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2019年2月20日水曜日

「天人と宇宙人」

私の名を聞いただけで気分が悪くなる。メシもマズクなり、せっかくの酒で悪酔いをする。そんな人はたくさんいるはずだ。人間、ヒトに嫌われるようになれば一人前(いっちょまえ)という。“ヒトズテ”にあの人はいい人だよ、すばらしい人だよ。と言われる人に会ってみると、ずい分と予想を裏切ってくれる人も多い。その逆の人も多い。嫌な奴だよ、変な奴だよ、絶対私とは合わないよ。ところがどっこい会ってみると、才能抜群、全身奥深く秘めたるものがずっしりとある。暗闇の中で月光を浴び、それを打ち降ろせば、血しぶきとともに片腕が斬り落とされる、底光りする名刀のような人。天才と狂人は紙一重と言うが、天才と狂人が同居しているのだ。“天人”とでも言うのだろうか。超一流と言われる人は、みんな“天人”だ。私はこういう人が大好きで、むかしから噂を聞いたら会いに行ってきた。どこへでも足を運ぶ。ヘロヘロになるほど酒を飲み交わし、語り合ったり“天人”の諸説を聞いて学ぶ。無学の徒にできることと言えば、人から学ぶことしかない。今日まで絶えずこのことを実行している。一度しかない人生のもっとも大事なことは、自分よりずっとレベルの高い人に会う、そしてより無学を知る。名人、達人、奇人、変人たちと接することと思っている。BUTしかし、その名を聞いただけで不快を極める人間もいる。セコイ、ズルイ、タカル、カタル(話をつくる&盛る)ダマス、チクル。業界から破門、追放になっていても、この手の人間はしたたかに生きている。“詐話師”なので自らのキャリアを上手に作り話にしてヤドカリのように。どこぞかにもぐり込んでいる。詐欺師はモノを騙しとるが、詐話師は口先で人をおとし入れる。恥ずかしながら私の血筋にもいる。コンプレックスのある人間は、見栄を張り続ける。一種の病気である。同じ血が流れているから私は絶えず心の中で気を引きしめている。私が会って来た“天人”は等しく、純粋な少年少女のように心が美しい。近々三人の“天人”と会う。一人は考古学者、一人は造形作家、一人は現代アートである。葛飾北斎などは“天人”の極みで九十代後半まで生き、絵を描き続け、死ぬ間際にあと数年あれば、一人前の絵師になれたと言ったとか。故岡本太郎さんに仕事を頼みに行った時は、私の後ろからガバッと現れて、庭にゴロゴロある、太陽の塔みたいな作品を何でも好きなものを持っていけと、秘書&通訳的な女性が岡本太郎さんの言葉を訳して話してくれた。ゲ、ゲ、芸術は、バッ、バッ、爆発だと。
先日福島ロケを終えて帰るロケバスの中で、天才中野裕之監督が、壮大な宇宙の話と、米、中、露のハイテクの凄い話。我々の生活の中に起きる、天変地異は、 ワルイ宇宙人のやっていることなんだと、話をしてくれた。未だにアタマの中が混乱している。そういえば、ゴルフに行くとよく UFO を見るんだという人の話を思い出した。会いたいなぁ宇宙人と。


2019年2月19日火曜日

「ラジオの時代だった」

♪きいっといつかは君のことオオ・・・。グッドナイトグッドナイトベイビー・・・。売上枚数100万枚という大記録を持っていた。和製プラターズ「ザ・キングトーンズ」のメインボーカル内田正人さんが82歳で死去したとのニュースを昨日知った。そうか生きていたんだというのが正直な感じだった。小柄だが声はスカイテナーと言われ高かった。黒のサングラスをいつもしていた。バックコーラスとともに歌う、ドウ・ワップスタイルで大ヒットした。まだ82歳だったのかという感じもした。ニュースで独特の声を久々に聴けた。“正人”という名で思い出した。過日♪粉雪舞い散る小樽の街に、あ〜あひとり残したぁ・・・と歌った美声の歌手「三条正人」さんもあの世に逝った。鶴岡政義と東京ロマンチカのリードボーカルでもあった。奥様の香山美子さんと一緒に仕事をしたことがある。 とてもいい人だった。若い頃は演歌大好きだったが、年を重ねる度に、ディスコサウンドやハードロック、ヘビーメタルとか、クラシックを聴くようになった。きっと歳を感じたくないのだろう。演歌歌手の育つ時代でないのが残念だ。いい作詞の演歌も生まれない。きっとインターネットの発達で、人と人、人と風景、都会と故郷がくっついてしまったので、人の温度感とか風景などへの情緒感が消えてしまったのだ。何を歌っているのかよくわからないダンスミュージックが多くなっている。昨夜「ザ・プラターズ」のカセットを探し出し、ラジカセに入れて久々に聴いた。「マイ・プレイ」「煙が目にしみる」「オンリー・ユー」などを聴いていると、ザ・キングトーンズの内田正人さんが目に浮かんだ。♪泣けた泣けたこらえきれずに 泣けたっけ あの娘と別れた悲しさに・・・。春日八郎さんの名曲(作詞/高野公男、作曲/船村徹)「別れの一本杉」もカセットが出てきたので聴いた。♪〜君もおぼえているだろう 別れ口笛別れ船・・・。二人の幸せを祈って旅に出た やさしい兄貴が呼ぶような・・・。♪〜アカシアの花の下で あの娘がそっと涙をふいた 赤いハンカチを・・・。石原裕次郎さんの名曲カセットも宝箱の中にあった。みんないい曲ばかりだ。 CDをセットするより、カセットの方が断然いいなと思った。大きなカセットボタンを押す感触が、さあ〜スタートという気分にしてくれる。♪〜グッドナイトグッドナイトベイビーそうだ私たち世代は、深夜ラジオの世代なのだ。今も耳にこびりついているイントロ、文化放送、文化放送、JOQR(ジェイ・オー・キュー・アール)ハア〜イ、夜更けの音楽ファンの皆さん、こんばんは。オールナイト・ニッポン糸居五郎さんだったのだ。(日本放送)私の知る限り、ヒット曲が一番多いのは、石原裕次郎さん。そして小林旭さんだと思う。日活は絶大な存在だった。「甘栗むいちゃいました」を食べながら、久しぶりにいつものグラスにとっておきのウイスキーを入れた。ザ・キングトーンズ、内田正人さんに合掌。

2019年2月18日月曜日

「いい羽毛ふとんと、桃井かおりさん」

福島県新白河駅(新幹線)からクルマで10分くらいのところに、私が大変お世話になっている、東洋羽毛工業株式会社さんの広大な工場がある。工場内には日本に数台しかない、高さ9mもある精毛機がある。 現在国内で売られている羽毛ふとんの殆どは、フランス、ポーランド、ブルガリアなど欧州産の水鳥を使用している。その水鳥から原羽毛が生まれ現地で精毛され、羽毛となり、それを輸入する。そしてその羽毛充填する。が、最高級の羽毛ふとんを生産する、東洋羽毛(株)さんは、新白河の工場において、原産地で毛された羽毛を、もう一度高度な施設と、熟練の人たちの経験と技術で、徹底的に精毛して、最高級の羽毛を生みだす。我々の目に見えない極小のゴミやシミや汚れを除去する。気の遠くなるような工程を繰り返す。2月14・15・16日まで「桃井かおり」さんがこの工場と隣接する、リゾート・トラスト・ホテル内部での撮影に挑んでくれた。さすがプロ中のプロ、次々と自らのアイデアを出してくれた。監督、撮影、編集は、天才中野裕之さん。天才と大女優とのセッションは緊張感に満ちていた。桃井かおりさんは、現在ロサンゼルスで生活をし、 世界を舞台に活躍している。いい羽毛からしか、いい羽毛ふとんは生まれない。「よく眠った人には、かなわない。」仲畑貴志さんのキャッチフレーズ。 このコンセプトを表現してくれた。ファッション・クリエイターは、 伊藤佐智子さん。ヘアーメイクは稲垣亮弐さん。スチールカメラは、河西宏一さん。「いいスタッフからしか、いいクリエイティブ」は生まれない。


2019年2月12日火曜日

「寒風の三連休、そして芸術家」

三連休は寒かった。北風が特に身を冷やした。そんな中で、茅ヶ崎海岸、辻堂海岸、七里ヶ浜海岸に出た。あまりに寒く長くいられなかった。連休初日の茅ヶ崎海岸にはサーファーが数人、沖で波が立つのをポツン、ポツンと待っていた。2日目の辻堂海岸には寒風の中、老婆がウォーキングしていた。何気なしに歩いている私を、スイスイと追い越していった。速いことにオドロイた。若い男女が数組出ていてサーフィンやスケートボードを楽しんでいた。太陽は存分に強かったが、北風はさらに強かった。まさに北風と太陽だ。3日目は、鎌倉七里ヶ浜高校駅に隣接する「顕証寺」に昨年亡くなった知人の女性(76歳(?))のお墓参りに行った。17年前にご主人を亡くしていた。私の家のすぐそばのマンションの一室で孤独死していた。お風呂の中である。ご主人が懸命に働いて遺しておいてくれた財産を少しずつ大切に使っていた。娘さんがいい椅子とテーブルがあるので、是非形見分けとして使ってほしいと言ってきた。週末や休日はよく私の家に来て食事をしていた。お墓に行ってお礼の言葉を言わなければと思い、朝10時半頃に行った。稲村ヶ崎から七里ヶ浜の海岸は、かつては広い砂場であったが、今は海の家も出せないほど狭くなっている。釣り人が3人ルアーで釣りをしていた。とにかく寒かった。
お線香が持っていったライターでは、つかないでいたら、お寺の人が来てバーナーで付けてくれた。「顕証寺」は高価な墓地である。それぞれ富士山の方向に向かっている。「無」「感謝」「安らか」「夢」「眠」とか大きく文字を掘り刻んだものが多い。「無」が特に多かった。丘の上に名物の白い建物が一軒だけある。タクシーの運転手さんが、確かあの家は、テリー伊藤さんが住んでいるはずですよと言った。昔は別荘だったとか。まい日気になていた。形見分けのお礼をした。「天命の城」「スリーピー・ボード」「ロダン」「セザンヌと過ごした日」「ル・コルビジェとアイリーン」「罪と罰」「ゴーギャンと楽園の娘」など連休中はあまり外に出ず、レンタルしていた映画を見た。「パリ憎しみという名の罠」これが抜群に良かったので二度見た。「ロダン」はダンテの神曲「地獄門」を制作している。ヌバルザックの像も(箱根の美術館用)ロダンはモデルなしではつくれない。写真のない時代は、モデルが重要であり、作家はモデルと関係を持って名作を生んだ。ロダンのモデルは、愛人、女中さん、妊婦さん、助手、ほぼみんなである。全裸となった豊満なモデルたちは、重要なデッサンのもととなる。インドのカーマストラのように。あらゆるポーズを作る。えび反り、四つん這いになり、二人三人が重なり合い、それは美しい肉体のフォルムを生む。 ロダンは肉体を冷徹に、おしりの穴から鼻や耳の穴まで、しっかりとデッサンする。もちろん女性の秘部まで。芸術家の作品はモデルで決まる。セザンヌは作家ゾラとの交流によって描かれていた。落選、落選を続ける。だがゾラは思っていた。天才はただ一人「セザンヌ」だと。絵で食べれないセザンヌをゾラは励まし続ける。ゴッホと弟テオのように。売れ出した人気芸術家はもうつまらない人間でしかない。「パリ憎しみの罠」は久々に最高のフランスのノワール映画だ。シナリオ、撮影、役者、音楽、監督、言うことなし。ファッション、スコッチ、ワイン、クルマ、食器、建築、インテリア、料理、アート、何もかもがグッドであった。知人となった、前田晢監督の「こんな夜更けにバナナかよ」が10億以上の興行収益を超えるヒットになった。又、友人の星野秀樹プロデューサーが参加した「スマホを落としただけなのに」こちらは、20億に近づいているとか、二人共電話の声が明るくはじけていた。みんなにいい春が来るといいなと思う。それにしても「ロダン」先生は、女性とみたらキスする、キス魔であった。芸術家はみんなアル中だった。コルビジェは利益第一主義であった。アイリーンに大きな影響を受けた。コルビジェは死んで国葬となり、 不世出の家具デザイナー「アイリーン」は、共同墓地に眠る。今なおアイリーンのつくった家具を超える値が つくものはない。コルビジェの絵と、ピカソの絵はまるで双子のように似ている。寒い中で食べたエビカキ揚げそばはおいしかった 。
今週はこれにて金曜日まで休筆します。イロイロ労働があるのです。

2019年2月7日木曜日

「恐怖とワンタン」

「悪報には羽根が生えている」とギャングの言葉。「成功のためには孤独は必要だ」と画家の言葉「人生に疲れた者は、死を恐れない」とマフィアの言葉。「私の壁画は、私の性的な妄想でしかない」と建築家の言葉。など気に入った映画の中のセリフを揺れる東海道線の中で、メモっていたら、川崎から気に入らない二人の男が乗車してきた。東京駅を21時42分に出発した列車だ。グリーン車のほぼ真ん中、私の右斜め前の席、一人の男は手にサントリーのハイボールのロング缶、32・3歳、かなり太っていて、かなり髪が薄い。もう一人はきっと入社1年目くらいの23・4歳のヒョロヒョロっとした男、手にはキリン氷結ロング缶。そして手には恐怖の柿ピー。恐怖のポテチー。 さらに大恐怖のサキイカ。川崎から乗車すると同時に缶をパッカンと空け、三種の袋をガサゴソとおっぴろげた。強烈な臭いが一気に広がった。太った男が一方的にしゃべる、ヒョロ男はすでに出来上がっている。でかい声で営業ってのはなぁ、8割はうまくいかないんだよ、今日のケースはさ別に特別じゃないんだ、あの相手の奴等もなぁ、俺たちと同じ営業だから必死なんだよ、後から出てきた、あのクソジジイ、部長だか課長だかわかんないけどさ、名刺も出さねえで、人の話を切りやがって、ふざけんなだよ、でもなあ・・・。と何しろ声がでかい。私の両耳はかなり耳鳴りが激しいのだが、それを忘れるほどでかい声、そして恐怖の臭いが、プンプン、プーンと混ざり合って臭う。ヒョロ男はコックン、コックンしながら、柿の種ボリボリ、ピーナツをガリガリ、イカサキを3・4本まとめて歯で引きちぎりながら食べている。当然ポテトチップスもパリパリだ。太った男は薄い頭と広い顔半分しか見えない。でっかい声ばかり、ヒョロ男は聞いているようで、太った男の話は聞いていない。ウルセイヤローだなと思い、なんだこの異臭はと感じて、クラクラしてきた。せっかくアカデミックな言葉をメモ、メモしていたのに、全神経がでっかい声と、臭いの猛攻撃に向かっていた。あまりの声に周囲の乗客も明らかに、ウルセイというザワザワ感を感じた。営業はヨオ、今日みたいなことの繰り返し、君さあ、今は転職の時代だからさ、嫌なら会社変わればいいんだよ。でもさあ、ガンバレよ、なあ、と言いながらロング缶を飲み干した。列車は大船に着いた。オイ降りるぞ、降りるぞと、二人は立ち上がった。食べ残した袋を座席前の網のポケットに押し込んで、ガヤガヤと出て行った。結局ヒョロ男の声は1回も聞こえなかった。久々の恐怖の列車であった。アレッと右隣の席を窓側に座っていた OL 風の女性がコリコリ、コリコリとジャガリコを食べ始めた。きっと前があんまりうるさいので食べる気がしなかったのだろう。コリコリもかなり臭いがキツイが、あとふた駅だと思った。昨夜ある会社のオーナー、ある会社の社長、ある写真家と四人で、ワンタンをシェアして、焼きそば、エビチリ、カニ玉をシェアした味を思い出した。ワンタンという、ふわふわしたつかみどころのないやつを、レンゲに入れると、ヌルヌルっと逃げ落ちてしまう。なかなか意地悪なのがワンタンという存在なのだ。お店の人が四人分に分けてくれた。小さな入れ物の中にちゃんとメンマとチャーシューも入っていた。藤沢駅を通過した頃、頭の中でチャーシューワンタンメンにしようと決めた。店は荻窪の「春木屋」だ。近々阿佐ヶ谷に劇を見に行く。その後の楽しみだ。



2019年2月6日水曜日

「神社も神頼み(?)」

ヒトは悩み、苦しみ、 この現状を何とかしてくれと思った時、どこへ行くのか。と問えばそりゃやっぱり神社かお寺さんに行って、神様、仏様もうどうにもこうにもニッチモサッチモいかないのですと、神仏にすがる。お賽銭箱に100円玉、いややっぱり500円玉、 いや頼み事が多いのでここは奮発して、1000円札だと決断する。昨日は午前4時ちょい過ぎに帰宅、手と顔を洗いうがいをイソジンでして、夕刊4紙に目を落とし始めた。見た人は見た、だが見てない読んでいないヒトのために、東京新聞の7面のほぼ半ページの記事に衝撃を受けたことをここに記す。でっかい大見出しに、困窮神社・頭抱える。横書きの中出しには、収入源で閉鎖でも取り壊しできず。立て見出しで、金沢前田利家ゆかりの八阪神社。横二行中見出しで、「保存地区建物残して氏が要求・宮司の年間収入は1000〜2000円」神社の宮司が神頼みで(?)参拝者が激減しているのを何とかしてとなっているのだ。神社を巡っては、地方中心に廃祀が相次ぎ、将来は伊勢神宮とか明治神宮、熱田神宮とか有名なところ以外はやって行けない。高齢化と人口減少、などで参拝客が減り続け、神社本庁が2016に全国の神社を調査した結果、6割で年間収入が300万未満、神職のみで生活できている人は全体の1割程度、大半が「兼業宮司」で生きている。金沢の八阪神社は京都祇園神社(現八坂神社)から神を迎えて誕生した。前田利家が城下の繁栄や厄除けを祈願して本堂を建立した。しかしずっと改修しておらずあっちこっちが老朽化している。改修費の目処が立っていない。国の「重要伝統的建造物群保存地区」で勝手に回収もできない。お金が全然足らない。お金は集まらない。宮司の収入が年間で1000円、2000円しかないなんて、想像もつかないことになっている。厄払いとか祈祷料が参拝者の激減で、副業をしないとやって行けない。そんな記事がごっそり書いてあった。ここに記してあるのは、抜粋したものであるから、興味のある人、神社大切第一と思っている人は、東京新聞を読んで神社に参拝して、神社の願いを叶えてあげてほしい。ずっと前出雲大社で長寿御守を母親のために買い求めたら、96歳まで元気に生きることができた。出雲大社はメジャーブランド。問題は地方にある由緒はあるが、あるいは名ばかりの人が来ない神社だ。私は無宗教であるが、恩人、知人、友人のために、江島神社(サザエのつぼ焼きが旨い店がある)、寒川神社(出店のラーメンが旨い)に行って御守を買い求めて送る。江島神社の「病気平癒御守」は、何人も治してくれた。その確率は70%くらいと高い。地方衰退の世の中は、一部を除き神様も神頼みで参拝者を待っている。

2019年2月5日火曜日

「恋重荷」

「花伝社」能楽のような名を持つ出版社の編集人を紹介された。紹介人はかつて「美しい黒星」という本を出版するお手伝いをした時に、 ライターとして協力してくれた須田諭一さんだ。この本は現在の雷親方、元関脇の垣添徹さん親子の心情あふれる本だ。ずっと黒星続きの父親を引退間際に、当時小学生だった少年が、大きな声で土俵に向かって、カキゾエガンバレと叫ぶ。 その姿をニュースが映し出した。そのニュースを見ていた人情家のお世話になっている会社オーナーが涙して感動した。で、私にこの感動を本にして出版しようと言った。是非もない。やりましょうとなった。本の題名は私に作らせてもらった。美しい白星はあるが、負けて「美しい黒星」もあると。で、花伝社の話だがある人たちから、ある本を出したいとの相談があった。そこで須田諭一さんを思い出して連絡をし、打ち合わせをして私の考えを伝えた。今日の4時に須田さん、花伝社の編集の方と、依頼者に会う。話がいい方向に行けば5月中旬を目指して一気に展開させる。もし決まれば相当に新しい本になる。この国の根本に関わる本となる。須田さんとはもう一冊話を進めている。これはまだ出版社は未定。花伝社と聞いてすぐに、世阿弥の「風姿花伝」を思い出した。私は能楽の知識は全くないが、嫌いではない。ひとつだけ記憶しているのがある。それは「恋重荷(こいの重荷)」身分の高い美しい女性に、身分の低い者が恋をする。美しい女性は、ならばこの重荷を背負って動けと、重荷を背負わせ続ける。身分の低い者は悲しい結末を迎える。確かこんな能楽であった。昨夜お世話になっているオーナーと6時から9時40分まで、ともに背負っている人生の四苦八苦、思い通りにはいかない人の心、人の運命、宿命、悲しさ、切なさ、情けなさ、まるで「恋重荷」の世界のような話をした。世阿弥は足利将軍義満に愛された(今で言う同性愛)美しい世阿弥は義満死後、室町幕府第6代将軍義教に疎まれて、1434年佐渡島に流刑される。その後は定かではない。その義教は、有力大名により将軍暗殺メッタ殺しに合う。因果は応報する。世阿弥は絶世の美少年だったという。戦国時代大名は美少年を競って愛し合った。「秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず」「恋の重荷」は人生の重荷。花伝社といい本が出せればと願っている。久々に能楽が観たくなった。実のところ私は能楽の真似には少なからず自信があるのだ。能楽は女子禁制、白洲正子さんが挑んだがあえなくやめた。女性の心は、男でないと表現ができない。


2019年2月4日月曜日

「やさしくて、むずかしい質問」

昨日今年いただいた年賀状の整理を終えた。美しい文字、達筆な書やステキな絵、ご家族の成長写真や、ご自身の趣味の足跡。日記や新聞記事風のもの、ユーモアのセンス溢れるものから時事風刺的なもの、ガーンと一文字やドーンとヤクザ映画風のもの。皆さんとてもアイデアに満ちている。整理を重ねていくと、 「お元気ですか」という6文字が添書されているのが多いことに気づいた。さて、「お元気ですか。」とやさしく語りかけられると、ふと困った。私の心が元気なのか、体が元気なのか。あるいは私の家族が元気なのか。または会社が元気で、仕事もフトコロも元気なのか。一人ひとりに、電話してもしもし俺は元気だぞと電話するわけにもいかない。私は元気なのか自問自答する。自分に自分で聞いてみる。オマエは元気かと(?)気合と気力は元気で、夢追う魂も元気。誰もやったことのないものを 創造してやるという気持ちは元気だが、フトコロに元気はない。つくりたい映画(絶対カンヌを取れると思うのだが) に出資してくれる人はいない。1日何本も映画を見る元気的なものはある。(私の発想の源だから何でも見る)昨日は「パリ憎しみという名の罠」久々抜群のフランス映画(知人のトランスフォーマー石毛栄典社長が買い付けていた)「ジャコメッティ最後の肖像」これもいい。ジャコメッティは、「セザンヌだけが天才で、ピカソは罪深い男だ。過去の人の真似をしていただけのゴーマンな男だ」と言った。 「トーク・ツー・ハー talk to her」これは以前にも見たが実に寓話的で文学的。純粋な愛とは、献身的な愛の結末は。“彼女に聞いてほしい”という言葉で終わる。植物人間的になってずっとベッドにで眠ったきりの若い娘(豊満で美しい)その娘の介護士の青年は、相方の女性と娘のすべての世話をする。全身を洗ってあげ硬直した体をもみほぐす。当然下の世話をする。娘の体はまばゆいほど美しい。がある日女性介護士が眠ったきりの娘が妊娠していることに気づく。純粋な青年は強制的(相手は眠ったまま)レイプ犯として投獄される。 (果たして青年が犯人か)やがて月日が経った頃、ある人が刑務所に面会に来る。その時青年は娘は無事出産したのか。赤ちゃんは、二人は“元気なのか”と聞く。talk to her。年賀状に書いていただいた、「お元気ですか」に応えるには、あっと驚く作品を世に出して、私の元気を何かで知ってもらうしかない。私の感性はすこぶる元気(?)アイディアも出る。しかし資力がない。元気を出して働いていくしかない。ところで、 あなたは「お元気ですか」食欲、権力欲、金欲、性欲、物欲があれば元気です。


2019年1月30日水曜日

「寒い夜」

こんなことを書いてはいけないのかもしれない、否きっといけない。だが、もし大事件が起きた時のために、読者(いないかも)に知らせておきたい。私は可愛い後輩と、今ある仕事をしている。東京で活躍していたのだが、長兄なので、年老いた母親の面倒を見るために、国に帰った。奥さんと共に(子はいない)二人兄妹であった。妹さんは若い頃にヤンキーであった。その頃の男性と結婚して娘が生まれた。後輩の姪っ子である。その後妹はダンナと別れ、元ダンナとまた一緒になった。 姪っ子にはダンナがいた。ボロ屋敷だが他の土地とともに2000坪以上の資産があった。と言っても一坪売り値で1万円位だという。が、ともかく2000万円位の財産はある。 後輩は働きながら奥さんと共に、年老いた母の面倒を見ていた。施設に行ったり来たりした。かなり認知症が進んできた。そこに妹夫婦が入り込み、さらに姪っ子夫婦も絡んできた。過日後輩は姪っ子のダンナにボッコボコにされたという。もちろん警察や、市の相談室に行き、事情を説明した。ご近所の人々にも、このままだといつかあいつらに何かするかもしれないからと。だがさしたる相談相手になってはくれない。そして遂に後輩は兄妹の縁を切る。そして奥さんと家を出て行く。長男としての遺産の権利を放棄すると、親戚にも伝え家を出た。年老いた母が今後どうなるかはわからない。年金は皆使われてしまっている。母親が死んでも仕方ない。顔の形が変わるほど殴り蹴られた憎悪は、忘れられない。何をするかわからない自分が恐い。すでに何が起きているか年老いた母が心配だが、あいつらとは暮らせないと言う。今日本中でこんなことが起きている。老老介護している息子や娘、あるいは嫁さんの方が、先に死んでしまうケースも多くなっている。兄弟、姉妹は他人の始まりと言うから、ずっとずっと昔から遺産が絡むと急に、親類縁者が増える。このことに変わりはなかったのだろう。私の愛する後輩は、とても繊細だが明るくて働き者、決して泣きを入れない根性者だ。身内の問題は本当に気が重く厄介なのだ。これを忘れるには、我を忘れて仕事をして行くしかない。昨夜友人と打ち合わせ後、東銀座のおでん屋さん「かめ幸」に入った。閉店間際だった。寒々とした身体には、なんといってもほっこりしたお酒とおでんだ。カウンターに空き席があり、まずマグロのヌタを頼み、次におでんのハンペン、チクワブ、コブ巻き、ウインナー巻、ツミ入れ、玉子、イイダコ、そしてガンモを頼んだ。空腹だったので、サイコーに旨かった。友人に兄弟は仲良しなのと聞いたら、相性があまり良くはないと言った。大根と牛すじをメインにおいしそうに食べていた。本当にやさしくていい人なのだ。11時半頃外に出ると、冷たい風が強く吹いていた。

2019年1月29日火曜日

「女性は恐いからな」

昨日朝、長年連れ添ったご夫婦の、奥様が亡くなりその告別式に行った。とても穏やか美しい式だった。生ある者の運命とはいえ、平均年齢より20年も若い旅立ちであった。初孫の誕生間近かであり、無念の極みであった。その夜、昨年末の新聞を整理していたら、こんな記事があった。夫が60才とか、65才とか70才で無事定年となり、やっと夫婦で余生が楽しめる。と、まあこれがフツーだと思って記事を読むと。女性は70%位が離婚を願っている。又、一度や二度以上、殺意らしきものを感じたことがある。その原因とは何か、50数パーセントが、1日中夫が家にいるのがたまらなく嫌だ。外に出るといってもせいぜい図書館や本屋さんをブラブラ、犬の散歩とか、自分の散歩。昼には缶ビール飲んでゴロンゴロン、目は輝きを失いパソコンをいじっては、ヒマつぶしのもとを探す。髪の手入れもせず洋服へのこだわりもない。その逆に女性の方は活発に行動する。離婚を考える男は20数パーセントだ。つまり定年後男は、女性にしがみついて生きていく。女性にガタガタ言うと、別れてもいいのよ、なんてスゴまれると、オタオタとするのだ。人間はいかなる状況でも、働ける内は働いた方がいい。又、何かの目的をつくりそれに向かう方がいい。熟年離婚すると、女性は美しさと輝きを生み、男はボロ切れの雑巾みたいになって、公園のベンチでワンカップ大関なんかを飲み、サキイカなんかを口に入れてモグモグする。イカが歯と歯の間につまり、イケネエ〜楊枝を忘れたと、そこいらに落ちた小枝かなんかでその代用をする。別れた妻はプールで泳ぎ、ホットヨガをし、ランチバイキングを楽しみ、友達とアフタヌーンティーをする。捨てた女にはドラマがあるが、捨てられた男にはスキマと使い切れない時間がある。昨日旅立たれたご主人には、かわいい初孫が誕生する。そのことがきっと明るく生きる力となってくれるだろう。2020年いわゆる団塊の世代2500万人位が、75才となる。その内かなりの男が捨てられるはずだ。その存在のあまりのうっとうしさのために。梅のつぼみは膨らみ、椿の花がポツポツと咲き始めた。赤い椿ずっと前に、いきなり一輪、狂い咲きをした。季節には定年はない。小さな池の中の赤い金魚たちは、ほとんど動かず寒さに耐えている。放り投げた四つ切りにしたリンゴには、仲良い二羽(夫婦)がそれをツンツンと食べにやって来る。山バトが一度来たが、二羽に撃退された。大きいくせに根性なしであった。力を合わせた夫婦は強い。お前むかしはかわいくて美人だったのに、今じゃ見られたもんじゃない。なんてことを言った人が、熱湯をぶっかけられて、大ヤケドをさせられた。幸いすぐに水でバシャバシャ洗い、アヂーアヂーと泣きを入れたらしい。それでヤケドのあとはつかないらしいが、近所のそば屋さんに二人で来ていた。女性はおいしそうに天ざるを食べてデザートにお汁粉を、男はマスクを外し、つけとろそばをすすっていた。何だかズルズルと、泣いているようであった。女将さんが言うには、近々離婚するらしい修羅の春である。みたらし団子を食べながら渋茶を飲み、映画を見ながらこのブログを書いている。「女は二度決断する」これが実にスリリングでおもしろい。そして女は恐い。