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2014年2月19日水曜日

「一茶を目指す」


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この世でいちばん残酷な凶器とは何であろうか。
結論を急げばそれは「時間」だ。人間は生きている限り過去には帰れない。

黒々とした髪は灰色となり、白髪となる。
人によっては、日々毛は抜け落ちやがて無毛地帯となる。
若々しかった肉体は見るも無惨に変わり果てる。
二段、三段跳びで駆け上がった階段も一段一段注意深く上がる。
一撃で相手を倒したパンチは空を切り、しからば足蹴りをと足を出せば肉離れを起こすやもしれない。

チクショウこうなればと自慢の頭突きをと思えばいともたやすくかわされるだろう。
逃げる相手を追う走力も予想を超えて遅い筈だ。

時間という凶器は一日一日人間の誇りと、尊敬を切り刻み、人間の心の奥までその刃を好き勝手に突き立てる。

 ならばと思い私は、手の拳だけで人の命を奪える術を、正しくは人の命を守る体術を極めんとする。五本の指を自在に操り相手に対せる様に。
時間という凶器に勝った者は人類史上一人もいない。人は生きそして必ず死ぬ。
この絶対的掟からは逃げられない。出来る事をやる。
愛するものを守るために、日々出来る事をやるしかない。

感性の翼を閉じてはいけない。五感を鍛えれば頭の中まで凶器は及ばない筈だ。
そのためには過去を捨て、目の前の出来事に感性を働かそう。

画家の奥村土牛、片岡球子、小倉遊亀。
百歳に近づく程、殺気と情念と繊細を極めていた。

大雪の中にも春は来ている。梅の木にポツポツと花が咲き。
千両万両の赤い味を食べに緑色の小鳥たちが集まり、牡丹の木にはしたたかに花の蕾が育っている。森羅万象等しく時間という凶器と戦っているのだ。
何かを捨てる勇気を持てば、何かを得る為の勇気が生まれる。
人間がずっと人間でいられる術は、絵を描く事か、言葉を綴る事、何かを作る事だと私は思っている。

ある学校の教師であったある人は、体操の授業中に事故に遭い全身麻痺となった。
絶望の中で知ったのは、口が動く事だった。想像を絶する時間と闘った。
そしていつか絵筆を口にくわえ、水彩の極致を極めるまでになった。
懸命に精進する人間のみ時間は味方になってくれる事がある。

キリスト七つの大罪の一つに「怠惰」がある。
何もしない、何にも感動しない。怒りを忘れてしまった人間に時間はいつか鉄槌を下すだろう。

さあ、工具箱を開けよう。
一本の鉛筆を、一本のフィルムを、一本の絵の具を手にしよう。
一行の言葉を書き続けよう。時間が味方してくれる様に。

オリンピックの時間は残酷だ。
懸命の努力の果てに、0.001秒差でメダルを逃す選手もいる。
ヤバイ、気がつけば一番自分が「怠惰」ではないか。
明日のために今日何かやらねばならない。

そうだ!先ずはグラスに氷を入れてウィスキーを注ごう。
そしてじっくり考える事にしよう。
バレンタインデーでもらったチョコレートやクッキーを楽しみながら。
「やせ蛙 負けるな一茶 これにあり」この境地になりたいものだ。

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