私は「支給」である。かつてこんな怒声的フレーズがテレビドラマから放たれて、大ブームとなった。確か安達祐実さんであった。「同情するなら金をくれ!」と少女は叫んだ。ドラマの名は忘れたが、フレーズは忘れていない。今、日本中で支給は至急にと怒声が叫ばれている。私支給は上からの命令がないと至急にと怒っている人に支給されない。私支給の支給源は、そもそも国民が納めた税金である。政府とはこの税金をどう使うかを任された機関である。私支給は怒る、税金を納めるのを少しでもおくれたら、日曜日でも納税をしてくださいと電話してくる。一度茅ヶ崎市の女性職員に、なんで日曜日に電話するんだよ、と言ったら、平日は家にいらっしゃらない人が多い、日曜日の夜七時頃がいちばんいらっしゃるからだと言った。至急か! バーロと言って電話を切った。現在日本国政府の指揮系統がパニックになっているようだ。総理大臣の言うことと、官房長官の言う事に差異が生じ、財務大臣は与太者みたいに自論を放ち、コロナ担当大臣は目を泳がせながら、他国の例を持ち出し意味不明。でもって自民党の幹事長は、何をモタモタやってんだ! ややこしい支給方法で、ケチケチすんじゃネエとばかり、一律で10万円支給を至急せよとスゴミを効かした。本来厚労大臣が担当すべきコロナ問題を、笑い顔で評判がよくないからと外したのか、実は年金の支給を75歳に引き上げる法案を、ドサクサに乗じて成立させるために、その注力を発揮せよと役を命じているのかも知れない。コロナ、コロナと大騒ぎをしている今、この悪企みの法案の審議は進むはずだ。与太者風財務大臣は、財務官僚にとって使い放題だ。総理大臣への記者会見で外国人記者が、“コノコロナウイルスモンダイノセキニンワドウナルノデスカ”みたいに資問したら、総理大臣は一瞬ドキッとして、ソレは私が責任をとればいいと言う訳ではないのですが、ソ、ソレは麻生副総理がつとめることになると思うわけであります。私支給の元締財務大臣はこのひと言で、あわよくば例え一日でも、もう一度総理大臣と呼ばれたい色気が出たようだ。実のところ国民になんか全然目がいってない。権力争い真最中なのだ。私支給は至急されるべきなのだが、この国のエリート役人は絶対に自分に失敗のツケが来て、出世のジャマになることはしない。国民の命より自分の肩書き命なのだ。かわいそうなのは現場の役人さんで、ややこしいことを、もっとややこしくすることの処理に追われる。国のリーダーが、私が責任を持つさっさと支給しろ、ややこしい手続きをカンタンにしろ! と言えば至急に支給される。やっぱり貫目が重い人物、キャリア豊富な人物がリーダーの脇にいないと今起きている状態となる。野球用語でいえば、“ベンチが軽い”となる。官邸を仕切っているのは、現在選挙で選ばれていない、官僚出身の補佐官だと言われている。現在午前五時九分四十一秒、早朝のニュースでIT担当大臣がいることをはじめて知った。マスクで顔がよく分からなかったが、あなたは誰! と言うかんじだった。シドロモドロであった。ITでコロナ感染症を追跡するんだとか。医療現場が崩壊している。権力争いをしている場合じゃない。“ビートたけし”は国会議員を半分にすればいいと言い。“鶴瓶師匠”はソファーに座ってお茶飲まずに踊りはりゃよかったのにと。“星野源”は何の連絡もなかったですよと言う。私支給の近所の奥さんたちは、いまさらマスク2枚もらったって、バカにすんじゃないわよ、500億円近くも使ってさと怒る。ノーベル賞受賞の博士は、100億をワクチン開発に回すべきだと叱かっていた。民主党政権時代を悪魔のようだったとよく言っているが、今や悪夢のような政権だったと、歴史にクッキリ残るはずだと思う。私支給は至急にが鉄束なのだ。今年は小庭に咲くと期待していた、牡丹の花が咲きそうにない。花芽が一つも出ていない。やけに寒い朝が来た。このまま夏もなく、秋もなく、尾羽打ち枯れたような冬になるのだろうか。太陽は別名“コロナ”とも言う。(文中敬称略)
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