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2020年4月17日金曜日

第53話「私は徒歩」

私は「徒歩」である。私徒歩はずっと家の中に居ると、足がシビレてズキズキと痛むので、大雨が降っていなければ小一時間歩いている。私徒歩は家からどこまでいったら、何分かかるか分かっている。10年間雨ニモ負ケズ、風ニモ負ケズ、夏ノ暑サニモ。冬ノ寒サニモ負ケズとにかく歩いた。鬱との闘いの日々であった。起きているとずーと眠くならない。三日間起きていたことがある。仕方ないのでスポーツウェアを着て私徒歩は歩いた。まい日同じコースだとつまんないのに気づいてから、今日は江ノ島に向かって、今日は烏帽子岩に向かって、今日は鉄砲通り、今日は桜花園通りとトホトホと歩いた。海岸側のサイクリングコースを歩いていると、顔なじみもでき、軽いあいさつを交わすようになった。長いのは寒川神社まで往復した。(約6時間)江ノ島の灯台まで歩くと、片道2時間半位であった。鬱ぽいヒトは、最初はひどくツラク、シンドイが、まずは15分歩くことから始めるといい。実は一センチでも動くのがシンドイ時の、15分はキツイ。私徒歩はパジャマの上に、スポーツウェアを着て始めた。早朝四時半頃であった。11月の初めすでに寒かった。私徒歩のそんな姿を見た地元のタクシー運転手さんが、海岸に釣りに来ていて、どうしたんですかヨロヨロ歩いてと言った。眠れないんだよと私徒歩は言った。そうか人間は霊長類の2足歩行動物なのだと思った。初めは15分がシンドかったが、やがて20分、25分、30分、40分、50分、60分、100分が平気の平左になる。強風の時は砂が目に入る。雨の時は合羽ごとビショビショになる、雪の日はズボッズボッと足が入る。これが楽しいな、となっていった。真夏の炎天下江ノ島の水族館まで行く。暑いのなんのだが、帰り道海浜公園内の売店で大好きなメロンソーダが待っている。全身汗ビッショリで売店の椅子に座る。よく冷えた彩やかな緑色のメロンソーダは別格に気持ちいい。少年の頃から大好きであった。銭湯の名糖コーヒー牛乳より好きであった。一年二年と歩くと、私徒歩はアルキ中毒、アル中になっていた。出張の時はスポーツシューズをバックに必ず入れた。海外にロケに行く時も必らず持っていった。アル中だから歩かずにはいられないのであった。五年、六年となると歩きながら、何故か五木ひろしの「よこはま・たそがれ」を口ずさんでいた。~ よこはま たそがれ ホテルの小部屋 くちづけ 残り香 煙草のけむり ブルース……あの人は 行って 行ってしまった もう帰らない~。こうなると私徒歩はアタマの中の鬱がウソみたいに消えて、かなりウキウキとなっていた。「よこはま・たそがれ」は私徒歩の特効薬であった。他には北島三郎の「風雲ながれ旅」とか、竜鉄也の「奥飛騨慕情」であった。私徒歩には演歌がいいリズムを生んだ。今、相当の人たちが、コロナウイルス連休で外出ままならず、気分は鬱々としているはずだ。私徒歩はぜひ歩きなさいとアドバイスをする。血の巡りがすこぶるよくなること間違いなし。昨日午後四時十五分頃、近所の辻堂海岸から江ノ島方向に向かって私徒歩は歩いた。海は荒れていた。サーファーもいない、釣り人もいない。砂浜でサウンドウエッジの練習している人もいない。風がかなり強かった。私徒歩は歩きながら、高名なアートディレクターの方から届いた、一枚のハガキの文章を思い出した。かわいい愛犬がペン画で描いてあった。「親方、この国はどうなるのでしょう(?)」と書いてあった。スタッフは在宅とのことだった。この御方が、ある出版社のすばらしい新聞広告を正月発表した。おそらく今年度NO.1のはずだ。気がかりなのは、WHOの日本人ドクターが、テレビのインタビューで、日本が今出している数字は、全然少ないと思う、検査をしていないから、本当は今の10倍位は感染症がいるはずだと。私徒歩はつくづく嘘つき国家だなと思った。医師の方たち、看護師さんたちに一律100万円払ってもいいと思った。108兆の予算の中味は嘘ばかり、真水は38兆位でしかないらしい。「108」という数字は意味深である。除夜の鐘の数だ。私徒歩はいよいよ政権が大昨晦(年の終わり)に近づいていると思った。気分が晴レバレしないヒトへ、さあ~スマホを置いて歩きなされや。
                               (文中敬称略)   
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