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2019年10月31日木曜日

「その後、何が起きたか」

「餃子(ギョーザ)だ ビールだ 最高だ」。これはほとんどの人が大賛成のはず。中華料理店、ラーメン店、餃子専門店であればの話。これを東海道線のグリーン車の中でやられたらどうなるか。昨日品川駅のホームに立ったのは20時15分頃であった。どこかの駅で安全点検があったとかで、列車は遅れ気味だった。停車している列車内は満員ギッシリ状態。私はホームのベンチに座った。かなり重いカバンを持っていた。朝、新橋駅ホームから降りる階段にポスターが何種類か貼ってある。その中の一枚が「餃子だ ビールだ 最高だ グリーン車だ」とグリーン車使用キャンペーンのものだ。湘南新宿ラインがダイヤの中に登場して宇都宮から上野、東京を経て熱海の方まで直行できるようになった(土、日、休日はグリーンは安くなる)。「グリーン車の中は熱海だ 宴会場だ」。こんなポスターもあった。品川駅ホームにいると、何となく嫌な予感がした。あんまり混んでいるので(当然グリーン車も満員)動き出した列車をやり過ごした。なんとしても座って帰りたいからだ。が、やって来る列車は満員御礼状態であった。足腰パンパン、アンパン、カレーパン、クリームパン状態だ。重いカバンを持ち歩いた。列車が到着。ベンダーでミネラルウォーターを買っていざ突入、といっても香港のデモ隊のようにガードが固い。大人なしそうなオジサンが顔をしかめて私を拒否する。中年のOL風も、若いOL風も、三人掛かりで拒否をする。私は仕方なく思い切りショルダーを使って分け入りを計る。ラグビーのモール状態である。万が一にもOL風のヒトの胸とか、お尻に触ったらマズイのでオジサンを攻撃目標にして、グイグイと押して行った。グリーン券を買っていたのだが、私を拒否するヒトたちもグリーン券を持っていて座れずに入り口付近にひしめいている。JRの乗務員はこんな時でも、スミマセングリーン券を見せてくださいと、密集の中から現れる。ヨシ! この乗務員(女性)の後について行けば列車の中に入れるはずだと、ビッタシマークして(マークとは競輪用語でついて行くこと)。と、スポッと列車内に体が入った。最後部のところにはスキ間がある。そこに入れば少し体が楽になる。カバンも置ける。通路もいっぱい。横浜で空くのを目星をつけている。さて、予定通り最後部に入り込んでヤレヤレと思って、前を見ると、餃子をおっぴろげた新聞紙の上に2パック置いて食べている。ニラの臭いがプーンとする。ハゲた頭が一つ、ネズミ色の髪が一つ。窓側の男のヒザの上にはラー油+ショウユ+お酢をブレンドしたタレが置いてある。東海道線利用史上はじめて出会った、餃子だ、ビールだのシーン。と言っても飲んでいたのは、一人はワンカップの日本酒(これがヒジョーに臭い)一人はサントリー角ハイボールロング缶。他にもいろいろありそうであった。東京か新橋あたりから食べ始めたのだろう。まだ数が減ってない。かなりイライラ度が高い私。かなりクセーゾ指数が高い私。ゴルフ場の丸いグリーンみたいに、まん丸にハゲタ頭、そこから臭いがあふれでて来るように感じた。私は大きく、大きく深呼吸をして、あ〜つかれたと声を発し、ハゲた頭の上にフゥーと息をかけた。何、何だ、誰だみたいに餃子を持ちながら後ろを振り返った。目と目が合った。ウマイかいと言ったら、スットンキョーな顔をして、キモチワルイじゃないかと言った。その後どうなったかは、後日にする。ここはラーメン屋じゃネエが、次に発した私の言葉だから、ご想像を。
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2019年10月30日水曜日

「ある記事から、思うこと」

チクショウ手切れ金で、再出発してやるぞと大手電機メーカーを早期退職した男が思っている。2018年秋突然役員の定例会議で発表された数千人規模のリストラ案。58歳で管理職にいた男は、まさかと耳を疑った。社内メールが四方八方に。45歳以上で早期退職募集。応じれば割増の退職金が支給される。役員で定年を迎えたい。あわよくば系列会社の社長で終わりたい、と思っていた見通しは甘かった。1980年代に入社、働いて、働いて、働いたつもりだったが、会社の情況は厳しくなっていた。退職金は最大で1億円と破格だった。つまり年寄りたちは1億円出してもいらない、というのが会社の方針であった。男は気持ちがゆらいだ。会社に残っても一年後の処遇は白紙で先の保証はない。給与は激減しても働き続けるのか悩んだ。同僚に相談すると、妻から家にいてほしくないと言われたというのが多い。65歳まであと7年どこかに飛ばされるか、何も仕事を与えてもらいないのでは、そんなこんな考えていると、すっかり仕事への情熱はしぼんでしまった。そして悩んだ末、退職の申請書を提出した。約2ヵ月後退職を認めるの通知が届いた。再就職を探したが介護などキャリアとは無念の求人ばかり。唯一興味を持った会社は書類選考で落ちてしまった。3月末の勤務最終日。花束を贈られ、拍手の中で職場を去る姿を想像していたが、特段ねぎらいの言葉もなく後輩たちは淡々と仕事を続けていた。社員証を返し、私物を抱えて会社を出ると、守衛の人から「長い間お疲れさま」と声を掛けられ、涙があふれた。今はしっかり家計簿をつけ、外食を減らし、タクシーは利用せず、無駄遣いをやめた。「人生を生き直している」と思っている。退職後、子会社の社長になった元同僚と居酒屋で再会すると、会社のことばかり話す姿に、浮かびかけた羨望の気持ちはすっかり消えた。「失敗が怖いがリスクを取る人生も悪くない」と今、不動産投資や起業の準備をしている。早期退職割増金は「手切れ金」だと思っている。チョクショウきっと見返してやる気持ちと、老後に2000万円残しておかないとが交差している(ここまで記事より抜粋アレンジ)。ゴッソリといる団塊の世代、バブルを経験した仕事人間たちは、しっかり会社を利用して金を残した人間と、散財が身についてついにはスッテンテン人間と、アチコチ病気人間とに別れる。さらに女房たちから、まい日家でゴロゴロしていないでと言われて図書館人間へ。さらには、あなたの仕事生活を支えたから退職を期に別れてと言われて、オロオロする人間になっている。会社にオンブにガッコで生きて来た人間は、潰しが効かない。特に大会社や一流企業にいた人間は、そのプライドを捨て切れない。故山口瞳さんが直木賞を受賞したのは「江分利満氏の優雅な生活」(1963年)であったと思うが、振り返ればあの頃すでに、今と同じであったのだ。ただ定年の決まりが10年ぐらい違う。当時は早期退職割増制度などはなかった。まい日が日曜日は実はつらい。会社にとって正社員ほど、厄介な存在はない時代になってしまった。古い知人が65歳でなんとか再就職に成功、さあ〜新天地でがんばるぞと言っていたら、わずか3ヵ月で、キミはいらないと言われたと電話があった。ひと言多かったらしい。これを読んでいたらメゲるなと言いたい。日本全国、人を求めている地はたくさんある。発想の大転換すればいいんだ。まずつまらないプライドと、キャリアを捨てることだ。「無は有を生む」人生は長い。一日もまた長い。


2019年10月29日火曜日

「麻生哲郎さん35周年」

10月27日、ステキなパーティの出席者は、私を含めて21人だった。山形県旧荘内藩主酒井家18代当主酒井忠久様、ご夫妻もいらしていた。私の隣りは、岩谷産業元社長夫人、岩谷紀子様、前には国立音楽大声楽担当教授秋山理恵様、山梨県勝沼にてワイナリーを経営する中西昇様ご夫妻、住友林業元会長大西和男氏夫人もいらしていた。幅広い麻生さん夫婦のおつき合いを改めて知った。この人たちの中に私がいていいのか、と思う私がその席にいた。水彩画の達人にして、名エッセイスト。86歳になっても新作に挑みつづける麻生哲郎画伯とは35年近いおつき合いになる。名コピーライターでもあった。奥様は高名な料理研究家。娘さんは雑誌の編集長。田園調布に居を構えるセレブである。私とは住んでいる世界も違い、教養度においては比較しようもないほど大差があるのだが、なぜかおつき合いしてくれている(そもそも私に教養はない)。麻生哲郎さんは故郷山形県鶴岡を愛し、パリを愛し(フランス語、英語堪能)、阪神タイガースを愛する。全身知性と教養のおだやかな反権力の人。和菓子の虎屋さんの社長に、その作品を愛され京都の虎屋ギャラリーで個展を催した(このギャラリーは販売せず、虎屋の社長が気に入った作家しか個展は行えないという)。京都御所の前すばらしいギャラリーだ。もちろん個展は見に行った。京都の建築物を描き残してほしいと依頼され、2年後ぐらいに発表するとおっしゃった。闘志満々の画伯である。「é」というタイポグラフィーが画集の表紙に、黒文字でガツンとあった。これはフランス語で「絵」のことであると説明された。パーティ会場の六本木のレンチレストランの名が「ÉdiTion」であった。大切なお客さまなのでと、エッフェル塔がつくられていた。そして「é」の文字も。オーナーシェフはKoji Shimomuraさん、すばらしいフレンチで、オーナーシェフは気さくな人であった。二ツ星レストランであった。無教養な私を、主人の大切な友人ですと、奥様から紹介されて、恐縮の極みであった。娘さんからデザートの時にスピーチを頼みますと言われていたので、頭の中で何を話すかと考えていた。たくさんあるナイフとフォーク、それにスプーンの使い方もドキドキと考えていた。徳川家四天王の一人であった、酒井家の18代目は、やはりお殿様のように堂々として独特の気品があった。山形県鶴岡市にある、致道館の館長をされている。さらに日本美術刀剣保存協会の会長、刀剣博物館の館長もしているとのことであった。庄内藩は戊辰戦争で徹底的に攻められ、苦労をしたという歴史の話をされた。致道館には藤沢周平さんや、満州国をつくった石原莞爾将軍など郷土の出身者が飾られている。小澤征爾さんの二文字は陸軍大将板垣征四郎の「征」と石原莞爾の「爾」からだと最近知った。指揮者小澤征爾さんには、日本陸軍の音楽が流れているのだ。知ってビックリであった。パーティは3時間余でお開きとなり、記念撮影をした。水彩画の達人、麻生哲郎さんの名を憶えておいてください。2年後ぐらい、京都御所前、虎屋ギャラリーできっといい絵が見れるはずだ。そのときは、ぜひご覧いただきたい。

 
店内


2019年10月28日月曜日

「感動に、ヨーイドン」

少しばかり長いのでご容赦を。10月26日土曜日、いろいろ感動した。薄雲り、時々晴れ間があった。小三の男の子(孫)の運動会の応援に、昼に行く。お弁当タイム。午後3番目の種目80メートル徒競走を応援するのが目的(あとはソーラン節やダンスなので)、昨年は確か50メートル徒競走で、6人中5着だった。走り方が萩本欽一さんのようだった(キンチャン走り)。野球を始めたので今年は少し走り方が良くなっているはずだ。昼のお弁当は体育館の中であった。ギッシリ、ビッシリ人、人、人が弁当箱のごはんのように詰まっていた。私と同じ年代、つまりオジイちゃん、オバアちゃんが圧倒的に多い。みんな、それぞれ工夫のお弁当を食べていた。私の大好きな風景だ。老人大国になっているのをまじまじと感じた。ヨーイドンのピストルの号砲、孫はメガネをかけ一生懸命走った。ガンバレ! ガンバレ。昨年より少し速くなっていた。ウァ〜惜しい。もうちょっとで3着だった(私は3着だと思った)。が、残念ながら6人中4着。でも昨年よりは速かった。「ボク4着だったよ」と言って孫が来た。とても感動をした。それは子どもたちの一生懸命の姿に。大人になっていろんな人生を進み成功する者、あるいは失敗して人を殺したり、殺されたり、人を欺したり、欺されたり、大先生になったり、アル中になったり、親分になったり、子分で終わったりと、人の数だけ人生がある。どんな人間も小学校3年生の頃は、一生懸命ゴールに向かった。先生を信じて疑わず、指示通りに動いていたはずだ。新しい機器に変えにJ-COMの工事が来るので、午後1時半頃に家に戻った。2時からは鍼灸の達人がメンテナンスに来てくれる。サバイバルゲームの私たちの業界で、この3週間いろんな人に会いつづけ、心身ともに42.195キロを走ったあとのようであった。私から夢を取ったら、ただの迷惑者粗大ゴミである。それゆえ、私は夢を追う。達人のメンテナンスを受けながら、テレビでタイガー・ウッズのゴルフを見る。そこにJ-COMの工事の人二人。マットの上で裸になっている私を見て、オッヨヨとなる。「いいですか」といえば、「いいよ」と応える。狭いところで傷だらけの裸体の男、オレンジ色のポロシャツを着た鍼を打つ達人。黒い作業服の若い男二人。かなり異様なシーンであったろう。雨で無観客となったゴルフのトーナメントは、気の抜けたビールみたいというか、インポになったチンポみたいに、かなり活気がない。しかしさすが世界のトッププロは、一打一打プロのショットを見せる。大好きなタイガー・ウッズが首位を守り、その姿に感動する。本来なら多くの観客がコースにいて、タイガーのプレイに大興奮したであろう。手術、手術、大手術からカムバックした43歳のタイガーに感動する。ナイキのマークはやっぱり、タイガーがいちばん似合う。その後、テレビをNHKへ。イングランド VS ニュージーランド、準決勝に感動する。王者ニュージーランドに猛然とタックルをする、イングランドの男たち。日本を強くした、エディー・ジョーンズ、ヘッドコーチはやはり凄い指導者だった。強いものを倒すには、守りの強化しかないと、超、超、超猛練習をして、オールブラックスこと、ニュージーランドの三連覇の夢を砕く。そのひたむきさに感動する。その後映画を2本見て、夜11時NHK「SONGS」を見る。私がその歌声、そのステージスタイル、そのファッションセンスに、いちばん印をつけている「安全地帯」の「玉置浩二」が出演している(番組表でチェックしておいた)。あえて20年ぐらい前の歌を4曲熱唱。白髪のロングヘアー。いつものロングジャケット。中に白いシャツを外して柄のシャツの重ね着、ボタンを3つ外してVゾーンをつくり、ベストを着てバッチリのファッション、そしてロングブーツ。この男のセンスは抜群だ。いつ見てもステキだと感動した。箱根駅伝予選会のニュースをNTVで。つくば市である仕事のお手伝いをさせてもらっているので、筑波大学に注目していた。予選会はわずか1秒にドラマがある。オッオッオー! 筑波大学が26年ぶりに箱根駅伝へ。最下位で通過したかつて駅伝の王様だった中央大学(6連覇している)26秒差で涙を飲んだのだが、「麗澤大学」だった。泣き崩れている若者たちの姿に感動した。スポーツは1秒が生死のドラマを生む。「一生懸命一秒」。そんなコピーを思い出した。まい日ヒマつぶしみたいに生きていては、一度の人生を与えてくれたお天とう様に申し訳ない。27日の日曜日は、午後12時から大尊敬する山形県鶴岡市出身の「麻生哲郎画伯」の画集ができあがり、六本木でパーティ、ご招待を受け出席する。
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2019年10月25日金曜日

「看護師さんが、いちばん偉い」

昨日人間の寿命は科学的には115歳ぐらいと書いた。夜帰宅して日経新聞の夕刊に目を通すと、「114歳男性死去、世界最高齢か」ドイツ在住というのが、1段組の記事にあった。ギネスワールドレコーズ社の認定は受けていなかったという。なんと1905年生まれというから、第一次世界大戦前にこの世に生を持ったことになる。ロストジェネレーションといわれた、1920年代は戦争が終わりパリはドンチャン騒ぎ、敗戦したドイツは沈黙していた。その頃長寿の人は15歳ぐらいの少年だった。10月15日生まれというから、私と同じ天秤座だ。好物は甘い物、私はお酒(関係ないか)。自宅にてこの世とサヨナラをした。家族の世話を受けながら。苦あるも幸せな人生だったのだろうと推測する。ギネス社認定の世界最高年齢は、2019年1月北海道足寄町で亡くなった、野中正造さんで、113歳。野中さんも1905年生まれだった(記事より抜粋アレンジ)。この記事の左上に、「看護職最大27万人不足・厚労省25年推計、都市部中心に」。こんな切ない記事があった。介護職員に至っては約33万7千人不足するとか。ヒジョーにいけないことだ。超高齢化社会の先は超病人社会、超ボケ老人社会だ。過重労働のわりには給与は恵まれていない。これはずっと前からの自論だが、この国では看護師さんがいちばん偉いと思っている。病院に入院するとよく分かる。救急病院なんか戦場だ。頭ブッ飛び、腕チギレ、足ボッキボッキ、腹から吹き出る血潮の中で、冷静沈着にテキパキと動く。インターンの医師などは、ほぼ気絶するという。私は看護師さんや介護職さんは、国家の特別職として、給与は県・市会議員(なんもしないのが多い)並み、税金は免除すべしと思っている。私の住んでいる神奈川県の県会議員や市会議員なんて、何をしているんだか分かんないのに、1000万〜1500万ぐらいいただいている。その他にイロイロお手当てがつく。あまりにもオイシイ仕事なんだ。ソフトバンクの孫正義さんとか、ユニクロの柳井正さん、楽天の三木谷浩史さんとかが、金もうけのことばかりしていないで、少しぐらいは寄付しろよと言いたい。そうすれば、少しは顔つきもよくなると思うのだが。私有財産100億円以上の人は、等しく10%を看護師さんや介護職さんのために寄付する法律をつくれといいたい。大金を持っている人間の顔が貧しいのは、心がビンボーで、人を絶対信用しないからだろう(私は金もないのに顔が貧しい)。もっと芸術へ。もっと教育へ。もっと防災へ。もっともっと貧しき民のために私財を投じろだ。昨夜著名な音楽家と話をした。この国はどうしようもない文化後進国となってしまった。その人はお気に入りのスコッチと、葉巻きをくゆらせながら、ふとため息をついた。葉巻きを一本ずつキャッシュで払う姿はベリーグッドだ。スコッチは「島」のをとバーテンダーにオーダーシタした。私はスコッチへの知識はなく、「島」ってと聞くと、スコットランド近くの小さな島々の名を言った。バーテンダーが島によって味が違うと教えてくれた。ちょっと飲むとクワァと熱い。ウワァ〜と香り高い。なんと50度以上であった。亡き親友も大のスコッチ通だった。遺影はスコットランドにある蒸留所へ行ったとき、試飲しているものだ。今夜も写真は私に語りかける。ホドホドですよ、ホドホドにと。外はバカヤローな雨が降っている。ホドホドにしろと言いたい。孤独を味方にしなければ、やってられない。チキショウ落とし前をつけねばならない。午前1時44分37秒、いつものグラフに日本酒を入れた。つま味はオイルサーディンだ。

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2019年10月24日木曜日

「公園にて、ゲーカツ」

「オバアちゃん長寿のヒケツはなんですか?」聞けば、「むずかしいことを考えないで、何でもおいしく食べて、よく寝ることです。ウァハハハ」と笑った。「オジイさん長寿のヒケツはなんですか?」聞けば、「まい日一合半の酒を飲んで、何でも食べて、スケベでいるこっちゃ、ギャハハハ」と笑った。現在日本中に100歳以上が7万人以上いる。人間の寿命の限界は115歳ぐらいという。106歳の女性が一人元気でいるらしい。オイ! 昆虫じゃねえんだから、キャベツばかり食べてんじゃないよ。「キャベツ健康法」があった。さっきからメソメソ泣きながら、玉ネギばっかり食べてんじゃないよ、マッタク。「玉ネギ健康法」。何、やってんだよ、ボチャボチャ赤いのおっことして赤いウンコがでるぞ、赤いのが。「トマト健康法」。イロイロあって、みんな忘れられた。健康のためなら死んでもいい。といった「サンプラザ中野」というミュージシャンは30数キロ減量に成功した。こんな意志の強い人は数少ない。たぶん元気で活躍中のはずだ。私はオバアちゃんやオジイさんと話すのが大好きなので、家の前の公園のベンチで時々会話する。「アンタ、人相も悪いけど、口も悪いわね、ガハハハ」と笑われても話す。「オバアちゃん、いつも元気でいいね。何食べてんの?」と聞いたら、「天ぷら大好き、コロッケ大好き、鳥のから揚げ大好きだ」と言った。「オバアちゃん、脂っこいのばかりじゃん」と言えば、「コテコテしたのが、私の体には合ってんのよ。野菜ばかり食べていたり、魚ばかり食べていたら、パサパサになっちゃうわよ。揚げたてのコロッケが食べたいんだけど、最近肉屋さんがなくなっちゃったからね。メンチとか、ハムカツもいいし、ゲイカツなんか娘の頃よく食べたわよ」。「ゲイカツとは鯨(クジラ)のカツレツ」。「ソースをたっぷりかけてさあ、ジョウジョウしみこんでアツアツ言いながら、新聞紙にはさんで食べたのよ。アンタ人相悪いけど、ゲイカツ食べた?」「食べたよ、食べた。新宿の西口でね。競輪場でもよく食べたよ」「へえ、アンタヤクザ屋さん?」「違うよ、違う。そこに住んでんだよ。」「アラッソウ、初めて会ったわね。アラッあの人また速足で走っている。食後の散歩ね。血糖値が高いんだって」。オバアちゃんは口達者で、すこぶる陽気で元気がいい。「オジイさんはいないの?」と聞いたら、「運動が体にいいからと言って、毎朝歩いて今は昼寝中」「いくつ?」と聞いたら、オバアちゃんより三つ年上の八十二歳であった。こんな何気ない時間を楽しむことがすっかりない今日この頃だ。週末といえば雨ばかり。ポストには早々と年賀状はやめることにしましたのハガキ。来年はナニドシだったっけと思うが分からない。「オバアちゃん長生きしなよ」と別れて家に入ると、ピンポーンと音がする。「誰!」と開けると一人の女性(56歳ぐらい)「あのォ〜、外の木柵が壊れてますけど、お直ししますよ」と言う。台風15号で半分壊れてしまった。意外にも19号はやけに静かだった。「いいんですよ、ボロボロになっているのも、風情だから」と言うと、ポッカァ〜ンとしていた。天気のいい日曜日が、来ないかなと思っているのだが、今週末もあやしいようだ。健康に気をつけている人ほど、実は早死にしたり、病気のデパートになると、不健康が自慢のお医者さんが言っていた。基本的に65歳以上は長寿だ。私は健康なんてどうでもいいから、グッスリ眠りたい。今日は、超不眠症になって25周年記念日だ。ノートを見ると地獄の始まりと書いてあった。
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2019年10月23日水曜日

「万引き」

「君、○☓大学の学生だろ?」と聞けば、大学生とおぼしき若者が、「ハイ、そうです」と言った。「高見順のコーナーはどこ?」と聞くと、「えっ、タ・カ・ミ・ジョンですか?」と言って、パソコンを叩いた。「スミマセン、アリマセン」。「えっ、ないの? それじゃ伊藤整の『氾濫』はある?」と聞いた。「えっ、イ・ト・ウ・セ・イの、ハンランですか? ハンランってどう書くのですか?」と言うから、メモに、「氾濫」と書いた。若者はパソコンを叩いて、「スミマセン、アリマセン」と言った。「有隣堂」ともあろう書店に、高見順も、伊藤整もないのか。ちょっとしたいきさつがあって、高見順と伊藤整をと思って、わざわざ雨の中湘南テラスモールに行った。学生さんはバイトである。とある大学の学生さんだが、文学は学んでいないようだ。「○☓大学湘南キャンパス」として有名だ。なぜ有名かと言えば、湘南とは名ばかりでキャンパスはキツネやタヌキ、アライグマやハクビシン、テンやウサギ、蛇やその他の生き物がたくさん住んでいた場所にある。湘南と言えば、青々とした空と海をイメージするだろうが、まったくの詐欺的名称の大学だ。と、私は思う。湘南台駅からバスに乗って、どんどん潮の香りから離れていくと、山の気配がしてそのキャンバス停留所に着く。○☓大学3年という若者に「今、何を読んでいるの?」と聞いたら、若者の後ろから40代中程の店長の次ぐらいの男が、「すみません、何かお探しの本が」と言うから、「同じことは二度言わない主義だからね」と意地悪く言った。「メモに書いて学生さんに渡したからヨロシク!な」と言った。男は嫌な客だな、マッタク、バカヤロー、アホ、と顔に描いてあった。雨ばかり降っていると、心までジメジメして来る。本がなぜ売れないか。その一つに、私は書店のあり方にあると思う。書店は本を“置いてやって”いるので、売れなければ返本できる。「いらっしゃいませ」と客を向かい入れることもなければ、「ありがとうございました。またのお越しをお待ちします」ということもない。すべてが事務的に行われる。書店にとっての大敵は“万引き”で本を盗まれることだ。盗本にあったら書店がかぶるからだ(そういう決まりらしい)。コンビニと同じで裏で何台もの監視カメラをチェックしている。盗本の犯人は学生が圧倒的に多いと聞いた。写真集や大図鑑、美術、建築関係などの高額本は、アジア系がグループでやって来て、ひと仕事やるらしい。池波正太郎先生風に言えば、急ぎ働きを助ける“引き役”がいるらしい。バイトで入ったアジア系の学生が、監視役になったときに、仲間にメールして手引きするのだという。1冊1万円ぐらいの本を3冊、2万円ぐらいの4冊、5冊とカッパられたら、大赤字だ。盗本は盗本を買う奴等がいるからやる。日本中の本屋さんが本が売れなくて店を閉めている。その原因のなかには、盗本によるものが多いと、「日本盗本対策連盟&連合会(こんなものありません)」が発表していた。その額甚大であった。それにしても呪われたように雨が降る。昨日は新天皇即位の行事がある日で休日。楽しみにしていた少年野球の応援は中止だった。夜やけに寒いので、湯豆腐を食べた。秋はなく、冬が近い。 

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2019年10月18日金曜日

「青山学院大学長」

東京青山にある青山学院大学といえば、慶応大学と上智大学と並ぶ若者の人気校である。お金持ちの家の子が行くところ、国士舘大学や拓殖大学などが硬派だとしたら、その逆のイメージが強いだろう。私など貧乏人から見ると宇宙の彼方と同じで、まったく縁遠い存在であった。青山学院大学の学長といえば、きっと体制的のはずだと思って来たが、現在の大学長である「三木義一」さんは、ちょっといままでと違っている。東京新聞のコラムを掲載している。“本音のコラム”という題である。この大学長は一言居士そのもので毎回共感する。11字×約50行ほど、2段組、写真入りだ。2019.10.17の回を読んでいない人のために抜粋して紹介する。コラムのタイトルは、「台風は忘れる前にやってくる」。12行目から(原文のママ)台風による千葉の停電が完全に回復しないうちに、今度は多数の決壊などで、七十名以上の方が犠牲になっている。千葉の停電の長期化の背景には送電施設の老朽化、送電施設へのメンテナンス費用等の削減、さらには山林の荒廃があった。防災のためにはこのような地味な保全措置が必要不可欠なのだが、なかなか目に見えない。安倍首相は、自民党総裁選で石破氏の主張した防災省構想を否定し、国土強靱化政策を主張してきた。国土を強靱にし、台風被害を予防しているものだと思ってきた。え〜〜! 思わず目を疑った。年度別防災関係予算額の推移を見ると、災害予防のための国土保全費がピーク時(平成十年度)の、なんと三十分の一ほどに激変している。さまざまな制度・変動が連動しているので、単純にこの数字だけでは即断できないが、防災予算の削減によって庶民の被害が広がっていないか、不安になる。安倍政権のいう「国土強靱化」が「国土兇刃化」ではないことを願うのみである。以上であるのだが、この大問題を今国会の審議では与野党ともに論じていない。問題提起すらしていない。情けない話だと思う。青山学院大学長・三木義一(よしかず)さんに私は駅伝を応援するようにエールを送る。この大学出身者には、一言居士の友人、知人も多い。また、敬愛する教授もいる。青山学院大学長に比べ、通称硬派の大学長たちは、無言に近い。大東亜帝国は完黙だ。大は大東文化大、東は東洋大、亜は亜細亜大、帝は帝京大、国は国士舘大を指す。その他の大学も根性なしだ。政府は台風19号の甚大な被害に対して、プッシュ型といって予算を出した。その額、わずか7億1千万円。これで何ができるの、被害額は数百億、数千億というのに。ああ無情の雨が降っている。※東京新聞1017日朝刊25面にコラムあり。


2019年10月17日木曜日

「カフカの人生論」

絶望的な世の中だ、と言う人が多い。希望を持っていない人は今の世をそう表す。確かに若者たちに胸を張って、こんな希望、あんな希望もあるぞと自信を持って言えない。恋愛もしない。結婚もしない。パラサイトのように親のところで三度のメシを食べている若者も多い。なぜかと聞けば、会社が嫌だ、仕事が気に入らない、給料が安くて明日に夢も希望も持てないと言う。親はちゃんとしろ! とか、ちゃんとしなさいよ! と言って怒る。お前が悪いんだ、何言ってんのよ、あなたが悪いのよと言い争いが始まり、子はウルセイ! と暴れ出す。こんなときは、何だお前、暴れる元気があるじゃないか、心配していたけど、心配ないわ、ハハハハと笑うのがいい。オーストリア=ハンガリー帝国領当時のプラハで生まれた、ユダヤ人商家の息子がいた。名を「フランツ・カフカ」と言う。朝起きたら“虫”になっていたという小説「変身」で有名だ。世界中の小説家や小説家志望の人間に大きな影響を与えた。カフカはプラハ大学で法学を修めた後、肺結核で斃れるまで、労働者傷害保険協会に勤め日々、実直に官僚機構の冷酷怪奇な世界の中で生きた(41歳で没)。まい日、まい日絶望と共に。本というものはほとんど読まない私の愛読書が一冊ある「絶望名人カフカの人生論」天才中野裕之監督と短編映画を作りたくてこの一冊を見つけた(まだ未制作)。カフカが私と同じ酷い“不眠症”だったと知ったからだ。この一冊の中で特に好きなところを記す。何かのお役に立てれば幸いだ。諸々、抜粋。彼の日記やノートは、日常の愚痴で満ちています。それも「世界が……」「国が……」「政治が……」という大きな話ではありません。日常生活の愚痴ばかりです。「父が……」「仕事が……」「胃が……」「睡眠が……」彼の関心は、ほとんど家の外に出ることがありません。発言はすべて、おそろしくネガティブです。しかしカフカは偉人です。普通の人たちより上という意味での偉人ではなく、普通の人たちよりずっと下という意味での偉人です。その言葉のネガティブさは、人並み外れています。たとえば、「将来にむかって歩くことは、ぼくにはできません。将来にむかってつまづくこと、これはできます。いちばんうまくできるのは、倒れたままでいることです」。カフカは結婚したいと強く願いながら、生涯独身だった。家族と仲が悪く、とくに父親のせいで歪んでしまったと感じていた。カフカの書いた長編小説はすべて途中で行き詰まり、未完。すべて焼却するようにという遺言を残した。詳しく読みたい人は、新潮文庫刊、頭木弘樹編訳、本体520円(税別)を。昨日、今日私がこうして生きていられるのは、この大監督のおかげという恩人を訪ねた。牛肉が大好きなので、牛肉と牛肉弁当を持って。恩人は、絵描きさんでもある。よくぞここまで尽くしていると思う、奥様と娘さんに支えられて、いい施設の中にいた。パーキンソン病をはじめいくつもの大病で一日50〜60錠の薬を服用していたが、恩人は決して絶望しなかった。絵を描くことさえできれば。部屋は広く、中はアトリエ状態だった。たくさん、たくさん絵を描いていた。車椅子に乗りながら。「奥さんや娘さんに感謝ですね」と言った。顔がふっくらとして顔色もよく何よりだった。銀座伊東屋で24色の水彩絵の具を買って行った。今度行ったときは、きっと水彩で何か描いてくれているはずだ。私は勇気をもらって「それではまた来ます」と言って握手した。手はゴツゴツとして力強かった。人間、何か一つやり遂げたいものがあれば、絶望はしない。ああ映画が作りたい。千葉の流山に私の戦友がいる。水彩画の達人だ。大怪我を心配している。元気に絵を描いていればと思う。戦友とはシンドイ仕事をずっと一緒にやったという仲だ。


2019年10月16日水曜日

「記者たち」と「バイス」

歴史にもしがあったらと思う。ジミー・カーターが大統領になったとき、太陽光エネルギー対策を公約通り実行しはじめた。アメリカの石油資本はカーターを攻撃した。カーターがあと1期大統領をやっていたらどうなっていただろうか。パパ・ブッシュの息子、ジョージ・ブッシュがアル・ゴアにわずか537票差で勝っていなければ。あのときフロリダ州の選挙結果を裁判所が、投票数の集計に疑義ありと判決を出し、アル・ゴアが申し出ていた、敗北宣言撤回に同意していたら、“不都合な真実”を解明しながら、地球環境を守らねばならないと、温暖化防止に向かっていただろう。ブッシュVSゴアはフロリダ州知事の権力によって、改ざんが行われていた。きっとアル・ゴアが勝っていたのだ。もし、ジミー・カーターとアル・ゴアがそれぞれ2期ずつ、大統領をやっていたら、地球温暖化は少しは止められていただろう(?) しかしアメリカはすべてがビジネスの国、二人は暗殺されていたかもしれない。日本はもちろんのこと、世界中が異常気象による大災害に遭っている。大洪水、大地震、大津波、巨大モンスーン、巨大竜巻、台風や火山爆発、山林火災などなど。ここにある一人の人間がキーになっていることを確信した。それはジョージ・ブッシュ大統領のときの副大統領、D・チェイニーだ。カウボーイであった浅学非才なチキンハートの男が、あらゆる手法によって、あるいは賢い妻の協力によって、あるいは、9・11テロ事件、サダム・フセインが大量破壊兵器と核兵器を持っているというガセネタによって、アルカイドのオサマ・ビンラディンというテロリストによって、チェイニー副大統領という影の大統領、否、それ以上の権力者を生んだ。影の権力者は何でもやる。あらゆる法律の拡大解釈とその利用、徹底的な情報入手と、その利用。本来、副大統領は何の権力もない、ただ大統領の死だけを待つ存在といわれた飾り物だったが、チェイニーは無能力なアルコール依存症のジョージ・ブッシュ大統領を手に入れて、強大な影となり支配者となって行った。映画「記者たち」と「バイス」を見るとその事実が分かる。イラクに大量破壊兵器と核兵器があると書きまくったNY・タイムズやワシントン・ポストなどアメリカの各紙は、フセイン死後、謝罪文を載せた。唯一正確な記事を載せていたのが、「ナイト・リッダー」という新聞社だった。記者たちはペンタゴンなどから情報を入手していた。アメリカのホワイトハウス、日本では首相官邸、2本の映画を見ているうちに、“影の大統領”と“影の首相”とかダブって見えて来た。政治とは権力争いのことである。そこに国民という存在はほぼない。自分たちの便宜上好んで“国民”のためと言いつづける。ちなみに映画では、チェイニーがCEOを務めていた石油関連の大会社の株は、イラク侵攻後500%上昇した。また、心臓病を抱えていたチェイニーは発作で倒れたとき、若い心臓を移植された。その心臓の主である若者は、何者かによって車にハネられて死んだ。チェイニーは復帰したとき、新しい心臓を持ったと言ったようだ。権力争いに興味のある人は、ぜひ「記者たち」と「バイス」を見てもらうといい。ハリウッドが凄いと思うのはさまざま映画の中で、真実(?)を暴き出す。「バイス」はブラット・ピットがプロデュースしていた。9・11はCIAとアルカイダが組んで、起こしたという説もある。それがもし本当ならば、間違いなく仕掛け人はチェイニーしかいないだろう。歴史に真実はあるやなしや。戦争ほどのビッグビジネスはこの世界にはない。D・チェイニーにとってアメリカ国民4000人弱の命と、タワービルの2つぐらいどうってことはない、数字のはずだからだ。近々、私が期待する、リベラルな政治家が、この国に出る。そんな夢を見た。台風は何度でもやって来るのだ。