ページ

2010年12月20日月曜日

湘南の嵐便り 「三行半」



必要ないモノ要らないモノはすっぱり捨ててしまう「断捨離」というのが女性の中で流行っている。「新・片付け術」ともいうらしい。
想い出の机、想い出のタンス、想い出の椅子、想い出の夫婦茶碗、想い出のベッド、そんなものをどんどん捨ててしまってスッキリさせるのだ。


今、「メール離婚」という行動が行われ始めたという。
ある日会社や仕事で働いている者に、あるいは競馬場やパチンコに興じている者のメールに「もう別れたいの、もうやっていけない、もう我慢も限界」。30代妻の三分の一が「メール離婚」で行動を起こすのだ。

かつては「愛してる」なんてやりとりをしていたメールに、「あなたはもう要らない×」とか入ってオジャンとなる。
大体実家とか友人宅や旅先から送るらしい。これを現代の三行半というらしい。

昔の三行半

「三行半」とは、離縁の際に夫が妻の家族に出した離別状の事。
離婚を決めたという宣言と妻の再婚許可が三行半にまとめられたからそう表現された。やっとこさ60年で定年、これからゆっくり自分の好きな事をやるぞと思い公園でブランコなどに揺られていると「あなたと第二の人生まで一緒にいたくはありません」などとメールが入りブランコから放り出されるのだ。

60を過ぎた女性の6割以上が離婚を考えるという。
その逆に6割以上の男は妻に側にいてほしいという。結婚は目利きの問題である。



私はテレビ東京の「開運!なんでも鑑定団」が好きである。目利きを頼まれた人達は二ヶ月以上時間をかけて真贋を見極めるらしい。茶の湯の世界では二種類の目利きが存在するという。

良い道具をコレクションする数奇者と道具の売買で収集を仲介する道具商だ。
目利き40年の中島誠之助の著書に「ニセモノはなぜ、人を騙すのか?」というのがある。
世の中はニセモノだらけ。8割から9割はニセモノ、ネットオークションに出回る物はゲテモノ。目利きの骨董商は実は優れた贋作師であるという。
骨董の世界では「ひっかける、ひっかかる」という言葉があるという。


「断捨離」の思いも、「メール離婚」ももとはといえば選ぶ相手や選んだ者の目利き違い。
あの日引っかけたら上手く引っかかって来た、その結果なのかもしれないのだ。


ちなみに千利休は目利きだったかという問いに千利休は自ら美の創造をしたのだから目利きは重要ではなく、利を得る手段だったのだろうという答えをしている人がいた。

結婚もただのモノとモノとの出会い位に考えておいた方が何とか上手くいくものなのだろう。相性具合が良ければ終生離れないかもしれない。
暮れの大掃除のついでに捨てられませんよ。

2010年12月17日金曜日

湘南の嵐便り 「星はなんでも知っている」


誤解なき様に願いたいと思う、決して差別語として言うのではなく過去の歴史として書く。


戦前戦中日本人は中国人を「チャンコロ」、韓国人を「チョンコウ」、ロシア人を「ロスケ」と言っていた。中国人、韓国人に与えた差別と苦悩とそれが生んだ日本人への激烈な怒りは永遠に消えずそして忘れられる事はない。
何故か広島長崎に原爆を落とした米国人に日本人は怒りを感じていない。


かつて日清、日露に勝って軍国主義に走った日本は中国、ロシア、韓国に勝った勝ったと日の丸を振った。喧嘩の結果は最後にどっちが勝っているかでその歴史が定まる。
最高の戦い方は戦わずして勝つだが、次に退却しながら勝つというのがある。
ヒットアンドアウェイだ。


ある調査によると今米国への留学生の一番はダントツに中国であり、次にインド、韓国、カナダ、台湾と続く。日本は13万人近い中国の6分の125千人ほどでありずっと減り続けているという。東京大学などは世界ランクで言えば25位辺りを彷徨いている。

何が言いたいかと言えば日本はあらゆる分野で圧倒的に中国や韓国に負けているのである。やがてインドやオーストラリア、サウジアラビアやメキシコ、トルコにも抜かれて行くだろう。

かつて明治維新を起こしたのは各藩が優秀な人材をどんどん海外に留学させた事から始まった。日本ほど教育熱心な国は世界中でなかった。
特に各大名が作った藩校は素晴らしいシステムだった。
藩士の個性を活かし、なけなしの金を出し合ってでも人材を発掘育成したのだ。


今、この国では絵画、陶芸、彫刻、建築、鍛造、染織、漆芸等およそ芸と名の付くものは食べていけない。まして私が愛する映画などは以ての外間違っても食べていけない映画屋の妻は売春に風俗に、愛人はコールガールに、女は人身売買をやってもらわないと映画は作れない。愛と芸術は昔から背中合わせなのだ。


私の体なんてどうなってもいいのよ、あなたが作りたい映画を作ってくれるなら、あなたと一緒に死ねるなら一緒に死にましょ、それであなたの文学に役に立つなら。私が人のおもちゃになればいいんでしょそれであなたがいい絵を描いてくれるなら。
なんて物語が真実あったのだ。


形は違うが誠に教育の行き届いた女性教育があったのだ。
身を粉にして愛した男に尽くす、例えその男の体中に刺青だらけ、指は何本かなくても。私が知っているいい女は男に体を張っている女だ。



「なめたらいかんぜよ」といった映画があったが男の人生で女にあんたのためなら「死んでもいいぜよ」と言わせたら万感胸に迫り笑って死んで行ってやれるものである。器量のある女と器量のない女の教育の差は勉強や学歴や家柄でなく静かなる愛の戦いである。あなたと生きている間は絶対笑わないわ、しっかり死んだらきっと笑ってあげる。
私が生涯惚れた男は強かったと確認したらね。


そんな女が少なくなった。日本女性程世界に誇れる健気で気高い女性はいなかった。
がしかしその面影は消えていっている。教育の再生には最低でも50年はかかる。かつてお乳を触られただけで舌を噛み、唇を奪われただけで吊り橋から身を投げた日本女性の姿はない。


保険金をかけて次々と男を殺す女の姿はぶっとくしぶとい。ああ男はなんと弱気生き物になったか。枕元に鉈を持っている女の夢を見て飛び起きた。それは誰であったかはいえない。



「星は何でも知っている、夕べあの子が泣いたのもかわいいあの子のつぶらなー」なんて歌が夢の中に流れていた。初めてのキッスの夢だったんだなんて。

2010年12月15日水曜日

湘南の嵐便り 「しりとり」


あほ、ほも、もだえ、えごいすと、とんま、まんこ、こじき、きもい、いじめ、めろめろ、ろんぱり、りんびょう、うすのろ、ろくでなし、しがらみ、みからでたさび、びじんはくめい、いろきちがい、いくときはいって、てんぱっている、るいじんえんなみ、みじめ、めんくい、いくじなし、しみったれ、れいぎしらず、ずぼら、らくしょう、うんこ、こけ、けじらみ、みすぼらしい、いんきくさい、いいきもち、ちぶさ、さっきまでかこ、こんどうむ、ぶうたれる、もう止めようつまんない。



なんて変なしりとり会話をしていのはある日の電車の中の若い女の子。
二人ともお化粧をしながらだ。


しりとりのルールは食べ物とか動物でなく気持ちの問題とか。
一人は無かったまゆ毛がかき出され、一人は無かったまつ毛がパッチリしていた。
膝元にお化粧道具だらけ。

どーもでーすと携帯で話し始める。
ゴメンス、今日はオッケース、よろしくでーす、と言葉の終わりは必ず「す」か「ス」で終わる。


段々我慢も限界に近づいて来た。いいじゃん、いいじゃんと大笑いをしている阿呆ヅラを見ていたら頭の中でプッツンと音がした。


オイ、電車の中で化粧したり電話をするんじゃないぞと言ったら、えー何それ何怒ってんの、コワーイスねと言われた。何だか自分の方が寒い気分になってしまった。
オジサンゴメンスと言って二人は品川で降りて行った。プーンと化粧の臭いがした。


オジサンか、そうだ俺はあの子達から見れば信じられない感覚のオジサンなのだ。
孫達と動物や食べ物のしりとりを楽しんでいるオジサンなんだ。

新橋に着いて階段を下りて行く足取りが妙に重たい気になった。
そうだ佐渡出身の名物オバサンに靴を磨いてもらおう、そう思って靴のお化粧をしてもらった。オバサンの最後の仕上げはシームレスストッキングだ。


それでグイグイ磨いてくれると靴がピッカピカに若返った。500円を払って又ねと言ってオバサンと別れた。官庁が終わったら今年も終わり、お正月は久々墓参りがてら佐渡に帰ると言っていた。そしてその日は始まった。

※写真は全てイメージです

先日東本映画のお問い合わせを頂いた方へ

ブログ上で失礼いたします。
頂いたメールに返信しましたところ、送信エラーになってしまいお送り出来ない状態です。


このポストを見ましたら一度ご連絡いただけたらと思います。




宜しくお願いいたします。
担当 上原

2010年12月14日火曜日

湘南の嵐便り 「心の戦争」


三年がかりで放送するNHKの「坂の上の雲」が始まり二年目を迎えた。



まさかNHKは今日の政治情勢を考えられなかったのだろう。
日本と中国、日本とロシアはかなりデンジャラスになって来た。
あっという間の中国の台頭も読めなかった。


私は司馬遼太郎ファンである、特に「街道を行く」のファンである。
正直「坂の上の雲」は好きでない。司馬遼太郎は市井の民の悲嘆や哀切な恋愛や弱き人間の苦悩は書かない。英雄や成功者を題材にしたものが多い。
どちらかというと講談的活劇作家である。(エッセイ、紀行文は最高だ)


具合が悪いことにNHKのニュースでアジアの危機を語った後に日清戦争や日露戦争を主題にした「坂の上の雲」が流れる。戦争賛歌の如く明治の英雄?達がどんどん登場する。“杉野はいずこ”の広瀬武夫、皇国の興廃この一戦在りの秋山真之。
戦場で馬上盃を楽しむ秋山好古(司馬遼太郎はこの人物が坂本龍馬と同じ位好きだったとか)二百三高地で失敗を続けた乃木希典(司馬遼太郎は大嫌いであった様だ)。
戦略戦術の天才川上操六や児玉源太郎、西郷隆盛の血を引く大山巌。次から次にテレビに出てくるのを見ていると何だか時代錯誤を感じてしまう。そう思っているのは私だけだろうか。莫大な予算と時間をかけて今何故東郷平八郎なのか、山本権兵衛なのか、本当に日本の夜明けだったのか。

伊藤博文

坂の上に待っていたのは悲惨な戦争を生んだ軍国主義の全盛であった。
日清戦争は伊藤博文(大の女好き)の女遊び代稼ぎという説もある位だ。
日露戦争は山縣有朋の庭作りのための荒稼ぎ説や井上馨の遊び代の説もある。
今年も残り一ヶ月を切った。今年程日本中がハチャメチャ、グシャグシャ、デタラメ、そして信じられない心の戦争時代はなかった。


民主党の議員中国の要人九人がゴルフコンペをやってプレー代を中国が支払ったなんて司馬先生が生きていたらきっと怒り心頭になってしまっただろう事が起きている。
北朝鮮にはハニートラップ(デヴィ・スカルノと同じ世界の要人が来ると夜を楽しませる)のリストや海外要人が楽しんだ証拠写真がたっぷりあるという。


世界中の秘密情報がバシャバシャネット上に流れる、この流れはどうにも止められない。我々一人一人も国家から監視されデータ化されている。ブログもメールもみんなキャッチされているのだ。私はそれが分かった上で行動している。

シェークスピア曰く「人生は選抜の連続である」自分の意志で自分の在りかたを選択しようと日々務めているのだが悩みは尽きない。才能がついて来てくれない。だがしかし自ら戦いを選択していくのだ。


来年も「坂の上の雲」をやるというが来年この国がどんな形をしているか分からない。
坂の上には想像を超えた地獄が待っているかもしれない。



酷いニュース、あまりに情けないニュースが洪水の様に毎日流れる。
韓国映画「黒く濁る村」を観た。そのコンセプトは「人がほしいままに隣人を襲い、策略を巡らせた場合、この者を私の祭壇のところにでも連れ出して殺さなければならない」(出エジプト記)隣に居る人は果たして善人か、自分は果たしてどうであろうか。人間は恐い。
性の快楽道具として扱った女の果たした目的とは。凄い映画であった。
その夜の「坂の上の雲」のなんと呑気な事か。

2010年12月13日月曜日

湘南の嵐便り 「先生とフェロモン」


業界の大先輩であり日本を代表する高名なデザイナーの方から電話があった。
久し振りに会って顔を見たいんだよ、時間あるかなと息子さんが私の会社に居た時、結婚の仲人をした、私達は先生と呼ぶ。

先生は英国仕込みですこぶるダンディである。
逗子に英国風洋館を持ち、駅前にビルを持ちジャガーに乗っていた。
先生は決してお金儲けに興味が無いがバブルが弾け悪いファンドマネジャーや銀行等にダマされあっという間に全財産を失い自己破産をした。
以来先生の心身はすっかり抑うつ状態になってしまった。


電話の声は私が同じ様な気分になっていた時以上に暗く重かったので不吉な予感がして直ぐ次の日の夜食事でもしましょうという事にした。

先生はダンディであったが元気なく、いやー久し振りと約束通り夜六時半に来た。
先生何食べましょうかという事になり、久々に銀座のお多幸でおでんでもいかがですかと言うと、先生はいいねおでんと言い並木通りのお多幸に行った。



カウンターのある一階は満杯で二階に案内された。二階もほぼ満杯であった。
とりあえずお刺身の盛り合わせ、串カツとイカフライ、マグロのぬたそして仕上げにおでん盛り合わせを頼んだ。先生はウィスキーの水割り、私はお酒を頼んだ。



先生はいやー大変な世の中になったねと言った。
かつては世界中から仕事が来ていた人である、しかし不景気と共に仕事は激減した。
老人介護とか老人施設とかかなりネガティブな話で始まったが私の大風呂敷を広げたハッタリのある話に少しずつ元気が出て来た様であった。


九時少し前にお多幸を出てタクシー乗り場に向かって歩き出して約五分、こんな時代でも銀座のクラブの中では元気のいい店の前に居た。
新作の映画はその店のオーナーの義姉を主役に使って1211日渋谷で完成試写会をやるので先生最近若い女の子の居る処で遊びましたかと聞くと、全然ないよという。

※イメージです

だったら若くてピチピチした女の子と飲めば元気になりますよと言って店に入った。
身内同然の様な店(私の兄弟分の店)なので入ったらワァー、キャーとなりすごい美人ですごいボイン、早稲田の学生、元ヤクザの女性(今度オールヌードの写真集を作る予定)が先生を取り囲んだ。20代の女性の威力はやはり凄い。

先生は無口だがみるみる元気が出た様であった。
やはり男は女性のフェロモンが一番だ。気が付くと11時を過ぎていた。

店を出て銀座四丁目まで先生と歩いた。
いやー今日は楽しかったよ、何だかヤル気が出たよと言ってくれた。
気が滅入ったらいつでも又お会いしましょうと先生に一つお願いをしてお別れした。



おでんと美女達でお世話になった人が元気になってくれればいい夜だ。
その夜銀座は殊の外暖かであった。


完成試写会には美女軍団もスッピンで来るという。素顔の付き合いこそ本当なのだ。
未だ声がガラガラしていたが65歳でジーンズの上下、ブルーのショール、渋い声でいい感じなんておだてられて恐い請求書を待つ事になる。
男から遊びを取っては生きていけないのだ。
「抑うつ」に一番の良薬は若い女性といい女のフェロモンだ。

2010年12月10日金曜日

湘南の嵐便り 「うんざりの中に宝」


私の事愛してる、うん死ぬ程愛しているよ。人に殺されても、うん勿論、どんな掟を破っても。うん、それじゃ一度殺されてみてというテーマを映画にしてみた。



一万円札大好き小銭大嫌い、ブランド大好きそんな心貧しき万札主義者の哀しさを映画にした。身の丈に合わない人生を歩む先には不幸しか待っていない。
どんなに背伸びしても血筋は争えない。一万円が120円に及ばない事を映画化した。


東大、京大、一橋大、早稲田大、慶應大、学習院大、上智大、青学、えっそんな連中がという連中が我々小さな会社にゴマンと面接に来る。

地方の国大とか名も知らぬ大学はうんざりする程来る。
だがしかし真の人材はこのうんざりの中にいるものなのだ。それを発掘するのが面接だ。

※イメージです

一万円札と120円どっちがいいかと言えば勿論みんな一万円札というだろう、しかし自動販売機のお札の所が故障、120円ないと飲料にありつけないとなると場面はどんと変わるのだ。

学歴優秀、家柄優秀、だけどなんで会社に入れないのというとまず書類でそして次は面接で落ちる。ドアを開けて入った瞬間に分かる。まずオーラが出てないと第一、第二志望の会社には入れない。で、私どもの様な場末の会社にまで来る。しかし全然まるでオーラがない。一銭の金を出す価値が見えない。志がなく人生の目的も夢もロマンもなく、酒も飲まず女遊びもしないという。
文学に暗く、絵画に疎く、当然陶芸や染色まして映画もレンタルで時々観るしかない。AVを見て手コキを毎日毎日する。



東大なんて半端な気持ちで入ってしまったばかりすっかり駄目になり、上智などでナンパを覚え(ちなみに学校から下へのグランドに行く坂をサック坂などという)まあ青姦坂だ。
聖イグナチオ教会はどんな悪さをしても悔い改めれば許されるというクリスチャン程都合のいい教えはないといえる。(上智の学生がいいました)


その昔隠れキリシタンに私は心から感動し涙を流し長崎や天草に行って無宗教ながらその意志力、信仰力に敬意を表した。




遠藤周作の「沈黙」「深い河」に人の心の在りかを探したものだ。

君、最近どんな女の子と寝たかと聞くとビックリし、どの小説でオナニーしたかと聞くと言葉を失い、どの映画で殺意を感じたかと聞くと動揺を露わにし、最近博打で幾ら負けたかと聞くと口を閉じる。ところで君はどこの大学を何のために出たのと聞くと言葉を失う。

学歴なんか関係ねえよ、遊んだ人間しかうちは入れないと言うと汗びっしょりで帰って行く。多分携帯でパパ、ママ、ジジ、ババ、サイテーの会社だったよ僕は凄く傷ついたよ、とこんな子は永遠に志望の会社に入れない。突き出せ、放っぽり出せだ。

一人で暮らし、一人でメシを食べ一人で生きていく逞しさを持たねばこれから世の中は絶対生き抜いて行けない。
いい年をして親の家に住み着いているのは単なるパラサイト、共生虫だ。
親が退治するしかない。

あっという間に30になり40になってしまう。
ジ・エンドだ。まず女の子にはモテナイ事間違いない。放り出せだ。
それが一番の親の愛情だ。


万札より120円を大事にする人間になって欲しい。
お父さんお母さんは一生懸命ストレスと戦っているのだから。

2010年12月9日木曜日

湘南の嵐便り 「故里は遠くにありて」


むかしおニャン子、そしてモーニング娘、今はAKB48

秋葉原のメイド喫茶(行った事はない)育ちの様な女の子の集団が大人気らしい。
もっとむかしに野麦峠とか女工哀史という辛く悲しい少女達の歴史があった。
飛騨の冬山を越え長野辺りの製絹工場に働きに行き、少ない賃金で働いて働いて仕送りをする。文字通り死ぬまで働くのであった。



秋元康というある種の天才がいる。美空ひばりの「川の流れのように」は名曲である。又、イベントプロデュース、ユニットの作成の天才である。
今何が人気を呼び何がヒットするかの感覚の天才である。

天はもっと天才の才を彼に与えた。それは博打で負ける天才であるという事だ。
日本中は勿論、韓国、香港、モナコ、ラスベガス、ギャンブルのある処に彼の姿があるという。

そしてでっかく勝負するので有名だ、故に勝ちも大きく負けも大きい。
当然本物の博打打ちじゃないのでトータルではでっかい借金だけが残って行く。
莫大な印税も少女達の生む金も形を変えて消えて行く。

立てばパチンコ、座れば麻雀、歩く姿は馬券買いというのどかな時代があったが現代のギャンブルはケタが違い方法論も様々だ。
地上での博打と地下での博打、天才はギャンブル依存症から抜け出せないでいるらしい。しかし決してめげずに又天才的発想で人気を呼びブームを作る。
人生の収支決算は終わった時一円でもプラスなら勝ちだからせっせと才能を発揮して欲しいと思う。

最近はボーカル+ダンスの集団が多くなったのは何故だろう。
演歌は息も絶え絶えだ。すっかり音楽番組を見なくなってしまった。



米山正夫作詞作曲、美空ひばりの「津軽のふるさと」なんて津軽の風景がそのまま見えて来る素晴らしい作詞であった。
「りんごのふる里は北国の果て、うらうら山脈に抱かれて夢を見た。あの頃の想い出あー今いずこに、りんごのふる里は北国の果て」
「ああ上野駅」の井沢八郎の歌声は人生に染み込んだ。

上野駅

ある年のドキュメント番組で集団就職で出て来た少年が事業で成功し大会社の社長になった。何か迷う時、上野駅に立つというものであった。上野は心の駅だったのだ。
かつて東京から青森まで26時間掛かった、そして124日東京青森間は3時間20分で行ける事となった。

斜陽館

太宰治が生きていたら文学から手を引いたやもしれない。
小説「津軽」は生まれていないだろう。




東京青森日帰り出張の時代となった。速い事は本当にいいのだろうか。故里は遠くにありてと思うものが無くなってしまう。阿久悠の名曲「津軽海峡冬景色」も直ぐ見れるし、森昌子の「哀しみ本線日本海」もお隣感覚だ。


時代がどんどん速くなって故里が近くなり過ぎて行く程人と人の心は遠くなって行く。AKB48の一人一人の女の子の手にするギャラを聞いたらきっとみんな腰を抜かすだろう。ほとんど無賃乗車に近いのだから。そして一人一人途中下車して行く。


天才は今日も丁か半かトランプで21を出すために気合いを入れているかもしれない。
それともルーレットかバカラかドボンか?

私は二十才を過ぎた頃から一切ギャンブルはしてない。それまでに人の一生分以上全ての博打をしたから(ちゃんとプラスで終えた)。
今は生きていくだけでもギャンブルだからだ。

2010年12月8日水曜日

湘南の嵐便り 「声の道場」


私の長い友人の奥さんが一冊の名著を上梓した。
題名を「声の道場」という。
友人から送られて来て直ぐに読んだ。中々奥深い教えの本であった。

道場の風景


著者の名は「山村康子」さん、観世流梅若会の能楽師である。
日本人が声の問題を抱えていて正しい発声法を学んで社会を正したいという極めて根源的テーマに対して取り組んだ本であった。



山村康子先生は声の道場を聞き、いかに正しい呼吸法が大切か歴史的見地から今日的テーマに対して息の大切さを語る。息とは自分の心という文字だと知った。
モンゴル人と日本人の発声が同じ様である事も書いてあり、日本人のルーツはモンゴル系である事も私は確信した。


息を飲む、息をつく、息が上がる、息を潜める、肩で息をつく、息を詰める、息を開く、息が長い、息にまつわる言葉の元を知った。



姿勢が大事です!

正しい姿勢、正しい発声が生む声が子を育て、身を育て、学問を育てる事を知った。

中でもこのエピソードが大好きであった。
アメリカの原住民が傷ついた鷲を捕まえた。日本人は大丈夫かしっかりしろ的な事を一生懸命に声を掛けたが鷲は一向に静かにならない、そこで原住民が母国語で優しく語りかけると鷲はピタッと静かになったという。大丈夫だよという言葉を掛けたのだ。生のイントネーションが違ったのだろう。


先日「プロフェッショナル」というNHKの番組で奇跡のお米を開発した農家の夫婦の話を見た。その人の作ったお米は他の米の五倍の値段がつくという。その方法は毎日稲に語りかけ声を掛けるのだ。

熱いけど頑張ってなとか台風が来るからしっかり頼むぞとか、美味しい水を入れてやるからなとかまるで子供を育てる様に愛情を込めるのだ。
稲穂は猛暑の辛さに耐え会話を交わしながら立派に育って特等米となる。


これは我々全てに今何が大切かを教えてくれている。
声を掛け合う大切さ、息即ち自分の心で語り合う大切さだ。ギザギザになってしまった家庭や政治や社会や会社や人間関係その全ては「声」にあるのだ。


パソコンやメールに声はない、あってもデジタルで無機質な声だ。
是非この一冊をお薦めした。丹田に力を集め大きく吸い小さく静かに出す。もうすっかりさび付いた夫婦関係や友人関係もきっとKURE-556の様に愛情を込め腹から声を出せばきっとスムーズになるはずだ。熱い吐息と共にそれだけで十分なのだ。

私は山村康子先生の声の道場に入門したいと思っている。

このままでは世界は声なき声で滅びる。世界中秘密情報の流出で大騒ぎだ。
メールより手紙、パソコンより電話、会いたい人とは会う事だ。

横着と便利は人を動かせない。

2010年12月7日火曜日

湘南の嵐便り 「映画完成」


123日(金)深夜一年がかりで作っていた短編映画二本が完成した。

この日は麻布十番のスタジオと目黒の109スタジオをはしごした。
二本で約25分、低予算だけに一流のスタッフが忙しい中時間を縫って作っていくから時間が掛かる、又様々な人達や会社の方々にご協力をしていただいて作っていく自主映画は一銭も無駄には出来ない。


来年のカンヌ国際映画祭に出品する、その他の映画祭にも出品する。
私に残された仕事はいかに若い感性の映画屋を育てるかにある。


一本は「夢魚」、平間絹乃さんという若い女性の監督第一作目。

平間絹乃監督 「夢魚」

もう一本は「120円」、寺尾学ぶさんというきっとこれからの映画界にデビューする若い監督の第一作目だ。

寺尾学ぶ監督 「120円」

カメラマンは二作とも長年のコンビ猪俣克己さん、又無理を頼んだ。
プロデューサーは奥野和明君とサポートプロデューサーとして鈴木智暢君、制作デスクは上原有美君だ。頑張ってくれてありがとうと言いたい。


祭の音、風の音、花火の音、車の音、蝉の音、川の音、カエルの音、鈴の音、餅つきの音、笛の音、電車の音、携帯の音、自販機を殴る音、蹴る音、ジュースを飲む音、お札を数える音、小銭の音、犬が吠える音、絵を描く音、色んな音を重ねて仕上げていく。

色味を細かく調整しナレーションを取る(何回もやり直しながら)私がOKを出さない限り終わりはない、だからみんなの意見を聞く。一人一人いいアイデアを出してくれる。


スポンサーがお金を出してくれるコマーシャルとは違う、コマーシャルの最高責任者はスポンサーだからだ(泣く子とスポンサーには勝てないという)。

最終的には監督が自分の作品にする、そしてOKいいじゃない最高だよと私が言った時、スタジオ中が拍手拍手となるこの一瞬が何よりのご馳走だ。
二人を世に出してあげたい必ず。


1211日渋谷宮益坂のスペインレストラン、ラ・プラーヤ(児玉徹オーナーシェフ)で完成試写会をする。


ランチ&シネマ、自主映画なので有料試写会にしてもらった。
120円」という映画は銀座のクラブのオーナーの義姉が主役、初めての演技とは思えない熱演だ。試写会には店のNo.1ホステスさんはじめ何人もスッピンで来るという。
女性はスッピンが一番だ。

※写真はイメージです


なんとその中の一人の女の子がヘアーヌード写真集を自分の記念に作りたいという。
勿論OKいい写真家を起用していい写真集を作ってあげる約束をした。

物作りをしていると色んな事に出会う事ができる。
頭の中にはアイデアが夏の雲の様にモクモクと沸いて来ている。
美しい顔、美しい肌、美しい豊かな胸、美しい足。果たして心の中は美しいか?写真は決して誤魔化せない。トコトンえぐり出す。
「銀座と人生と男と女」そんな世界を作るつもりだ。


映画はきっと劇場にかける様にしたいと思っている。