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2012年10月22日月曜日

「エライ!数字」


※写真はイメージです


マックといばおおよその人はマクドナルドハンバーガーを連想するはずです。
ではマック赤坂といえば殆どの人が???who?のはずです。

私もいかなる人物か分かりません。
 17,884票もマック赤坂氏は獲ったのです。 

1022日の朝刊に東京と千葉を結ぶ東京湾アクアラインにびっしり隙間なく市民ランナーが走っていました。すごい数だと思ったら14,000人とか。
マック赤坂氏はそれ以上投票者に自分の名を書かせたのです。

これって大変な事なのです。
私はぜひマック赤坂氏を知りたく思いました。
普通泡沫候補(失礼)といえば雀の涙ほどの数字なのですから。

ちなみにその日三重県志摩市長選の当選者の数字は13,406票。
島根県安来市長選の数字は12,695票。
北海道歌志内市長選ではその数1,554票でした。

マック赤坂(諸新)64歳。興味が尽きません。
きっと毎日マック氏はマックを食べているのでしょうか。
いいなぁー、こうゆう人がいるって事は。

新潟県はあの田中角栄を生んだところ。
マック氏は雪合戦なんかが強かったりしたんでしょうか。
雪下ろしなんかがうまかったのでしょうか。

調べてみよう。できたらぜひ会ってみよう。
きっとテーマソングは“マックザナイフ”かもしれない。
でも意外と東京の赤坂の人だったりしたら

2012年10月19日金曜日

「血の事」


今週の週刊朝日より


私が小さいながら会社なるものを始めた時、心に決めた事があった。
どんな事があっても社員のプライドを守るという事だ。

私たちにとって仕事を持って来てくれる方はなによりありがたい方々だ。
その方々から競合プレゼンなるレースに参加させていただき目指すのは一着のみだ。
私たちにとって二着、三着は何の意味もない“負け”なのだ。
だが全戦全勝という訳には行かない。
 
残念な結果になっている処に犯人探しをする方々がいた。
私の大切な社員に対してだ。“負け”の責任は全て私にあるのに。
あの人さどこの出ですか、ちっとも動きが悪く走らない。
味噌汁の飲み方だって卑しいじゃないですか。お里が知れるし、親の顔が見てみたいですよ。やっぱりプレゼンに勝つ競走馬は“血統”でしょう。

かつて何度か経験した事だ(表現は違うが)。
私が怒り狂った時、上司や会社のトップまで頭を下げて来たが、そんな気分を味わった仕事のギャラをビタ一文もらった事はない。

確かに何億、何十億のプレゼンを勝ちたいのはわかるが戦っている内は一心同体なのだ。如何なるケースでも、人の家の“血”の話をしてはいけない。
会社の社長なんて社員が全員辞めたらただの一人者だ。
私は社員のプライドを守るためなら潰してもいいと公言して生きてきた。

週刊朝日の今週号で、橋下徹市長の“血”について書いてあった。
ドキュメンタリー作家の佐野真一氏を起用して。
私は別に彼の支持者ではないがあまりに度を超している。

“血の差別”は決して許してはいけない。
言論の自由をはき違えている。佐野真一氏ともあろう人がなに故書いたのか????だ。橋下徹市長には奥さんも子ども達も居るではないか。

人間は誰でも血の過去を背負っている。
知られたくない血、知りたくない血、できれば断ち切りたい血と共に生きているのだ
週刊朝日がどう言論人としてけじめを付けるかを見てみたい。
編集長の謝罪文では決して終わらせてはいけない。
休刊もあるやもしれない。それ程重大なテーマなのだ。

2012年10月18日木曜日

「そんなバナナ」




“その内とお化け”は出た事ないと昔の人はいいました。

ワルイけど直ぐ返すから、近いうちまとまった金が入るからちょっと貸してくれる、といってそのお金が近いうちに帰った試しはない。

私の先輩でこんな凄い男がいた。
今な、女房のおっかさんと一緒に住んでんだけどよぉ、廊下に毎日バナナの皮を置いてんだよ。近い内きっとそれで滑って頭を打ってあの世に行くはずだ。
そしたら保険金がしこたま入るからすぐ返すよ、だからちょっとだけ貸してくれよ。

その内といっていた男は、その後肺をやられて借金まみれで57歳であの世へ言った。
バナナの皮を拾っては捨てていた義母さんは92歳まで元気に生き抜いた。

グヤジーと先輩は夜な夜な化けてでているやも知れない。
私が貸した少しばかりの金は奥さんがちゃんと返してくれた。
バナナを見る度その男を思い出す。

夜中帰った日、台所にバナナが山ほどありました。
ご年配の方くれぐれもバナナの皮が落ちていたら気をつけてください。
できれば皮ごと食べちゃってください。すんごく不味いけど。

2012年10月17日水曜日

「おお神よ」


※写真はイメージです


潮の香りがたっぷりと車の中に入り込んで来た。
もうすぐ家だ。

その一時間半ほど前、夕方から夜中まで続いた打ち合わせを終え、友人とラーメン屋的日本食屋に入った、なんでもその店は35年間赤坂溜池で頑張っているとか。

壁にはズラズラズラと中華のメニュー、和食系のメニューがある。
その種類は300位ある。

友人とゴッツリ疲れたので生ビールの中を一杯ずつオーダー。
つまみは友人がエシャロットというらっきょうの兄弟分、それと厚揚げ豆腐。
私は金目鯛の煮付け。

頭の中が競輪場の様だ。
バンクの中を選手がグルグル猛スピードで回っているそんな感じだ。
2周ガンガンガンとジャンが鳴る。頭の中は回りに回り、口からは次々に思いつくままアイデアの連打であった。

で、ビールで乾杯お疲れさんと言ってグイ、グイ、グイ、エシャロットをコリッコリ、厚揚げ(薄かった)をネギとショーガをのせてブニョブニョ。
で、次にチンされてクタッとなった金目の煮付けに箸を入れる。

味が薄い。
時計は既に一時を回っていた。

私たち以外は若者が一人、春雨定食を食べていた。
戦後の焼け跡にある様なお店であった。
何故かカラオケ飲み放題3000円と書いてあった。

その夜、空には美しい星が出ていた。
平尾昌晃の「星は何でも知っている」を思い出した。
店を出た時クラクラッときた。ダウンしそうになった。
アリスの名曲「チャンピオン」を思い出した。
♫立ち上がるなこれでもう十分だおお神よ。

そう私はもう老ボクサーなのを忘れていた。
白子のポン酢を食べときゃよかたと思った。

2012年10月15日月曜日

「お知らせ」


鰯雲※イメージです


10日間ブログを休んでいました、というより私が書いた原稿を打ち込んでくれて送信していてくれたデスクの女性のPCが古くなり機能停止となりました。つまり携帯もPCも全く使えない私にとって一台のPCが動かないと私自体が機能停止となってしまうのでした。


やっぱり私は私なりの発信方法を考える時が来たと思いました。
坂本九ちゃんは“上を向いて歩こう”と歌いましたが、今や外を歩く人はみんな下を向いて歩いています。
会社の人はみんな前を向いています。話をする時でさえみんな下を向いています。

つまり携帯、メール、iPhonePCの画面を見ているのです。
こんな世の中絶対変てこだと思うのですがとにかく便利すぎなのは便利です。
でもこの便利の先にある社会を想像するととても恐怖を感じます。で、まあしばらくブログを更新しますが近々ジ・エンド、終わりにします。

ブログを休んでいたら何人かに病気でもしているのかと連絡がありましたので、元気でいますとのお知らせです。 
13日空には鰯雲が泳いでいました。

2012年9月24日月曜日

「お線香の煙」

おはぎ ※イメージ



「なんでこんなに人がいやがるんだ、こんな中の悪党一人位殺したからってどうって事はねえじゃないか」
い間刑務所に入っていた中年の男は人混みの中で呟く。
会っていなかった女を久し振りに抱く、じっくり口を吸ってからこういう。

「お前胃が悪いんじゃねえか、息が臭いぞ」

石原慎太郎作、篠田正浩監督の映画、「乾いた花」のセリフだ。
沢山映画を観たが最も好きなセリフだ。男は池部良、女は原知佐子であった。
小さな部屋で花札をする男と若い女。
女は男に聞く、「人を刺し殺したんだって」「ああ」「人を刺すってどんな気持ち」「どうってこたぁないが、なんか自分と繋がっている、生きているって思うんだ」若い女は加賀まりこ、これがデビュー作であった。

自分が生きてんだか、死んでんだか分からなくなった時、この映画を観る。
猛暑と残暑が体を痛めつけた。九月二十三日(日)強く鋭い雨がガラス戸を叩く。
父と母と親友と、二匹の犬の写真、赤と青の二匹の猫の置物の前におはぎを四つお皿の上に置き、お線香に火を付けて立てた。うっすらと細く白い煙が流れ雲のように部屋の中に動いた。

いつか死ぬ時どいつを殺してやろうかとふと思った。その時きっと自分と繋がる事ができる。
生きたまま死んで行ける、そう思った。

血の色をした金魚が雨をよろこんでいる。
善良な人間を演じるという事はむずかしい芝居だ。
何の思い出もない、法衣を着た父親の写真に語りかけた。
あなたはいつも本当の自分でしたかと。

2012年9月21日金曜日

「チャラの話」

 


JALだけには乗らない事を決めた。
何故かといえば不吉の火の色が赤々と見えたからだ。

会社更生法からわずか二年余りで再上場を果たした。
京セラの稲盛和夫会長の経営手腕と言うがやった事は大量のリストラ、不採算路線の廃止、ジャンボ機の売却等々である。確かにナショナルフラッグとして何もかもやりたい放題であった。
それを大鉈を振ってスリム化し、意識改革したのは持ち前のアメーバ経営です。

企業の再生人としてはやはり凄い人なのでしょう。
不吉な火の元は5200億円の債務をチャラにしてもらった事です。
私たち零細企業は借入金をチャラにしてもらう事は有り得ない。
とことん追い込みをかけて来るのが金融機関である。

例えは悪いが銀座のBarや八重洲中央口の焼鳥屋さんや東銀座のおでん屋さんのツケをチャラにしてくれといっても100%通らない。バンス(ツケ)を背負ってくれた女性や脂まみれで串入れをする親父や開店時間中おでんの種を二本の箸でひっくり返しを繰り返す女将さんに迷惑をかけてしまう。

ツケを支払わず他の店で飲んだり食ったりしていたら必ずバチが当たる事となる。
ツケを背負わせた女性の怒りはジャンボ機一機位を炎上させる程なのだ。 
JALがチャラにしてもらった5200億は預金者の血と汗の生んだお金だ。

再上場でしこたま儲けた者たちがいるのは当たり前田のクラッカー。
誰が一番儲けたかは言わずとも分かる筈だ。その夜家に帰ればグレーの封筒が来ていました。
請求書在中とブルーの判子が押してあります。決してチャラにしてくれない飲み代です。

JALが大事故を起こさない様に願います。
私の霊感は恐い程当たる時があるのです。先日横綱白鵬が前頭栃煌山に負けるとズバリ当てました。

2012年9月20日木曜日

「小さな秋」

 


チッ、チッ、チッ。
いや、キュッ、キュッ、キュッ。
いや、チキッ、チキッ、チキッとも聞こえます。

枕元の側にある竹製のゴミ入れに一匹の鈴虫がへばり付いて鳴いているのです。
私の居住空間は四畳半、そこに小さな秋がやって来たのです。取材に出ていたので気が付きませんでした。

どこから入ったのかは分かりません。
猛暑と残暑でへたった心がうれしくなりました。

九月十九日の深夜、小さな秋を満喫しています。鈴虫独り占めです。
私は家の広さとかには全く興味がありません。今住む小さな中古住宅を買った時も見たのは引越前でした。
不動産屋さんが引越をしてから文句を言われたら困るからと夜中に懐中電灯で照らしてくれました。
愚妻に全て任せていました。死ぬ程働いていると家は眠るだけの存在だったからです。

むかしの人がいいました。
立って半畳、寝て一畳、これで十分なのです。四畳半もあればかなり贅沢です。
広い方がかえって落ち着きません。子供の頃は一間に六人兄姉全員で寝ていたのですからね。

どうやら鈴虫ちゃんは未だ子供の様です。暑さ寒さも彼岸まで。
ホントむかしの人の教えには敬服です。
これを書いている文机は左右約45センチ、奥行き35センチ。
付けっぱなしのテレビは病院の病室にあるのと同じ大きさ。

私のカチカチの体に鍼とお灸をしてくれる佐賀出身の先生の治療を受けると一週間は四畳半の中にお灸の香りが残ります。これをクンクン嗅ぎながら(とてもいい香りです)鈴虫の鳴き声を聞くのです。実に風流の極みなのです。

2012年9月19日水曜日

「山の味」




東京都青梅市御岳山にある御嶽神社と、そこで行われる薪神楽の取材撮影に行っていた。

知人の方が御岳山ロープウェイの社長になったのでこの機会にと思いかねてより興味があった山岳信仰、中でもニホンオオカミ信仰の現場に行った。ペットも一緒に乗れるロープウェイは最大斜度が25度近くある。

御岳山駅には、ツキノワグマが出るので注意とポスターが貼ってあった。
ニホンオオカミは100年前に絶滅したらしい。猪や鹿が大切な農作物を食べてしまう。
猪は特にユリの根を好物にしてそれこそ根こそぎ食べてしまう。

ニホンオオカミは山の中、小さな田畑にやっと出来る農作物を猪や鹿などから守ってくれる、山の神だったのだ。
宿泊先の宿坊のご主人は御師(おんし)でありみたけ山観光協会の会長さんでもある。
そこにやはり御師兼副会長のご兄弟も来てくれた。御嶽神社の宮司さんは次の日、国宝を見せてくれた。

薪神楽は神社と宿坊の間にある大地に舞台を作り、御師や老若男女がそれぞれ狐になり翁になり、ひょっとこになる。
それらを撮影する。また、御嶽神社に向かう急な階段の両脇を、各県の人々が建てた○△講、○□講と彫られた石塔が頂上の神社までずらりと並ぶ、それを“火の玉ゆうれいの目線で撮影する。

山の中には32戸が住んでいるという。
山の中での宿泊は浮世をしばし忘れさせてくれる。
山の民との話は深夜まで続く。歴史と伝承、民話の世界に時を忘れる。
一人でも多く山に来て貰いたいというが、都会人があんまり来ない方がいいとも思う。

ピカッピカッといいアイデアが美しい星空の下で浮かんだ。
布団に横になると、足腰がパンパンに張っている。久々に山をあるいた独特の張りだ。
次の日に行った作家の浅田次郎さんと縁のある立派な宿坊の大広間に浅田次郎さんの名作、「壬生義士伝」の生原稿が飾ってあった。几帳面なペン文字で見事な原稿であった。

宿坊の食事はヤマメやアユの塩焼き、こんにゃくの刺身、山菜料理。
とても質素だ。山の宿坊は心と体に染み込んだ都会の贅沢を忘れさせてくれる。
残暑が厳しいが山の中は紅葉が近づきつつある。虫の音が闇の中に聞こえた。
舞台から投げてくれたおもちを二つ食べた。固く味はないがニホンオオカミが守り続けた山の味だ。

お土産に馬肉と鹿肉が入ったレトルトカレーを買った。商品名は「馬鹿ヤローカレー」である。

2012年9月10日月曜日

「貧への路」







井上有一 貧


歓喜の両腕を上げるがその腕に手首から先はない。
立ち上がり喚声に答えようとするがその足には膝から下がない。
だがしかしその顔は達成感に溢れ、誇り高くまた、気高い。人間はつくづく闘志に満ちている。

パラリンピックは健常者の知恵と工夫、障害を持つアスリートの不屈の精神との出会いだ。
より高く、より速く、より強くの美しい姿だ。もう直ぐ運動会の季節だ。

かつて障害物競走というのがあったがこの頃は少ない。
何故かと問えば“障害という言葉が差別的だからという。果たしてそうだろうか。
パラリンピックを見ていてそう思った。

五体満足の親が、五体満足の子が、片やモンスターペアレントと化し、片やイジメに走る。その親にしてその子ありという。私は親を裏切り続けてしまった。

ドナルドキーンさんが日本人になった。
その基は日本人の手紙にあると言った。
日本人の手紙の書き出しは美しい季節の描写で始まる。
そして日本人はどの国の人より親切だという。

九月八日渋谷から辻堂まで列車に乗った。
午後十時を過ぎていた。ほぼ満員であった。

五体満足の会社員風おじさんは右手に缶ビールを持ち、左手に柿ピーを持ってイビキをかいていた。
その前には老人が吊革を握っていた。五体満足のOL風の女性はひたすらメールを送っていた。
その前には子供連れの女性がいた。先日新橋駅で目の見えない人がホームから落ちて死んだ。
周辺には五体満足の人間ばかりだったはずだ。

本当にこの国の人間は親切なのだろうか。

この夜の深夜、落語のCDを聴いた。
長屋の人間同士がなんと親切であったのだろうか。貧乏ほど人間を美しくするものはない。
井上有一大先生の書いた巨大な“貧の一文字が目に浮かんだ。
パラリンピックの選手達も銀座でパレードをするだろう。差別があってはいけない。
そう思いながらもう一枚の落語を聴いた。
右に“金に向かう路があり、左に“貧に向かう路があるならば、私はとまどう事なく左の路に向かう。
願わくば江戸時代の長屋に住みたかった。