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2019年9月3日火曜日

「表と裏」

コインに表と裏があるように、この世は表と裏でできている。人間という生き物を創ったのが誰かは分からない。ある学者は創造主と言う。ある学者はある奇跡の掛け算の結果と言う。ある学者はただの偶然の進化だという。この世に真実はあるかと言えば、間違いなくNOである。嘘のない人間もいなければ、嘘のない人生もない。この世は嘘という粘土でできている。雲に常形なく、水に常形がないように、ヒトの人生に常形はない。昨夜、相変わらず眠れぬ夜に映画を見た。原題は「THE WIFE」。日本語題は「天才作家の妻 40年目の真実」。時代設定はクリントン大統領時代、空には超高速ジェットコンコルドが飛んでいる。老夫婦(70〜75歳)がベッドの中にいる。妻は眠っているが、スケベジジイの夫は眠れない。腹が減ったと言い何か食べる。妻が起きて「糖分のとりすぎは体によくないわよ」と言う。夫はなんと妻に「SEXをしよう」と言う。老妻は「何言ってるの」と言う。そして老妻の体をいじる。「若い男に抱かれているのをイメージしろよ」と。そこに一本の電話が入る。なんとノーベル賞の選考委員の事務局からだ。「オメデトウございます。ノーベル文学賞に選ばれました」と。この映画はノーベル賞授賞式を見事に再現する。相当の予算がかかったはずだ(否パーティ会場のシーン以外は工夫して予算をかけていないかも)。映画はノーベル文学賞がいかにバカバカしく、イカサマに満ちているかを風刺的に描く。そもそも文学賞なんてものは最初はなかった。ストーリーは単純だ。作家夫婦はもとは大学の文学部教授とその教え子だった。教授は女性大好き人間だった。当然のように美しく才能ある教え子に手を出す。結婚をするが若い女性には目がなく、浮気ばかりする(そのシーンはない)。妻はジッと耐え忍ぶ。小説家としての才能は自分のほうがある。夫は自分の書いた小説を世に出す道具でしかない。ラストにあらん限りの言葉を使って夫をなじり倒す。一日8時間小説を書いた自分こそが受賞者だと言う。ノーベル文学賞を受賞すると、一人の伝記作家が現われ妻がゴーストライターであったことを暴いていく。結婚して40年ずっと秘密にしていた過去を探し出す。伝記作家は言う。「あなたは何であったのか」と。妻は言う。「私はキングメーカーよ」と言う。確か松本清張の本だったと思う。ある画壇のボスの絵はほとんどが弟子が描く。ボスは絵の最後の仕上げにチョンチョンと筆を入れるだけだ。そしてそれが日展の最高賞になる。すべてはボスたちの間で談合され、取り決められている。表彰式かなんかの会場で、「次はソロソロ入選させるか、キミの弟子を」と言って配分が決まる。今の世の中、日展に入選しても最高賞になってもニュースにもならない。読書はあまりしないが、夏休みの間に「文士と編集者」という本を読んだ。講談社の純文学専門雑誌「群像」の名物編集長であった「大久保房男」の著作である。創刊以来20年もの間、編集長をやっていたので日本の純文学史みたいな人物だ。この本は実に面白く、読み応えがあった。文士なんて言える小説家は現在いないが、明治、大正、昭和中期頃まではいたと言う。その表と裏の表情が読むと分かる。純文学とは徹底的に私小説でなければならない。ちなみに大久保房男氏が最後の文士と言ったのは、「高見順」であった。9月3日午前1時46分38秒、外では鈴虫が鳴いている。遠くで潮騒の音が立っている。台風がまた生まれたようだ。残暑がキツイ日がつづく。季節に表と裏はない。誤差だけはある。植物たちは着実に秋冬に向かっている。(文中敬称略)



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