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2020年4月20日月曜日

第54話「私は電話」

私は「電話」である。私電話は今では携帯が常識である。私電話はガラケーというのを五年程前から使用しているのだが、上手に使いこなせていない。留守電入れておいたけどとか、ショートメールをしておいたけどと言われても、そのやり方がよく分からない。多くの人にご迷惑をかけている。どえらいお叱りも受けた。今日は昨日とうって変わって二月頃の温度で寒い。そして雨がシトシト降っている。懲役刑には労役という労働があるが、禁固刑には労役がない。私電話は今は座敷牢内で禁固刑を務めているような状態だ。労役をすれば一日いくばかの日当がもらえるが、私電話は一日何もしないと、無収入となる。人間働ける内は働いた方がいいというが、今改めて仕事のありがたさ、働くことのありがたさを知る。つれづれなるままにガラケーを手にして、すっかりごぶさたしている人に電話をする。そうすると相手の方が、まるで宝くじで一万円が当たったように喜声を出してくれる。イヤー久しぶりから始まって、コロナ、コロナと話は弾み、互いに分析をした情報を交換し合う。電話で話ができてよかったよ、なんか元気出たよ、毎日家に居て、女房子どもとしか会話をしてなかったからね、やっぱり朝起きてさぁ~、行く場所があって、いろいろ予定があって、働けるというのは、ありがたいことだったんだと思うよ。どんな仕事でも今はやりたいね、と殆どの人は言う。私電話も同じである。この先どうなっちゃうんだろうかと、電話のラストはなるのだが、分からない、とにかく人に迷惑をかけないように、座敷牢で禁固刑を務めることにしよう、じゃ又、コロナに気をつけてで終る。今会話をしたがっている人が実に多いのではと思う。家庭内感染が増加しているようだ。家族同士でも2メートル離れて会話を、なんて言われても狭い家に住んでいる身にそれは無理な話だ。もっとも私電話のところは、ずっと不要不急以外の会話はしないできた。なかよしこよしの家族とか、会話大好きな夫婦や家族の家は、口にマスクして日常会話をしなければならない。家庭が無口になると、ストレスは倍加するらしい。が下手に話をしすぎると、えっ、何その話知らなかったけどとボロが出たりする。十分気をつけねばならない。コロナはこれからが本番らしい。ずっと昔ラジオの人気番組があった、題名は忘れたがそれは、電話による人生相談だった。忘れてないのがパーソナリティの山谷親平さん(故人)が言った、決め言葉「絶望は愚か者の結論なり」だ。人間生きていれば勝負ができる。「人生とはあの世までのひまつぶし」と言った賢人もいる。人間はその人、その人の決められた運命線の上を走って行く。あの人はどうしているのだろうか、あいつは元気だろうか、そう思ったら一日一人か二人に電話をしてみよう。人間は声で会うことができる。明日はいい天気だと、天気予報士が言っている。20世紀最大の文豪と言われる、フランツ・カフカは、絶望の名人とも言われた。カフカは結核で死ぬまで、実直に労働者傷害保険協会に通勤した。そのカフカの言葉にこんなのがある。「すべてのお終いのように見えるときでも、まだまだ新しい力が湧き出てくる。それこそ、お前が生きている証なのだ」夕刊を取りにポストに行くと、「茅ヶ崎市保険年金課保険料担当」から通知が来ていた。バーロ高い税金を取って、スズメの涙だと思いつつ封を切って中を見ると、ややこしい書類を提出してくださいとあった。オッ還付金なのと思い、よく読んだら、3月分1000円の還付だった。今日は寒い。でも明日は暖かい。あなたの電話を待っている人が、きっといる。私電話はそう思う。

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