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2018年7月13日金曜日

「カジノは・・・」

大雨、大水害で気分は沈没する。ズルイ話、イケナイ話、看護師のコワイ話、セコイ話は山ほどあり、太っ腹の話は、ナイナイづくし。銀座は猛暑の中、まるで中華人民共和国状態。いろんなアジア人の中を、スイマセン通らせてとニッポン人。ギャンブル中毒症防止法などという珍妙な法案が出るアホな話、立てばパチンコ、座ればマージャン、歩く姿は馬券買いと言われた。ギャンブル中毒と大麻、マリファナ、シャブ中は死ぬほどの決意がないと治らない。カジノにひと度入り浸り始めたら、死ぬほど好きな女を売り飛ばしてでもカジノに通う。私は10代で競輪、競馬、競艇、花札、ドボン、チンチロリン、マージャン、パチンコ、スマートボール、ラッキーボール、クルマのナンバーまで金をかけた。いろんな博打場に行った。著名人、有名人、芸能人全般、スポーツ選手全般。その恋人、愛人、金ヅルのオバサン&オジサン。毎夜そんな場で、人間の沈む姿を、本にしたら何冊分も書けるほど見てきた。鉄の意志を持った私(?)は、19歳でマージャン以外スッパリ止めた。マージャンはしばらくやったが、仕事が少し増えてきた頃からやる時間がなくなった。博打場では本当に、自分の女を金のかわりにする男はいくらでもいた。売られた女はアッチコッチに売られて行ったり、金貸しに抱かれて自ら命を絶った。タイやフィリピン、甲府の穴切りとか、吉原に沈んでいった。その数、数知れず。まず浮かび上がることはない。カジノとは金を溶かす場である。 シロウトが勝つことは最終的にない。勝てば“ハイダシ”と言って若い衆が誘いに来る。つまり勝った分をハイ出すまで誘いに来る。どこまでも、いつまでも。14、15、16、17、18と徹底的にまい日バクチをしたおかげで(?)20歳前に全て飽きてしまった。全然メンドクサクなってしまった。他にもっと好きなことができたからだ。それがデザインだった。トータルで見ると私はバクチで損は全然していない。むしろそれで食べていた。借金がないからスパッと止められた。(相当のヒトに迷惑はかけた)バクチの世界では、金がスッテンテンになることを、“ハイナシ”と言う。カジノが日本に生まれると、“ハイナシ”の人間がワンサカと出るだろう。ひとつウレシイ話があった。何故か信濃毎日新聞に大きく出ていた。 我が街茅ヶ崎の「服部桜」が2勝目をあげた。通算2勝111敗1休。2勝目をあげた事は、朝8時半過ぎであったという。次は勝ち越しを目指すと語っている。身長176センチ、体重80 キロ 19歳である。私はこういう若者が大好きである。両目が開いた(2勝した)しっかり先を見ていつかは大関、横綱だ。カジノにはいいことがある。世界中の男のいいファッション、女性のいいファッションに出会えることだ。決して“モーケ”ようと思わないで楽しむには映画みたいでいい。「007カジノロワイヤル」だな。 カジノに通い続けると最終的には2勝111敗位で終わる。


2018年7月11日水曜日

「静かに、静かに。」

都内最大規模を誇る物流施設の竣工のお手伝いを経験させてもらった。物流新時代へと大進化を遂げている。物流施設の中を見る機会があった。そこは人間ドラマの劇場であった。物流施設の中には“お酒を飲む”場所以外は殆どあった。郵便局、コンビニ、病院、お風呂、食堂、理容室、マッサージ機、テレビルーム、一人部屋、二段ベッドが一つある部屋、二つある部屋、カプセルルーム。個人で借りている部屋には個人の名札、何年も借りている人がいる。会社部屋も借りているところにはいろんな会社名、○△運送、○□運輸、○□配送などさまざまだ。女性の姿は殆どない。男社会である。パパさん、お父さん、おじさんたちタフな男の人たちが全国からあらゆる物品を運んでくる。男たちはとにかく疲れている。少しでも眠りたい。静かに、静かにと言われた。テレビがあっても見る人はいない。アイマスクをして仮眠する。ベッドルームの布団は自分のを持ち込むために、、出て行ったあとは何もない。木のベッドと小さな荷物入れ。会話ない、笑い声もない。言い争いもない。ひたすら静かであった。この施設に行き来するドライバーたちには、 家族ある人、恋人のある人、いろんな人生を抱えている人たちがひたすら荷物を運ぶ。私はこの施設を見た日から、運送する運転手さんに敬意を持った。来るはずの荷物が遅れても、 あるいは電話が入り次の日になると言われても、いいですよ、よろしくお疲れさんと言うようになった。仕事場の側に、トラックが仮眠のため停めてあって、タクシーを停めるのに不都合であっても、どうぞゆっくりとと思うようになった。すぐ側にヤマト運輸があるのだが、やっぱり心の中でお疲れさんと言うようになった。睡眠不足、過重労働で大きな事故がよく起きるが、施設を見てからニュースに接するたびに、アイマスクをしている屈強な男たちを思い出した。 Amazon の登場で少しでも早く届ける競争になった。産地直送が盛んになった。とれたての魚をすぐ食卓にというが、実は魚はとれたてより1日置いた方が味はいい。モーモー鳴いていた牛、ブーブー言っていた豚、人間はそれをブチ殺し、イキイキ出来立てのハムやソーセージとして売る。肉も産直でと高価格で売る。肉は日を置いてギリギリで食した方が旨いのだが、早さを競う。一本のボールペン、一のゲーム、一冊の本もアイマスクで仮眠をする人たちが運ぶ。時あたかもお中元の季節。繁忙期である。私は配送するトラックに向かって、お疲れさんと静かに声をかける。運送の世界は人生劇場である。もっと早く見ておけばよかった。近々ある施設が竣工する。近代的設備が整っている。だが、静かに、静かには変わらないだろう。 寝ている人最優先なのだ。

2018年7月10日火曜日

「防災学を義務教育に」

人間の命とは、その大切さを大自然は教える。戦争により何百万、何千万人殺しても、英雄と言われる者共が歴史にその名を残す。タイの洞窟の中にいる13人の少年の命を守るために、人はありとあらゆる努力をする。梅雨は例年より3週間も早く終わったと気象庁が宣言したと思ったら、とんでもない間違いで、未曾有の大雨による大災害が起きた。私が生まれた地である所の名がニュースで続々と出る。岡山、倉敷、矢掛、 小田川、高梁川、そして真備町などである。戦争を生き抜き、やがて極楽へと向かうことができたであろう90代の人々が泥の中で死ぬ、川に流されて死ぬ、岩などの下敷きになって死ぬ。つまり泥地獄の中で生を失ったのである。毎年、毎年繰り返される大惨事である。国を治めるとは、治山、治水をすることと同義である。地球の温暖化が急速に進んでいるのに、世界の為政者は無為無策、ひたすら地球を痛めつけている。名ばかりの世界集会は自国優先であり、砂漠に水を撒く程度でお茶を濁す。空から見れば誰でも分かる。この国は海に囲まれ、列島のほとんどは山々と森林である。人々は山と海、河川の側に家を建てて住んでいる。ひとたび大雨が降れば山が崩れるのは、毎年証明されている。だが人々は他に住む場所がない。ならば国家が人々を守る策を練り上げて、何より優先して守らねばならない。森林は守られていない。間伐をしないから大雨となれば、無数の流木を生む。無駄な原発を作る予算、アメリカの粗大ゴミのような軍用機や武器の買い上げ予算、何に使われているのか分からない、莫大な ODA 資金。それらを治山、治水に当てれば防げるところは防げる。 E コマースやアマゾンが発達して、ものを頼めば翌日に着く時代、日本中にコンビニがあるにもかかわらず。毎年災害のたびに、水がない、食べ物がない、トイレがない、停電でまっ暗闇、ローソクと懐中電灯、手巻きラジオが頼りということを繰り返す。日本の歴史とは災害の歴史であると言っても過言ではない。防災グッズはいくらでもある。しかしいざという時にはない。なぜかを国家国民で考えねばならない。行動を起こさねばならない。自分には関係ない。山の側でも河川の側にも暮らしてない。火山だって近くない。大変だななどとビール片手にテレビを見ながら、他人事を言っている者共には、大地震という自然の怒りが来るだろう。やるべきことをやる。持つべき物は持つ。買うべき物は買う。災害に学ばない国は滅ぶだろう。“汝の隣人を愛せ”と言うが、いざという時に頼りになるのはご近所さまだ。ふだんからごあいさつ位はしよう。使い捨てトイレの“ポイレット”すぐに組み立てられる“ダンボールのトイレ”私がお世話になっている会社で販売している。避難先の体育館で人々は言う。水がない。トイレが詰まって流れない。汚い、臭い、恥ずかしい。我慢も限界だと。人間どんな恐怖の中でも、出るものは出る。国家は防災のために出すものは出せだ。たった一枚のビニール、たった一枚のダンボールでも人間は防災に役立つ知恵がある。日本は義務教育の中に「防災学」を入れるべしが、私の持論である。
http://www.health-assist.jp/SHOP/toilet002.html

2018年7月4日水曜日

「神のシナリオか」

サッカーW杯、日本 vs ベルギー戦の結果を見て、やはり神はいるのではと思った。第一戦コロンビア戦ではいきなり相手が反則退場、相手は10人となった。日本人はラッキーと喜んだ。結果は2対1で日本がやっと勝った。第二戦はセネガル戦、2対2の引き分け。第三戦はポーランド戦0対1で負けていた。ライバルのセネガルが1点取れば、日本はベスト18 強に残れない。遠く離れたスタジアム同士の情報戦である。反則カードは日本4枚セネガル6枚。0対1で試合を終えれば、フェアプレイシステム(知らなかった)で日本が勝ちあがれる。相手はすでに18強に残れない。そこで日本の代表監督がとった指示は、徹底的にアッチ向いてホイ、コッチ向いてホイ、つまり戦うことを放棄させたのだ。サッカーの残り10分は死闘になる。観客はブーイングの嵐であった。サムライニッポンなんて言っていたが、刀も槍も捨てたサムライであった。私は見ていて恥ずかしかったし、相手に失礼だと思った。アッチ向いてホイに相手は付き合わない。なぜなら勝負に関係ないからだ。もしセネガルがラストに一点入れて、 日本が18強に進めなかったら、サッカーW杯史上最も最低の戦い方をしたチームとしてその汚名を残したであろう。翌日のスポーツ新聞の見出しには、戦略的勝利とか、西野朗監督の逃げの作戦をこれでもかと賛辞した。私は怒った。何事にも結果オーライのこの国のスポーツジャーナリズムにうんざりしたからだ。たとえひとりでも私はとことん最後まで正々堂々と戦って勝ちをとりに行って欲しかった。逃げまくる作戦は、これからサッカーを目指す少年少女たちに、悪い影響を与えてしまうからだ。ツキとラッキーとで逃げて勝ち残った、日本チームに神は残酷な結果をちゃんと用意した。強豪ベルギーから2点を取った時は、日本人は勝利を80〜90%以上確信しただろう。が、神はツキとラッキーと逃げまくったチームに、これがサッカーだを教えた。2対0になり 狂喜乱舞を、あっという間に悲鳴と絶叫とどん底の落胆を用意した。ベルギーは、怒涛の攻撃を繰り返し、あっという間に3点を入れて逆転した。逃げまくったことへのペナルティであった。何事にも結果オーライの国をマザマザと神は、蹴倒した。正々堂々としていなかった罪と罰だと。一生懸命がんばったなんてプロとしては当たり前、何も同情する必要もない。「武士道は死ぬこととみつけたり」はじめの一戦に10人対11人になった時、神はこの結末を周到に用意していたのだろう。日本のサッカーは、さして進歩していない。まずは体力と迫力、ゴールへのあくなき執念を持たねばならない。一位になってこそ賞賛がある。4年後は、絶対優勝だ。

2018年6月28日木曜日

「どんな手の平返しか」

日本人の最も得意技は、「手の平返し」だ。ついこの間まで、サッカーW杯に出場する選手、特に私が大嫌いな(一緒に酒を飲みたくないタイプ)本田圭佑は、粗大ゴミのような存在だった。走れない、動けない、パスを取られる、自分が入れたがる。チームワークを乱す。ヒマを持て余しているネット住民は、ここまで書き込むかとやっていたらしい。今世界中が、このネット住民の書き込みに影響される。何しろ USA の大統領がツイッターで世界中を。瀬戸てんや、わんや(故漫才コンビ大ファンだった)状態になる。てんやわんやの影響は、 USA の金ヅルであり、属国、占領国である日本が一番影響を受けて、てんや、わんやとなる。非主体性国家であるからだ。現在ネット上は勿論、大マスコミ、中マスコミ、小マスコミも、本田さんゴメンなさい。本田はやっぱり持っている。本田、ホンダ、ドーダになっている。手の平返しである。どのテレビにも、もう忘れていたような元サッカー日本代表選手が出ずっぱりである。西野監督がいかにスゴイかを延々と流す。救世主、マイアミの奇跡(もう忘れている)を流し、その能力の高さを、滝のように流す。そんなに優秀だったら、何もギャラの高い外国人監督に頼み込むことはなかったではないか、手の平返しである。見ていて気恥ずかしくなるが、私はテレビたれ流し派なので、否応なし目と耳から情報が入る。優勝候補の筆頭、世界ランク1位のドイツに日本と同じ最下位に近い韓国が2対0で勝った。昨夜旨いキムチを食べた(私のささやかな夕食)今日は韓国が勝つぞと言った。この間日本国内の政治、経済はハチャメチャで、新幹線内では残忍な殺しがあり、震度6くらいの地震がグラグラと起き続けている。日本の大企業の多くが日本銀行が筆頭株主になっている。見るに耐えないわずか45分間の党首討論、たくさんの党がわずかな時間に党首を投入し、ヌカに釘でついにはもうこんな討論役目は終わったと、手の平返しをされている。日本国政治史上、今ほど最低の野党はなかったのではと思う。セクト主義と、政党助成金のせいである。選挙制度を手の平返しにする必要がある。地方銀行の見本と言われてきた「スルガ銀行」は、これ以上ないデタラメ経営、世界の外交からすっかり無視(金だけ出せばいい)されているリーダーは、支持率が上がるという珍現象モリもカケも殆ど影響しない。今はもうソーメン、冷麦の季節に。国民はすぐ手の平を返すことを知っている。
(文中敬称略)

2018年6月27日水曜日

「6月26日のこと」

午後11時48分21秒、6月26日の日付の内に帰宅できた。私の大親友、大先生、大尊敬の故加藤雄一(通称加藤ちゃん)の命日である。七回忌となった。朝早く大磯の奥さんから花が届いたとの心を込めた電話があった。 25日仲間と献杯をした。24日茅ヶ崎駅前の果物屋さんに行き、リンゴとスモモを買った。800円であったので200円分何かをと言ったら、顔なじみの主人が大きなオレンジを2個どうぞと言った。伊豆稲取の友人から頂いたオレンジ、山形出身のお世話になっている会社オーナーと、会社社長、映画監督の方から頂いた。宝石のような美しい赤いサクランボをお盆にのせて、大親友の写真の前は果物屋さんみたいにきれいになった。愚妻が花を生けて置いた。朝奥さんの電話で、大親友の愛娘(長女)に、女の子が産まれたと聞いた。そうなのそれはよかったと言った。大親友の俳号は、「一鶏」である。大磯の家を改装して、奥さんが「一鶏」という名の食事処を作っている。陶芸にも詳しい大親友が、いい陶芸品や漆の品々を買い求めていたので、奥さんの手料理に合うはずだ。朝刊を取りにポストに行くと、 大親友の大先生である、故池波正太郎の高弟(一番弟子)針山亭こと 、佐藤隆介先生より葉書が来ていた。稀代の名文家である先生が白内障の手術をして、1日何回もの点滴に難儀をしていたが、やっと1日2回で済むことになった。近況報告との勿体なき葉書きであった。早速御祝をと思った。大親友と佐藤先生と私と3人で「忘憂」の会というのを年に2・3回行なって来た。「忘憂」 とは、「お酒」のことである。佐藤先生は名うての食通、オイ、コハゼの天ぷらだ、オイ、中華のナマコ煮だ、オイ、ふぐだ、とお下知が大親友に下ると、直ぐに私のところへという仕組みになっていた。「忘憂」の会は、天下国家の話から、食の話、酒と料理、映画に小説の話、民芸から書画骨董の話、各人物論と時を忘れる楽しい会であった。金にまつわる話は一切ご法度。佐藤大先生は、私の大先生の奥さんの食事処「一鶏」 に過日病身でありながら行ってくれて、葉書きを頂いた。「一鶏」なかなかよし、心配なし。と書かれていた。大親友を失った私は一途に働くことしか精神の安定が保てない。大磯の友の命日に、仕事仲間であり、私の会社でずっと頑張ってくれていた後輩の父君が亡くなって、故郷に向かっていると、新幹線の中で小さな声で言った。(車中とは思わず電話をした)私たち芸人は親の死に目に会えない。我々の業界は、きっと大地震、大火災、大災害が隣で起きていても、プレゼンに勝った、負けたとやっているだろう。直シ、直シ、やり直シを越えて行かねばならない。その原因は全て私にある。あちこちに迷惑をかけつづけるのだ。もしもし、加藤ちゃんと、ほぼ毎日電話をするか、会っていた。毎週土曜日には二人で同じ鍼灸院に行き、治療が終わると今日は、そばで、今日は魚で、今日は天ぷらでと時間を楽しんだ 。殿様キングスが唄う「なみだの操」とピンカラトリオ が唄う「女のみち」がいつもいつも分からなくなり電話をすると、「♪〜 あなたのために守り通した女の操ォ〜」と唄い、「私がささげたその人に あなただけよォとすがって泣いた・・・。」と 唄って教えてくれた。歌謡史に残る二大ヒット曲であった。親友のカラオケの持ち歌は、「思橋ブルース」であった。「♪〜 雨の降る夜は長崎の街・・・。」ヨオ〜 加藤ちゃんと掛け声をかけた。そして次は、「浪花恋しぐれ」であり、歌の途中に入るセリフ、「酒だ酒だ酒を持って来い」と加藤ちゃんは浪花節風に唄った。友よ、オレは今夜も思案ばかり、今夜も酒だ、酒だ、酒なのだ。但し、7年前よりすっかり酒量は減ったよ。

2018年6月26日火曜日

「ごはんですよ」

春の人事が終わったのだろうか、この頃定年、退任、退社、辞職、転勤拒否で座敷牢入り、引退、自宅へ移転、病気で入院、会社解散、などの葉書や、手紙や、電話が々と来ている。歳月の流れと言ってしまえばそれまでだが、ずっと長い間共に戦ってきた仲の人は正直淋しい。この次に来るのはもっと淋しい通知かもしれない。 が才能も根性も、ヤル気も体力もある人は、たとえ一人になっても戦い続けて欲しいと願う。人間弱気になり、守りに入り、老後のことなどを考えていると、体からオーラは消え、顔からは鋭さが消えてしまう。数年前都会を離れ田舎暮らしに人生の最後をなどと言って夫婦で地方にいった人たちがとてもやってられない。 地方では時間の概念が違う。夜9時にはもう寝てしまうとか、長い歴史の中の風習についていけない。会話が成立しない。相手が心を開いてくれない。夜が暗くて怖い。町には人がいない。村には若者がいない。山には熊や猪が出る。よほどの筋金が入っていないとやって行けないと書いてある。我々のような芸人から芸を取ってしまうと、実に何の役にも立たない存在になる。友人からはボケ防止のために、金を賭けない麻雀をやっていると聞いた。自分史を書いたのだが、あまりにつまんない自分史なのでもう止めたとか。恩人、知人、友人の中で難病や業病と闘いながら、創作活動をしている人たちがいる。ルノワールはリウマチで指がひん曲がってしまったが、その指に絵筆をしばって晩年の名作を残した。写真家土門拳は、弟子たちに駕籠を担がせて山の中に入り、執念の写真を残した。 奥村土牛は「百歳の富士」を描いた。みんなパサパサになるなよと言いたい。経験を生かせ、汗をかけ、楽を選ぶな、七難八苦の道を行こうではないか。
ガンバレ!ニッポンサッカー。目指せNO.1。私もパサパサにならないように、今朝塩辛とごはんですよで食事した。


2018年6月21日木曜日

「キンピラ」

だからこの国のサッカーは世界ランク61位なのだ。放送は取り込みがあって、ライブでは殆ど見れなかった。仕事場でテレビをつけると、2対1でコロンビアに勝っていた。オッやるじゃんと思ったら、試合開始早々相手のハンデ(手でボールを蹴る)の行為があって、いきなり退場、相手は11人から10人になった。つまり勝って当たり前の87分間となっていた。すこぶるイライラ、ムカムカ、バカヤローが溜まっていて。みんなプロ意識がネエとアタマに来ていた。さらにテレビはギャーギャーウルサイので切って、仕事を続けた。午前5時前はすでに明るい。ビジネスホテルを取っていたが、パジャマを忘れて出てきてしまった。(私はユカタが着れない、苦手なのだ)コンビニでカフェオレを買って飲みながら、再び小さなテレビをつける。まるでコロンビアに勝ってW杯に優勝したように大騒ぎ、つい先日まで、サイテー、最悪、 絶対勝てないと言っていた。マスコミは、ドンチャン騒ぎであった。中山ゴンとか、安木とか、カビラ兄弟は、とにかくウルサイ。香川やっぱり天才、長友献身的運動量、大迫にいたっては、幼少期からの天才ぶりを見せて 、「ハンパ」ないを大、大的に取り上げる。あ〜これだからダメなんだこの国はと思った。正しく報道するなら、敗戦を予想されていたが、開始早々ゴール前の反則(ハンデ)で相手は一発退場、数的優位の11人対10人になって2対1で“やっと勝った”。本来なら3対1とか、3対0とか、4対1で勝ってなければならない。反省点はたくさんある。とりあえ 敵失でも勝ってよかった。あ〜よかった。新聞・テレビは万歳だ。だけど、このままでは全然前途は多難、特に中盤のメンバーの動きが悪く、運動量が少ない。本田は途中出場であった。事実PKを入れた香川などそれきり名が出なくなった。まあ〜、そんな体質が甘えを生む。銀座中央通りdunhill(ダンヒル)ショップのウィンドウには、全日本のメンバーがスーツをビシッと決めて記念撮影をしたでかい写真があった。ダンヒルが公式スーツである。その間大阪で地震はある。政府はヘラヘラと会期を延長する。自分の担当した仕事(プロジェクト)に、トコトン執念を持って、次々と直し、注文、をしてくる相手の担当者にむしろ敬意を持つ。甘えがない。妥協がない。プロ意識があるからだ。私はその熱量に負けていた。反省すること大である。甘いディレクションを反省した。PCに一日中へばりついて、たかだか一つや二つの仕事に時間を使っている連中は、“ヒマつぶし”だと思った。プロとは24時間、これでもかと考える人間のことを言う。コンサバ(保守的)な人たちからは新しいものは生まれない。攻撃をしない、守りの体勢から、何も新しいものは生まれない。イラン、モロッコなどの試合をダイジェストで見て感動する。一生懸命だからだ。私にはもう目の前のイライラを抑える根気も必要も、必然も、恩義もない。プロの相手にはプロの仕事で応えるしか、旨い酒を飲む資格はない。使えないものは使えない。現在午前6時52分01秒、カラスがカァーカァー鳴いている。どうやら雨は止んだ。今日は勝負の一日である。ピースな映像をひと工夫してプレゼンをする。昨夕、屋久島から「ホテルサンカラ」さんの、総支配人が銀座オルハショップに来てくれた。すばらしい人である。誠実で一生懸命の人なのだ。これからの社会は、会社に入ったら、ずっとずっと給料をもらえる時代でない。昨夜お世話になっているある会社の社長が、身を引くと言って、食事をした。都合で3時間ほど話をして、これからもよろしくと言って別れた。話の途中であったが、午後9時過ぎから、クレームというか、追加オーダーが入った。雨の中二人で  クリエイター四十年のお互いの思い出を語った。素晴らしい善意の人。なにかの形で恩返しをと思いつつ雨の赤坂を歩いた。人生とはなんぞやと思いつつ。二人で食べたキンピラゴボウが美味しかった。今、私は人生という試合の中にいる。正々堂々と生きたい。

「しみず」に来たお客さんの写真より引用

2018年6月15日金曜日

「W杯始まる、その夜」

♪京都にいるときや忍(しのぶ)と呼ばれたわぁ、神戸じゃ渚(なぎさ)と呼ばれたのォ、流れ女の最後の止まり木は・・・。小林旭の大ヒット曲「昔の名前で出ています」を思わず口ずさむ。W杯ロシア大会に出る日本代表のメンバーの名前だ。長谷部、本田、香川、岡島、長友、島、次々と昔の名前が出てしまう。前回のブラジル大会から4年が経った。早いものだ。実のところ私自身が昔の名前が出ていますみたいになっている。この4年間無為に過ごしたような気がする。もっと勉強しなければならなかったと反省する。50号の油絵5枚は仕上げていない。何冊か買った本は積読だ。映画のシナリオは小さなダンボールに箱いっぱい入っているが、カタチにはならない。アノヤローに目に物見せてやると思っているが、つい忘れてしまっている。あの人に恩を返さねばと思っているが、まだ返し切っていない。この4年間で 日本はメッタメタのまま変わっていない。私は相変わらずのメカオンチだ。当たり前のように、皆4才歳を食った。驚くべき事と言えば小さな池の赤い金魚がまるで鯉のようになって生きている。平塚の七夕さんですくってきた金魚だ。テレビでは赤いユニフォームを着たロシアの選手が初戦でゴールを入れている。現在後半23分59秒、オット変わって24分。残り21分サウジアラビアはと見ながら書いている。小さなカセットデッキからは、と書いていると後半26分ロシアがまた一点入れた。で、カセットデッキからは「Dirty Work」AKLOの音楽が流れている。タリバイ、タリバイと、 ドラマ「スモーキング」の主題曲だ。このドラマの落とし前は最後に、刺青をメスで剥ぎ取るシーンで終わることが多い。メリメリ、バリバリと、ヤクザ者はギャーと叫び続ける。かつて日本陸軍が中国人や朝鮮人、台湾人の皮をメリメリ、バリバリと剥ぎ取った。日本軍は、鬼と呼ばれた。赤いロシアを見ていると「赤いきつね」を思い出す。ロシアの戦車隊を恐れた日本軍は、それを赤いきつねと呼んだ。赤い皇帝プーチンが3対0となって喜んでいる。さて、日本サッカー軍はどれだけやってくれるだろうか。金髪のモンキーになった長友を見ていたらこりゃ駄目だと思った。4年間で約800本の映画を見た。目標より全然少ない。強力なパートナーがいなくなり、手も足も出ない。オッとロシアが4点目を入れた。やはり4年の月日はいろいろあった。手と足が出なくなれば頭突きで攻めるしかない。オッとロシアが5点目を入れて試合は熱狂の中で終わった。♪流れ女の止まり木にあなたが止まってくれるのを待つわ、昔の名前で出ています。一昨夜お客さまと共に、久々銀座を流れた。白タクの運ちゃんが遠くで手を振っていた。午前2時となった。いよいよ仕事を開始する。カセットデッキに、レゲエを入れた。ボブ・マリーだ。イメージの翼は開いて行くはずだ。朝まで2本の映像のナレーションを書かねばならない。


2018年6月14日木曜日

「過去という追跡者」

229分という約4時間。白黒の映画「 立ち去った女」この映画を見ると、いかに女性が恐いかが分かる。フィリピン映画であり、ベネチア国際映画祭金獅子賞を受賞した。約229分の映画を見終わると、腕立て伏せを300回くらいした後のような、15 km 位のマラソンをしたような、円沢の尾根を登った時のような、達成感が生じる。30年ぶりに刑務所を出てきた女性は、元教師であった。元恋人の男に濡れ衣を着せられ30年の刑を打たれた。映画は男に復讐するために女性がフィリピンの街から街を探し求める姿を追う。ドキュメンタリーのようであるが、貧しいフィリピンの現実を描きながら、数々のドラマが傷口にできたかさぶたを剥がすかのように、痛々しく続く。貧困と犯罪、そしてゲイ社会。 女性が追う男はある街の有力者になっていて、週に一度ボディーガードと共に教会のミサに来ることを突き止める。女性は一人の傷ついたゲイの男を介抱してあげる。ゲイは全身殴られ、蹴られていた。街はよく停電する。ゲイの男は女装していて胸にはオッパイに見せるパッドを入れている。みんなにイジメられていたゲイに優しくしてあげる女性。小さな灯りの下ゲイの男は泣く。やっと点いたポツンとした街灯。一つも売れない卵売りの老人。遠くの方では若者たちが飲んで騒いでいる。229分間こんな状態が続く。だが強烈なインパクトが、静かな中にある。離れがたき人間の姿がある。映画は世の中の表と裏、明と暗、成功者が持つ秘密の過去、人間には誰でもその過去があることを教える。女性は国語の先生だったのか、詩人であり、毎日詩をノートに書く。人間とは奥深く、罪が深い。世の中に成功者がいるとしたら、きっと暗い過去を持っているだろう。そのことを暗示する。ある日教会で街の有力者(ボス)が殺される。果たしてその殺しをしたのは・・・。暗闇に優しい人だったからの言葉が出る。 最高に好きなタッチの映画だった。さて、やましい過去を持つ者同士、トランプと金正恩の勝者は、といえば、断然金正恩だろう。トランプはロシア疑惑から逃れるために、金正恩との 会談を焦ってセットさせた。政治的会談をやっている間は、FBI 特別チームは動けない。トランプはロシアにがっちりと過去を握られている。スノーデンはロシアの手の中にいる。ヒラリークリントンを蹴落とすために、ありとあらゆるネットを使った。これからも会談をセットして、あわよくばノーベル平和賞をと本気で思っているはずだ。まさかノーベル賞の俺をFBIは追い詰められないだろうと、 甘い期待を持って中間選挙に向かう。1年ヤクザをやると一生治らないものがある。それは目付きだ。トランプの目つきに注目するといい。カタギの目付きではない。当然金正恩も同じである。人を裏切った人間は過去から逃れられない。
(文中敬称略)