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2019年9月20日金曜日

「斬と明太子」

ある軍事評論家がこんなことを言っていた。同じ人数、同じ武器で闘ったら、世界で一番強いのは日本人(日本兵)だろう。次に死を恐れぬ韓国人兵。個人の殺傷能力は北朝鮮兵だ。日常的に刀を腰に差して歩いていたのは日本の武士たちだ。欧米人はサーベルや銃を持って歩いていた。刀と刀が触れただけで、殺し合ったのは日本人ぐらいだろう。つまり日本人ほど「血」を好む人種は、どこかの奥地で生き続けている、ヒトたちぐらいしか比べようがない。生麦事件というのがある。島津久光一行の行列に英国人がシカトをして通った。綱淵謙錠著作の「乱」によると、その斬劇はすさまじい。当時日本人の標準的体型は、150〜160センチほどだ。その武士が持つ刀は長くてヒジョーに重い。相当に鍛錬していない、ほとんど大地を切ったり、自らの足を切ってしまう。一人でバッタバタと斬れるものではない。人をブッタ斬ると、内臓は飛び出し、血は吹き出る。骨は露出し、その激痛のために屈強な武士も、のたうち回って血の海の中で死ぬ。近代戦争も戦国時代と同じで、日本兵が白兵戦で刀だけを持ち突撃すると、相手はその狂気と残忍さに恐怖を受けつけられた。やがて、それが特攻隊の自爆攻撃となった。欧米軍は「LIVE→生きろ」が命令であり、日本軍の生きて帰るな「死ね」とは、宗教感がまったく違う。我々日本人の中に、実は、狂気のDNA、人殺しのDNAが脈々と生きている。渋谷のセンター街でナンパばっかりしている若者も、いざとなれば一変して人殺し集団となるDNAを持っている。昨日深夜、塚本晋也監督の、カンヌへの出品作(受賞は逃した)「斬、(ざん、)」という映画を見た。ずっとレンタル開始を待っていた。80分の作品であり、塚本晋也は主演を兼ねている。他に池松壮亮と蒼井優他、綱淵謙錠の名作の「斬」は首切り浅右衛門の話であった。日本最後の首切り刑は「高橋お伝」であり、その死体の標本は東大の医学部にある。そう書いてあった。山田浅右衛門一族は、首切りの功として、死体の肝臓を手に入れることを許され、それを薬剤として売って財を成した。「斬、(ざん、)」の時代考証、美術、衣装はリアリティがある。よく時代劇にキラキラ美しいサムライが出るが、そんなことはありえない。みんな薄汚れていただろう。クリーニングのない時代に、相当位の高い人間以外はありえない。「斬、(ざん、)」はリアリズムを徹底的に追求していた。映画の主題が何であったかが、不明快であったのが残念だ。北辰一刀流の使い手、汚れに汚れた剣の達人を塚本晋也はよく演じていた。池松壮亮と蒼井優はやはりいい役者だ。南海キャンディーズのピンクメガネの山里が、蒼井優を抱いている姿をイメージしたが、上手に浮かばなかった(ホントかしらと思った)。情の深い女を演じたら、蒼井優はNO1だろう。室町時代の頃は武士と言われず“悪党”と言われた。日本人に武器を持たせたら極めてマズイ。防衛大臣が変人というのは、不幸中の不幸である。ほぼ自腹で映画を製作する。映画界の根性者、塚本晋也監督に、いつものグラスで乾杯した。昼間あまりいい日ではなかった。深夜、酒のつまみを明太子を少し焼いたのにした。それと焼き海苔。現在一日一合、水割り一杯か二杯を心がけている。人生は“斬”と同じで実に痛いものである。
(文中敬称略)


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