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2014年2月4日火曜日

「ハンチクな奴」




あいつは全く「ハンチクな奴」だなという言葉がある。
決して褒めてもらっているのではなく、役に立たない、使えない、何をやってもハンパ。なんとなく全体像が見えない。

「存在のあまりの軽さ」という映画があったが、ほぼその題名に似ている存在だ。
ハンチクを「半竹」と書くのではと思っているのだが、正しい漢字は誰も教えてくれない。

二月三日の夜のメインディッシュは「おでん」であった。
おでんというと「高橋お伝」を思い起こす。毒婦として有名で最後の斬首刑にあった人間である。首切りの名人、山田浅右衛門が切り落とした。
その首は、現在東大医学部にホルマリン漬けとなって保管されているとか。

で、食べる方の「おでん」に話を戻す。
おでんの中には「その存在の重さ」を知らしめる具材が多い。
特に「竹輪」と「竹輪麩」は絶対的存在だ(具材の中では安い)。

おでんの人気は、大根、はんぺん、こんにゃくがトップスリーの様だが、私は竹輪麩、竹輪、ガンモをベストスリーとしたい。以下つみれ、スジ、ウィンナー巻き、昆布、シラタキと続く。肥大化したはんぺんはいただけない。
ぐったりした方が旨い。特待生には蛸、ネギマ、玉子、キンチャクと牛スジがある。


おでんは「蛸」を煮て出したのが始まりだとか(?)
銀座「お多幸」は元々は「おたこ」だったのだろう。「やす幸」という人気店もある。
一度友人と入って余りにバカ高いので大喧嘩した(気取った薄味)。

で、我が家のおでんなのだが、やはり竹輪麩と竹輪に目が行った。
おでんの良し悪しは、味が全くついていない、ただのでん粉の固まり「チクワブ」がリトマス試験紙となる。だし汁の味をソックリ染みこませるからだ(大根説を強くいう人も多い)私は人生の中でおでん以外で竹輪麩を見た事も食べた事もない。

少年の頃毎日「すいとん」を食べたのが我が身に染み込んでいるのだろう。
なんとなくだらしなく煮込まれてトロトロになった姿にすいとんを見るのだ。
筋目を欠いてしまった、何本かのギザギザの筋。
ブニョブニョ、グニョグニョとした食感、質実剛健の真反対の姿。
これぞ究極の「ハンチク」だ。

おでんの中においては、役に立つ、使える、なくてはならないメリケン、デンプン野郎だ。気のせいか鍋の中にやけに竹輪麩が多い。
残したら鍋の底に必ず竹輪麩がだらしなく、少し焦げ目をつけてへばりつく。
翌朝それをはがし、冷たいままで少し強めの辛子で食す。
熱々のご飯にメザシ、白菜の漬物に海苔、浅利か大根の味噌汁とくれば最高だ。
冷たい竹輪麩に染み込んだおでん汁が、ご飯とベストマッチするのだ。

私は朝食を食す週間がないのだが、おでんの次の日は楽しみなのだ。
茶飯ならもっと最高だ。「ハンチクな奴」は大好きである。但しおでんだけ。

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