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2020年4月9日木曜日

第48話「私は貫目」

私は「貫目」である。貫目とはその人間のスケールの大きさ、器量とか度量をいう。あいつとあいつでは、貫目が違うとか、あの人とあの人では、全く貫目が違うなとかに使われる言葉だ。貫目が軽いとみられると、掛け合い(交渉ごと)の時、安く見られる。アイツはスヤイ(安い)となる。私貫目は芸を売っている身なので、自らの体重ほどの貫目しかない。新型コロナウイルスに対して無重力であり、世の中に何も貢献できない。国を盛んにするのも、滅ぼすのもひとえに政治家の貫目による。ネットフリックスで「ローマ帝国」の長いシリーズを見たせいかも知れない。歴代の皇帝たちは、元老院の力と側近の裏切りで滅びた(ブルータスお前もか)。外出できず家の中に軟禁状態なので、ダルマさんになっている(手も足も出ない)そこで活躍してほしいのが、選挙によって選ばれた代議士(選挙民の代表)である。その中から大臣という役を務めるものが、国家国民のために思案思考し、無辺に行動しなければならない。歴史には後世振り返ると、国民が塗炭の苦しみを味わい、国が滅んだのはアイツのためだという、キーマンの人間がいる。今、このキーマンになりつつあるのが、新型コロナ担当大臣(経済再生担当でもある)「西村康稔」だ。100年に一度の疫病災禍の重大事に、大臣としてのキャリアがない、貫目の軽い人間が事に当たっている。国民にとってこれほどの不幸はない。政治家の番付でいえば「平幕」位である。その軽量大臣が、国家の存亡を右往左往しながら、ヨタヨタ、ヨロヨロ、キョトキョト、ニタニタと担っている。私貫目はここ数日、政府と都知事とのやり取りを見ていて、この国は生き残れるのだろうかと、真底思っている。パシリという言葉があるが(使い走り)西村康稔クラスの軽量では、単なる政府と諸官庁、諸大臣、諸業界との使い走りでしかない。仮りにこの重大事を乗り切る貫目のある歴史上の人物をいえば、江戸時代の名君「保科正之」とか明治時代なら「西郷隆盛+大久保利通」クラス、あるいわ児玉源太郎。昭和なら田中角栄とか後藤田正晴位の貫目がないと乗り切れない。官邸内に何が起きてるのか分からないが、何故西村康稔なのかと私貫目は思う。今すぐにでも与野党を超えた救国のチームを編成すべしだ。批判はされたが、野党には東日本大震災で多くの事を学び経験した代議士もいる。又、自民党内には豊富なキャリアを持つ代議士がいる。西村康稔に歴史的大役が務まる訳がない。ワイワイガヤガヤのテレビのニュースワイドショー見ていると、いよいよこの国は危ういと思う。政権の使い走り田崎史郎がアチコチテレビ局をハシゴしている。かつては時事通信の闘士だったらしいが今では、エセジャーナリストになってしまった。私貫目は重ねていう、日本を代表するあらゆる分野の英知と、代議士としてのキャリアのある人たちを結集して、救国のチームを作るべしと。又、在野にいるであろう、優れた人物を頼りにせよと。三国志では劉備玄徳が、諸葛孔明を山の中に訪ね、三顧の礼を持って迎い入れた。理容室がどうだとか、ホームセンターはどうだとか、名古屋外しだとかいってる場合じゃない。世界の英知とも共力し、国民の命を守るにはどうするのかだ。などとブツブツいいながらニュースワイドショーを見ている。私貫目はダルマの自分が情けない。この期に歴史を学ぶことにする。(文中敬称略)


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