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2015年4月2日木曜日

「除幕と植樹」





四月一日石巻観音寺は糸をひくような寒雨、前日とはうってかわっての空模様であった。前泊した仙台のホテルから倍賞千恵子さんたちと共に大小のバス二台で観音寺に着いた。

雨の中沢山の方々が倍賞千恵子さんを待っていてくれていた。
テレビ局や新聞社もたくさん来てくれていた。

倍賞千恵子さんを歓迎する大きな横断幕を子どもたちが拡げて持っていてくれた。
日本の職人芸をテーマに創業九十余年、仙台の笹気出版の社長や私と後藤住職を結んでくれた編集者、井上英子さんたちも来てくれた。

「祈りの塔」には白いカバーがかけてあり、紅白の縄で結ばれていた。
後藤住職たちスタッフ(一般社団法人てあわせ)が実にステキに演出をしてくれていた。
正に誠心誠意であった。

除幕式は、私と私に四十年付いて来てくれている会社の人間とで行った。
紅白の縄を引くと「祈りの塔」が現れた。その時雨は止んでいた。
その時だけ止でくれたように。拍手、拍手、笑顔、笑顔を前に私はスピーカーでご挨拶をした。デザイン界で生きて来たのでデザインで何かを残したかった。
きっとこの大地を守り、人々を守ってくれるでしょうと。

次に植樹祭があり「倍賞千恵子さん植樹」と書かれた白い木札の横に桜の木が植えられた。倍賞千恵子さんが土を三度スコップでかけてくれた。そしてまた、拍手と笑顔。

あ〜やっと「祈りの塔」が設置された。
会社を一人で立ち上げて四十五年、四月一日は新年度のスタートだ。
私も心を新たにスタートする。
桜の木が大きく育ち満開の花を咲き誇るのを見ることは出来ないだろうがずっと通い続ける。子どもたちが大人になった頃きっと息を飲むほどの絶景となっているだろう。

小さな印刷所の二階四畳半二間の時から四十五年、苦楽を共にして来た男二人と小谷中清さんと紅白の縄を引くのは万感胸に迫るものがあった。
ちなみにこの二人の男は長野県出身、幼稚園、小学校、中学校、高等学校、美術学校そして現在までずっと一緒という奇跡的な二人だ。
ヤクザな私を支えて来てくれたのだ。

帰りの列車の中で何か一つ世の中のためになることをやったかなといった。
いいんじゃないですかといってくれた。

何からなにまでやってたデスクの女性が背中にリュック、両腕に重い荷物を持ってテキパキと動いていた。雨は強くなっていた、気が付くと寒いのに半袖だった。

その後みんなで大川小学校に行く、手を合わせた。
70数人の命が津波にさらわれた。
あの日はもっと寒かったはずだ、傷つき壊れた校舎が雨の中で泣いていた。

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