2019年9月12日木曜日
2019年9月11日水曜日
「晴れの国で、ママカリ」
私は原始生活に憧れて来た。文明の進化に対して心よく思って来なかった。何故か(?)人間が人間でなくなってしまうからだ。誰かが何のために創ったか分からない人間という生き物は、果てしなき無尽蔵の才能を生む。現代社会においては、誰もが迎える「死」をまぬがれる以外のほぼすべてを、コンピューターや人工知能AIや遺伝子学がやってくれる。いずれは「死」を迎えたくても、薬一錠、注射一本、放射線のようなものを一瞬浴びせただけで、「死」ぬことはなくなる時代になる。人間社会は四苦八苦の世界だが、いつかは極楽へ行けるという、唯一の「楽」がなくなってしまう。もちろん、私のような人間には地獄が待っている。もうこれ以上、進化しなくてもいいよというくらいになった文明社会も、大自然の猛烈なパワーの前では、まったく無力化する。停電となれば、何もかもが機能しない。大洪水、そして大地震となれば、一本のマッチ、一本のローソク、一本の懐中電灯、一個のパン、一個のおにぎりのありがたさが分かる。私がこの歳になって今、考えている人生のコンセプトは、若かれし頃に一度提案し、拒否された言葉、「人間は、人間に帰ろう」である。もっと原始に戻って行こう。24時間明るい電気がついている街をやめよう。オール電化の家など停電したら、死ぬほど不便な状態になる。飛行機は飛ばず、列車は動かず、テレビもラジオも使えず、パソコンやSNSも使えなくなる。ピースジャパン、ピースワールド、ピースコスモスには、文明進化はいらない。太陽の光りと、日の明かり、星空の輝さえあればいいのだ。私の故里岡山、倉敷に行って来た。台風15号の影響でダイヤは乱れて、とんでもなく時間がかかった。でも久々に倉敷美観区入り口近くの、瀬戸内魚料理の店「浜吉」は、旨かった。同行のカメラマンの友人に、はじめて名物の「ママカリ」をすすめた。酢漬けと照り焼き、コハダほどの大きさだが、私は何より好きだ。シャコ、エビ、イカ、平貝、穴子、タコ、サワラ、それにホタルイカ、みんな旨かった。それに安い。店内は当然のごとく満員であった。ぶっかけうどんの名店を次の日探したが、まだオープン前だった。倉敷美観区を代表する林源十郎商店の熱血社長、辻信行さんが車で、アチコチ案内してくれた。真庭市でコンサートを終えて来てくれた。歌手の女性をマネージメントをしている人も一緒だった。以前、私の所にいた女性アートディレクターが無事第二子出産、その御祝いもかねていた。まだ2ヵ月弱。今は岡山で仕事をしている。名前がなんと「虎和」君、正しくは「トワ」ちゃんというらしい。岡山生まれのご主人が熱狂的虎キチ(タイガースファン)であった。辻社長は幸い私が持っていた、新作のジャムのポスターをみなさんと大感激してくれた。パリシャンゼリーゼ通りでも通用する斬新なデザインをした。ADの青木美穂さんが期待に応えてくれた。次は甘酒のポスターに挑戦する。久々の晴れの国、岡山は正に大快晴であった。帰路、小泉進次郎の入閣を知った。石破茂支持者だった。今回、石破派は完全に干されて、アジの開きにされた。小泉進次郎を取り込んで、これからの2年では、難しいという憲法改正のために、4選の手を打った。小泉進次郎は口舌の徒。いかようにも行動を変えるだろう。衆議院選挙がぐっと近づいた。必ずやるはずだ。そして、その後最大派閥のボスとなる安倍晋三は、総理大臣を辞めた後もずっとずっとキングメーカーとなる。さて、ユダは誰か(?) ブルータスは誰か(?) 裏切り者はすぐ側にいる。屈折した野心と共に。金と権力は一度手にしたら離せない。まったく非原始的社会にうんざりとする。が、これが人間社会なのだろう。小泉進次郎の次は橋下徹vs山本太郎がニュースを騒がすだろう。
(文中敬称略)
(文中敬称略)
2019年9月6日金曜日
「おいしいことは、たのしい人と」
昨日午後2時〜5時、あっという間の楽しい時間を楽しんだ。私が国宝といっている、天才葛西薫さん。名門サン・アドに長く勤める、もと私のところにいた美女二人。ところは中野駅北口大アーケードの主流からちょいと外れた路地裏。店の名は「第二力酒蔵」、なぜ2時からと思ったら、店は2時オープンだった。世界的グラフィックデザイナー葛西薫さんは、北海道出身で魚の善し悪しに目が効く。この店がまるで札幌の市場がそのまま移動してきて、広々とした店を構えているが如く、メニューは超のつく新鮮魚類図鑑であった。イカ、平貝、カワハギ、サバ、白身魚たちの盛り合わせ、絶品のキンキの煮つけ。ずっとむかし話、ちょっとむかし話。最近の話、直近の話、内緒の話は、アノネノネなど、あっという間に3時間、ソロソロ次のお客さんがと、店の人に言われなければ終わりなき、おいしい、たのしい、うれしい時間であった。当然、お金にまつわる下世話な話は一切なし。私は葛西薫さんを国宝と言っている。人格、見識、明朗、才能の宝庫だ。私の敬愛する神の申し子「仲畑貴志」氏との、サン・アド時代のサントリー、ソニーの名作の数々、その後も日本の広告史を二人で創った。二人は今も光り輝く作品を世に出している。サントリーが生んだ、サン・アドという会社の功績の大きさは計り知れない。私たちの業界もSNS社会の台頭により、すっかりしょげかえっている。だが、生活の糧、今日のパン、明日のパンのために、働かねばならない。広告主の担当はゲーム世代なので、エモーショナルな広告を好まない。つまり感情の広告を必要としない。でも私はあきらめない。きっと言葉の時代、メッセージの時代、叙情的世界の広告の時代が来ると信じている。若い人材たちの感性で。そして、香港の若者たちのような、怒りが噴出する時代が来る。そのとき、必要なのがメッセージ広告である。広告は社会の鏡と言う。久々4人でたっぷり「北の味」を食した。「キンキ」はやっぱり北海道がいちばんだ。数日前、天才中野裕之監督と昼食をともにした。天才は東京の離島を撮影しに行くとか、まずは青ヶ島、ライフスタイルデザイナー山藤陽子さんと三人であった。山藤さんは全身黒のファッション、すき透るような美しい女性。才能あふれる人たちと会うと、私の闘志に火がつくのだ。水曜日まで400字のリングは休筆となる。みなさん、いい週末を。私はいろんな天才に会いに行く。
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2019年9月5日木曜日
「クジャック&マムシとマングース」
9月5日早朝、ニュースを見ると、イギリスの国会で、ガンガン議論をしていました。我が国の国会議員がコソコソと野党から、自民党に移って行くのと違って、議場で議員がEU離脱反対の意志として、その場で相手陣営に移動するという分かりやすい行動をした。かつての海賊国家、植民地政策国家も、国家の損得となると談論風発、熱烈議論となる。イギリスは我が国の議会制民主主義の先生である。生徒の我が国は相手の傷を見つけると、ひたすらそれのみの追求に終始する。その間に国民にとって最重要政策は官僚たちによって楽々と進み、強行採決となる。マイクを握る委員長、そこにオレ・ワタシは、テレビに写っているとばかりに絶叫し委員長席に殺到する。が、顔はしっかりテレビに向かっている。つまりは茶番である。世界史上、イギリス、フランスほど戦争ビジネスを支配して来た国はない。マッチポンプである。9月4日の日経新聞に、「クジャク繁殖に困惑」「宮古島、台風で逃げ出す」「絶滅危惧種・農業に被害」と大きな見出しがあった。小さな頃はじめてクジャクを見たとき、その美しさに立ちつくした。まさかその美しいクジャクが猟友会の人たちの散弾銃でバンバン殺されているとは。宮古島には天敵のトラやヒョウがいないので、異常繁殖して今では2000羽ぐらいがいて、農業被害が酷いことになっているのだとか。奄美大島ではハブ被害を防ぐために、マングースを持ち込んだら、あらよ、あらよという間に1万匹近くなり、生態系を壊してしまい、あわてて殺しまくって現状は50匹以下になったとか。話を国会に戻すと、近日中に内閣改造がある。官房長官留任、幹事長留任、財務大臣留任、政調会長留任という報道が流れている。内閣の外に出すとタメにならないので、閣内にとじ込んでおいて改憲を目指すのだろう。つまるところ長期政権において若い政治家が一人も育っていないことになり、リベラル派の台頭は許さないということなのだ。そのむかしこの国の国会も、マムシとマングースみたいな議論は行なわれていた。今の荒探し国会ではなかった。今は罪深きであり、情なきなかである。韓国の玉ネギ教授は、11時間インタビューに応じて恥の上塗りをしていた。この玉ネギを料理できないかと、韓国内は香港のようにデモの嵐となるだろう。我が国に不正を正すための国民のエネルギーはない。日々の生活とバラエティーな情報社会の中で、SNSだけが自己表現手段という陰湿社会なのだ。いい人材は登用しなければ国が滅びる。歴史がそれを証明している。出て来い、マムシとマングース。セクト主義でキレイごとぶった、野党クジャクは猛省せよ。逃げるように野党から与党に移った政治家は、消え去るべきだ。
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2019年9月4日水曜日
「赤いウィンナー」
対面(トイメン)同士の店。私の主な仕事場は銀座2丁目。この近辺で何度か引っ越したが、ほぼ50年銀座で芸を売っている。仕事場から京橋方面に歩いて3分ぐらいのところに名もなき小さな公園がある。その斜め前地下1Fに「銀つね」というかなりレトロな飲み屋がある。初老の夫婦、主人は社交ダンスをしているようだ。写真がべたべた貼ってある。店内にはいつも小林旭の名曲が流れている。古いスピーカー がある。常連たちが来る。私の仕事仲間はここが大好きだ。ご夫婦はとてもかんじがいい。主人は私の人相が悪いのでお酒を注いでくれるとき、ブルブルと手先が震える。冷奴、赤いウインナー炒め、厚揚げ豆腐、ヤキソバ、肉ヤサイ炒めなのが定番である。むかしながらの店好みにはたまらない。マイナーな店である。その店の対面(トイメン)にある年、ポツンと一軒のイタリアンレストランができた。昭和通りの一本裏で人通りは少ない。路地裏の角っこであった。こんなところにイタリアンなんかつくって、大丈夫かなと思った。オープン当時はガランガランで人が並ぶことなど見たことがなかった。ある年になると、朝8時、9時から人が集まり出した。店の前の木の椅子に女性たちが腰掛け、予約名を書いていた。オッ、オッ、オッ、何があったか。ある情報でとにかく旨い、安い、新しい。サイコーだと広がり「予約のとれない店No.1」となった。LA BETTOLA da Ochiai(ラ・ベットラ・ダ・オチアイ)、「LA BETTOLA」はイタリア語で食堂というらしい。オーナーシェフが落合務さんであった。落合さんはママチャリによく乗って、店の近辺を走っていた。ステキなオジサンである。その落合さんの連載コラムがある新聞で始まった。昨日はその第2回。なんと落合さんの父親は6度結婚して、6度離婚していた。親に反発して、名門一貫校の高校を中退して料理人の道に進んだ。今は月の半分を後進の指導のために全国を回っているとか。一度コーヒーメーカーの仕事に出演を依頼に行ったが、そのときは「一社だけは、ダメナンダヨネ〜、ワカッテ、ゴメン」と言われた。落合さんは魚海岸や野菜市場に行き、半端ものや、形崩れしたものを安く仕入れて来て、絶品の料理にする。だから値段を高く設定しないのだ。だからお客さんが集まるのだ。「食堂だからネ、安くて旨くないと」がモットーなのだ。落合務さんが銀つねに行っているか分からない。対照的な二つの店の前を歩いて通ると、何だかうれしくなるのだ。「銀つねよ、がんばれ」と声をかける。「社交ダンスで優勝しろよ」と言う。以前行ったとき、私の好きな小林旭の曲がなかった。「ダメじゃないの」と言ったらブルブルッとした。銀座の一等地にたくさんの名のある店があるが、これはと思うお店は、高くて気どっていて、たいした味はしない。能書きの多いイタリアンが増えて、ワゴンにのせた料理をイチイチ詳しく説明する。一度「ウルセイ、食べれば分かるよ」と言ったら、シュンとした。今流行らしい。「銀つね」なんか、何も説明しない。メニューが豊富だから、一度ぜひ行ってやってほしい。一人1000円〜2000円で十分気持ちよくなる。小林旭の「さすらい」「北帰行」「純子」「昔の名前で出ています」、これを聞くとたまらない。年に二度ぐらい行くのだ。ラ・ベットラ・ダ・オチアイは、現在夏休み中。
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2019年9月3日火曜日
「表と裏」
コインに表と裏があるように、この世は表と裏でできている。人間という生き物を創ったのが誰かは分からない。ある学者は創造主と言う。ある学者はある奇跡の掛け算の結果と言う。ある学者はただの偶然の進化だという。この世に真実はあるかと言えば、間違いなくNOである。嘘のない人間もいなければ、嘘のない人生もない。この世は嘘という粘土でできている。雲に常形なく、水に常形がないように、ヒトの人生に常形はない。昨夜、相変わらず眠れぬ夜に映画を見た。原題は「THE WIFE」。日本語題は「天才作家の妻 40年目の真実」。時代設定はクリントン大統領時代、空には超高速ジェットコンコルドが飛んでいる。老夫婦(70〜75歳)がベッドの中にいる。妻は眠っているが、スケベジジイの夫は眠れない。腹が減ったと言い何か食べる。妻が起きて「糖分のとりすぎは体によくないわよ」と言う。夫はなんと妻に「SEXをしよう」と言う。老妻は「何言ってるの」と言う。そして老妻の体をいじる。「若い男に抱かれているのをイメージしろよ」と。そこに一本の電話が入る。なんとノーベル賞の選考委員の事務局からだ。「オメデトウございます。ノーベル文学賞に選ばれました」と。この映画はノーベル賞授賞式を見事に再現する。相当の予算がかかったはずだ(否パーティ会場のシーン以外は工夫して予算をかけていないかも)。映画はノーベル文学賞がいかにバカバカしく、イカサマに満ちているかを風刺的に描く。そもそも文学賞なんてものは最初はなかった。ストーリーは単純だ。作家夫婦はもとは大学の文学部教授とその教え子だった。教授は女性大好き人間だった。当然のように美しく才能ある教え子に手を出す。結婚をするが若い女性には目がなく、浮気ばかりする(そのシーンはない)。妻はジッと耐え忍ぶ。小説家としての才能は自分のほうがある。夫は自分の書いた小説を世に出す道具でしかない。ラストにあらん限りの言葉を使って夫をなじり倒す。一日8時間小説を書いた自分こそが受賞者だと言う。ノーベル文学賞を受賞すると、一人の伝記作家が現われ妻がゴーストライターであったことを暴いていく。結婚して40年ずっと秘密にしていた過去を探し出す。伝記作家は言う。「あなたは何であったのか」と。妻は言う。「私はキングメーカーよ」と言う。確か松本清張の本だったと思う。ある画壇のボスの絵はほとんどが弟子が描く。ボスは絵の最後の仕上げにチョンチョンと筆を入れるだけだ。そしてそれが日展の最高賞になる。すべてはボスたちの間で談合され、取り決められている。表彰式かなんかの会場で、「次はソロソロ入選させるか、キミの弟子を」と言って配分が決まる。今の世の中、日展に入選しても最高賞になってもニュースにもならない。読書はあまりしないが、夏休みの間に「文士と編集者」という本を読んだ。講談社の純文学専門雑誌「群像」の名物編集長であった「大久保房男」の著作である。創刊以来20年もの間、編集長をやっていたので日本の純文学史みたいな人物だ。この本は実に面白く、読み応えがあった。文士なんて言える小説家は現在いないが、明治、大正、昭和中期頃まではいたと言う。その表と裏の表情が読むと分かる。純文学とは徹底的に私小説でなければならない。ちなみに大久保房男氏が最後の文士と言ったのは、「高見順」であった。9月3日午前1時46分38秒、外では鈴虫が鳴いている。遠くで潮騒の音が立っている。台風がまた生まれたようだ。残暑がキツイ日がつづく。季節に表と裏はない。誤差だけはある。植物たちは着実に秋冬に向かっている。(文中敬称略)
2019年9月2日月曜日
「DOGMAN」
マッテオ・ガローネ監督。世界中の若手監督でこの人の影響を受けていない人はいないだろう。今をときめく監督たちの目標だ。カンヌ国際映画祭の常連である。大評判を読んだ「ゴモラ」の監督である。そのマッテオ・ガローネの新作「DOGMAN・ドッグマン」が上映開始となり、何をさておいてもヒューマントラスト渋谷に行った。金曜日の夜である。この監督の映画の舞台は、イタリアのナポリだ。映画の手法は徹底的にリアリティを追う(作品にナポリ市民を主人公にした“リアリティ”というのがある)。ナポリはイタリアの街。30年間に4000人が抗争によって殺された街である。3日に一人が殺されている。マフィアの名は“コッモラ”。ゴモラとは聖書の中に出てくる街の名。神の怒りを受け滅亡された街の名だ。このゴモラの主人公役を演じた役者は2018年カンヌ国際映画祭で主演男優賞を受賞した。特別にパルム・ドッグ賞、さらにダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞で最多9部門受賞。作品賞、監督賞、脚本賞、助演男優賞、撮影賞、美術賞、メイクアップ賞、編集賞、録音賞である。つまり映画として完璧であるということだ。薄暗いナポリの街の一角。二人の友人同士。一人はDOGMANという犬のトリマーショップを一人でやっている。世間に隠している仕事としてコカインの密売をしている。一人の友人がいる。この男はナポリの中で嫌われている悪業非道の暴れ者だ。ナヨナヨとした男とマッチョな男。コカイン欲しさにここまでやるかとトリマーの男を痛めつける。自分の身代わりとして1年の刑に服してくれたら大金をやると約束する。トリマーは1年服役して出所して来るが、待っていたのは以前に増した暴力であった。人間の感情の限度をこの映画は計る。人間の非暴力と暴力との境界を探す。弱いはずの人間が強い人間を退治すると決めたとき、その人間性を破壊させる。そこには地獄絵図のような世界が当然のように現れる。現代社会では極度の格差社会である。一部の富める者たちを相手に弱者が怒りを爆発させたらどうなるか。それを暗示させる。狂おしく、牙をむく犬、犬、犬。彼等はトリマーの言うことしか聞く耳はない。最後にトリマーが選んだ復讐とは。愛犬家の方々はぜひ観て欲しい。久々にものすごい映画であった。
2019年8月30日金曜日
「早朝の枝豆」
これは私の主観なので、気を悪くする人ファンの人がいたら、ごかんべんを。何かをしながらテレビをつけ放題にしてある。天気予報をよく見るが、NHKの斉田季実治さんが出てくると、私は、「ああきっと天気は悪くなるな」と思ってしまう。無表情、無感情。タンタンと予報するので「タンタンメン」と言っている。きっと民放の気軽さみたいに話してはいけない決まりがあるのだろう。明日、爆弾の嵐が来ても、タンタンメンは、タンタンと話すだろう。自民党の大実力者菅官房長官が出てくると、「ああきっとまた、その事はあたりません」と言うから、私は「アタラナイト」呼んでいる。きっと競馬の馬券を買う人が、ニュースでこの方を見ると、アタラナイと思う。安倍晋三内閣総理大臣が出てくると、何故かその後にトランプ大統領が背後霊のようにくっついている。私は「シンランプ」と言っている。「シンゾーの後にトランプ」。例えは悪いが、トランプは悪質のお客さんみたいなもので、運転するアベシンゾーさんに対し後部座席から、右へ、左へ、その横へ、その前へ、路肩でもイケイケと大声を出す、そんな気がしてならない。報道ステーションをよく見るが、富川悠太さんを見ると、私は「オトコカマトト」と言う。いい人ぶっている。知っているのに知らないそぶりが上手ではない。作り笑いの中に底意地の悪さが見える(本当のところは知りません)。NEWS23の星浩さんを見ると、私は、「モノタリン」と言う。元々は朝日新聞のスター記者、それが毎日新聞系のTBSでのキャスターとしての出演。いつも奥歯にモノがはさまったようなキレ味のないニュース解説。モーちょっと話せよ、モノタリンとなる。世耕弘成通産大臣が出ると、「ヘラナマズ」と言う。小柄だが全身野心でヌルヌルと黒い。口を開けばヘラヘラと、ヘラズ口。見ているだけで気分がヌメヌメになるから、出たらチャンネルを変える。テレビ東京の看板、大江なんとかさんという女性キャスターは声がやたらに裏返るので「ウララ」と言う。話すニュースがウラがえって、聞こえるのだ。TBS土曜日の「報道特集」、メイン美人キャスターの膳場貴子さんを見ると私は、「トーコン」と言う。東大出で二度離婚。妻が頭がよすぎて、夫婦内論争がきっと闘争になる。クールな表情でコワイヒトになるのかもと思ってしまう。でも子どもさんには、きっとやさしいママさんのはず。人間よく眠れないと、こんなことを考えてしまう(ファンのみなさんゴメン)。昨夜、斉田季実治さんが、「週末の天気は悪い」って言っていた。午前6時、外は雨どしゃ降り。少し眠りたいので一杯。早朝の冷えた枝豆はウマイ!
(文中敬称略)
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2019年8月29日木曜日
「イモヅル」
「列(れつ)」。警察用語である。列とは、その人間に連なる人間たちを表わす。例えば、あいつの親分は誰、兄貴分は誰々、兄弟分は、舎弟分は、またダンベ(金ヅル)は誰々、スケ(女)は誰だ。だからコイツをパクッて(捕まえて)ウタワセレバ(白状させる)列をみんなパクれる。そのためにいちばんのキーになる人間を見つける。根性者はカンタンにはウタワないからだ。「列」は会社の組織とか、官僚、政治、人間が群なる集団にすべて当てはめられる。この人はきっと出世して、社長になれると見込んで列をつくった人間たちも、その人が社内人事抗争に破れてしまうと、列は壊されそれぞれあちこちに飛ばされて哀れな末路となる。もちろん逆襲に成功して再び列を形成して勢力を盛り返す列もある。官僚組織、自衛隊、警察関係も列を形成して強固につながっている。鉄の団結であり、あらゆる疑惑をともに隠しつづける。そして分け前を分け合う。政治の世界は派閥として列をつくる。教育界、芸能界も列を成す。列を乱す者は、裏切り者との烙印を押されてスポイルされる。韓国映画の「一級機密」という映画を見た。韓国軍の装備品担当部署にまつわる実話がベースになっている。アメリカと思われる会社から購入した戦闘機が、飛行中トラブルを起こし遂落する。パイロットは脱出して重傷を負う、やがて闇の中で死亡する(殺される)。一人の正義感が強い将校が新任として来る。そして、相次ぐ戦闘機の事故に不信を持ち、装備品を一つひとつ調べていく。そこには果てしない列の闇がある。1本1ドルのネジは400ドルだったり、もはや使えなくなった部品が使われている。将校は上官、将軍、政界の闇の資料を見つける。あらゆるところに金が振り込まれている。上官たちは将校の動きを察知して、将校やその家族まで脅して行く。これは我々「家族」のずっとむかしから守って来た決まりなんだと。出世したければ従え、さもないとお前に明日はないぞと言う。家族とは列のことであり、その部署全部が列となっていた。将校はテレビ局にその資料を持ち込み、自ら出演して告発する。ラストのロールにその後除隊したと伝える。列の人間たちはきっとゾンビのように生き返ったのだろう。現在、日本はアメリカの軍備を大量に購入して、安全を得ているというが、事故は絶えない。アメリカ国内でも、日本国以外でも事故は、絶えない。韓国軍の中に正義を貫いた軍人がいたことを映画で知った。韓国軍上官の言う「家族」とは、「列」のことである。これを別名「イモヅル」とも言う。
2019年8月28日水曜日
「つむぐもの」
世の中の映画に秀作というものがあるとしたら、今年私が見た映画の中で、かなりの秀作である。「つむぐもの」26日午前2時までこの映画を見た。おそらく低予算である。日本と韓国の合作映画、日活が参加している。名の知れた役者は「石倉三郎」しか出ていない。絶妙、絶品の演技で、私なら主演男優賞をおくる。脚本は「守口悠介」、シナリオが実にいい。監督は「犬童一利」、撮影が「伊集守忠」であった。舞台は越前、和紙づくりに命をかける男は頑固一徹である。妻に先き立たれた男は、脳出血を起こして(脳梗塞かも?)右半身が不自由となり、杖なしでは歩けない。そこで介護協会から一人の若い新人介護福祉見習いの、20歳ぐらいの若い娘「ヨナ」が施設から派遣される。和紙職人の男は、韓国人のヨナを差別する。「出て行け」とも言う。ヨナもまた、「韓国人、韓国人」という職人に「クソジジイ」と言う。右半身が動かない。杖しか頼りにならない。ヨナを「韓国人、韓国人」とさげすむ。でもヨナは明るい。メゲずに尽くす。映画は日本の介護施設の現状をリアルに表現する。ワガママ放題の老人たち、介護福祉士の人たちの大変さ。ヨナは和紙職人に精一杯つくす。それでも日々「韓国人、韓国人」と言いつづける。そんな中でヨナは明るく元気に職人につくす。ある夜、職人は寝ている最中にシモをたれ流す。ヨナは風呂場に運び、全身を洗ってあげる。ある日、二人はドライブに向かい越前の海、水族館などを車椅子で楽しむが、職人は再び発作が起き、ついに病院のベッドに寝たきりとなる。ここまでの石倉三郎の演技は絶品である。ケンカが強いので有名な石倉三郎は圧倒的名演技であった。監督の犬童一利の演出は絶妙を極める。はじめはヨナを「韓国人、韓国人」と呼んでいたが、やがて心を許すようになって行く。しかし職人は最後を迎える。ヨナは帰国に察し荷物を整理していると、一冊の本がある。それは「はじめての韓国語入門書」だった。ヨナはそれを見て涙する。職人は一生懸命、韓国語を学んでいたのだ。この映画を見れば日韓は仲良くできるはずだ。それにしても石倉三郎はすばらしい演技だった。今はどうか分からないが、門前仲町で美人の奥さんと、小さな飲み屋を営んでいた。短気でケンカ早く、とても強く数々の武勇伝があると言う。すこぶる愛妻家であったとも言う。石倉三郎さんにいつものグラスで乾杯した。実においしかった。東海道線内の天敵“柿ピー”を食べながら。(文中敬称略)
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