高等小学校卒(現在の中学)デビューは41歳のとき、同じ年に太宰治や中島敦がいた。が、この作家が世に出たとき二人はすでに世を去っていた。生涯において残した作品は1000点以上、書いた原稿12万枚、新潮文庫だけで4千5百万部、カッパノベルス2千4百万部、出版各社を含むと、1億部以上になる。長者番付・作家部門で13回1位になる。この作家と人気を二分したのが、司馬遼太郎であった。20世紀を代表する作家番付をつけるとすると、松本清張と司馬遼太郎が横綱であった。松本清張は社会の暗部、人間の暗部を書いた。一方司馬遼太郎は英雄、勝利者、成功者を書いた。私見だが司馬遼太郎はエッセイが抜群にうまく、小説は大衆小説である。松本清張が芥川賞作家で、司馬遼太郎が直木賞作家であることでそれが分かる。私は断然松本清張支持である。人には運命と宿命がある。持って生まれたものが宿命であるとしたら、この世に生を受けた後、さまざま出会うものを運命という。人間はこの二つから逃げることはできない。幸も不幸も本人が知らないストーリー上にある。子は親を選ぶことができない。宿命に逆らい運命と格闘することを人生と言う。これ演出するのが“血”である。人にはそれぞれアナザーストーリーがある。知らないで済めば知らないほうがいい、血の歴史が脈々と流れている。松本清張はこれを徹底的に追求し、取材を重ねに重ねて古代史の研究家にまでなった。一方司馬遼太郎は膨大な資料を読み込み、取材し人気小説を書いた。今、なぜ二人の作家のことを書くのか、と言えば。それは現代社会が重大な分岐点にあるからだ。一歩間違えば戦争へと向かう。松本清張が存命ならこの国の今の暗部、人間の暗部をどう書いただろうか。祖父母はいつ我が子や、嫁や孫に殺されるか分からず。父母はいつ我が子に殺されるか分からず、我が子はいつ親に殺されるか分からない。殺意がそこいら中で呼吸している。夫はいつ妻にブスリと刺されるか分からず、妻はいつ夫に絞め殺されるか分からない。まるで中世の頃のように人間は「人心の乱の中」にいる。現代は応仁の乱の頃と同じである。司馬遼太郎は人の暗部は書かない。ヒーローが大好きであったからだ。私は心から残念に思う。松本清張がいてペンを走らせてほしいと。松本清張は“謎解き”の作家でもあった。人間とは謎でできている藁人形だ。ちょっと火をつければ、たちどころに燃える。人間は大なり、小なり日々殺意を持つ生き物なのだ。誰でも少しばかり書く気があれば、今の世の中には小説のネタは山ほどある。残念ながら松本清張に及ぶ作家は現在一人もいない。ちなみに松本清張は“山陰”の出身、司馬遼太郎は陽気な大阪出身である。今ほど社会派小説が停滞している時代はない。“事実は小説より奇なり”なのだ。(文中敬称略)
2019年12月5日木曜日
2019年12月4日水曜日
「東大を出たら、勉強を」
米長邦雄さんという将棋の名人がいた。能弁家であった。この棋士が残した有名な言葉がある。「私の兄は頭が悪いから東大に入った」。今、総理大臣主催の「桜を見る会」のでたらめさについて、野党から追求されている役人の珍問答を見ていて、米長さんの言葉を思い出した。見苦しい答弁をしている役人は、きっと東大とか京大とか、国大出身者、あるいは有名私立大学出身者だろう。つまり最高学府で教育を受けた成績優秀者たちだ。彼らにとっての命は出世しかない。その彼らに代わって、その心の内を語るとすると、こんなことだろうか。舞台はとある居酒屋である。役人仲間が4人で飲んでいる。一人はウーロンハイ、一人は焼酎のロック、一人はウイスキー濃い目のハイボール、一人はコップで日本酒だ。すでにかなり酔っている(出来上がっている)。つま味はさつま揚げ、柳葉魚焼き(ししゃも)、ハムカツだ。まったくやってられねえよ、あの夫婦(総理夫婦)はどうなってんだよ、え、オイ、森友だろうが、加計だろうが、ジャパンライフだろうが、たいがいあの女房がからんでいる。そうだよそうだよ、あの酔っ払いのカアちゃんは、なんでも引き受けちまうんだよ。物事をまったく深く考えないからヤバイ相手と写真を撮ったり、招待したり、紹介をしたり、メールをバンバン送ったりするんだ。つまりみんな物的証拠なんだよ。それをモミ消すなんてできっこないんだが、できっこあるように、野党の奴等とやり取りしなけりゃないんだ。女房も女房だが、亭主がさらにコマッタサンは成田山さんだよな。ぺらぺら、ぺらぺら次から次へとウソばっかりつきまくる。ほとんどビョーキだよ。薬の副作用かなんかで頭の中の回路がイカれちまったじゃないの。むかしは今ほどヒドクなかったというけどね。とてもいい人で、友だちを大切にすると聞いたことがある。家庭教師が悪かったんじゃないのか、東大出身で警察官僚、だけど何回当選しても大臣になれない平沢勝栄先生だもんね。なれないんじゃなくてできないんだよ、ヤバイことばかりらしいから。パチンコ業界と北朝鮮筋との関係とかで。何とか大臣になりたいと派閥を渡り歩いている。マア平沢大先生の話はともかく、花見の会については、夫婦で頭に浮かぶヒトをバンバン招待しちまった。半グレからモンモン(刺青)しょったヤクザ者(反社会勢力)まで、まさか刺青まではモミ消せないし、シュレッダーも使いないような。シュレッダーと言えば、よくぞまあ予約でいっぱいなんて、あんな口から出まかせを思いついたよな。あたり前田のクラッカー。ウソ、カイザン、インペイ、バックレは役人の四大得意技だからな。野党の奴等と言っても、やっぱり手強いのは共産党だな。内部にいるんだよ党員が。でもああいう野党は必要だぜ。ウィ〜! かなり飲んだな。このシシャモはイマイチだな冷凍モンか。そんなの決まってるだろ。あと数日のウソ、バックレだな。コンピュータの再現なんて、今どき楽勝でできるからな。官房長官も反社と記念撮影で、少し色気があった中継ぎ総理の椅子もオジャンだよな。顔つきが日々悪くなってんもんな。記者の質問に対してなんてとても令和おじさんじゃないよ。だけど結局いちばんバックレで得したのは総理大臣じゃないの。菅官房長官は飼い殺しだし、頭がいいんじゃないの(?) 麻生財務大臣は潜水艦に特別に乗船させてやって沈没だし。河野太郎防衛大臣は面子丸つぶれだしな。あとは妖怪二階幹事長に4選をと言ってもらえばいいんだからな。あ〜ヤダヤダ考えただけでも気が滅入るよ。何言ってんだよ、オレたちは役人だぞ、ここをウマク乗り切れば来年には人事移動だよ、きっと出世してな。そうだな次は広島出身の先生らしい。そんじゃ乾杯だ。そこで隣の酔客が怒声を浴びせる。テメーラさっきから聞いてりゃ、なんだこの木っ葉役人のバカヤローが。そこへお店の女性(オバサン)すみませ〜ん。他のお客さんにご迷惑をかけるので静かにしてください。ソロソロ閉店ですからね。イケネェ〜終電に間に合わないぞ、ウィ〜。オレの靴はどれだったつうの。オイ、ハムカツが残ってんぞもったいない。これはあくまで創作です。東大を出たらマジメに勉強してください。
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2019年12月3日火曜日
「桜の樹の下へ」
定食屋さんの定義とは。黒板にハクボクで書いたメニューに従う。定まった食事。定食は580〜980円ぐらいが多い。冷奴、納豆、生玉子、ヒジキ、キンピラゴボウ、シラス干し、キムチ、お新香などが、小鉢で別注文で来る。たいがい各100円だ。定食屋さんに来る人は、朝定食、昼定食、夜定食のときも、これから食事を楽しむぞ、という華やいだ気配はない。お客さんは主に会社員や屈強なガテン系の男たち、タクシードライバーとかロングドライブの運転手さんが多い。独身者、一人暮らしの学生さん、妻と離婚した男、妻に食事を作ってもらえなくなった男、時にヤンキーな男女、などが多い。妻に先立たれた人とかも多い。定年後に熟年離婚した60代も多い。サバ焼き定食、とりカラ揚げ定食、煮魚定食、ジンギスカン定食、お刺身定食、カキフライ、イカフライ、アジフライ、豚ショーガ焼き定食、とんかつ定食、ニラレバ定食、やさい炒め定食も多い。肉じゃが定食、ハムエッグ、ポテトサラダ定食もある。サンマ、ブリ、キンメなどの定食も、季節のときに出る。こう書いて行くとお腹の虫がグーグー鳴って来るのだが、定食屋さん店内に入ると、独特の静けさだ。お客さんは一人が多い。二、三人で来てワイワイなんてことはない(お客さんにニラまれる)。会話はない。これから出て来る食事に対する期待感もあまりない。自分にとって定まった食事(定食)を食べるだけだから、その日、その日のルーティンのような食事なのだ。面倒なことが嫌いな人は、何も考えずに黒板に書いてあるメニューの、一番上のメニューにと決めている。お店の人も積極的に今日はこの定食がおススメですよ、なんてことが言わない。時々店内がザワザワとすることがある。あのね、サバ焼き定食に、単品でカキフライ、それに冷奴とシラスおろしと、納豆、ご飯は大盛りで、生玉子もね。こんな声が店内に広がると下をずっとむいて、自分の定食を食べている人たちに、ムッ、ムッ、ムッと動揺がわく。580円〜980円内がいわばルールなのに、サバ焼き定食980円+カキフライ単品500円、シラスおろし100円+納豆100円+生玉子100円+ご飯大盛り50円となると合計1930円、なんたる奴、なんたる無礼者、ここをどこだと思っているんだと。単品定食族は内心オモシロクない。読んでいたスポーツ新聞の記事にも身が入らない。壁の上にへばりついている小さなテレビから流れるニュース映像も、目に入らない。みんな嫌なヤローだ、ぜいたくな奴だ、定食屋のルール知らずめ、みたいな空気が充満する。ジンギスカン定食を隅っこで、コツコツ食べていた初老の男のテーブルの縄張りを、その男の頼んだ数々の小鉢が占領して行く。ゴフォン、ゴフォンとせきばらいなどして、私は許さないぞとの意志を見せる。レバニラ炒めを食べていた独身男は、少しずつ自分の領域を守るべく行動をする(料理をずらす)。定食屋に来て一人で1930円も食べる人なんて、堺面が見えない奴だと、アジフライ定食の中年の男が、上目づかいで視線を向ける。私はこんな時間が大好き、こんな人たちが大好き。定食屋さん大、大好きなのだ。日曜日告別式から帰り、駅から家に電話をすると、え、みんなで食べて来なかったのと言うから、朝からビールコップ二杯だけ腹が減っているから、定食を食べて帰ると言った。で、私はさばミソ煮定食、ごはん半分、それにそっと冷奴とヒジキを頼んだ。左に豚ショーガ焼きの男、右には、アサリラーメンの若い男、後には、とりのカラ揚げ定食のおじさんがいた。お茶は自分で、お水はご自由にと貼り紙がある。辻堂→大船→踊り子号で河津駅、そこからタクシーで約30kの山の中、伝承あふれた日本のお葬式らしい、葬式が村人たちをたくさん集め静かに行われていた。民俗学者柳田国夫の世界だった。仕事仲間三人とお焼香して手を合わせた、一人は長野県佐久市から来た。河津駅には、川端康成の名作「伊豆の踊子」にちなんで、若い学生と踊り子の彫像があった。2月には河津桜が咲く。一つの命が桜の樹の下に眠ることになった。遺影がとてもよく、30年近く経理を見てくれている会社の女性に、とてもよく似ていた。
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2019年12月2日月曜日
「鮨はファーストフード」
先日テレビで見た鮨屋さんの話。ここまでやってるのと、鮨づくりにこだわっていた。一軒は会員制30人ぐらいとかでフツーお客さんは入れない。バーロじゃテレビに出て来て店を紹介するなよと言いたい。店の名はたしか「乃南」と言った。幻冬舎の見城徹社長や、ZOZOTOWNの前澤友作元社長が会員だと友達が教えてくれた。もう一軒は3年先まで予約が入っていて、フツーの人は仲々食べられないとか。だったら店を紹介しないでと言いたい。鮨は3年も待って食べるような食べ物じゃない。もとは江戸っ子のいわばファーストフードだ。店の名は確か「杉田」とか言った。こだわりはフツーじゃない。もう一軒は毎年三ツ星というのをミシュランからもらって自慢の、鮨屋「すきやばし次郎」という店が、そのミシュランガイドから外れた。聞けばフツーのお客さんが入れないからだという(9席しかない)。この鮨屋さんはおまかせコースで4万円からなんて、バカも休み休み握れと言いたい。カードが使えなくて、私の先輩が知人と運よく入って次々とでてくる鮨を食べ、ワインをグイグイ飲んだら一人7万円とか言われて、現金不足となって大変だったと聞いた。フツーの人が入れないのをテレビで見せられて、世界一旨いとか、日本一旨いとか言われても比較しようがない。ビンボー人をバカにすんなだ。ある食通が言った。本当に鮨を知っている人間は、コハダ、アジ、サバが基本だよ。マグロを高く売らないと鮨屋はもうけが少ないから、マグロだマグロだとブームを作ってしまったんだと。他にはタコ、イカ、白身、アナゴ(ツメつけ)でいい。まあ、それにヒモがあれば十分、ラストはワサビを入れたカンピョウ巻きとくればさらに十分、マグロはと聞けば、オレは赤身があればいいんだ。江戸っ子の鮨は、早い、安い、旨いに限る。もともと鮨屋では酒なんか飲まなかったんだよ。そもそもマグロの味を見分けられる、食い分けられる人間は、鮪問屋さんの中でも、よほどのプロじゃないと分からない。例えばごくフツーの鮨屋さんの中に、高いマグロを入れたって分かりゃしないよ、ワインと同じさ。100万のワインと680円のワインを、目をつぶって飲み比べても、自称ワイン通が間違えるのと同じだと。人間の先入観とは怖いものだ。高いからと言われれば高く感じ、安いからと言われれば同じ鮨でも安いと思う。長い間食べてきて“鮨と寿司”の違いも、私は先日調べてもらうまでハッキリ分かっていなかった。週末は回転するお店に行って、魚類図鑑に載っていないようなネタを食べてみようと思う。一度それをやって、ホタテ貝アレルギーになって、今は食べられない。“ホタテ貝風”だったのかも知れない。
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2019年11月30日土曜日
「いよいよ師走」
11月25日は何の日だったか、と言えば会社勤めの日は“給料日”と応えるだろう。これがフツーである。三島由紀夫の命日じゃないかという人がいれば、よく憶えているね、そうだったんだと思い出される。少なくとも私のまわりにいた人で、11月25日にそのことを言った人も、書いた人もいない。作家の影響を受けた人たちによる、何かしらのイベントはきっとアチコチであったはずだ。天才的作家を語るには、あまりにも身分不相応なので、多くを語れない。人間は死んだら忘れられるということだ。昨日、大勲位こと元総理大臣中曽根康弘が101歳で死去した。その功績をニュースは流す。しかしその話題も一日か二日で終わる。人間の死とはそんなものである。ならばどうするかと言えば、今日一日、生きていれば明日まで生きて行くだけのことを、することでしかない。生まれてまもなく失う悲しい命があれば、いくらブチノメしてもしぶとく死なない悪い命もある。戦中戦後、大震災、大災害を生き抜き不死身の命だねと言われた老人が、朝起きたら大渋水に飲み込まれ大海へと流されてしまう命もある。この地球で唯一、絶対ということは、誰もが一度必ず死ぬということだ。若かれし頃、何度も死にかけて来たことを思い出す。きっとお天とうさまは、もっと生きて四苦八苦を味わって、若気の至りの罪を償えと、命じているのではと思い、今日まで来た。四苦→4×9=36、八苦→8×9=72。36+72=108の苦を味わえと命じられているのだ。108は煩悩の数と同じだ。すでに108を味わった気もするが、未だ未だ足りていないのかも知れない。故高倉健の歌う「唐獅子牡丹」に♪〜つもり重ねた 不幸のかずを 何と詫びよか おふくろに〜♪ という一節があるが、まさにそんな日々なのである。今の絶対権力者たちも、等しくそう先くない間に、あの世に旅立つ。そして忘れられる。身内ですら、あ〜これでやっとこ楽になれると、つい本音を言う人も多いだろう。実に正直な言い分なのだ。私のような大迷惑人間はジ・エンドとなったら頼んで祝杯をあげてほしいと思っている。バンザーイ、バンザーイと。葬式無用、戒名無用、献杯無用、ただひたすら乾杯、乾杯をしてもらいたい。健康オタクが人間ドッグに行って、入念に検査してもらい、大丈夫どこも異常なしですよと言われて外に出たら、クルマにハネられてあの世へという話もある。無目的に生きていたら命に対して申し訳がないだろう。生きたくても生きられない人の命のために、何かをしなければならない。安いラーメンで有名なある店が、10円でラーメンを提供したら大行列。寒風の中の風景だ。故金子正次の名作「竜二」という映画で、新宿のヤクザ者が堅気を夢見て足を洗う。全身に刺青があるのだが、女房子どものためにトラックの運転手の助手の仕事をする。一晩のバクチで大金を動かしていた幹部の男が、アパートに帰ると、女房は家計簿をつけている。苦々しい気分になる。ある日、仕事が終わり家路についていると、商店街に主婦や子どもたちが行列をつくっている。竜二が見ると、そこは肉屋さんで、女房と子供が並んでいる。安売りのセールをしている。竜二は安売りで女房が買って帰ったコロッケを食べるのかと考える。やっぱり俺は堅気の世界でやって行けない。竜二は家とは逆の新宿の街に帰って行く。金筋のヤクザ者にとって、見栄は絶対に張らねばならないのだ。ナリ(身なり)も見栄の内と言う。こんな話を思い出す。ある日私は無性に吉野家の牛丼が食べたくなって、夜銀座にある吉野家に入って牛丼を食べて外に出ると、むかしなじみのプロデューサーに会った。えっ、吉野家の牛丼を食べるんですかと聞かれた。そいつは私が落ち目になって銀座の吉野家で牛丼を食べていたと知り合いに吹いた。バカヤロー大好きだっていうの、その男がどうなったかは……。いよいよ師走だ。一年中でいちばん嫌いな12月だ。ちなみに私は行列には並ばない(春木屋のラーメンは別)。
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2019年11月28日木曜日
「この道」
日本という国は私たちが想像するよりもはるかに美しかったはずだ。それだから「万葉集」は生まれた。和歌は歌による写実だ。また、すばらしい民謡や童謡が生まれた。童謡には美しい山々があり、美しい花畑や田畑があった。四季折々に風景を変化させた。日本国津々浦々、オラが故里の自慢の風景が、人の心をキャンバスにして写り込んだ。風景とは絵筆だとも言える。昭和初期、愛国主義者は、外国からこの風景を守れと、軍国主義に姿を変えてしまった。美しい風景は戦火によって破壊されてしまった。「国破れて山河があり」と言えば聞こえがいいが、国破れて、数百万人数千万人の感情が破れた。戦死者とその家族たちの中には、きっと多くの北原白秋がいたはずだ。この頃、民謡は生まれず、童謡も生まれない。近代化のあとに残ったものは、感情とか感性の消失だった。その結果が現在の拝金主義である。金こそがすべての時代に叙情詩も叙事詩もない。人々が幼き頃見た美しい山々や河の輝き、美しい湖や川のさざ波やせせらぎ。あぜ道でおにぎりを食べ合う農夫さんたち、隆々たる肉体で網を上げる漁師さん。おとちゃんのためならエンヤーコラ! おかあちゃんのためならエンヤーコラ! と、家を建てる大工さんたち。目に入るものがみんな詩になった。そして歌になった。この道はいつか来た道、あ〜あ そうだよ また戦争への道だよとならないことを願う。昨日夜、北原白秋と山田耕筰を主人公にした「この道」という映画を見た。二人は戦争に向かう国に対して、僕たちはもう童謡をつくれない。軍歌ばかりしかと語り合う。そのうち人工知能AIが童謡をつくるのかも知れない。進化しすぎて手にしたものは便利すぎるという不都合と、情報過多による、人間関係の断裂を炎上だ。風景は見るものではなく調べるものになってしまった。北原白秋は人妻と関係を持ち姦通罪で投獄されたりした。与謝野鉄幹・晶子夫妻から、いい加減にせよとたしなめられた。天才は色を好むものなのだ。少年と少女が同居しているような人だったのではと思う。詩の中にはたくさんの木の名が出る。花の名が出る。そこに純粋があった。「無口な男には注意しろ。彼は人が話す間観察し、行動する間計画を練り、いざ相手が休んだとき襲いかかる」。こう言った賢人がいた。テロリストはこう言う人間が多い。さしずめ北原白秋は、こと女性に関してはテロリストの如くであったのかも知れない。あまりにも無惨な税金を使った桜を見る会。北原白秋が今の世を見たら、どう表現するのだろうか。
カラタチの花 |
2019年11月26日火曜日
「あるウルサイ男、そして今直子先生」
去る日曜日、荻窪である人と打ち合わせをしたあとのこと。年齢は48歳ぐらい、体重は85kgぐらい、スーツは上下で28000円ぐらい、Yシャツは1800円ぐらい、腕時計は分からない。ノーネクタイ、仕事は多分会社員、きっと堅気である。きっと何かスポーツをしていた。例えば円盤投げとか、槍投げとか。一人哲学的に投げることの意味を追い続け、孤独を愛するような顔立ちだ。色浅黒く、鼻筋は高く、口びるは形よい。画材店に行くとデッサン用に置いてある、男の胸像のようである(アグリッパとか)。午後1時40分頃、スポーツジムか何かで鍛えて来たあとのように、顔が少し汗ばんでいる。ラガーマンかも知れない。ひょっとしてゲイかも知れない。男はチャーシュウワンタンメン、メンマ、煮玉子をオーダーした。私はチャーシュウメンだった。場所は有名な荻窪のラーメン店「春木屋」だ。私が行くと11人並んでいた。男は私の二人前だった。別に男に興味があるわけではない。彫刻のような顔と体つきに興味があった。物静かで知的であった。オーダーしたものが来るまでは、ハイ! チャーシュウワンタンメン、メンマと、煮玉子(小さな入れ物に入っている)。ここまではgoodだが、いきなりダメ男になった。まずすすったのだが、その音がズルズルとウルサイ、スープをレンゲですするのだが、このビッチが早くてピチャピチャ、ウルサイ、レンゲにワンタンをのせて口に入れるのだが、フーフーフーとしたあと強烈に飲み込むのだが、その音がトッテモウルサイ。何日間、何も食べていなかったように。ガツガツと早い。つまり早い、ウルサイ。スープをレンゲじゃめんどくさいと、残り半分ぐらいはラーメンの入った入れ物を手に口に入れる。その音がまた大きい。何だいこいつ、見た目と全然違うじゃないの、全然哲学的でもないし、孤独的でもない。メンマを一つひとつ箸でつまむ仕草がセコイ。四つか五つまとめて食べろと言いたい。ラストスパートはメンとワンタンとメンマを一気に飲み込んだ。そして煮玉子をスポッと口にして、ノドにつかえたのかシャックリみたいのを二度、三度して水で流し込んだ。春木屋にはかなり通っているようだ。そうか並んでいるお客さんのために少しでも早く食べてあげようと思ったのかも知れない。が、わざわざ聞くこともできない。あんまりイメージと違ったので、気になって仕方なかった。せっかくの春木屋の味を十分に味わえなかった気がする。それにしても圧倒的にウルサイラーメンの食べ方だった。並んでいたお客さんにとっては、いい人なのだった。やっぱり春木屋は旨い! 年末にもう一度行く。今日は銀座名物奥野ビル内で開催中の「今道子」さんの写真展に行く(巷房3階と地下)。この人の写真を見るとしばらく魚の光り物、アジ、イワシ、コハダ、サバ、サンマ、サヨリなどが遠ざかる。他にタコとかイカとかも使用する。被写体のすべてに魚類が使われる。木村伊兵衛賞はじめ日本の主要な賞を何度も受賞している。全身いつも黒ずくめ。世界的にも有名である。一度制作現場を撮影させてくださいと言ったら、見ないほうがいいですと言われた。鎌倉に住む大巨匠だ。お寿しと言えば光り物、お寿し好きの人はぜひ観てほしい。その写真を観ればもっとお寿し好きになるはずだ。私は日本の女流作家のNo.1だと思っている。四谷シモンさん+渋澤瀧子さん+人形+鹿男。かなりの不気味さだ。
※11月30日まで日曜は休廊
※11月30日まで日曜は休廊
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2019年11月25日月曜日
「四本の映画と『栄光へのノーサイド』」
「ベン・イズ・バック」。一人の若者が殺人の刑を終えて帰って来る。彼には精神的障害があった。彼を迎える町の人の目は冷たい。父も妹たちも、やさしいのはやはり母親だ。母親は黒人と再婚していた。肌色の違った兄妹となっていた。精神的な病気が原因の犯罪(?)だけに、いろいろとむずかしい。この映画は一人の若者が出て来た複雑なドラマを追う。母親役のジュリア・ロバーツがいい。「ガルヴェストン」。一人の仕末屋がいる。男の胸にはすでにレントゲンに大きな影、肺癌である。組織はその男にある仕事の仕末を命令する。男が追って行った先には若い娘がいた。男と娘は二人で逃避行をする。いつからか、せき込む男に心を許していた娘は、自分を抱いてもいいと言う。が、しかし病魔に犯された男には、その能力がない。お酒のせいよとなぐさめる娘。そして二人の先に待っていた組織の掟とは。「ピアッシング」。村上龍の原作をアメリカで製作した作品だ。泣き叫ぶ赤ん坊にアイスビックを向ける男。うるさくて仕方ない。妻は夫のストレス解消にある提案をする。SM指向のある妻の案は、ホテルにSM、OKの女性のデリバリーしてもらうことだ(殺してもOKのギャラを払って)。男はホテルの一室で女性が来るのを待つ。アイスピックで刺す練習、ロープを用意して縛る練習、馬のりになっていたぶり殺すイメージトレーニング。そして女性が現れる。緊張する男、シャワー を浴びるわと言う女性、そしてグサッ、グサッと体の一部を刺す音、シャワー室に流れる鮮血、ビックリする男、やって来た女性は自傷マニアで、自分の太モモをアイスピックでブスブス刺しまくる。勝手が違った男はかくれて妻に電話をする。殺すのよ、殺すのよという妻。さあ〜どうする。「私が棄てた女」。日活映画社の名匠あの「キューポラのある街」で吉永小百合をスターにした浦山桐郎監督の名作だ。この監督は寡作で有名だ。今どきの監督のように一本ヒットしたくらいで、すっかり有頂天になって、次々と駄作を作り続けて消えていくのとは違う。この映画には若々しい浅丘ルリ子が主役として出演している。浅丘ルリ子の相手役は河原崎長一郎だ。この映画では当時売り出し中の浅丘ルリ子と河原崎長一郎のキスシーン、ベッドシーンがあり、二人で入浴して体を洗い合うシーンまである。さすが浦山桐郎監督であって、日活本社も浅丘ルリ子を裸にすることにOKを出したのだろう。学生時代はゲバ学生だった男は、ある会社に入っていた。そこに社長の姪の浅丘ルリ子が働いていた。美男子でもなくスポーツマンでもなく、ごくフツーの会社員の男にどこか惹かれていた。ロッカールームで時々キスをしたりした。男はこの会社に入る前に一人の女性と関係を持っていた。地方出身の女性は、どこまでも純真だった。彼女は彼の子を身ごもっていた。名門の出浅丘ルリ子と結婚する貧しき元ゲバ学生。さて、この男がとった男としての在り方とは。かなり古い映画(荻窪で観た)であったが、今の再生技術はすばらしい。美しいモノクロームの階調を持つ作品がDVD化されていた。昨日日曜日もう一本「翔んで埼玉」というとんでもない映画を見たが、これは漫画以外の何物でもない。“さいたまんぞう”の“なぜか埼玉”が流れていて、ちょっとうれしかった。♪ なぜかしらねど 夜の埼玉はぁ〜 ♪ かなり名曲(?)であり私は買った。雨が降ったり止んだりスッキリしない日曜日。映画を四本見て過ごした。その間に少々の書き物と知人の本を再読した。「栄光へのノーサイド」。増田久雄著河出書房刊。増田さんは石原プロモーション出身、裕次郎さんからチャー坊と言ってかわいがられた。私は増田さんのプロデュースの映画「チ・ン・ピ・ラ」に共同出資して深く知り合うことになった。久々に電話で話をした。みなさんぜひ買って読んでください。本体1600円(税込)。増田さんは映画化を目指している(20億円ぐらい集まれば映画ができるかも)。冬は近い。(文中敬称略)
2019年11月23日土曜日
「死後離婚」
ちょっと恐い話を、知人のご住職から聞いていたけど、そのものズバリの本が出ていた。著者は葬儀・お墓コンサルタント「吉川美津子」ジャーナリスト「芹澤健介」特定行政書士「中村麻美」の三氏だ。本の腰巻きには「夫と同じ墓に入りたくない!」「姑の世話がしたくない!」「義実家と縁を切りたい!」妻たちの密かな願いをたった1枚の書類で可能にする「死後離婚」とはなんなのか?(洋泉社)新書y。実はこのテーマは、私も岩手県一関市曹洞宗常堅寺の後藤泰彦住職から聞いたときから興味を持っていて、今、ある企画を進めている。当然のように死後離婚を希望するのは女性たちであることは、言うまでもない。昔ならともかく長男の嫁に入り、日々姑や小姑、その上舅や、親類、親者たちから、イヤガラセ、イジメ、過重労働や、夫の浮気やバクチや投資、パチンコ、キャバクラ通いや、ゴルフや釣り、カラオケ三昧、動かず、働かずで日がなゴロゴロしながら、酒だ、つま味だと命じ、あろうことか、モタモタすんなと文句をつけブータレる。愛する我が子が何人かいる。必死に堪える嫁、あるいは結婚してみたら、それまでとはまったく逆、マザコン、パパコンで、料理がママよりマズイだとか、パパのつくった料理のが旨い! しまいには会社の帰りには、そのまま実家に帰り食事を済ます。また、浮気ぐせが治らず(これは病気なので死ぬまで治らない)、日がなスマホをいじってニヤニヤメールをしたり、コソコソとしたりしている。健全たる働き者で、健気で愛情深い嫁は夫からのDVや、姑たちからのイジメに耐えて必死に子育てをする。夫が浮気しているかは、長年の勘で分かる。すでに殺気は目覚め、コイツらを殺してやると思ったりしだす。しかしさすが殺人はしないが、嫁はじっと耐える。そしてついに子どもから手が離れ、やっとこさ楽になれると思ったら、“好事魔多し”で、子宮癌やら乳癌などを宣告される。親族は生命保険などに関心を持つ。夫は妻の入院をいいことに、遊興に明け暮れ、浮気を重ねる。アーヤダ、ヤダ、こいつらとは絶対に一緒の墓に入りたくないと決める。こんなケースが実に多いと聞いた。たった一言、たった一枚の服、一足の靴、一杯の酒、一枚の服やシャツ、一枚の寝具、一台の車、一度の改築などのことなど身近な問題が陰れた要因となっている。夫婦とはもともとまったくの赤の他人だが、血の通う同士のトラブルは、血で血を洗う惨劇へと向かう。問題が起きると逃げてしまう。そんな光景を日々見ていると自分の夫のふがいなさに気づく。こんな奴らとは一緒の墓には入りたくないから、「死後離婚」を考えている嫁は多い。この頃やたらに多い親類身内間での事件。家庭内における事件が多い理由はここにある。お嫁さんを大切にしなければならないのだが、強すぎるお嫁さんもいる。世の中はお墓の中に入っても分からないのである。
2019年11月21日木曜日
「重くて、ためになった一日」
“ふるいようかん”と言ったら、“古い羊羹”を連想するのがフツー。昨日、私と親愛になる兄弟分と行ったのは、“古い洋館”だった。ところは九段下靖国神社のすぐ側だ。グラフィックデザイン界の巨匠「井上嗣也」さんが是非観てちょうだいと、独特の言い回しで電話口でおっしゃった。井上嗣也さんは、本年度ADC賞(日本で一番名高いデザイン賞)のグランプリを受賞した。ADCとは東京アートディレクターズクラブのこと。九段下の目的地に着くと、外観は大きな日本家屋(旅館か料亭みたい)銀色に黒い英文のロゴタイプひとめ見て井上嗣也作と分かる。「AnyTokyo2019 Crazy Futures / かもしれない未来」であった。大きな門を入り玄関とおぼしき広い所に着くと、クリエイターの卵か(?) 若い男女たち、和服を着た番頭さんのようなおじさんが、灰色のビニール袋を持って立っている。脱いだ靴などをそこへ入れて番号札渡してくれた。建物内部はかなり古いが造りが凄い。きっと相当に地位のあった人とか、桁違いにお金があった人が住んでいたのだろう。現在は個展とか、展覧会やいろんなイベントに使っているらしい。重厚にして重層、そして重大なクリエイティブ作品が、いくつもある部屋に展示されていた(内容を詳しく書くと相当な枚数を要するので省略する)。一階、二階、そして三階の広いフロアすべてが井上嗣也さんのワールド。本当にこの人はグラフィックに命をかけている(内容を詳しく書くと相当な枚数を要するのでインターネットで検索すれば、その凄さが分かるはず)。昨日はクリエーターと次々と打ち合わせをしたり、お願いしていた作品を受け取ったりした。打ち合わせはすばらしいアートディレクター清水正己さんと、渋谷の事務所にて(まるで一流ホテルかそれ以上)。その後青山にて、グラフィックデザイン界のレジェンド浅葉克己先生の事務所へ。金色の名物的扉は先日塗り替えが終わったとかで、金ピカピカ。ある大会社の創業者に金曜日にお会いするので、浅葉先生の作品を持って行くことにして、先日お頼みした。そのときやったよ“5連覇”だと、八丈島で毎年行っている卓球大会の成績表を見せてくれた(いつもイッセイミヤケを着ている)。浅葉先生は、ポツポツと歩き、ポツポツと話す。知らない人が見ると、変てこなヒトに見えるだろう。ギラギラのイッセイミヤケを着て首からライカのカメラをぶら下げて、ポツポツ歩いている姿からは、とても卓球の大会で優勝する選手には見えない。浅葉先生は卓球命でもあるから、フツーのときはスタミナを使わず温存しているのだ。出来ているよと言って見せてくれた作品はさすがにいい。私が思っていた通りだった。それから九段下に行った(ここで兄弟分とはサヨウナラ)。その後、現台北代表処・張仁久さん(日本で言えば副大使)の講演を聞きに行く。一人の老政治家が40年近く行なっているセミナーで今日が88回目であった。「アジアの中の日本と台湾」について日本人よりうまい日本語で話してくれた(パワーポイントを使って)。浅葉先生が重い作品(額縁入り)に持ちやすいようにとお弟子さんに、取っ手をと言ってくれたが、大丈夫ですよと頂いたサイン入り著書3冊と、作品を持って出た。何だよそれ重そうじゃないのと兄弟分、重いんだが大切な作品、どうにか指先で下に落とさないように、青山 → 九段下 → 飯田橋 → 東京駅 → 辻堂 → 自宅とタクシーに乗りつつ持ち歩き、東海道線に乗り家に着いたら10本の指がぶっとくなり、感覚がマヒマヒになっていた。両肩はバンバンだが、妙にいい気分だった。最高のクリエイターと会うと、最高の気分を味わえるからだ。前日は横浜高島屋で、その昔「赤いきつね」の筆文字を書いてくれた書の達人「木之内厚司」さんと会い、お願いしてあった書を受け取った。やはり達人は抜群だった。この頃どういうわけか台湾の話が多い。香港の次は台湾と中国は狙いを定めている。フリーのライター「須田諭一」さんとある出版社の二代目社長と一緒に張仁久さんの話を聞いた(その後立食のパーティ。空腹だったのでガッツリ食べた)。重くてためになる一日であった。
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