こんなことを書いてはいけないのかもしれない、否きっといけない。だが、もし大事件が起きた時のために、読者(いないかも)に知らせておきたい。私は可愛い後輩と、今ある仕事をしている。東京で活躍していたのだが、長兄なので、年老いた母親の面倒を見るために、国に帰った。奥さんと共に(子はいない)二人兄妹であった。妹さんは若い頃にヤンキーであった。その頃の男性と結婚して娘が生まれた。後輩の姪っ子である。その後妹はダンナと別れ、元ダンナとまた一緒になった。 姪っ子にはダンナがいた。ボロ屋敷だが他の土地とともに2000坪以上の資産があった。と言っても一坪売り値で1万円位だという。が、ともかく2000万円位の財産はある。 後輩は働きながら奥さんと共に、年老いた母の面倒を見ていた。施設に行ったり来たりした。かなり認知症が進んできた。そこに妹夫婦が入り込み、さらに姪っ子夫婦も絡んできた。過日後輩は姪っ子のダンナにボッコボコにされたという。もちろん警察や、市の相談室に行き、事情を説明した。ご近所の人々にも、このままだといつかあいつらに何かするかもしれないからと。だがさしたる相談相手になってはくれない。そして遂に後輩は兄妹の縁を切る。そして奥さんと家を出て行く。長男としての遺産の権利を放棄すると、親戚にも伝え家を出た。年老いた母が今後どうなるかはわからない。年金は皆使われてしまっている。母親が死んでも仕方ない。顔の形が変わるほど殴り蹴られた憎悪は、忘れられない。何をするかわからない自分が恐い。すでに何が起きているか年老いた母が心配だが、あいつらとは暮らせないと言う。今日本中でこんなことが起きている。老老介護している息子や娘、あるいは嫁さんの方が、先に死んでしまうケースも多くなっている。兄弟、姉妹は他人の始まりと言うから、ずっとずっと昔から遺産が絡むと急に、親類縁者が増える。このことに変わりはなかったのだろう。私の愛する後輩は、とても繊細だが明るくて働き者、決して泣きを入れない根性者だ。身内の問題は本当に気が重く厄介なのだ。これを忘れるには、我を忘れて仕事をして行くしかない。昨夜友人と打ち合わせ後、東銀座のおでん屋さん「かめ幸」に入った。閉店間際だった。寒々とした身体には、なんといってもほっこりしたお酒とおでんだ。カウンターに空き席があり、まずマグロのヌタを頼み、次におでんのハンペン、チクワブ、コブ巻き、ウインナー巻、ツミ入れ、玉子、イイダコ、そしてガンモを頼んだ。空腹だったので、サイコーに旨かった。友人に兄弟は仲良しなのと聞いたら、相性があまり良くはないと言った。大根と牛すじをメインにおいしそうに食べていた。本当にやさしくていい人なのだ。11時半頃外に出ると、冷たい風が強く吹いていた。
2019年1月30日水曜日
2019年1月29日火曜日
「女性は恐いからな」
昨日朝、長年連れ添ったご夫婦の、奥様が亡くなりその告別式に行った。とても穏やかな美しい式だった。生ある者の運命とはいえ、平均年齢より20年も若い旅立ちであった。初孫の誕生間近かであり、無念の極みであった。その夜、昨年末の新聞を整理していたら、こんな記事があった。夫が60才とか、65才とか70才で無事定年となり、やっと夫婦で余生が楽しめる。と、まあこれがフツーだと思って記事を読むと。女性は70%位が離婚を願っている。又、一度や二度以上、殺意らしきものを感じたことがある。その原因とは何か、50数パーセントが、1日中夫が家にいるのがたまらなく嫌だ。外に出るといっても、せいぜい図書館や本屋さんをブラブラ、犬の散歩とか、自分の散歩。昼には缶ビール飲んでゴロンゴロン、目は輝きを失いパソコンをいじっては、ヒマつぶしのもとを探す。髪の手入れもせず洋服へのこだわりもない。その逆に女性の方は活発に行動する。離婚を考える男は20数パーセントだ。つまり定年後男は、女性にしがみついて生きていく。女性にガタガタ言うと、別れてもいいのよ、なんてスゴまれると、オタオタとするのだ。人間はいかなる状況でも、働ける内は働いた方がいい。又、何かの目的をつくりそれに向かう方がいい。熟年離婚すると、女性は美しさと輝きを生み、男はボロ切れの雑巾みたいになって、公園のベンチでワンカップ大関なんかを飲み、サキイカなんかを口に入れてモグモグする。イカが歯と歯の間につまり、イケネエ〜楊枝を忘れたと、そこいらに落ちた小枝かなんかでその代用をする。別れた妻はプールで泳ぎ、ホットヨガをし、ランチバイキングを楽しみ、友達とアフタヌーンティーをする。捨てた女にはドラマがあるが、捨てられた男にはスキマと使い切れない時間がある。昨日旅立たれたご主人には、かわいい初孫が誕生する。そのことがきっと明るく生きる力となってくれるだろう。2020年いわゆる団塊の世代2500万人位が、75才位となる。その内かなりの男が捨てられるはずだ。その存在のあまりのうっとうしさのために。梅のつぼみは膨らみ、椿の花がポツポツと咲き始めた。赤い椿がずっと前に、いきなり一輪、狂い咲きをした。季節には定年はない。小さな池の中の赤い金魚たちは、ほとんど動かず寒さに耐えている。放り投げた四つ切りにしたリンゴには、仲良い二羽(夫婦)がそれをツンツンと食べにやって来る。山バトが一度来たが、二羽に撃退された。大きいくせに根性なしであった。力を合わせた夫婦は強い。お前むかしはかわいくて美人だったのに、今じゃ見られたもんじゃない。なんてことを言った人が、熱湯をぶっかけられて、大ヤケドをさせられた。幸いすぐに水でバシャバシャ洗い、アヂーアヂーと泣きを入れたらしい。それでヤケドのあとはつかないらしいが、近所のそば屋さんに二人で来ていた。女性はおいしそうに天ざるを食べてデザートにお汁粉を、男はマスクを外し、つけとろそばをすすっていた。何だかズルズルと、泣いているようであった。女将さんが言うには、近々離婚するらしい。修羅の春である。みたらし団子を食べながら渋茶を飲み、映画を見ながらこのブログを書いている。「女は二度決断する」これが実にスリリングでおもしろい。そして女は恐い。
2019年1月23日水曜日
「冬の風と共に去りぬ」
親愛なる会社の同僚(女性)の母上が昨日早朝ご逝去された。今週中は400字のリングは休筆して心からご冥福を祈る。今年は1月1日午前10時14分、恩師がご逝去された。杉並区立天沼中学校時代の担任、松宮明子先生だ。50年前私が結婚した時、中野区白鷺のご自宅にお仲人を頼みに行って引き受けてもらった。問題児(?)だった私に優しくしてくれた。勉強をしない私を、放課後つきっきりで個人授業をしてくれた。父を失い、貧乏な我が家に月謝の高い私立にいく財力はない。都立に入らねばならない。当時都立に入るには9科目で最低700点前後が必要だった。算数が全くできない私にずっと算数を教えてくれた。1月3日昼やはり教師だったご主人から電話が来た。家族葬でやるのだが、妻がどんな教師であったか、誰かに語ってほしい、ぜひ私にと言われた。長く入院しその後施設に入っているのを知っていた。もちろん私でよければと言った。お通夜はご自宅のすぐそばであった。ご主人、娘さんがお二人、そのご主人二人。お孫さんが五人。 あと親戚の方が確か四人。そして、 日蓮宗のお坊さん一人。それだけでいっぱいになる葬儀場であり、読経が終わると、その場にあった細長いテーブルに白い布をかけた。そこにお寿司が運ばれてきた。煮しめとビールも。お坊さんの話の後、私は中学校時代の松宮先生を語った。卒業式の時クラスで、仰げば尊しをみんなで歌って泣いたことも話した。お母さんを大切にするのよと、私と抱き合ったことも。ヴァイオリンを持ってきていたお孫さん(女の子)がアメイジンググレイスや、ふるさとを弾いてくれた。みんなで“ふるさと”を歌った。1時間ほど思い出話をしていたら、私、仰げば尊しを弾きますと、お孫さんが言った。小さな、小さな、これ以上ないほど小さな葬儀場に、♪〜仰げば尊し 我が師の恩 教えの庭にも 早幾とせ・・・と合唱した。今こそ別れめ いざさらば・・・。お坊さんも歌った。そしてみんな泣いた。実にいい家族だけのお葬式だった。登山が大好きだった先生ご夫婦は、よく登頂した写真ハガキを送ってくれた。先生はどんな高い山より、高い所に登っていった。92歳、いざさらばである。冬の風は心に痛い。親愛なる同僚の母上も冬空の星となる旅に出る。願わくばあと四ヶ月後に生まれてくる、同僚の赤ちゃん、初孫を見てほしかった。 昨夜神田明神下の店にて、ある大先生とかねてより約束の会をした。私の大親友を偲ぶ会であった。大先生もいくつかの大病と格闘中、だが酒で命を支えているんだと笑った。息子さんが付き添って来てくれていた。そこでなんで最近の卒業式では、仰げば尊しを歌わないんですかねと言ったら、う〜む 「今こそ別れめ いざさらば・・・。」が特攻隊みたいだからじゃねえか、日教組のせいかもしれねえな、とおっしゃった。大先生はおそらく東大の卒業生でいちばんの名文家。池波正太郎の内弟子七年余の経験がある。その語り口は鬼平犯科帳の長谷川平蔵その人である。今夜は合掌なのだ。
2019年1月22日火曜日
「桜桃の味」
空と同じ広さの広大な黄金色の小麦畑がある。それを見ながら山道を走る1台のクルマ。デコボコ道を進んで行く。運転するのは50代の男だ。見たところかなりのインテリである。映画はラストまでこの男の職業を教えない。大学教授(?)小説家(?)劇作家(?)行き詰まった映画監督のようでもある。男はガタゴト走りながら、時々出会う人たちをクルマに乗せてあげて、一つのことを頼む。ある一本の木のそばにシャベルで穴を掘る。そこに入って眠るから、朝見て欲しい。ちゃんと死んでいたら、シャベルで土をかけて欲しい。お礼にお金を払うと頼む。一人目は少年であった。そんなことは嫌だ、お金なんていらないと断る。二人目は少年兵だった。遠くで兵隊たちが訓練をしていた。少年兵はやはり、そんなことは嫌だと断る。男の顔には汗がにじみ出ている。かなり焦っている。なんで自ら死を選ぶのかはラストまで教えない。そして一人の老人を乗せる。老人は山村へ向かうある職員であった。クルマは美しい黄金色の中、土埃を上げて走り続ける。男はあの木の側の穴に入るから、朝死んでいたらシャベルで土をかけてと頼む。老人はいいよわかった、ちゃんと死んだら土をかけてあげるよと言う。男は生きていることは残酷だと言う。老人は死の方が残酷だ。見てごらん死んだらこんなに美しい風景が見れない、気持ちいい風にも出会えない。美味しい果実を食べることだってできないぞと言う。桜桃の味を、味わいたいと思わないのかい。山村のある施設で老人を下ろす前に、男は何度も死の手順を老人に説明する。目印の木、穴の深さ、死んでいるのか、眠っているのか確認する方法を。老人はわかった、分かったちゃんとしてやるよと。夜になり男はシャベルで穴を掘り、そこに横になる。雷の音、コヨーテかなんかの鳴き声、強く揺れる風音、胸の前 で手を結んで目を閉じる男。暗闇になった画面。さて生きているのと、死ぬとどちらが地獄なのか。先年亡くなったイランの名匠、アッパス・キアロスミタの、カンヌ映画祭最高賞パルムドール受賞作「桜桃の味」である。もう一作「風に吹かれて」とともに現代文明の中の「生と時間」について語りかける。両作品とも黄金色の中での詩である。 1日はあっという間だという現代人。1日はたっぷりと長いと思う高原の民。すべての民族にとって太陽は一つ、月も一つだけである。
そして1日は24時間である。人類は何故に分断して行くのだろうか。壊れたテープみたいに「アメリカファースト」 言い続ける壊れたトランプ。白人至上主義の指導者。移民の国アメリカは、ロシアと裏で握っていたギャンブラーに、どんなラストシーンを用意しているのだろうか。自分で自分の墓穴を掘っている男に、シャベルで土をかけるのは、トランプ自身か。もう日本のヨイショも成果はゼロだ。
2019年1月21日月曜日
「イエスかノーか」
何故イエス・キリストの名は「イエス」 なのか、 ずっと疑問に思っている。1月も20日となるのに、今年の言葉が見つからない。誰かが言葉を探すなら「聖書」をめくるといくらでもある。古今小説家や劇作家、映画人など、みんなその題材を聖書に求めた。当然言葉も満腹になるほど、いただきまくった。私もパラパラと日めくりのように、めくっているが、キリスト教徒ではないので深入りはしない。もしイエスが「ノー」であったらどうであろうか。「ノー・キリスト」となる。聖書にはヤコブ、ヨハネ、ペトロとか、ステファノ、ユダとか、マタイ、モーセ、などユダヤ(イスラエル)人の名が出てくる。何故イエスだけが英語圏的な名前なのだろうか、それも肯定語の筆頭である「YES・イエス」である。 ノーセや、ノタイ、ノコブでなかったのか。名は体を表すと言うから、イエスと名付けた大工の親の真意を知りたいと思っていた。主はすべてをゆるす、これは主はすベてにイエスとなる。なんだかあまりに劇的なのだ。イスラエルはもちろん、いまだかつて中東アジア、エジプトなどで、いろんな名が出てくるが、“イエス” と名乗っているものはいない。キリストも然りである。日本でもその名が多い、田中、佐藤、鈴木さんの名を、例えば田中信長、佐藤秀吉、鈴木家康と書くと、歴史的にどうもしまりがよくない。イエス・キリストは何故イエス・キリストの名を持ったのか教えて欲しいと願うのだ。もし、ノー・キリストだったら、キリスト教はこれほど世界に広がらなかったのではと思うのだ。粉末状のほうれん草のスープ、海老味のスープ、コーンスープ、外に出て人にインフルエンザをうつしたらマズイ(二日間は何とか出て仕事をしたが)ので、一日中厚着をして映画を見続けていた。やっぱり宗教的、哲学的、詩的、文学的作品の多い、イラン、ギリシャ、カザフスタン、イタリア、フランス、ノルウェー、ロシア、ドイツ、イギリス、アイルランドなどの名作はドンパチ殺しあわなくていい。死そのものが厳粛である。タイ、ベトナムの映画もよかった。カンヌ、ベネチア、ベルリン、モスクワなどで最高賞を受賞した作品は、何度見てもいい。「マグダラのマリア」これはアメリカ映画(?)だが、いままで見たイエス・キリストがいちばんリアリティがあった。弟子たち漁師だった男たちの集団が、ボロボロの衣服で流浪しながら、ひたすら歩く。川の中での洗礼や、処刑に向かうイエスの姿もいままでいちばん、リアリティがあった。キリスト教の人たちにぜひオススメする。無理を承知で出て行って作ったプレゼンが、大好評で決まり、更に新しい仕事が生まれると、夜電話があった。努力の結果が“イエス”であった。インフルエンザが猛威をふるいついに警報レベルになった。こちらは「ノー」である。私に接近した人たちがインフルエンザにならないことを、切に願っている。イエスさま何とぞよろしく。温かいレモンティーが何よりいいようだ。
2019年1月18日金曜日
「有名と無名」
私のことを広告デザイン界で有名でないからな、と言ったと言う人の話を風の便りで聞いた。若手ベンチャー企業の人だとか。そうです私は無名です、決して有名になりたくなくて、場末でそっと世の中を動かして来たのです。というかステキな仲間とモノ作りをして来た。有名な人が一流の仕事人である保証はない。そのくせギャラは高くて、細かくて、ロイヤリティーがどうのこうのうるさい。私たちプロフェッショナルは、年齢に限らず、真の一流、超一流、名人、達人、天才をいつも追って情報をストップしておく。友達が私に言った、 その人は、きっとミーハーでテレビに出ている有名人を連れ歩くタニマチみたいで、自分を少しでも大きく見せたいという、コンプレックスがある業界音痴の人だよ。そうかもなよくいるよなと私は言った。私が知っている有名クリエイターは、年収から計算すると、1ヶ月20日毎日8時間働くとするとギャラは1時間に100万だとか、それじゃ何をやったかといえば、シロウトのデザインに毛が生えた程度だ。本当の超一流たちは決して目立たずに。ハイ一億、ハイ二億、三億、と契約している。(有名になったらマズイ。カルロスゴーンになる)。最近クリエイターではないが、「朝まで生テレビ」とか、バラエティ番組に、古市憲寿とか落合陽一とか出まくっているが、余程ミーハーの有名人病なのだろう。せっかく天才的なのに、ただのタレントみたいになっている。最もタレントとは、才能の意味だから、別に出てもらっていいのだが、話があまりにガキ的でつまんなくてガックリとする。もっと世の中を勉強しろと言いたい。他にも博報堂の○×研究所員とか脳心理学者とか、 間の抜けたことしか言えない、最悪の弁護士たちが多い。 TBSの「情熱大陸」やNHKの「プロフェッショナル」もネタが尽きたのか、キャスティングがつまらない。ソロソロやめた方がいい。それに出た人を何人か知っているが、とんでもないのがいる。もっともっと日本中を歩いて回ると、スゴイ人たちがたくさんいる。超一流の職人たちは、有名になることなんかに全く興味なく、日々精進である。世の中の有名人(?)が、ちゃんといい仕事をしてくれるなら、私の仕事はやることがなくなる。私たちは若い人材を育てるのも重要な仕事である。超一流すぎて毎日の食事代や飲み代、女性と遊ぶ金に困っている人が多くいる。あの仕事をした人といえば、えっ超有名じゃない、それが本当の有名人なのだ。私の敬愛するの仲畑貴志氏が、先日第38回「白川忍」賞を受賞した。 大変名誉ある賞である。受賞理由は、長年にわたってコピーライター、 クリエイティブディレクターとして、広告業界の第一人者として、社会に大きく貢献した。要約するとこういう記事であった。この第一人者は、自分からギャラの話などは一切しない。有名になることもしない。若い人材をしっかり育てている。ライバルのように見られた糸井重里氏は、有名になることを好み(?)今では手帳で荒稼ぎをして、会社を上場、実業家の仲間入りとなっている。私のコピーは“一文字”100万です、と冗談ぽくテレビで話をしていた。あっそうって感じだ。私はずっと場末の芸者である。ただし、芸では負けない。(文中継承略)
2019年1月17日木曜日
「特効薬とは」
私は自らの体によってバカではないことを証明した。その理由は、記憶がある限り初めてインフルエンザにかかった。昔からバカは風邪をひかないと言われてきた。インフルエンザは風邪の中のエリートだ。体温は40度近く、ガッタガタに震えるほど寒かった。頭の中がガンガンズキズキ痛い。鼻水がポトポト落ち、ギャッファーンという咳が出る。愚妻は自分の部屋に避難した。薬箱を開けると、ロキソニンというのがあった。知り合いに聞くと頭痛に効くという。で、すぐに服用。30分もすると嘘みたいに頭痛が消えた。次の日は大切な撮影が六本木である。私は絶対に行かねばならぬ。二階から大野先生に行ったら木曜日は休診日だから、そうか今日は水曜か、でもって朝9時10分頃、自宅から歩いて数分のかかりつけ医の大野クリニックさんに。すでに満員。大野先生は投薬が実に的確であり、新薬に詳しい。とても評判がいい。順番待つこと約50分で呼び出され、いやちょっと風邪みたいでと言ったら、ハイそれではと長くて細い綿棒を鼻の奥に入れた。ツーンとして不覚にも目に涙が溜まった。世間話しを数分していると、看護師さんが何やらデータを持ってきた。あっA型のインフルです。でも予防注射を打っているから、そんなに酷くなりません。いい薬を2錠服用すれば、27時間で菌は死にます。マスクをしてできれば休んでください。と言ったが、行かねばならない。調剤薬局で、「ゾフルーザ錠」を2錠もらってそこで飲んだ。一日一回のみで十分とか。連休だった過日小二の孫が野球のチームに入って、練習しているからと言うから、ちょっと行ってみようと海岸側のグラウンドに行った。お、いたいた海風が寒くビュービュー。孫はすべり台の横に座り、ガタガタ震えていた。当番の奥さんが帰りたいと言ってるんです、と言った。私が帰りたいと言ったら、ウン帰りたいと震え声で言った。孫はインフルエンザにかかっていた。自転車を引きずりながら手を繋いで私の家に帰った。その前に中三の孫娘がインフルエンザになっていた。二人とも予防注射を打っていたので3、4日で復活した。昨夜眠れないので、ポランスキーの「告白小説、その結末」という映画を見た。これが実に良かった。私にとってやはり映画が一番の良薬で、なかった食欲が出た。私はスープが大好きなので、鍋にキャンベルのビーンズ&トマトスープを入れ温めて飲んだ。みかんを2個。クッキー3切れ。ドライフルーツのあんずを少々。ポランスキーはやっぱりすごい監督だ。インフルエンザも治してくれる。世話になっている知人オーナーが応援している。前田哲監督の「こんな夜更けにバナナかよ」が大健闘している。目標10億まであと少し、是非映画館に行ってください。
2019年1月16日水曜日
「太ったソクラテス」
ひとりで二人分の席を占領している。パンパンに膨れた腹に、白いワイシャツのボタンがブチっといつでもハジケそうになっている。丸い肉である。時々発声する声も肉の鳴き声である。分厚い手袋のような左手に結婚リングがくい込んでいる。ウハア〜、ウ〜ン、ハフハフ、ブオ〜と突然声を発する。新年早々の東海道線に乗車していた。会社で新年会でもしたのだろうか。もしかしてパンパンの腹が爆発するかと思い、すっかり寝込んでいる、男の腹にボールペンを突きさしてみた。全く反応なし。もう少し強くさし込んだ。ブバアーブバアーみたいな声を発して、ボールペンを取り除こうとした。目は覚めていない。ガアーガアーウハアハアハアと荒い呼吸をした。よし、もう少しやってやろう。黒・青・赤の三色ボールペンの赤を押し出し、 ウルセイナマッタクと言いながら、ブチっとおへその下あたりを刺した。たかだか1ミリ位だが、異常な反応をした。目を白黒させブバー、ブオッ何すんだと言った。 中腰になって私の顔をジィーっと見た。42・3才の男は110kgはある。ゴメンゴメン悪かった。あんまりすごいイビキなので、死んでしまうかと思い、ちょっと起こしてあげたんだよと言った。何すんのバカじゃないのと言った。そう私はバカなのと言った。でも今のままでは、きっと近い内に爆発死するぞと言った。私はこういう会話のやりとりが大好きなのである。そうなんです、医者から体重減らせと言われ、妻からは一食ゴハン一杯と言われてるんです。私が三色ボールペンをパチパチしていたら、こんなことやめた方がいいですよ、私は大人しいからビックリして終わったけど、他の人なら怒りますよと言った。細かった人間が太くなるには、難解なプロセスがあるそうだ。足元のビニール袋の中に飲み、かつ食べた缶ビールのロング缶が2つ、タカラ缶チューハイが2缶、ミックスサンド、ドライフルーツが数種類入っていた。なんと同じ辻堂で降りた。ノッシノッシ歩いて昇りのエスカレーターに乗った。どこに隠し持っていたのか、大きな福袋を大事そうに2つ持っていた。きっと優しいパパなのだ。かなりのインテリなのだろう。若い頃はキリギリスみたいに痩せていたとか。又、会いたいと思った。
私の大好きな知人にやはりかなり太った人がいる。今年はぜひ減量に成功してくれるといいのだが。でも太った人には悪人はいない。統計上そう思っている。それぞれ独自の哲学を持っている。食べるべきか食べざるべきか、それが疑問だと。で、食べるのだ。「太ったブタより、痩せたソクラテスになれ」なんて東大の学長が卒業式に言ったが。日本を悪くしている官僚たちは、その東大生たちである。
2018年12月21日金曜日
「今年、最終回」
何かを得て、何かを失った。その何かを今400字のリング上で考えている。確実なのは一年という時間を使い、一年という時間を失った。そして新しき年に一歳年齢が加わり、一歳寿命が縮まる。ある本の書き出しにこんな一節があった。「誰にでも計画(プラン)はある。顔面にパンチを食らうまでは」ボクシングヘビー級最強の一人と言われた、マイク・タイソンの言葉だ。ボクシングは殴り合いの単純なスポーツと思われがちだが、ボクシングほど、科学的で理論的で、戦略性と戦術性を必要とするスポーツはない。戦う相手を研究し、自分の長所と欠点を分析して挑まないと、一発のパンチで死んでしまうからだ。もちろん他のスポーツも命がけだが、合法的に殴り殺されるのを許されるのが、ボクシングである。現代社会において使われているようで、実はあまり使われなくなった言葉がある。「生存競争」という言葉だ。進化論で有名な「チャールズ・ダーウィン」が呼んだと言われている。現代社会はこの生存競争という言葉すら忘れてしまうほど、拝金競争になってしまった。生存競争には生き残るための、知的戦略と戦術を生み出す必要性があった。しかし高度に発達したココンピューター社会、又人工知能がなんでもやってくれるこれからの社会。さらにやがて来るであろうIoT社会において、人間のやることはなくなって行く。つまり高度に退化して行くはずだ。リングの上のボクシングより、ゲーム上のボクシングを観戦する人間の方が多くなる。eスポーツなる世界だ。会社は創ったものによって滅ぼされるという格言がある。私はその格言に従いそれぞれ分離独立化を進めた。会社は互いに利用しあえばいい場所であり、分離した者同士がその仕事の個性により、くっついたり、離れたり、分け合ったり、助け合い、励まし合えばいい。会社の名が利用価値があると思えば、それをしっかり利用すればいいと思っている。個人のスキルアップを目指し生存競争に勝ち残るためだ。一人で会社をつくれば立派な社長だ。今年得た言葉で新鮮だったのが「生存競争」だ。親分が親分風を吹かし、朝から晩まで銭の話をしている組は、必ず分裂する。ヤクザ者の社会でも、この頃は任侠道でなく、“金侠道”だとなげく金筋の筋者は多くいる。人間たちによって、生存競争を奪われた、自然界の生き物たちを多く失ったことを知った一年でもあった。東京ではウグイスやヒグラシは鳴かず、日本タンポポの花を見ることもなく。ツバメやシオカラトンボや赤トンボ(アキアカネ)の飛んでいる姿を殆ど見ない。トノサマガエルの観測は取りやめとなった。現代社会での会話の多くは、夢やロマンでなく。陰口や愚痴や、不平、不満、不信である。そんな話ばかりをしていないで、一人で生きる戦略性とそれを成功させる戦術性を学ばなければならない。原始社会がそうであったように。人生とは自分と戦うリングの上での戦いである。戌年のあとは、亥年である。猛進する前に、ジャブを鋭く出さねばならない。ジャブは世界を制す。それには日頃の鍛錬の積み重ねである。一人の会社から数十万人の会社でも起きることは同じだ。会社とは不満の塊である。私は一人でも多くの人材を育てていきたい。人間を創造した(?)神とは戦略家であったらしい。意地悪でずる賢く、謀略好きで自己顕示欲が強く、とても嫉妬深い。(旧約聖書)改めて後藤新平が言ったという言葉に学ぶ。金を残してホメられた人間はいない。即ち「下」。仕事を残して「中」、人材を残してこそ「上」である。400字のリングは今回が今年の最後のゴングである。みなさん、良いお年を迎えてください。※来年は一月十五日頃にゴングを鳴らす予定である。
2018年12月19日水曜日
「ライブの夜」
昨日夜10時40分品川駅より湘南ライナーに乗車した。今年も残り10日と2日だ。当然のように超満員(と言っても座席指定)ライナー券は売り切れなのでグリーン車へ。図体のでかい若い駅員が、グリーン券を見せろという、中年男と二人掛かりである。あいよと、見せると見上げるほどでかい男、黒ぶちの度の強いメガネで見て、あっこれはずっと前に行ってと言う。そうでなくても疲れてイライラしているのに前へ行くと大行列。で、今度はホラこれだとグリーン券を見せると、あっこれはあっちのグリーンの方でというと言う。酔った男女がヘロヘロ、ベタベタ、と並んでいる。渋谷のセルリアンタワーで知人の主催するライブ会場で、スパークリングワインを一杯と半分飲んでいたので、私はほぼシラフ。だが空腹で飲んだので、少々いい気持ちにはなっていた。「北野里沙」さんという美人歌手のニューアルバム発売前夜のライブであった。会場はとてもいいムード。100人位の座席があり、いいかんじのカウンターがあった。この位の会場のライブが私は好きだ。90人以上が来ていて、ほぼ満員であった。私は不覚にも入場料を払ったつもりであったが、 CDを買ったのと勘違いして、すっかり食べて飲んでただで出てきてしまった。先払いでなく、後払いというシステムだった。そんな、こんなの失態があって久々に何かあったら、何かするかもしれない精神状態であった。主催者に迷惑をかけてしまった。コラッあっちに行ったら、又こっちにと言われたぞ、しっかりしろと言った。怒鳴った時の私の声は、かなりただごとじゃないほど、でかい。あっ、スミマセン、申し訳ありませんと謝った。車内は殆ど酔って眠っている。オッヤッター中頃に席が空いていたので、黒いマフラーを外しながら座ろうとしたら、私のマフラーが35・6歳の男の顔をかすったらしく、すこぶる気分の悪い顔をした。ジーンズに黒いロングシューズ、ダウンジャケットを着ていた。かなり酒臭い。あ、ゴメンよと言ったら、さらに気分の悪い顔をしたので、混んでんだよ何か文句あるのかと、太く低く強く言った。足を伸ばしてないで引っ込めろと言ってその男の隣に座った。品川の次は大船→藤沢→辻堂である。品川から大船までかなり不穏な空気であった。私が独り言のように、 オマエ目付きが悪いな、と声をかけたら、黙っていた。何しろイライラしていたので、大人気ないが気にいらないやつだった。せっかくアカデミックな気分だったのに。大船駅に着くと窓側に座っていた男は、小さな声ですいません降りるのでと言った。私は足元に置いていたカバンを取り上げて、足をすぼめて通りやすくしてあげた。その後、睡魔が襲ってきて一気に眠りに落ちた。目が覚めて事件を起こさなくてよかったと思った。相当にアブナイ品川→大船間であった。辻堂駅に着きひとまずトイレに入り、洗面の所で手を洗いながら、鏡に映っている自分の顔を見たらこれ以上なく目付きが悪かった。ただで入場はまずかった。人に借りを作るのが大嫌いなので、さてどうするかと思った。
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