ページ

2016年3月13日日曜日

「つかぬこと」



大変つかぬことをお聞きします、いいでしょうか。
えっ何?と応えた。赤坂五丁目から銀座まで乗ったタクシーの運転手さんとの会話だった。

つかぬことって何と言えば、実は運転手さんの息子さんがやっとこさすべり込みで高校に入った、そしたらスマホを買ってくれと言った。
バカモンそんなの駄目だ許せん、どーしても欲しいなら将来の人間形成に役立つ本を200冊読めと言った。そしたら奥さんは200冊は多すぎると言われ、それじゃ100冊となり、いろんな本を探した。
インターネット上で人間形成に役立つ本を54冊買い求めた。あと46冊探しているんですが何かいい本ありませんかねという話であった。

で、何を買ったかと聞けば、五木寛之の「青春の門」とか「親鸞」とか吉川英治の「宮本武蔵」とかであった。お客さんはどんな本で人間形成をしましたかと言うから、本なんか読んで人間形成なんか出来ないよと言った。そうですか 、やっぱり本は大切だと思うんですよと言った。

あんまり本は読んで来てないから思い浮かばないが、一冊といえば尾崎士郎の「人生劇場」だなと言った。
どんな本ですかというから、義理と人情の男の世界、男と女の愛情の世界だよ。
で、車は仕事場に着いた。どうもありがとうございますと運転手さんは言った。
日本交通の運転手さんはメモ書きをしていた。

2016年3月10日木曜日

「ポッキー」



赤坂溜池の交差点側の仕事場を出ると、ガンガン大音量の街宣車が数台私の前を走り抜けた。
右翼の街宣車は怒鳴り放題、喚き放題、言いたい放題に主義主張を車上から浴びせる。

一度やってみたいと思うがその機会がない。
ずい分とモヤモヤが発散できそうだ。
勿論私の主義は右翼ではないのだが、喚き散らしたいことばかりの世の中だ。

新橋駅機関車口にほぼ毎日街宣車が停まっている。
誰も聞いていなかったので一度立ち止まって聞いていたら、ありがとうございますとあいさつされたことがあった。

運転席に二人いて30代中頃の一人はポッキーを食べていた。
一人は未だ若い人で先輩に冷たい麦茶みたいなものを出していた。

軍艦マーチをガンガンかけて街宣車は走り去った。
やけに寒い中で熱気満々の人を見て、私は私なりにこの日本国の未来を憂うのであった。



2016年3月9日水曜日

「雨に濡れて」

鉛色の雨であった。どんよりとして重い。
朝から降り続く雨は、つよくでなくやわらかでなく鬱陶しいものであった。
だがとても親切なタクシーの運転手さんのおかげで気分が晴れた。
南禅寺の側の湯どうふ屋さんに運んでくれた。
京都のおとうふは絹ごしでつやつやしている。私のようながさつな者には似つかわしくない。

ごま豆腐、木の芽田楽、とろろ芋とカボチャの天ぷら、黄色いたくあん二切れと白いご飯で一式であった。
勿論メインは湯どうふであった。
朝から何も食べておらず、午後二時半の湯どうふは冷たい雨に濡れた体を湯たんぽのようにあたためてくれた。
クツクツと湯気を出し煮立った湯どうふは、鉛色とよく合うと思った。
無彩色の持つ特別な色気だ。これが真っ青な天気だとしたら、きっと味気ないものであったはずだ。

浅葉克己先生の「血肉化」展は圧倒的であった。
中でも作家中島敦の「文字禍」を活字で組んでいたのが圧巻であった。
白い紙に活字の黒インクが絶妙であり、中島敦の名文がえもいわれない風格を出していた。
浅葉克己先生の文字へのこだわりと探究心に心から敬意を表す。
文字を生み出すということは命がけの探検なのだ。
ツメのアカを煎じて飲みたいので、近々お邪魔してツメを切らせてもらうことにする。
雅な京都もいいがモノクロームの京都も又風情があった。

聖護院で美容室を営んでいるご夫婦に会うことが出来た。
oluhaオルハのシャンプーはとても評判がいいと聞いて嬉しかった。

雨が心の泥を洗い流してくれた。

2016年3月8日火曜日

「まっいいか」




私が最も認めない人間がいる。「つもり」人間だ。
いや〜残念行くつもりだった。ゴメンなさい、行くつもりだったんです。
この手の人間は決して信用してはいけない。
但しちゃんとした理由があれば別だ。

つもり人間が一級になることは万に一つもない。
予定が入っているから行けないと正直に言えばそれでいいのだが、つもり人間はいかにも学ぶ心があるが如く振る舞う。
私は夥しい数のつもり人間と接して来たが、実は冷徹にその人間の値踏みをする。
伏線の言葉を言って試す。

人間の体は一個しかないし、日々スケジュールは動くのだから約束通りには動けない。
テメエ―のスカスカのエエカッコシイにはうんざりなんだよ、という人間が多い。
言葉だけの人間だ。

日産の広告で「やっちゃえニッサン」というのがある。
矢沢永吉は言う、「本当にやる奴は言葉より先に動いている」と。
その通り、能書きの多い人間は実は自分の時間のことばかり考え、人のために思考努力をしない。自分のためになるかどうかの計算だけは上手にする。
イヤーゴメンゴメン、急に用事が出来てとか、スミマセンとっても楽しみにしていたのに用事が出来たの、私は長い間人間分析をしているので相手がどう動くかは90%予想出来る。上辺だけのヘラヘラ人間は、カンナクズのようなクズでしかない。

久々にいいスポーツライターが出て来てウレシイ。
小川勝さんという。2/22の東京新聞でこんな記事を書いていた。
北方領土の一部である、歯舞(はぼまい)の読み方を担当大臣が読めなかった。
その例えとしてプロ野球のコーチが四番バッターの名を知らないに等しいと。
3/17では「史上最強」の裏付けを示せ/と書いていた。

卓球が男女共に世界二位となった。
かつて日本は世界一になっている(1961年北京)、71年にもなっている。
だが今回は世界二位、それなのにマスコミやスポーツ界は史上最強という。
どれだけがんばっても二位は二位なのだ。この日本国を進歩させないもとがそこにある。やった、がんばった、二位、すごいじゃんという気質が。

これはつもり人間にも通じる、一流と二流の違い、一流と超一流の違いに通じる。
自分のスケジュール帳にまず友人と会う、まずあれを食べる、まずあそこに行くと書くのがフツーだが(私は違う、会ったことのない人に会うのを優先)そのまずとまずの間にある貴重な時間をどう生むかに、その先の結果がある。
もの凄い好奇心人間は、這ってでも南海の諸島や北の大地に行く。

ヘラヘラ、ペラペラとした調子のいい人間が実に多い。
但しこの人たちは人の裏に回ってにわか名評論家となり悪態雑言を延々とする。
人間の真の価値はその動きにある。

プロフェッショナルとアマチュアの違いは、プロは24時間考えている。
アマはまっいいかとイビキをかいて眠っている。
プロに自分はない、アマは自分ばかり。
能書きばかり、つもりばかり。

2016年3月7日月曜日

「孫の力」




雑誌「ソトコト」で有名な「木楽舎」から隔月で「孫の力」という雑誌が出版されている。編集長はその名も高き小黒一三さんだ。

♪〜なんでこんなに 可愛いのかよ 孫という名の 宝もの じいちゃんあんたに そっくりだよと…こうつづくのは名曲「孫」だ。
山形県の歌手、大泉逸郎さんの大ヒット曲だ。

私が大変お世話になっている社長さんも大泉勉さんという山形県出身の人だ。
作家藤沢周平を生んだ風土は大泉勉さんのように人に優しく、面倒見がよく、弱者には特にやさしい人を生む。

大尊敬をしている水彩画の巨匠麻生哲郎さんも山形県鶴岡の出身だ。
三月十八日〜二十四日まで京都御苑近くにある、虎屋京都ギャラリーで旅のスケッチ展「古都の春、老舗の華」がある。相変わらずの名文の案内状が届いた。
最終日の二十四日に行ってくる。

話は「孫」に戻る。
こんな記事を読んだ「孫離れうつ」近年目立つ/の大見出し、老年期から発症喪失感が引き金/のサブ見出しであった。孫は来てうれし、帰ってうれしともいう。
ずっと見ないと寂しいが、ずーっといられると疲れ切るからだろう。
孫の面倒を見ていた祖父母が、孫の成長と主にその役割を失い、うつになるというパターンがここ数年で目立って多くなっていると記事にあった(朝日2/27朝刊神奈川版)。

孫の世話を生きがいにしている愚妻には未だ直ぐ側に保育園児がいるので、あと10年ほどは生きがいを続けられるだろうと思う。但しポックリ逝ってしまうかもしれない。
ちなみにシニアの「生きがい」「やる気の源」ベストスリーは、(一)旅行などの趣味61%、(二)パートナー(妻・夫・恋人)43.9%、(三)子ども・孫43.3%であった。

あーもしもし浅葉ですがと浅葉克己先生。浅葉先生といえば卓球だ。
見た?世界卓球2016と聞かれたので勿論見ておりますと応えました。
超絶的卓球は最早格闘技のようで、ピンポンなどという表現が出来ません。
打つ、返す、打つ、返す、打つ、返す。バーンと打つ。

「孫離れうつ」の予防には卓球がいいのではと思った。
勿論温泉場にある卓球というかピンポンでいい、頭使う、体使う、足使う、手を使う。
きっといい汗をかける、うつを打ち返せるはずだ。
私の家では食事をするテーブルに小さな網を張って(ちゃんと売っている、2本の棒が吸い付く)ピンポン、パンポン、ピンポンを愚妻と孫たちがやっている。

三月九日、浅葉克己先生のデザイン展を観に京都に行く、日帰りである。
シニアのみなさん、木楽舎刊の「孫の力」をぜひご愛読してください。
元気が出る情報がギッシリ入ったステキな雑誌です。
この一冊を読めば、決して「孫離れうつ」にはなりません。

2016年3月4日金曜日

「七里ヶ浜にて」




松方弘樹さんがかなり厄介な脳リンパ腫であるとのニュースに接した。
早朝四時三十分鎌倉七里ヶ浜の海岸である作品の追加撮影のために、海岸側のセブンイレブン駐車場に集合した。
風はなく、波は静かで空には美しい三日月があった。
右方向に江の島の灯台の灯りが規則正しく回っていた。

松方弘樹さんのことを思い出した。
数年前、自主映画に松方弘樹さんがノーギャラに近いようなものなのに快く出演してくれた。共演は松雪泰子さん、伊吹剛さん、村上淳さん、主役は新人の小林成男さん、題名は「灯台」江の島の灯台が舞台であった。
監督、撮影は中野裕之さんであった。

松方弘樹さんは朝から深夜まで嫌な顔を一つもせず、いいね、映画は、いいね、映画屋はと協力をしてくれた。とにかく映画少年であった。
大スターなのにそれらしい態度は一切なし、大好きな釣りの話をしてくれたり、東映映画全盛時代の話をしてくれた。
ずっとチューインガムを噛み、本番になると口の中の上の部分にピタッとくっつけた。
映画が好きで好きでたまらないと言った。

短編映画「灯台」はテヘラン映画祭、クラクフ映画祭のインターナショナルコンペティション部門にノミネートされた。
その撮影後ニュースで松方弘樹さんが300キロ以上のマグロを釣ったということを知った。御祝の花を事務所に送った。松方弘樹さんから電話があったというので、すぐに聞いていた番号に電話をした。ハイ、もしもしと松方弘樹さんの高音が出た。
お電話をいただいたようですが、今どこですかと聞くと、花ありがとう、今ねえ島取の沖の舟の上だよと言った。マグロを追っていた。

釣りと映画を語るとき、松方弘樹さんは本当に少年になった。
大好きな松方弘樹さんがきっと元気になってくれることを祈っている。
そしてまた、でっかいマグロを釣り上げてくれる姿を見せてほしい。
いい映画、いいドラマ、いい舞台を演じてほしい。全国の松方弘樹ファンがついている。きっと治ると信じている。

朝、遠くに灯台の灯りを入れながら狙い通りのシーンを撮影した。

2016年3月3日木曜日

「姉弟愛」

※袴田さん冤罪関連のパンフレットより


昨日ポレポレ東中野で観た「夢の間の世の中」は2014年3月27日、静岡地裁が死刑囚袴田巌さんの再審開始と執行停止を決定し、48年ぶりに自由になったその日からを追ったドキュメントフィルムであった。

事件の内容を追うものでなく、お姉さんと弟巌さんの姉弟の出所後の生活経過と時間経過であった。お姉さんは弟の無実を信じ、結婚もせず一貫して無実を訴えつづけた。
このお姉さんがいなければ袴田巌さんは刑場の露となっていた。
肉親の執念であった。

日々底抜けに明るいお姉さんに心がなごむ。
「兄弟は他人の始まり」などという言葉があるが、袴田姉弟は濃い血でつながっている。48年に及ぶ拘禁生活と死刑という恐怖から開放された袴田さんは、でんでん虫より遅い速度で日々の生活の自由さを取り戻すが、殆どは取り戻せない。

部屋の中を一日中ウロウロする。柵の中の生き物のようにウロウロする。
正気に戻ったかに見えたのは、ボクシングの聖地後楽園ホールのリングに立った時だ。
無実を勝ち取るために力を合わせた歴代のチャンピオンや、現役のチャンピオンたちが同じリングにベルトを持って立った。

袴田さんには名誉ある特別のベルトが用意されていた。場内は万雷の拍手であった。
リングサイドには袴田席が用意されていた(無実を信じずっと前から)。
ボクシングを見終えた袴田さんは、ボクシングの基本である左のストレートの大切さを語った。ボクシングは忘れていなかった。

体が火照っているのか、何故かずっと団扇とか扇子で顔に風を送る。
将棋がとても強かった。スタッフは一勝も出来なかったとか。
お姉さんはよく笑う、笑顔がやさしくすばらしい。
袴田さんは多くの人々の力によって自由の身となっているが、検察は抗告している。
完全なる自由の身ではない。主なる証拠を捏造したと断じられた検察の面子だけで抗告を取り下げていない。

監督の金聖雄さん、デザイン界の巨匠井上嗣也さん、作家&DJの吉村喜彦さんご夫婦、朝日新聞の文化部の記者さん、そして私の友人と中華料理屋さんで映画について語り合った。上映前の金聖雄監督と吉村喜彦さんとの30分のトークショーは実に良かった。
深刻な映画なのだが二人の軽妙な話に救われた。
低予算だがその予算を回収するのは単館上映では並大抵のことではない。
一人でも多くの人に観てもらいたい。

「声はすれども姿は見えず、ほんにあなたは(へ)のような」電話とかメール位でしか会うことのない兄弟姉妹が多い(へ)のような世の中で、いかに姉は弟のために命をかけたかを知ってほしい。ある方から老人ホームの運営について相談を受けている。
その老人ホームに入って来る人は、兄弟姉妹がいてもその関係が無きに等しい人たちや、兄弟姉妹の世話にはならないという人たちである。
近々そのホームを訪ねる。