ページ

2020年4月28日火曜日

第59話「私は電気」

私は「電気」である。私電気には忘れられないことがある。少年の頃、私電気は暗くなると家に帰り、茶扶台の上に乗って電気をつけるのを心掛けた。亡き母が外へ働きに出ていて、私電気たち六人の子を育ててくれていた。父を亡くしてから母は、小・中学校に問題集や文房具の販売をしていた。重い見本を持って歩き回る。絵や書道の道具、裁縫の道具や運動用具なども注文をとっていた。まい日帰りが遅い、幼稚園に迎えに来てくれるのは、いつも暗くなっていて、私電気は一人園長先生と母を待っていた。(天沼幼稚園をよく憶えている)暗い中で手をつないだ母の手はすべすべしてあたたかであった。フツーの子より一年長く幼稚園に通った。小学生になった時から家に帰り、私電気は電気をつけた。兄姉は学校や仕事に行っていて、明るい内には帰って来ないからだ。私電気は伝書鳩を飼っていたので朝と夕方にエサをやり、一日一回は飛ばしてあげないと鳩が運動不足で病気になる。ニワトリが四羽いてエサをあげる。猫と犬が一匹づついてエサをあげ散歩をさせる。母が働きづくめで疲れて帰って来て、暗い家だとかわいそうなので、私電気は電気をつけて、雨戸を閉めた。そして遊びに出た。自転車に乗って友だちがいるところに向った。この習慣は長くつづけた。ある日いつものように家に帰ると、まっ暗い茶の間に長兄が一本のローソクを立てていた。停電かと思ったが、近所の家は明るく電気がついていた。七時半頃母が帰って来て、あらどうしたの、あっ電気料金を払ってなかったから止められたのねと言った。私電気は長兄と自転車に乗って、荻窪の四面道という所にあった、電気会社の営業所に行ってお金を払った。家に帰ると電気がついていて明るかった。私電気はそれ以来電気会社が嫌いになってしまった。後年仕事をさせてもらった時、この時の話をした。今、何故こんな古い思い出話(エッセイ本にも書いた)を書くかと言えば、私電気たちは今新型コロナウイルスの問題でこれ以上なく暗い中にいる。検査数を発表せずに、感染数だけを発表すると言うイカサマ数字で、明日という日が“明るくない日”の思いを強くしている。国を明るくするのが国の役目だが、イカサマが横行している。私電気はずっと東海道線に乗っていないので、私の大好きな変な乗客とか、オモシロイ乗客を見ていない。昨日久々に東京へ向ったが、列車はガラガラであった。ステイホーム週間とか、またまた都知事がカタカナ語を発した。“家にいよう週間”の方が、ご老人や子どもに分かりやすいはずだ。ずっと家に居ると明るい話ばかりではない。この先を考えるとそれぞれ暗い話となる。私電気はきっと電気代も払えない家が出てくるだろうと予測する。466億円の予算をとったアベノマスクの配布はまだ4%、品質不良で検品やり直し。 “にわか業者”に5億2千万円の隋意発注(指名)実際にマスクにかかる費用は、まっ暗闇の中。コロナで座敷牢生活をしている中で、網淵謙錠(故人)の「乱」を読んだ。幕末から明治までの詳細な本である。いかに国を守り、国の将東を考えていたか、諸外国と丁々発止のやりとりができる、人材教育に投資をしていたかが分かる。幕末・江戸末期の徳川家には、有能な人材が実に多くいた。私電気は思う13人に一人が、学費が不足していて退学を考えているという、大学生さんを守るために、予算を使うべしと。国を明るくしてくれる人材を育てなければ、この国の未来はない。マスクは作れるが、有能な人材はすぐにはつくれない。“学力は電力だ”、私電気はそう思うのだ。(文中敬称略) 

 IMAGE




0 件のコメント: