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2014年2月17日月曜日

「酔えない酒」




「伊勢屋」さんは皆いい人だった。
二月十四日(金)バレンタインデーの夜、私は辻堂駅南口改札口から徒歩五分(普通)の居酒屋兼料理屋的和風レストランに居た。


天気予報がズバリ当たって大雪となった。
打ち合わせを早めに切り上げてそれぞれ帰宅する事にした。
新橋駅五時三十七分の電車に乗った。雪が激しく何処行きかを見ずに乗った。
列車は普通車、グリーン車共ぎっしり満員、仕方なくグリーン車の外の出入口に立った。

やっぱり早めに切り上げて大正解だなと思った。
キオスクも早終いであった。いつも読む夕刊紙も、夕刊もない。
本を持つ習慣は無い。外は見えない、窓には雪がバシバシ音を立てて振り続ける。

辻堂駅までが酷く長く感じる。
側に立っているオジサンが日経新聞の夕刊を広げて読んでいたのでそれをもらい読みするが、新聞をよくたたむので気が散って読めない(嫌がらせぽかった?)。
列車は少しずつ徐行したりしながらも、六時五十分位に着いた。

風雪強烈、駅の階段を降りると人の列、列、列、その数三十人から四十人位がタクシーを待っている、またはバスを待っている。
普段なら車でお迎えに来てくれる筈の人が来れないのだ。外は猛吹雪、こんな時は携帯があればいいのだろうと思ったのだが公衆電話のボックスに入り、それも役に立たない事を知った。
どこのタクシー会社も電話に出ないのだから。
出ても配車が出来ないのでそうしたと後日タクシー会社に聞いた。

二月十四日は確かシカゴのギャング、「アルカポネ」が聖バレンタインデーの虐殺をした日だな、などと思いつつ電話ボックスを出るとドバーッとアンデルセンというパン屋さんの屋根辺りから雪が落ちて来た。
これを持って行ってと優しい会社の人間に借りた傘は全く広げて歩けない。

どこか店に入るかと思った時、頭の中でパッと伊勢屋の名が浮かんだ。
店は殆ど早終い。「なか卯」というカウンターだけの店と、一度も入った事のない小さな居酒屋(お客はいない)と横浜系ラーメン屋(三人お客がいた)が営業していた。
カウンターだけだしな、タクシーを何とかするには知ってる店の方がいいしなと思ったのだ。


で、傘をたたんで猛吹雪の中いざ伊勢屋へ向かう。
営業している事を信じて。一歩一歩滑らない様に歩く事約二十分、伊勢屋に辿り着く。
 無事営業中、電気で点灯するタイマツも雪でボンヤリしていた。
但し九時閉店とか。

中にはテーブル席に老夫婦一組、若いカップル二組、座敷には若者たち十人位(彼等は大盛り上がり)、満員なら七、八十人は入る店だ。私は楕円形のテーブルに座った。

いや〜、マイッタマイッタと言って、とりあえず日本酒一本(1.5合)をヌルカンで頼む(酔う訳には行かないので)次に〆鯖とブリの刺身を一皿で頼む。
これだけじゃタクシーを呼んでもらうには少なすぎるかと思い、少し時間を置いてカキフライ四個とお新香とご飯半分と浅利の味噌汁を頼む。
さて、頃合いを見て、オバサンタクシー会社に電話してもらえると頼む、とオバサンはお兄さんに電話してあげてとなり、やがてお兄さんからオジサンに私の頼みはリレーされる。だが全て電話は通じないという、外を見に行って見ると信じられない猛吹雪だ。

で、オジサンはお兄さんに電話してあげてとなり、お兄さんはやる事が出来たらしく、オバサンに頼む事となった。そんなこんなの繰り返しの中、〆鯖も寒ブリも美味しいのだが時間は九時の閉店まで後四十五分しかない。
カキフライとご飯と浅利汁も美味しかったが、後二十五分しかない。

さて私はどうやって帰宅したでしょうか。ちゃんと帰れたのでしょうか。
伊勢屋から自宅まで猛吹雪の中歩いて一時間半か二時間はかかる筈なのです。

ロンドンは大洪水、ニューヨークは大寒波、北京は人類が住む環境でないとか。
日本ではダイオウイカが何匹も。東京は47年振りの大雪、山梨県は120年振りの大雪。
地球は相当に怒っている。

2014年2月14日金曜日

「あなたならどうする」




巨大なコロシアムの中で野獣が檻から放たれる。
大観衆はその野獣と戦わされる剣闘士がそれに食いちぎられる姿を見て大喚声をあげて叫ぶ。闘牛場では牛を殺しそこねた剣闘士が、角で刺され飛ばされ踏みにじられる姿を見て大観衆は熱狂する。

四角いリングの上で何百発もパンチを浴びた血染めのボクサーがいる、決して倒れないそのボクサーに対し、観衆は倒せ、倒せと大合唱する。

観衆は自分に何ら被害がないと確信した時、加害者の一員となる。
他人言だからだ。

人間はアフリカの大地で誕生してから食料を求めて長い旅へと出た。
欧米人になった人間、中東人になった人間、極東人になった人間、その中に日本人はいる。ルーツは皆同じなのだ。
旅の果てに人間の肌の色は変わり、言葉も変わり、国境が生まれ、生活習慣も変わっていた。食料を求めて人間と人間は争いを繰り返して来た。
他者の痛みは自分の痛みでなく、他者の飢えは自分の飢えではない。

山田洋次監督の「フーテンの寅」シリーズの中に、こんな寅さんの言葉がある。
隣で小さな工場を営み、資金繰りに苦労するタコ社長に向かってこう言う。
「オイ、タコ、お前のケツからオレのオナラが出るかい」と(逆かも?)。

山田洋次監督はこのひと言に「他者」とは何か、隣人愛とは何か、人間と人間の関係とは何かを問い正したのだろうと思う。競争社会は格差を生み出した。
お前の貧乏はお前のせい、俺の富は俺の物。
それを分け与える様な人間は奇異な人と見られてしまう。


自分は満たされていない、自分は不幸だと思っている人間は、自分より不幸な人間を目の前にした時、心の何処かでその人間の不幸を手を叩いて喜ぶ。

ナザレのイエス・キリストがゴルゴダの丘で十字架にかけられた時、民衆は罵倒を浴びせ、石を投げつけ、傷だらけの流血の体に向かって、異教徒、ペテン師、魔術師、偽りの王、疫病神と言ってその刑死を望んだ。

♪〜あなたならどうする、あなたならどうする…石田あゆみにそんな歌があったと思う。
さて、あなたならどうする。一人ひとりは良き人も、ひとたび付和雷同する群衆となった時、凶悪な者に変わる。
吊るせ、磔よ、嬲り殺せとなる(男と男の間に女を挟んだ文字)。

「嬲る」は見ただけでオドロシイ。
きっと群衆の姿からか、あるいは男と女の三角関係から生まれた文字なのだろうか。

このところ頭の中がコチン、カチンになったので、西部劇やフランスのギャング物や、イタリアの風刺物、キリスト物やシェークスピア劇を題材にした時代劇、西鶴一代女や近松門左衛門などをずーっと観た。 
10日深夜から建国記念日の二日間で約23時間(私の大事な頭の体操)。
そこには全て人間という観客の業があった。

すっかりスタミナを失ったので、湘南工科大学前のとんかつの「大関」に家族みんなで行った。気合を入れて「ロースカツ定食」を頼んだ。
ここのとんかつは大関より横綱だ。長い長い付き合いの店だ。親父さんは大のお相撲好き、久々に相撲談義をした。
「遠藤」はきっと三年後に横綱になっているはずだ。
その時は観客の一人となって応援に行きたい。

2014年2月13日木曜日

「走る愛」


イメージです


神が宿ったのか、底抜けに美しい笑声、美しい歯並びの真っ白い歯、ピンクと白の帽子、ピンクのマラソンウェア、サングラスの女性が走る。
早い、どこから見てもスポーツランナーだ。

女性の名は「道下美里」さん37歳。
彼女には男性の伴走者がいる。伴走者とは50cmの赤いロープで結ばれている。
目が見えないからだ。小学生の頃に症状が出た。
一万人に一人という後天性の目の病だ。

今はうっすらぼんやりと輪郭がわかる、結婚しており料理もちゃんと作る、明るいとかえって見えにくいので灯りを暗くし手探りで料理をする。
バイト先で知り合った男性と結婚した。

山口県下関の実家は祖父の代からの書店であったが店を閉めた。
父と母と姉が涙を流しながら売れ残った本を整理する。

道下美里さんは視覚障害者のフルマラソンの記録を持っている。
ブラインドランナーは伴走者への指示と共に走る、少し右へ、少し左へ、給水所はもう少し、ほら◯△の花、◯□の木の香りがして来たでしょ、などと声をかけてもらって走り続ける。

白い歯が笑う。汗がこぼれる。
早い、力強い、なんて美しいランナーなのだろう。

毎月エステに行って、高価な化粧品を身につけて、どんな高価なファッションを身にまとっても、道下美里さんの美しい姿にはかなわない。
女性の真の美しさは心の美しさである。伴走者の男の人には二人の子どもがいる。
長男と次女、その長男は知的障害を持っている。
いつしかボランティア精神が芽生えマラソンランナーであった経験からブラインドランナーの伴走者となり、道下美里さんと共に新記録達成を目指す。

ホラ、ツバキの香りがして来たでしょ、といいながら二人は走る。
青い空、白い雲、行き交う樹々も二人を応援する。
ガンバレ、ガンバレ、50cmの赤いロープは一万人に一人という後天性の目の障害を持つ女性と、先天性の知的障害の子を持つ親とをしっかり結んでゴールした。

自ら持っていた記録3時間955秒を短縮し、新記録は3時間632秒。
健常者のマラソンランナーと殆ど変わらない。結びを外し猛然と走りだした。
道下美里さんは家族の待つ中に飛び込んで行った。伴走者が追いかけ抱き込んで止めた。道下美里は伴走者の男性に心からの感謝の言葉を何度も何度も言った。

十万に一人の人、百万に一人の人、何百万に一人の人という難しい病気を抱えている人々は決して諦めない。ところが五体満足の人ほど諦めが早い。
何故かと考えるとやはり「愛」があるか無いかではないだろうか。
人間は決して一人では生きられない。

ゴールの先に「金(カネ)」を求めて走っていると大切なものが見えなくなってしまう。「金」は決して金メダルではない。あなたの側にきっと50cmのロープで伴走を求めている人がいるはずだ。あなたを必要としている人がいるはずだ。
「目指せよ愛を」(あるドキュメントを見て)

2014年2月12日水曜日

「ミシンの縫い目」




そういえば、あの年のあの日の事が。
「愚者は今を見、賢者は歴史に学ぶ」というから、月日が経ちこの国の宿命である大地震が起き、再び大津波が街を、村を飲み込み、人々を根こそぎさらっていってしまう事が起きる。

日本中にある54基の内いくつかが再稼働されており、その中の一つ二つが大爆発を起こし、3.11の地獄絵を再び見る。そして息を飲み、言葉を失う。
放射能は拡散し、海は汚染水でその生態系を失う。
それは起きないという確率より、起きるという確率の方がはるかに高く、寸前に迫っているとも科学者は言う。

そういえば二〇一四年二月八日の猛吹雪の中、新宿駅前の選挙カーの上で、二人の元総理大臣が「脱原発」をテーマに掲げて熱叫と絶叫をした。
一人は七十六歳、一人は七十二歳。既に人生の最終章を迎えた二人、一人は文化人三昧、一人はオペラ三昧だったのに。

老人たちは生涯の名誉も富も社会的地位も約束されていたのに何故、全身ホッカイロで身を温め、防寒服でぬいぐるみの様になり、寒さで目から涙を流し、鼻の先をトナカイの様に赤くし、それでも我はゆかんと、ドン・キホーテを演じたのか。
永田町や霞ヶ関の人間たちは、遂に気が狂ったとか、ご乱心とか、ご隠居さんの戯言とか、これでお終いとか、あらん限りの悪口雑言を浴びせた。

私はこの二人のとった行動というか実行したという事実は共感せずにはいられない。
歴史は時間をかけて為政者の行った悪政の愚かさを正して来た。


何事にも、そういえばあの年の、あの日の事が蘇る。
世界中のありとあらゆる所で内戦が起きている。宗教戦争は地球がある限り終わる事はない。二月八日の猛吹雪の中、二人の老人はここが死に場所と決めたのだろう。
もし(歴史にもしは無いのだが)選挙カーの上でどちらか一人がマイクを握ったまま倒れ、あの世に逝ってしまっていたら、日本人はその行動と実行に一票を投じずには居られなかっただろう(同情は大好きだから)。

かつて大平正芳総理が突然死んで敗北必至といわれていた選挙に大勝した。
一銭を笑う者は、一銭に泣くという。老人を笑う者は、老人に泣く事となる。
それが歴史なのだ。


二十代、三十代の若者が軍人(自衛隊)に六十数万票を投じた事は欧米社会も驚かした。益々日本の右傾化に注意をせよとなった。
増長慢となった政府首脳たち、自民党幹部たちは更に暴走を加速させるだろう。
だがしかし、吉田茂首相が憲法九条を維持したまま日米安保を締結する道を選んだ。
サンフランシスコ講和条約。土台にあるのは「侵略戦争」への反省であった。
これが戦後レジームであり、それを否定する戦後レジームから脱却は、再び世界を敵に回す事になる。

自民党の中にもリベラルの旗を掲げている良識ある人々は多い。
やがてこの人々たちの不安と不信と、不満と不見識へのマグマが大きな一つの流れとなるだろう。

子どもが出演する、ご仏壇の「ハセガワ」のCMはこうだ。
「お手てと、お手てを合わせて、しあわせ」都知事選に勝った舛添要一は、国会内自民党、公明党室を訪れ、お手てを合わせ、ひたすら御礼、御礼をペコペコ、ヘコヘコと繰り返していた。
その顔は野心と卑屈が同居していた。
自民党の面々は野卑な人間を見下ろし、冷笑を連ねていた。

世の七十歳を過ぎた老人たちよ、風雪の中で声を枯らした二人の老人の姿を馬鹿にしてはいけない。子どもたち、孫たちの時代を守るために何かをせよ、実行せよといいたい。
思想は自由、別々でもいい。自らの信じる事を行けばいいのだ。

選挙の結果が判明した日、小泉進次郎は横須賀の実家で父と食事をしたという。
その時、敗れて益々盛ん「落胆ゼロ」これからも脱原発を言い続けると元気よく語っていた様な事をインタビューで語った。
その顔は敬愛する父が受けた屈辱への対抗心をメラメラと燃やしていた。

自民党はそう遠くない内に割れ始める。
何故ならミシンの針が確実に入ってしまった。
そこには糸がない、あるのは小さな穴の列だ。それを左、右に引っ張ると、強いと思っていた布も簡単に破れてしまうのだ。老人を大切にしない為政者は、歴史的に老人によって命を断たれた。好き嫌いとか、支持するとかしないとかではなく。

久々に老人の戦う姿に素直に感動した。
雪をかぶった白い殿様と、雪を吹き飛ばす白いライオン宰相が、二月八日、猛吹雪の中選挙カーの上に、一緒に立っている姿を誰も想像していなかっただろう。

明日何が起きるかは誰も知らない。
だが明日には必ず何かが起きる。
神奈川県民の私には投票する権利がなかった。

2014年2月10日月曜日

「お隣さん」


イメージです


お料理の味付けの基本は、さ・し・す・せ・そ(砂糖、塩、酢、せいう(醤油)、味噌)と言われている。
この五つの味とシャベル(スコップ)、ねじ回し(+)(−)、ロウソク、乾電池、携帯ラジオ。この五つの物は共通している事がある。
地震や大雪、大雨、停電、断水などの災難の時、あっ、買って置くのを忘れてたとか、どこに置いたのか忘れてしまったとか。
未だあると思ったのに中身が残ってなかったという事がある品々と、物たちだ。

「すいませーん」とお隣に行き、お砂糖少しとか、お味噌少しとかを借りに行く。
予定よりお客さんが増えた時とか、その夜のメニューを急に変更した時などにお隣のお世話になる。返す時は入れ物に心ばかりの品を入れて返す。
日本人はこんなやりとりを通して、ご近所付き合いをして来た。

向こう三軒両隣という仲良い関係があった。
この頃はコンビニが何処にでもあり、余りこんな貸し借りではなくなった。
日本人が持っている共存とか、共助を表すいい習慣というか、いいシーンであった。

八日(土)平塚から友人のハリの先生が来ていた。
午後四時半過ぎ、それじゃどーもと玄関を出て行った先生が、ありゃーやばい車が坂の真ん中から動きませんと戻ってきた。JAFに来てもらいますと。
えっ、何、どうしたと外に出ると、雪、雪、大雪で辺り一面真っ白ではないか。
先生の小型車は雪にタイヤをとられ、そのせいで全く動かない。
少し坂になっている。さあ〜どうでしょう、どうするべえとなった。

そうだシャベルだ、シャベルで雪をどかそうとなったが、あったはずのシャベルが無いではないか。で、お隣さんにSOS
建築会社を経営しているお隣さんがシャベルを持って来てくれた。
奥さんも一緒に。お二人のなんと手際のいい事。やる事成す事無駄がない。
私と愚妻は何かお手伝いできる事あればみたいであった。

先生はハンドル握って、アクセル踏んで、ブレーキ踏んで、バックと前進、バックと前進を繰り返す。お隣のご主人がテキパキ指示を出してくれる。
車がオシリフリフリ斜めになりながら少しずつ動く。私とお隣さんご夫婦と愚妻と三人で車を後ろから押す。なんとか道路の真ん中から横に移動させる事が出来た。

午後五時過ぎ、雪が激しく風も強くなる。
これじゃ「八甲田山だ」なんて私が冗談をいっても正真正銘「サブー」状態となった。
駄目だ、JAFも全て繋がらないという。チェーンもない。

このままにするしか無い、という結論に達してお隣さんに礼を言いつつ三人で家の中に入る。手がカチカチにかじかんでいた。
なんでシャベルが無いんだと言っても最早仕方なし。

でもなんだか心地よかった。
やっぱり隣同士っていうのはいいもんだな。
そういえば先日は長ネギかなんか借りに行ってたな、等と思い出す。


結果どうなったかというと、タクシー会社に電話する。全然繋がらない。
そうだと、かねてより知り合いのタクシー運転手さんに電話をする。その日は空け番でありすでに一杯入っていた。仲間に連絡してくれるという。
風雪はさらに激しくニュースではこれからが本番だと言う。
まるで「風雪流れ旅」だなとつぶやくがやはりサブーであり、冗談じゃなくなった。

そこへ一本の電話、やっとこ雪に強いタイヤを付けたタクシーが来てくれるという。
運転手さんはよく知っている人であり良かった。ハリの先生はそのタクシーで平塚に帰って行った。六時を過ぎていた。車のキーは置いていってもらった。
十数センチの積雪で大騒動であった。

九日(日)お昼頃ハリの先生は親子五人でバンに乗って来た。
雪はどんどん溶けていた。お隣と私にまでお礼の品を持って。
そして小型車にハリの先生が、バンには奥さんとお子さんが乗って帰って行った。
家の前の公園には大きな雪だるまが出来ていた。

2014年2月7日金曜日

「信じる者は」




東京の下町に「亀戸天神」がある。
ここでは幸運を招く鳥「鷽(うそ)」と御縁があると知った。
「うそ」という音は「嘘」に通じる。木彫の「鷽」を手にいれれば、過去の災厄、凶事はきれいさっぱり「うそ」になり幸運がやってくる、そう信じられている。
亀戸天神には木彫の「鷽」を求めて人々が列を成す。

ある記事によると、茶人「千利休」はキリスト教徒であり、その影響を受けていたとか。一つ茶碗の同じ飲み口から同じ茶を飲む「濃茶(こいちゃ)」の作法は、カトリックの聖体拝領の儀式がヒントでは。ミサの際、イエスの血の象徴であるワインを杯に入れて回し飲みする、それをヒントにしたのでは。
茶入れを拭く際の袱紗(ふくさ)捌きや茶巾の扱いは聖杯を拭く仕草と酷似している。

利休は決して「恬淡とした茶人」ではなく、茶杓の工房を運営し、良質な茶を手にいれて販売するなど茶の湯にかかわる産業を総合的に運営した「商人」であった。
昨晩は「売僧(まいす)」、商売をする僧と悪口を言われた。
ホントかな、そういえば何かで読んだが、「千利休」という名は「千」の「利」を求めるのを「休」めからだと書いてあった。ホントかなーウソみたい(?)

現代のベートーヴェンだなんて言われた男が、実は大変な嘘八百野郎であった。
ウソダローと日本国中が大騒ぎ、ゴーストライターに対しての接し方がダメだったのだろう。払うべき物をキチンと払わないと「影の男」は表に出て来て告白するとほぼ決まっている。
大学の非常勤講師の給料を聞いてビックリした(余りに安い)。

大作家、大画家、大巨匠、大先生、「大」のつく人には殆ど「ゴースト=影の男」がいる。大名に必ず影武者がいた様に。
それにしても18年間臭い芝居をしていたな「佐村河内守」よ。
豊川悦司のダイハツ「タント」のCMを観ていて、髪の毛を長くすれば、まるでソックリではないか。豊川悦司もきっとウソダローと思っているのでは(彼には何の罪もない)。

トボトボと会見する、か弱き講師こそ現代のベートーヴェンではないか。
これを機会に表に出て活躍する姿を応援したい。「共犯者」でした。
彼もまた中々の役者である事は間違いない。

この上は高橋大輔の金メダルを期待する。
そうすれば大学講師はスーパースターへ。佐村河内守は奈落の底へ落ちる。
信じる者は救われるというがそれ自体ウソぽく思えてならない。

ダマした男が悪いのか、ダマサれたアタシが悪いのか。
老人たちを嘘八百でダマす人間たちが一年間で500億近く稼いでいるという数字が発表された。この男たちは都会の影の中で大笑いをしている。
詐欺罪を無期懲役にせよといいた。生涯刑務所の中で働かせるべきだ。

私の友人はこんな事をいった。「いいんだよ、ずっと貯め込んだタンス預金を表に出して、詐欺師たちがバンバン金を使えば景気回復に役立つんだから」
うーむ、もしかして詐欺師たちがタンス預金をしたら(?)友人は説得力満々だった。

都知事選の候補者の一人が同じ様な事を過去に言い放っていたらしい。
ホントなら当選してもアウトになる(映像がちゃんとあるから)。
また選挙か、ウソだろう。
担ぎたくもない嫌な野郎を、担いでいる人の身になってみろといいたいのだが。

2014年2月6日木曜日

「雲水に謝る」


※イメージです


東京駅十一時十二分発小田原行きは、大磯−二宮間で起きた人身事故の影響で遅れて入線して来た。午後六時頃に事故があったらしく、大幅にダイヤが狂っていた。
特別列車(グリーン)料金950円を払っていたのだが、戸塚駅まで座れなかった。
隣のホームに国府津行きが来たのだが、とにかく帰るべしとそのまま立って行く事にした。

前から四列目の所に立った。
横に座っているのは、四十五歳位の女性、林真理子と木嶋佳苗を足して二で割った様なヒトであった。その隣には、スキンヘッドの四十歳位の男、作家百田尚樹と銀座和光の前に立っていた雲水を足して二で割った様なヒトであった。

「ざけんじゃないっていうんだよねぇ」とか、「ブルってられないじゃん」とか、「すっとこどっこい」とか、「バーカ、バーカー、ムシ、ムシコロリよ」とか。
女のヒトは次々に乱暴な言葉を大きな声で連発する。
二人の手にはウイスキーハイボール缶。
黒い髪、黒いマフラー、襟に黒いファーが付いた黒いオーバーコート。

まるで黒い固まりの様なずんぐりむっくりの体から「オイ、オマエ今度逃げたら許さんぞ」なんていう声がアルコールの臭いと共に放たれる。
百田尚樹風の雲水は、どうやら部下らしい。

ブイブイ乱暴言葉を発しつつ戸塚駅で降りる事となった。
まともに顔を見てしまった。相当にゴツイ造作の鼻ペチャンコの顔立ちであった。
そしてやっと座って帰った。

十二時四十五分から約五十分、BS3ch、プレミアムアーカイブス、一九七七年作、NHK特集「永平寺」を見た。
列車の中の黒い固まりの女性と違って、永平寺で修行を重ねる二十代の雲水150人位は黒いアートであった。

福井県の冬、零下10度、午前四時三十分から午後九時まで、道元禅師の教えを雲水たちは黙々とする。寒いというよりも痛いという。
読経する口から出る息が白い、白い、白い。黒の雲水と銀色に光る頭。
それを見ながら「曹洞宗道元」の教え、七百年の歴史に息を飲んでしまった。

朝食、お粥、たくあん、ごま塩。
昼食、麦飯、たくあん、味噌汁(ワカメ少々)。
夕食、麦飯、たくあん、味噌汁(お豆腐入り)、煮物少々(高野豆腐、芋、野菜)。
一日1500キロカロリー、大概の雲水は「脚気」になるという。
それぞれの目的とそれぞれの事情と、それぞれの覚悟で壁に向かって座禅をする。
睡魔に襲われたり、妄想すると体が前に傾く。
その時は警策で肩の部分をバシーンと叩かれる。

列車の中を思い出す。
どうしようもねえなあの女、きっとTV局に勤めているな、話の内容からすると。
どうしようもねえなあの男。

その夜打ち合わせが終わった後、男三人で中華店に行った。
安い、早い、旨い「菊鳳」へ。三人で酢豚一皿、エビチリ一皿、餃子一皿、焼売一皿、チャーハン一皿を食べた。

若き雲水たちの食事する姿を見て申し訳なく、思わず手を合わせていた。
すみません、明日はきっとお粥とたくあんと、ごま塩だけにします。
そういえば修行僧の事を「大衆(だいしゅう)」というのを知った。
大衆は修行せよだな。道元はとことん反権力であったとか。

2014年2月5日水曜日

「名優を悼む」




「心に太陽を、口びるに歌を」少年の頃こんな言葉を学びました。
「右のポッケにゃ夢がある、左のポッケにゃチューインガム」こんな歌を口にしました。

先日アメリカの名優「フィリップ・シーモア・ホフマン」が46歳の若さで死んだ。
当代最高の演技者と言われた彼の腕には注射器が。
その周りにはヘロインの入った袋があった。浴槽の中で彼は息絶えたのだ。

映画の世界には「役に食われる」という言葉がある。
演じている役柄と演じている人間がせめぎ合い、結果役柄に食われてしまうのだ。
ミイラ取りがミイラになってしまう様に。

ホフマンは「ブギーナイツ」で同性愛者のポルノ俳優を演じた。
「ザ・マスター」では偏執的な宗教の教祖を演じた。この役でホフマンは絶賛された。
ホフマンは「冷血」で知られる作家「トルーマン・カポーティ」を演じた「カポーティ」で、アカデミー賞主演男優賞に輝いた。

カポーティ自身「冷血」の残忍な事件を徹底的に取材をし、やがてアルコール中毒と薬物中毒で数奇な終わり方をした。
ホフマンもカポーティに成り切ろうとして「役に食われた」のかもしれない。


ホフマンは2006年、米CBSのテレビ番組「60ミニッツ」で薬物中毒、アルコール中毒を告白、リハビリ施設に入ったと言った。
46歳には見えない老成した風貌と突き出たおなか、肥満した体は薬物に蝕まれていたのだ。

人間は強い様で軟弱、人間は恐い様で慈愛あり、人間は美しい様で醜悪。
誠実な様で偽善、純粋の様で混濁である。一人ひとり自分の役を演じる役者である。
自分の悩みの種は、自分の中にある。

芥川龍之介は「運命は性格の中にある」といった。
人生は自分という実像と、自分という虚像の闘争であると言ってもいいだろう。

ブルースの女王と言われた「淡谷のり子」は、その著書の中でこう言っていた。
「自分から逃げれば逃げる程、生き甲斐も遠ざかる」自分という役に食われない様に前へ進み、後に学ばねばならない。

今週末はホフマンの代表作を観て、彼の死を悼みたい。
今、あなた方一人ひとりはどんな役を演じているでしょうか。
その役に食われていないでしょうか。おいしい役はめったにないものです。
表と裏で息をして生きている生き物が人間なのです。
ずっと付き合えば結構、面白い生き物です。

2014年2月4日火曜日

「ハンチクな奴」




あいつは全く「ハンチクな奴」だなという言葉がある。
決して褒めてもらっているのではなく、役に立たない、使えない、何をやってもハンパ。なんとなく全体像が見えない。

「存在のあまりの軽さ」という映画があったが、ほぼその題名に似ている存在だ。
ハンチクを「半竹」と書くのではと思っているのだが、正しい漢字は誰も教えてくれない。

二月三日の夜のメインディッシュは「おでん」であった。
おでんというと「高橋お伝」を思い起こす。毒婦として有名で最後の斬首刑にあった人間である。首切りの名人、山田浅右衛門が切り落とした。
その首は、現在東大医学部にホルマリン漬けとなって保管されているとか。

で、食べる方の「おでん」に話を戻す。
おでんの中には「その存在の重さ」を知らしめる具材が多い。
特に「竹輪」と「竹輪麩」は絶対的存在だ(具材の中では安い)。

おでんの人気は、大根、はんぺん、こんにゃくがトップスリーの様だが、私は竹輪麩、竹輪、ガンモをベストスリーとしたい。以下つみれ、スジ、ウィンナー巻き、昆布、シラタキと続く。肥大化したはんぺんはいただけない。
ぐったりした方が旨い。特待生には蛸、ネギマ、玉子、キンチャクと牛スジがある。


おでんは「蛸」を煮て出したのが始まりだとか(?)
銀座「お多幸」は元々は「おたこ」だったのだろう。「やす幸」という人気店もある。
一度友人と入って余りにバカ高いので大喧嘩した(気取った薄味)。

で、我が家のおでんなのだが、やはり竹輪麩と竹輪に目が行った。
おでんの良し悪しは、味が全くついていない、ただのでん粉の固まり「チクワブ」がリトマス試験紙となる。だし汁の味をソックリ染みこませるからだ(大根説を強くいう人も多い)私は人生の中でおでん以外で竹輪麩を見た事も食べた事もない。

少年の頃毎日「すいとん」を食べたのが我が身に染み込んでいるのだろう。
なんとなくだらしなく煮込まれてトロトロになった姿にすいとんを見るのだ。
筋目を欠いてしまった、何本かのギザギザの筋。
ブニョブニョ、グニョグニョとした食感、質実剛健の真反対の姿。
これぞ究極の「ハンチク」だ。

おでんの中においては、役に立つ、使える、なくてはならないメリケン、デンプン野郎だ。気のせいか鍋の中にやけに竹輪麩が多い。
残したら鍋の底に必ず竹輪麩がだらしなく、少し焦げ目をつけてへばりつく。
翌朝それをはがし、冷たいままで少し強めの辛子で食す。
熱々のご飯にメザシ、白菜の漬物に海苔、浅利か大根の味噌汁とくれば最高だ。
冷たい竹輪麩に染み込んだおでん汁が、ご飯とベストマッチするのだ。

私は朝食を食す週間がないのだが、おでんの次の日は楽しみなのだ。
茶飯ならもっと最高だ。「ハンチクな奴」は大好きである。但しおでんだけ。

2014年2月3日月曜日

シシトウと獅子舞

石川県のとある限界集落に一人の若者がきた。

集落には七世帯二十数人しか住んでいない。
三十代ソコソコの若者は無農薬野菜を作りたいと思って来た。
集落は老人ばかりだ。ダメダメ、ヨセヨセ、帰った方が身のためだと老人たちは若者に言うのだが若者の意志は固い。
若者は貯金をして作った100 万円を元手に自分の野菜を作るのだと言う。
集落の人間は話し合い、若者に一軒の家を提供し、その家の前の畑も提供する。

若者は土作りから始める。インターネットで様々な情報を入手する。
魚市場に行って魚のアラを大量に頂いて来る(無料)それにアレやコレや自己流のレシピで肥料を作る。
漬け物樽の様な入れ物にそれを入れて石で押える。だがその異臭は想像をはるかに超えて集落の人から臭い、臭いと苦情をいわれる。
集落の人は小屋を提供する。そこに置くのだが扉を開けると余りの異臭に若者はぶっ倒れそうになる。

そんなことを繰り返しながら、なんとか畑に野菜の種を蒔く。
100 万円の持ち金は直ぐに60 万円に減っていた。

若者の熱意が集落の人々に伝わって行く。
取っかえ、ひっかえ、アドバイスや差し入れを持って来る。

はじめて出来た野菜は虫に喰われてボロボロになる。老女は科学肥料を使わなきゃ同じ事の繰り返しだと言う。でも化学肥料を使ったら僕はここで野菜を作る意味がないという。
次に野菜が出来たら夜中から朝にかけて、イノシシが畑を荒らしまくり全てパアになる。若者は全然メゲない。又、畑を肥やし自前の肥料を土に与え種を蒔く。

そして、一年、二年、若者の作った無農薬野菜はインターネットで販売されている。
又、農協やJAを通さずに自分の名をつけ町に出て売る。他の野菜より高いのだが少しずつファンの輪が広がって行く。

集落にもう一人若者が来た。少し離れた所には都会から離れて来た若者夫婦が(子ども二人)古民家を改装して珈琲店を経営している。(ここは大人気で都会にいた時より収入が増えた)
老人だけの集落はイベントらしいイベントはすっかり絶えていた。
農民は毎日々酒を飲み交わし、語り合わないと心を通じてくれない。若者は毎夜それをする。
やがて収穫の時、若者の父親が集落に手伝いに来る。
白菜、キャベツ、シシトウ。ピーマン、トマト、キュウリ等々。都会のレストランからインターネットで注文が入る。
なんとか食べて行くだけは出来るかもと清々しい笑顔であった。
メガネを外したその二つの黒目は、よく磨かれた碁石の如く美しく輝いていた。


IPS 細胞よりも凄いというSTAP 細胞を発見した、小保方晴子さん(30)の両の目を見ていて、過日NTV のドキュメント番組で見た、集落の若者の目を思い出した。
二人ともメールや、スマホやゲームのやり過ぎで疲れ切った目ではなかった。

若者たちの澄んだ目に会って、この国の若者たちの可能性に大いなる希望を持った。
畑を肥やす若者、試験管とニラメッコする若者。すばらしいではないか。


限界集落ではお正月に何年振りかで獅子舞が行われた。
勿論獅子になっているのは若者、太鼓を叩くのは珈琲店の若き主人だ。
老人たちは底抜けに明るい笑顔でいう。エカッタ、よかった。こんな楽しい正月は久々だと。

春一人の女子小学生が誕生した。珈琲店の上の子が赤いランドセルを背負って記念写
真を撮ってもらっていた。パパもママもキチンをと正装だ。


かつて寺山修司は「君を捨て街へ出よう。」といったが、「街を捨て、村へ帰ろう。」こんな時代も始まっている。


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