「又」訓読みで「また」と読む。
この意味を辞書で引くと、「その上」「あるいわ」「ふたたび」「さらに」とある。
英語ではand(アンド)である。この一文字程その先が変化する字はないのではと思う。
例えていうなら普段メガネを掛けている人が、メガネを掛けた時はクッキリと見え、メガネを外すと薄ボンヤリとしか見えない。そんな感じだろうか。
又来るからなとか、又逢いたいわとか、又一緒になとか、又頑張ろうぜとかであれば次々にいいシーンが見えてくる。
その逆に、又来たのとか、又やらかしたのとか、又振られたよとか、又メールしつこいの嫌いとかになってしまうと辛いシーンが現れる。
又、新しい年が来たのかとなると前途はため息まじりとなるが、又来たな今年こそやるぞとなれば決意も新たになる。
12/31〜1/1までの24時間はいつもと同じ24時間なのに昨年の12/31はまるで違って感じた。
又地震が、又大津波が、又放射能が、又、又、又、あんな事がとなってしまったのだ。
なんだか来て欲しくもない気がしたものだ。だが「又」という字はそもそも前向きなのだ。
それで辞書に書いてあった順にその意味を入れてみた。
新しい年はきっと思っている「その上」を行くいい事がある。
とても心配していた「あるいわ」の事が思い過ごしで終わる。
「さらに」おみくじで引いた“大吉”通りいい事が起きる。
早速正月の商店街で多角形のグルグル回しのくじ引きでポトンと大当たりの赤い玉が出た。
“and” 私の大事なスタッフの奥さんに赤ちゃんが出来るのだ(1/20が予定日とか)。
何と48才の初産だ。何度も何度も挑戦してすっかり忘れていたらご懐妊したのだ。
赤ちゃんは赤い玉の様にポトンとは出ない。苦痛の分だけ喜びは大きいのだ。
「又」駄目とか諦めたら何も生まれない。
又やるぞ、この一年そんな気で「又」の一文字を大事にしたり。
アレッ、今年は節酒と思っていたが、又、又、又、飲んでしまった。
又、意志薄弱の始まりなのだ。