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2019年9月19日木曜日

「付け焼き刃」

ブルーシートと言えば、雨、風をしのぐホームレスの人の家の色であった。今、千葉県で台風15号の被害にあった家々の屋根の上に、ブルーシートが張られている。あるいは、張るために落下死したり、張るための大工さんや、職人さんたちの不足で、ブルーシートが張ることができない。何でもお金さえあれば手に入る時代、スーパー、コンビニには捨てるほど、あらゆる品々がある時代。インターネットやスマホや携帯で何でも情報が入り、何でもすぐに宅配してくれる時代。ところが、何でもある時代は、実は何もない時代であることを証明する。地震や台風、洪水、火山は「災害列島」日本の宿命である。日本の歴史は災害の歴史でもある。だがしかし、日本国はイツマデモいつまでも、行政は予想外、学者たちは想定外、たて割り行政の責任のなすり合いだ。この日本国で大事な行政は、「防災省」を作ることであり、この大臣は総理大臣より強い決定権を、災害に対して持たせるべきだ。学者たちは研究、分析すれど何の責任を負うことはない。無責任者たち。自分の考えを言うだけだ。オレこそ正しいと。島国日本は電気と水と食料というインフラを失ったら何もできない。原発事故がもし、あと2、3起こったらアウトとなる。原油が輸入できなくなったら1年も持たずアウトとなる。「付け焼き刃」。すでに付け焼き刃がこの国の施政である。裏情報の収集や官庁人事ばかりやっている。闇の組織化した官邸は、問題が起きても他人事で“それは当たりません”“それは各省庁に指示を出しています”というワンパターンしか言わない。つまり自分たちの権力争いのほうが大事であって、台風が来ると分かっていても、ゴルフやフィットネスや閣僚人事を練るほうに時間を使う。災害などには気が回らないのだ。為政とは「治山治水」である。先進国で子どもへの教育予算比は最下位、東京大学は世界ランクでは40位前後、中国、シンガポールなどの下のまた、下である。個性ある才能をのばすことをせず、何事も過去問題がベースだからだ。何度も私は言いたい。日本国は幼少より始め、小・中・高と「防災」を必須科目にすべきなのだ。先人達の知恵を結集し、一家に一つ自家発電装置や、給水&給食のストック装置を持つべきなのだ。学問は使ってこそ学術だ。太陽光パネルの普及は義務づけ、予算をつけるのだ。原発のテロにあったら即ジ・エンドの国、大パニックとなる国なのだ。久々にパンが食べれてウレシイ、水が飲めてウレシイ、おにぎり食べれてウレシイ、仮設の風呂でも入れてウレシイと涙を流す人々。これが来年オリンピックを迎える「お・も・て・な・し」の国の現状だ。おもてなし→表なし、だが実情は、おもてなし→表なし→裏ばかり国家なのだ。小泉進次郎議員などはその代表で、すでに言うことがアヤフヤ、モグモグとなっている。閣外にいた姿はもう変形している。オール電化だ、SNS社会だ、IoT社会だと言っても、エネルギーがあり、電気、水道があっての話だ。ブルーシートを張るのは、非常に危険で難しい。日本は職人の国であった。大工さんの国であった。工事人夫さんの国であった。港湾労働者の国であった。農業、林業、漁業、第一次産業を復活させねばならない。国をあげて防災を学び、国をあげて職人さんたちを手厚く守らなければならないのだ。島国は国境線がない。それ故、呑気な政治がまかり通り、“防災を履き違えて”改憲再軍備だなどと言っている。この国に必要な政治は、バルカン、八方美人でいいのだ。政党間の垣根を外して、これからも、いくらでもある大災害に備えなければならない。近いうちに東海や大東京に大地震が来るのは間違いない。みんなで考えよう。自助、共助、公助について。
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