「心に太陽を、口びるに歌を」少年の頃こんな言葉を学びました。
「右のポッケにゃ夢がある、左のポッケにゃチューインガム」こんな歌を口にしました。
先日アメリカの名優「フィリップ・シーモア・ホフマン」が46歳の若さで死んだ。
当代最高の演技者と言われた彼の腕には注射器が。
その周りにはヘロインの入った袋があった。浴槽の中で彼は息絶えたのだ。
映画の世界には「役に食われる」という言葉がある。
演じている役柄と演じている人間がせめぎ合い、結果役柄に食われてしまうのだ。
ミイラ取りがミイラになってしまう様に。
ホフマンは「ブギーナイツ」で同性愛者のポルノ俳優を演じた。
「ザ・マスター」では偏執的な宗教の教祖を演じた。この役でホフマンは絶賛された。
ホフマンは「冷血」で知られる作家「トルーマン・カポーティ」を演じた「カポーティ」で、アカデミー賞主演男優賞に輝いた。
カポーティ自身「冷血」の残忍な事件を徹底的に取材をし、やがてアルコール中毒と薬物中毒で数奇な終わり方をした。
ホフマンもカポーティに成り切ろうとして「役に食われた」のかもしれない。
ホフマンは2006年、米CBSのテレビ番組「60ミニッツ」で薬物中毒、アルコール中毒を告白、リハビリ施設に入ったと言った。
46歳には見えない老成した風貌と突き出たおなか、肥満した体は薬物に蝕まれていたのだ。
人間は強い様で軟弱、人間は恐い様で慈愛あり、人間は美しい様で醜悪。
誠実な様で偽善、純粋の様で混濁である。一人ひとり自分の役を演じる役者である。
自分の悩みの種は、自分の中にある。
芥川龍之介は「運命は性格の中にある」といった。
人生は自分という実像と、自分という虚像の闘争であると言ってもいいだろう。
ブルースの女王と言われた「淡谷のり子」は、その著書の中でこう言っていた。
「自分から逃げれば逃げる程、生き甲斐も遠ざかる」自分という役に食われない様に前へ進み、後に学ばねばならない。
今週末はホフマンの代表作を観て、彼の死を悼みたい。
今、あなた方一人ひとりはどんな役を演じているでしょうか。
その役に食われていないでしょうか。おいしい役はめったにないものです。
表と裏で息をして生きている生き物が人間なのです。
ずっと付き合えば結構、面白い生き物です。
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