私は「貫目」である。貫目とはその人間のスケールの大きさ、器量とか度量をいう。あいつとあいつでは、貫目が違うとか、あの人とあの人では、全く貫目が違うなとかに使われる言葉だ。貫目が軽いとみられると、掛け合い(交渉ごと)の時、安く見られる。アイツはスヤイ(安い)となる。私貫目は芸を売っている身なので、自らの体重ほどの貫目しかない。新型コロナウイルスに対して無重力であり、世の中に何も貢献できない。国を盛んにするのも、滅ぼすのもひとえに政治家の貫目による。ネットフリックスで「ローマ帝国」の長いシリーズを見たせいかも知れない。歴代の皇帝たちは、元老院の力と側近の裏切りで滅びた(ブルータスお前もか)。外出できず家の中に軟禁状態なので、ダルマさんになっている(手も足も出ない)そこで活躍してほしいのが、選挙によって選ばれた代議士(選挙民の代表)である。その中から大臣という役を務めるものが、国家国民のために思案思考し、無辺に行動しなければならない。歴史には後世振り返ると、国民が塗炭の苦しみを味わい、国が滅んだのはアイツのためだという、キーマンの人間がいる。今、このキーマンになりつつあるのが、新型コロナ担当大臣(経済再生担当でもある)「西村康稔」だ。100年に一度の疫病災禍の重大事に、大臣としてのキャリアがない、貫目の軽い人間が事に当たっている。国民にとってこれほどの不幸はない。政治家の番付でいえば「平幕」位である。その軽量大臣が、国家の存亡を右往左往しながら、ヨタヨタ、ヨロヨロ、キョトキョト、ニタニタと担っている。私貫目はここ数日、政府と都知事とのやり取りを見ていて、この国は生き残れるのだろうかと、真底思っている。“パシリ”という言葉があるが(使い走り)西村康稔クラスの軽量では、単なる政府と諸官庁、諸大臣、諸業界との使い走りでしかない。仮りにこの重大事を乗り切る貫目のある歴史上の人物をいえば、江戸時代の名君「保科正之」とか明治時代なら「西郷隆盛+大久保利通」クラス、あるいわ児玉源太郎。昭和なら田中角栄とか後藤田正晴位の貫目がないと乗り切れない。官邸内に何が起きてるのか分からないが、何故西村康稔なのかと私貫目は思う。今すぐにでも与野党を超えた救国のチームを編成すべしだ。批判はされたが、野党には東日本大震災で多くの事を学び経験した代議士もいる。又、自民党内には豊富なキャリアを持つ代議士がいる。西村康稔に歴史的大役が務まる訳がない。ワイワイガヤガヤのテレビのニュースワイドショー見ていると、いよいよこの国は危ういと思う。政権の使い走り田崎史郎がアチコチテレビ局をハシゴしている。かつては時事通信の闘士だったらしいが今では、エセジャーナリストになってしまった。私貫目は重ねていう、日本を代表するあらゆる分野の英知と、代議士としてのキャリアのある人たちを結集して、救国のチームを作るべしと。又、在野にいるであろう、優れた人物を頼りにせよと。三国志では劉備玄徳が、“諸葛孔明”を山の中に訪ね、三顧の礼を持って迎い入れた。理容室がどうだとか、ホームセンターはどうだとか、名古屋外しだとかいってる場合じゃない。世界の英知とも共力し、国民の命を守るにはどうするのかだ。などとブツブツいいながらニュースワイドショーを見ている。私貫目はダルマの自分が情けない。この期に歴史を学ぶことにする。(文中敬称略)
2020年4月9日木曜日
2020年4月8日水曜日
第47話「私は映像」
私は「映像」である。午前三時五十五分十一秒TBSのニュースを見ている。そこにはニューヨークで新型コロナと戦う、病院のスタッフたちの悲惨にして、強烈。そして献身的な姿の真実を見た。若者の命が重症化となり急速に悪化して、失なわれて行く。必死に人工呼吸器とか、エクモとかいわれる器具が、取り付けられる。太い管が何本も激しく動く。防護服が無く黒いゴミ袋をポンチョのようにして身につける。医療用マスクは無く代替で防ぐ。又医療用のメガネも無く、スキー用のゴーグルで目を隠す。勿論手袋も不足している。つまり病院に病院の器具が無いのだ。続々と運ばれてくる感染者。私映像はこの医療崩壊の現場を、世界中のリーダーたちはきっと見たはずだと思った。いまだかつてないウイルスの恐怖を見て、都市封鎖を徹底させる指示を出した。きっと日本のリーダーや、オリンピックの関係者も見たはずだ。が、こんなヤバイのが国民にバレたら、オリンピックどころじゃない。様子を見ることにしようとなったのではないか。世界のトップであるアメリカが、まさか、まさか、まさかとなっていてビックリした。我が国の内閣官房の情報収集力は、世界でもトップクラスという。新型コロナウイルスを甘く見て、水際で防げると過信していた。オリンピックがパァーになっちゃうと思い、毎度、毎度の忖度と隠ぺいとなった。小池百合子知事は、都知事選を七月に迎えていて、勝利は不確かだった。自民党都連は反小池百合子で固まっていたはずだ。ニューヨークの映像を見た小池百合子知事は、一大機会が来たと思ったと思う。“五輪”が“誤輪”になったのはここからであると、私映像は思うのだ。戦争は一瞬の見誤り、一瞬の判断ミス、一瞬の隙きが大敗北となる。ミッドウェー海戦の大敗北は、日本軍の過信と、魚雷にするか、爆弾にするか、指揮官の判断ミスが大きなロスタイムを生み、アメリカ軍に攻撃体勢を生む時間を与えた。そして大敗北となった。朝からステーキを食べている国と、メザシにタクアンの国では、勝負になるはずがない。私映像は昨日夜総理大臣の記者会見を見ていて思った。あらゆる怪しい数字、オイシイ言葉より、アメリカの医療現場の崩壊映像、若い人でも猛烈な痛みで命を失う映像を、日本全国にある、いろんな会社の映像広告の変わりに見せたら、一瞬にしてみんな家の中にいようと思うはずだ。結局小池百合子都知事の一人勝ち。私映像が敬愛する“ルー大柴さん”みたいに、英語と日本語を、ミックス交ぜて“三つの密”という言葉を残した。政府もこの言葉を使わずにはならないこととなった。密閉、密集、密接。私映像は新型コロナウイルスで終るかも知れないと思った。すべては五輪のために立ち遅れた。ある人は、ちゃんと検査をしたら本当は何十倍も感染者が出るといった。200万円とか100万円とか、ややこしい手続きをしている内に、出血多量で会社も店も、人々も終ってしまう。ドイツは三日で本人の手に支給、日本国は早くても二ヶ月後位、それも手続重視、書類重視の役所に行ってのことだ。公務員の役人にとって書類は命、天と地が引っくり返っても、公文書や重要書類は残すのが掟だ。戦時下の大統領として有名な、フランクリン・ルーズベルトは、四期在任した。残した数々の言葉の中に、「嘘を何度も繰り返しても真実にはならない」と。戦時下一年間、ラジオから国民にメッセージを送りつづけたという。トランプ大統領でも二時間かけて記者に応じる。ハイ時間です、次があります、ハイここまでと仕切る記者会見に、緊急感は、ない。やってる感だけだ。(七日間で四回だけ)ホントは、何時間でも応じたいと総理大臣は思っているかも知れない(?)。次に予定がが定番の仕切りだが、首相動静を見ると、七時か八時頃には家に帰っている。(又は官邸泊)私映像は日本のスポンサーに、屋外広告の映像を、アメリカの医療現場の映像に変えることをお願いしたい。何か笑える話、明るい話を書きたいと思っているのだが。東海道線の中もガラガラであった。誤輪(オリンピック)がなければと思う。海外メディアは一斉に日本政府の対応が後手後手で、とんでもないことになると報じている。岩手県と島根県、鳥取県は今だにゼロ、ヨソから決して来てくれるなとガードを固めている。昨夜、名作「ベニスに死す」(“ペニスに死す”ではない)と「大人は判ってくれない」を見た。何度見てもいい。私映像は映画があれば、狭い所に何年間でもいられる。実は孤独に強いのだ。
2020年4月7日火曜日
第46話「私は奴隷」
私は「奴隷」である。私と同じ現代人も奴隷である。100年に一度といわれる新型コロナウイルスの襲来。つい四ヶ月程前の正月、私奴隷は箱根駅伝に声援を送っていた。今私奴隷は家から出ること“慎しんで”いる。3日間が経ち私奴隷は考えた。私奴隷も現代人も「自由の奴隷」になっていると。文明の進化、SNS全盛、人工知能Alの台頭、人間は目に見えない電波によって、あらゆる自由と便利を手にした。スマホ一台あれば何でもできる自由。PC一台あれば自由は知らなくていいことまで知る自由。老人も大人も、三つ四つの子どももスマホやPCを使いこなせる。自由と便利はさらに5G、6Gと進む中で、実は私奴隷も現代人も、自由の奴隷になっていた。バーチャルな時間、スキャンダラスなニュース、フェイクニュース、エログロナンセンス。ワンタッチとか、マウスの動きが生む快楽という自由の奴隷である。私奴隷たちは自由を手にして、実に不自由になった。どこで、誰と、何をし何をどう食べたかが、瞬時に分かってしまう。知られたくない家族や一族の過去や秘密。知りたくもない他人の家族や、その一族の過去の秘密も目の前にある。自由の奴隷になった人類より、アマゾンの原住民「ヤノマミ」の方が、自由に見える。文明を拒否しているからだ。私奴隷はそう思った。一日中金もうけの話をする金の奴隷。権力争いをする、権力の奴隷、異性を追いつづける、性の奴隷、何でもかんでも知りたがる、情報の奴隷。自由と便利の奴隷が、私奴隷であり(スマホもPCも使えないが、人を介して使っているのと同じ)現代人といえる。小学生が将来何になりたいか、とのアンケートの第一位が、ユーチューバーであるという調査があった。新型コロナウイルスは、あらゆる自由と便利を手にした現代人に、世界中マスク不足という問題をつきつけた。権力者も大会社のオーナーも、人気者のスーパースターも、巨万の富を手にした者も、“ギブミーマスク”なのだ。文明の進化の先きにあったのが“マスク不足”なのだ。100年に一度の混乱と混沌から、私奴隷は忘れてしまった大切なものを、思い出さねばならないと思った。敬愛する天才中野裕之監督の「ピース・ニッポン PEACE NIPPON」が、ネットフリックスで見られるようになった。天才が電話で教えてくれた。超絶的美しさのニッポンの風景を、そこに行かずに見れる、矛盾するが、自由と便利の恩恵に私奴隷は見とれた。(何度見てもニッポンは美しい)小泉今日子さんと東出昌大さんのナレーションもいい。タイトルデザインは、天才葛西薫さんだ。ぜひ見てほしい。主題歌に涙するはずだ。現在四月七日午前六時二十九分四十三秒。英国のジョンソン首相が病状悪化ICUに入ったとニュースが報じている。おそらくアウトになるだろう。ノドに魚の太い骨が、突き刺さったような激痛がずっとつづき、睡眠導入剤も効かず眠れなかったと、ICUから生存した人の話が新聞に載っていた。私奴隷はこれからアチコチに露出する。倒産、破産、夜逃げ、廃業、閉店、解散、縮小リストラなど見たくなく、聞きたくない話に、直面して行くことになる。サバイバルをかける私奴隷に解放はない。したたかな投資家は、人の不幸、世の不幸も、ここがチャンスとばかりに、株を買ったり売ったりしている。NYダウは1600ドル以上も値上りしている。正にハゲタカだ。日本のハゲタカも色メキ立つことだろう。お医者さんや看護師さんが、次々と死んでしまうウイルスで金もうけ、その先は地獄だ。やっぱりピース・ニッポンの映像を見て、天国気分となり少し眠りたい。私奴隷は眠りの奴隷でもある。オヤスミとオハヨーが共にある。大英帝国の首相がもしコロナウイルスで死んだら、その次は、そしてその次は……。目に見えない電波、目に見えないウイルス菌に世界は自由を奪われている。
2020年4月6日月曜日
第45話「私は胃袋」
私は「胃袋」である。人間には空腹を満たす胃袋と、あらゆる欲望を満たす胃袋がある。四月六日月曜日午前五時十九分〇八秒書き始める。家にずっと居なければならないので、新聞を整理したり、読みかけの本を読んだりする。読書は苦手なのでやはり映画を見たり、落語とか浪曲を聞く。見逃していた諸外国のテレビのドキュメンタリー番組を見たり、世界のドキュメンタリー映画やドラマを見る。私胃袋は人間という生き物が、この地球上で最も性質の悪い生き物であることを改めて思った。人間は生きていくためには、何でも食べる。福山雅治は世界各地に行って写真を撮る。前夜コンゴの奥地で、チンパンジーやマウンテンゴリラ、ボノボという三種の類人猿を撮るNHKのドキュメンタリー番組を見た。それぞれ人間と同じ性質があった。オスを挑発するメス、そのメスを求めて死闘をするオス。勝ったオスは相手を引きちぎり、喰いちぎり、食べてしまう。地球上で自分と同じ仲間を食べる哺乳類はチンパンジーだけだという。(人間も人間を食べたという。戦争は空腹との戦いだった)私胃袋は思った。生き物には天敵が必ずいる。生き物の進化とは天敵から身を守るためのものだった。これは植物にもいえる。30メートル近いクジラから、木の中、土の中の小虫まで、人間は何でも食べて来た。人間には天敵がいないようであったが、ウイルスという天敵がいた。ウイルスは人間に入らないとその存在の意味がない。人間がこの世にいる限り、ウイルスは次々と進化して、人間を襲う。中国人はコウモリを食べてんだ、なんてオドロクが、人間は動く物はすべて食べる。動物園に行って動く物を見て、かわいいと言った生き物もすべて食べて来た。ウイルスは人間への復讐ともいえる。私胃袋の中に昨夜食べた。豚肉やアジや、明太子、ヒジキ、トマト、ピーマン、キャベツ、タマネギ、お豆腐に納豆、鳥の産んだ卵、チーズやバターなどが入っている。それぞれの食べ物には、たくさんの細菌が宿っているが、人間は進化しながらそれらと共生している。新型コロナウイルスは100年に一度の強敵といわれるが、テレビでは大食いを競う番組や、激辛を競うものや、食べ歩き、食べ物のメニューの人気当てなどで大騒ぎをしている。人間の欲望の胃袋は人間を殺してでも満たす。昨日古い映画を三本見た。一本は「イコライザー」大好きな「デンゼル・ワシントン」主演、元CIAの凄腕とロシアマフィアの果てしなき欲望との戦いである。当然何人も殺す。ハリウッドのパターン的映画だ。アメリカは善でロシアは悪の構図。二本目は近作「楽園」吉田修一原作、今売れっ子の監督「瀬々敬久」の作品、ある地方で起きた少女失踪事件。吉田修一ものは、実際に起きた事件を足したり、引いたり、掛けている。(他の作家も殆ど同じ手法)地方に透け込むのは、ヨソ者には並大抵ではない。地方には恐い因習が深く残っていることを、私胃袋は改めて知る。50年酒を飲み交わし同じものを食べ合っても、ヨソ者には、心を開かない。その土地には、その土地の過去があり、決して楽園ではない。三本目は、「エージェント」トム・クルーズの若き日の作品。13年位前のものである。スポーツ選手のエージェント(代理人)の話。アメリカのプロスポーツ選手の胃袋は、マネー、マネー、マネーである。駆け出しのエージェントであるトム・クルーズが、欲望渦くスポーツ界で、金と名誉を漁る仲間入りを目指す。つまんない2時間であった。プロスポーツ選手は、巨額のCM契約を取れるエージェントを選ぶ。午前六時三十六分四十二秒、テレビのニュースを見る。イギリスのジョンソン首相が入院。安倍総理明日にも緊急事態宣言とか。昨夜フジテレビの夜の番組で、嫌味なしゃべりの木村太郎が、今の日本はまるで小池総理みたいだと言った。安倍総理シンパの作家百田尚樹とか、経済学者高橋洋一とかが、いよいよ見限って反安倍メッセージ、次なる飯の種を探しはじめた。この者たちの好物は、権力者のおこぼれである。胃袋に毛が生えている連中である。有事の時に国のリーダーの資質がハッキリ分かる。カジノ育ちのトランプ大統領は、マスクは輸出しないと、ダッチロール状態で再選に赤信号。欲望を満たすにはもうトランプではダメだと、国際ユダヤ資本家は見限るだろう。私胃袋は紅茶とロールパンで空腹をやわらげ、朝刊を読む。お隣の奥さんが裁縫上手で、一夜にしてタオルからマスクを作ってくれた。すばらしい作品である。私胃袋は、これからの戦いのために、空腹に耐える訓練をはじめねばならない。(文中敬称略)
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2020年4月3日金曜日
第44話「私は座席」
私は「座席」である。私の仕事は主に店に来たお客さんを座らせることだ。私は木製であったり、布製やレザー張り、畳に座布団であったりする。私座席が何よりうれしいのは、私座席の上にお客さんが座ってくれることだ。新型コロナウイルスを感染させないために、飲食店での時間を自制すべしという空気になった。強制力はないがこれ以上の拡散は止めねばならない。私座席は、店のオーナーや、店主や、店長の客待ちの辛い顔を見るのは、ヒジョーに心地よくない。現実は厳しい。鴨せいろが人気の「銀座長寿庵」はいつも満席なのに、お客が三組しか座っていない。ちらし寿しが美味しい、「新富町寿し辰」はお客さん二人だけ。ハンバーグがマアマアの水天宮「ガスト」は、お客さんが二組と女性一人とガーラガラ。マカロニグラタンが旨い「茅ヶ崎ジョナサン」は、老人夫婦一組とオバさんたち四人だけ。あんぱんで有名な「銀座木村屋」私座席は、ここの3階のビーフシチューが好きである。その日は2階でミックスサンドと珈琲をオーダーした。お客さんは若い男女一組だけ。いつもは満員電車のような1階のパン売り場はガラガラ。下手なイタリアンレストランより、ここのパスタの方が全然いいと思う「銀座椿屋珈琲」はお客6人。ここの天丼がいちばんと信じる、「辻堂五島」にはお客さん二人。雨が激しいので仕事場の前にある「鮒忠」に行くと、誰もいない、で、入らなかった。私座席はこの現実を見て思わず“悪夢”だと口走った。この一週間、一人で、あるいわ友人と、又知人と行った店だ。それぞれ昼時だったり、少し遅めの昼だったり、夜六時頃とか、八時頃のことだ。私座席が行った時、丁度空いていたのかも知れない。(そう願いたい)私座席の会社も、今日から“テレワーク”を始める。社内は空席だらけになる。パソコンもスマホもない、正しくは使えない私座席は手も足も出ない。オンボロのファックス機だけが頼りだ。私座席はお客が座ってこそその役目を果たす。昨日ボックス型タクシーに乗ったら、異常にていねいな若い運転手さん。私座席が座ると、ご乗車ありがとうございます。私は日本交通の○△です。ドアを閉めます。安全のためにシートベルトをお願いします。行き先をいうと、ハイ、□×へ行かせていただきます。ハイ右へ曲がらせていただきます。エッ、スミマセン、ラジオはついてません、ハイ、左に曲がらせていただきます。800円払って降りると、ご乗車ありがとうございました。又、日本交通をご利用くださいとなった。何だか座り心地が悪かった。日本交通は徹底しすぎていて不気味だ。(セダンは腰が痛いのでなるべく乗らない)私座席は早くお客さんが、たくさん座ってくれる日が来るのを願う。“悪夢よサラバ”と。昨日深夜から朝まで映画とドキュメンタリーを見た。映画は「人間失格」監督は蜷川実花。主役の太宰治を「小栗旬」、妻役宮沢りえ、愛人(A)を沢尻エリカ玉川上水で心中する愛人(B)を「二階堂ふみ」。坂口安吾を「藤原竜也」であった。出来栄えは、う~む人間失格への濃厚接触が希薄であった。ただ男と女が抱き合い、交わっても、人間失格とはならない。映像は色彩やなシーンと、思いっ切りダークにした、独特の蜷川ワールドであったが、美術のセットがいかにもバレバレであった。上映時座席にお客さんはたくさん座ったのだろうか(?)(つまりヒットしたかどうか)小栗旬はあと10年位年を重ねると、もっといい味が出るのではと思った。ドキュメンタリーは、アメリカで起きた女子高校生のレイプ事件。アニメと実写を使って実話を表現する。SNSによる噂さの拡散は恐ろしい。年頃の娘を持つ親とか、孫を持つジイジイ、バアバアが見たらゾッとする。ネットという暴力によって、女子高校生は自ら命を断つ。私座席なら最大限の復讐をする。午前五時二十四分二十一秒。外は明るくなっている。どんな政府案が出て来るかと思っていたら、国民一人ひとりに、布マスク2枚をと聞いて、私座席は席から落ちそうになった。その予算200億円、布マスクは全然「マスクデラックス」でない。(文中敬称略)
2020年4月1日水曜日
「閑話休題」
三月三十日米紙USAトゥデイ(電子版)に、「世界中が疫病と死と絶望に包まれている時に、なぜオリンピックの日程を発表する必要があるのか、「無神経の極み」だ。せめて暗いトンネルを抜けて光が見える時まで待てなかったのか。同紙の運動担当のコラムニストの記事があったようだ。私もコロナ対策をしっかりと先きを見て対策をしなければならない。冷静に判断をしなければならない。無神経の極みといわれないよう。長い付き合いの飲食店、バー、クラブの人からお客さんが全然来ない、来てよ、来てね、来てチョーダイと連絡が入るが、とてもそんな情況ではない。誘っても今は止めとくとなる。義理を欠くのがつらい。生き残りをかけたサバイバルゲームが始まっている。こうして書いているのも、無神経の極みかも知れない。午前二時いつもより二、三時間早くふとんに入ったが、レンドルミン一錠+サイレース一錠は全く効かない。仕方なくパジャマにベストを着て、ドキュメンタリーシリーズを見る。「フロイト・若き天才と殺人鬼」第一話「ヒステリー」第二話「トラウマ」第三話「夢遊病」を見ていたら、午前五時三十六分〇八秒を時計の針は通過した。ロックダウンされる前に出社して、いろいろやらねばならない。いつも無表情の美人アナウンサー「夏目三久」さんは、紙人形みたいだなと思った。NTVの報道番組のレギュラーも長いし、深夜番組で下ネタ話にも動じない。朝から深夜までよく働くなと感心する。ニュースはしたたかな小池百合子東京都知事にジャックされ、さながら選挙活動みたいになった。山本寛斎さんが白血病を公表、クドカンこと宮藤官九郎さんがコロナに感染。オリンピックの400メートルリレーの選手、サッカーの選手と続々感染拡大。今日は強風と雨、さらに雷とか。すでに雨音が強くなっている。女子ゴルフずーと中止、プロ野球も集団練習活動や試合などを中止。サッカーも中止。政府の有識者会議(?)総理大臣やあの財務大臣もマスク姿。奇妙な会議風景をはじめて見た。大阪の吉村知事が政府は早く、封鎖を、対応が遅すぎると記者に応える。こうなると、へそ曲がりの対応を側近たちと練るかも知れない。病院→遺骨になって帰って来た、「志村けん」さんが悲しい。若き天才フロイトの時代は、電気がなく、灯りは月の明かりと、ローソクのユラユラする灯りだけ。どんよりした暗い時代だ。やたらにコカインを飲むフロイト。シリーズに“無神経”はないようだ。雨が激しくなって来た。財界から緊急事態宣言を早く、都知事も早くと政府を促す。ずっと眠っていないのでバナナを食べる。珈琲を飲む。ついでにプチケーキを四つ食べる。脳が疲れているのだ。普段はほとんど食べない。コロナ問題で一番有名になったのは、白鷗大学教授「岡田晴恵」さんだ。朝・昼・晩アチコチのニュース番組に出ずっぱり、髪は乱れバラけて汗ばんだ顔や首筋にへばりついている。きっといい人なのだろう。が、日々疲労度が増している。ニューヨークの病院は“地獄絵図”とか「コンビン麻衣」さんという人が報告する。2~3週間後は東京もこうなるかもとコンビンさん。ジョルジオ・アルマーニが防護服のデザインをするとか。私の大好きなニューヨークのセントラルパークは、コロナのテント村になっている。今や日本国のリーダーが誰か分からない。北海道の若い知事、大阪の若い知事は対応と行動と実施が早い。台湾の蔡英文総統はさらに早い。ドイツのメンケルも復活。女性力はすごいと思う。厚労大臣の影が急にうすくなった。悪魔のようなあの民主党時代が口グセのリーダーだが、疲れ切ったピッチャーは交代したほうがいい。キャリア豊富なピッチャーに。顔色がすこぶる悪い森喜朗元総理ではもう仕切れない。日銀総裁になれずに、オリンピックに身を投じた。武藤敏郎は使えない。スネに傷のある者ばかりで、スポーツ音痴だ。延期を待っていたかのように、元電通専務高橋浩之がオリンピック招致で、9億円近い金を手にしていたかのような記事が出た。アメリカの新聞によると、来年開催できる保証は、何もないと書いている。スポーツマフィアが利権を仕切る、商業オリンピックは、見直す時が来たのだ。熱いシャワーを浴びていざ出陣だ。♪~ 上を向いたら キリがない 下を向いたら アトがない。「泣いてたまるか」故渥美清さんの歌声が聞こえる。圧倒的に数が多い、貧者が最後に残ると決まっている。(文中敬称略)
2020年3月31日火曜日
第43話「私は残念」
私は「残念」である。お笑い芸人の中でも突出した、大天才であった、元ドリフターズの「志村けん」さんが亡くなった。“大丈夫だぁ~”が決め言葉だったが、胃のポリープ(?)の手術後、弱っていた体に、新型コロナウイルスが侵入し肺炎を起こしたという。一日煙草三箱を喫う、ヘビースモーカーであった過去がある。今すぐ禁煙しても痛んだ肺は回復しない。20年位前に禁煙していないと駄目らしい。私残念は志村けんさんの大ファンだっただけに、残念である。享年七十歳、合掌する。私残念は医療現場で、その身をかけて患者に奉仕して、新型コロナウイルスに感染する、医師と看護師さんに、心から感謝と敬意を表す。私残念は思う。昨今、看護師さんになる女性が減っていることを。人間はオギャーと生まれる前、母となる人のおなかの中にいる時から、看護師さんのお世話になる。あの世に旅立つまで。人生とは、看護師さんとのおつき合いといってもいい。私残念は看護師さんとか介護士さんたちは、もっと、もっと優遇されるべきだと思っている。無駄な予算を削減し、もっと医療関係の施設に投じるべきだ。私残念は今度の新型ウイルス問題への、ドイツの対応を見て、愕然とした。日本と比べて格段に進んでいる。看護師さんといえば、英国のフローレンス・ナイチンゲールがそのシンボルだ。今年は(1820~1910)生誕200年であると知った。ナイチンゲールは、クリミア戦争の戦場で一日二十一時間働いたという。戦争中、殺菌処理をされていない肉や乳製品を食べて、感染症のブルセラ症を患う。心の傷も負った。発熱と不眠症、そして鬱に悩み歩行困難となった。九十歳で亡くなるまで、人生の半分をベッドで過ごしたと伝えられる。が、ナイチンゲールは五十年にわたり、医療、看護現場に革命をもたらす戦略家であったという。人の命は衛生管理によって防げる、あらゆる事象を統計的に分析して政府を動かした。看護服を生み、看護教育を生んだ。建築デザインも学び、病院の窓や照明、洗濯施設など病棟の基本を生んだ。病気と闘いながら、ずっとベットにいながら数々の提案をした。そんな記事を読んだ。(ロンドン、沢田千秋さん発)私残念はこんな人が国会議員の中から出て来ないかと思う。もっと政策立案能力がある経験豊富な人間が、国のリーダーにならねば、確実にこの国はロックダウンではなく、ノックダウンする。大天才志村けんさんが言う、“大丈夫だぁ~”でなく、“大丈夫じゃないよォ~”となるだろう。私残念はあの世から、“志村けん”さんより先に逝っている、“いかりや長介”さんとでこの国を、再び笑う国にしてほしいと願うのだ。笑いの前では「全員集合」だから。
(文中敬称略)
ナイチンゲール |
2020年3月30日月曜日
第42話「私は火口」
私は「火口」である。火口といえば噴火口のこと。活火山であればいつかそこから爆発の火柱と噴煙、火砕流があふれ出す。活火山が現在であれば、休火山は過去。死火山はあの世といえる。金曜日から日曜日は気が滅入ることばかりであった。恩人、知人、友人から入る電話は、コロナウイルスの影響で気が晴れるものはない。ただ金曜日の夜、親愛なる兄弟分と久々に会い、男気健在、意気軒昂、流石のセンスと根性に惚れ直した。又、大きな借りができた。(その侠気に)二次会はなしで会食後家路についた。暗く、重く、辛いニュースを見てから、映画を見た。映画の友から、白石一文原作、荒井晴彦脚本・監督の「火口のふたり」がNO1というほど、いい作品だと聞いていた。で、その作品をまず見た。舞台は秋田県である。顔を黒い布で隠して踊る祭りの季節である。それは過去を隠しているとか(?) 結婚式をするために一人の女が帰省して来る。久々に出会った、三十代後半の男と女は、かつて恋人同士であった。男は子を一人持つが、浮気がバレて離婚していた。フリーターである。女は四十代になるまでに子を生みたいと思い、自衛官との結婚を控えている。(子宮を痛めている)二人は若い時から激しい肉体関係を持っていた。その行為の数々を自撮りして、アルバムとして残していた。男と女は女の相手があと5日後に、任務を終えて帰って来る。その後結婚式がある。それまでずっとSEXをしようと話す。私火口は女が大事に持っていた、冨士山の大きな火口を空撮した写真を、女が大事に持っているの見て、映画の題名(原作と同じ)の意味を知った。火口は女性であり、(暗闇のようなその中は子宮という宇宙である)男はそこに熱情を突き立てる。二人は五日間部屋で、走るバスの中で、ホテルで、露地裏で。キッチンで。風呂の中で、ひたすら性欲を爆発させる。だがこの映画は文学作品である。エロ映画ではない。現代版“愛のコリーダ”のようである。私火口は名優柄本明の息子、柄本佑と瀧内公美に賛辞を送る。すばらしい演技であった。二人共全裸で、人間の原点を演じる。タンタンメンを食べ、ギョーザやレバニライタメを食べ、ラーメンを食べ空腹を満たし、又、肉体を消費させる行為をする。きっと冨士山から火が出ていた頃、縄文人や弥生人たちは、生きるための労働をした後、食で腹を満たし、ひたすら子孫をのこすことに励んだのだろう。映画との違いは、男と女は働いていないことだ。私火口は見た。登場人物はほぼ主人公二人だけ、あとはエキストラの作品に、映画の原点を。新藤兼人監督の「裸の島」と同じだ。シナリオが抜群に良く、男と女とのからみの表現も抜群だった。さすがに荒井晴彦だけのことがあった。おススメの一作である。私火口はその後、黒澤明監督の「羅生門」三隅研二監督の「女系家族」という名作を見た。その後ネットフリックスで「汚れた真実」シリーズを見た。アメリカの銀行の腐敗、マレーシアの権力者の腐敗、コロンビアの麻薬王とそれに群がる人間たちの腐敗、チリの森林を伐採し、その地下鉱脈にある金を採出して、莫大な利益にと資金洗浄する、腐敗した人間たちを見た。私火口は思った。大自然を怒らせた人類は、きっとポンペイのように火山の大爆発のようなもので滅ぶのではと。新型コロナウイルスは人類を滅ぼすための、大自然からのメッセージではないかと。不要不急以外出るべからずを守るために、20時間位映画とドキュメンタリーシリーズを見た。「世界の麻薬王」シリーズは見応え十分であった。私火口は三月二十九日日曜日、冷たい雨、時々雪の日、これを書いている。午後三時四十分テレビの画面には、東京都内で最多の感染者が出たことを、テロップで流していた。義兄弟とは、ずっと活火山の関係でいたいと思った。
(文中敬称略)
2020年3月26日木曜日
第41話「私は出張」
私は「出張」である。仕事で東京を離れていた。仕事の内容はこれから仕上げるため、書くことはできない。新幹線はガランガランであった。私出張がいままで経験したことがないほど空いていた。フツーなら夜はスタッフみんなで食事をするのだが、コロナウイルスが拡散しているので、夜仕事仲間のプロデューサーと、新幹線へ乗って帰路についた。私出張は夜遅く帰宅してニュースを見ながら、たまっていた新聞を読んだ。午前二時半頃までかかった。私出張は思った。この国は●人の命ファーストか(アスリート含む)●世界大運動会ファーストか ●リーマンショック以来の不況対策ファーストか ●世界と協力して新型コロナウイルス開発ファーストか ●世界大運動会利権ファーストか ●クーベルタンが提唱した真のオリンピック憲章ファーストか ●大企業優先か中小企業優先ファーストか ●安倍政権維持ファーストか ●東京都知事選挙ファーストか ●株価大暴落、円安対策ファーストか ●小・中・高校授業開始ファーストか。等々いろいろであった。で、私出張はもし世界人類の人命ファーストか、世界大運動会ファーストか。(商業化になりすぎて、本来のアマチュアイズムでなくなった)世界規模の大不況対策ファーストかの三つに絞った。テレビ、新聞マスコミは殆どオリンピック延期一色である。バカ者、マヌケ顔、ヒマ顔がいつもの如く揃って、アーダ、コーダ、ソーダと大騒ぎ。もううんざりで大運動会延期は私出張の中では中止にした。報道ステーションの後藤謙次氏のみが鋭く分析していた。私出張は日本国という世界で唯一の被爆国、いまだに主権米国で独立国ではない、数奇な運命の国の将来に暗雲を見た。この国は世界史にも類のない終り方をするだろうと。一日でも早く嘘八百から脱しないと、天は怒りの刃を向けて日本列島を切り壊すだろう。2月13日夜マグネチュード7.2の地震が北方領土択捉島沖で起きていた。そのことが3月24日の新聞に載っていた。震源が深く津波は起きなかったが、日本列島のアチコチでマグネチュード8.8クラスの大地震が、30年以内に起きる可能性が「7~40%」あるという。日本列島は原発列島でもある。私出張は日本全国に行ったが、つくづく恐ろしい国だと思った。“嘘をついたら針千本飲まされる”と、幼い頃オトナからオドされた。私出張は反省しきりである。福島の汚染水は完全にアンダーコントロールしているという、大嘘から始まった世界大運動会は、ハナから天にツバしていた。一日たりとも防災を忘れてはいけない。私出張は、森友学園問題で自ら命を絶った、役人さんの遺書を読んで、再びこの国はすでに法治国家ではなくなったと思った。救国の星の登場が待たれる。私出張はこの人ファーストと思う人の死を悼んだ。からだの不自由な子どもたちの養護施設「ねむの木学園」の設立者にして、子どもたちのやさしい親であり、やさしい先生だった。「宮城まり子」さんだ。九十三歳であった。文壇でいちばん女性にモテたといわれる故吉行淳之介さんが生涯愛した女性である。小さな体、クリクリした目、宮城まり子さんは、歌手であり女優であった。「やさしくね、やさしくね、やさしいことは強いことよ」といって、子どもたちの側にいた。こんな人が必要な人なのだ。バカ者、アホ者、ヒマ者よといいたい。♪~「紅い夕陽が ガードを染めて ビルの向うに 沈んだら 街にゃネオンの 花が咲く 俺ら貧しい 靴みがき ああ 夜になっても 帰れない 「ネ 小父さん みがかせておくれよ ホラ まだ これっぽちさ てんで しけてんだ エ お父さん? 死んじゃった……お母さん 病気なんだ」私出張は少年の頃この「ガード下の靴みがき」を聞いて涙した。宮城まり子が歌った、大ヒット曲だった。♪~「なんでこの世の 幸福(しあわせ)は ああ みんなそっぽを 向くんだろ」でこの曲は終る。生涯を弱者に尽くした。その死を悼むテレビは一局もなかった。バカヤローなマスコミだった。私出張はきっと時間をつくりお墓に参る。“人の命ファースト”なのだと、深く思った。
2020年3月23日月曜日
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