警察官が制止を試みたが襲いかかった。飼い主の許可を得て発砲した。

警察官の拳銃の装弾数は5発のため標的に対し4発で決めるというのが暗黙のルールらしい。で、凶暴な紀州犬に対し3人の警官が発砲したのが13発、一人は全弾撃ったことになる。犬1匹に13発、何発かが命中し、何発かは外れ13発目で犬は倒れた。
この犬は前日にも人を襲っていたため発砲やむなしと判断されていた。

ある警察OBは相当警官は混乱して弾を外したといい、ある人は1匹の犬に13発なんて考えられない、実弾での訓練不足だという。何はともあれ外れ弾が人に命中しなくてよかったということであった。飼い主はどうやって繋いでいたのかは分からない。

土佐犬や紀州犬、秋田犬など日本犬は、いつでも闘う気満々である。
その気になるとリードなどブチ切る力を十分に持っている。
人間が支配できないプライドを持っている。

私が飼っていた犬にも8分の1ほど紀州犬の血が入っていたらしい。
私も愚妻も何度も噛まれた経験がある。白くて小さな犬であったが13才でこの世を去った時、大声を出して泣き続けた。銃殺された犬の飼い主はどうであっただろうか。
腹に何発も命中している姿を見て。14日住宅街でのバ、バ、バァーン!であった。

人間が飼い主を噛む場合はプライドを傷つけたか、分け前に不満の場合が多い。
何度か噛まれた傷口がまだ痛い。人の心は銃弾の如きである。
ちなみに犬は上から目線を嫌うらしい。語りかける時は同じ目線で話すといいらしい。