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2015年7月6日月曜日

「仁義の墓場」




その墓には花が絶えないという伝説のヤクザがいた。
その名を石川力夫という数多い伝説の街、新宿の中でその名を残した。

ヤクザが恐れる程凶暴であり、自らの親分を襲うということまで仕出かす。
兄弟分も襲う。ヤクザ界の厄介者となるのだが、そのあまりの無法さが伝説となった。

刑務所の屋上から飛び降り自殺したのも劇的で影響している。
確か30才位で死んだと思う。刑務所にこんな言葉を残した。
「大笑い三十年の馬鹿騒ぎ」ヤクザと政治家を一緒に語ることは許されないと思うが、国会の審議を見ているとつくづく「大笑い」となっている。

このままだとただのバカ騒ぎで終わり、結局野党は何も残せないこととなる。
一束いくらの戦争法案を、池波正太郎の鬼平犯科帳的にいうなら“憲法を盗人の急ぎ働きでいただくと”なる。
急き働きとは文字通り手っ取り早く仕事を片付けてしまうということである。

七月五日のNHKスペシャルに高村正彦という弁護士資格を持つ自民党副総裁が出ていた(各政党の憲法論議・自・公・民・維・共以外の少数、ミニ政党は、ひな壇芸人扱い)
高村正彦は最近めっきり人相が悪くなった。
机をドンドン叩き、口をワナワナ震わせて合憲論を語った。
この政治家はかつて違憲といっていた。
まったくイケン人間だ、自分の後を継がす息子のために恩を売っているのが見え見えだ。

大笑いしたのは沖縄の下地幹郎だ。
落選中かとおもいきやどっこいスレスレで国会議員となっている、いつの間にか維新の議員として。政府の閣外応援団になっている。
ヤクザは親分一筋だが、この手の政治家は次々と親分を変える。

義理と人情などはほとんど持ち合わせない。野心と異心が同居する。
野望と絶望が交差する。金と銭とが刺青のように体に染み込む。


あ〜なんたる無惨かと思っていたら自民党内のリベラル的政治家がついに立ち上がった。その数まだ二十人位、私の知っているリーダー候補が勇気を持って行動して欲しいと思っている。伝説の男となる機会が来たのだ。乱は人を生み出すと歴史は証明してきた。
どの政党人にもその機会は等しくある。潮目は確実に変わった。

石川力夫を映画化したのは、巨匠故深作欣二監督、題名は「仁義の墓場」主演は渡哲也であった。国会が仁義の墓場とならないように切に願っている。
一度裏切った人間は、二度、三度、そして何度も裏切ると決まっている。(文中敬称略)

2015年7月3日金曜日

「一生けんめい一秒」




何故新聞は大きく記事にしない、国民の62%以上が生活が苦しくなったという発表を。
何故新聞は大きく記事にしない、実質賃金が27ヶ月連続マイナスになった発表を。
何故新聞は記事にしない、銀座も赤坂も不景気風が吹いていることを。
何故新聞は書かない、個人タクシーの運転手さんが毎月の組合費6万円が払えず個人をやめて会社に入りなおしていることを。
何故新聞は書かない、お金持ちだけがジャンジャンお金を増やして更に増やそうとしていることを。

何故か新聞はこの大きなムーブメントを小さくしか扱わない。
それは戦争法案反対のデモが大きく広がっていること。若者たちが立ち上がっている事。二万人、三万人のデモの写真は大きく掲載しない。

むかしからA新聞はインテリ、B新聞はヤクザ、C新聞はノンポリ、D新聞は右翼といわれてきた。さてお分かりでしょうか(?)私は若者に期待するのだ。
国は若者の力で変わって行くことを。
彼らはこの国の未来を決して諦めず希望を持っていることを。

議論せよ、口角泡を飛ばせよと思う。
50代以上の女性たちが明日に向かって輝きを増しているのに、50代、60代、70代の男たちはすっかり諦め切っているのが多い。

近々どーんと株は下がる、近々どーんと内閣の支持率は下がる、近々世界はどーんとなる。何がどーんとなのかはそれぞれが考えねばならない。
50代、60代、70代の生きた知恵と経験が必要となるだろう。

心を広くし勇気を持って若者たちと接しなければならない。
彼らは手強いが、新鮮で斬新でユニークだ。学ぶことが山ほどある。
何故か新聞には若者たちが夢も希望も持っていない記事しかかない。

80代と10代とがセッションしたら素敵なJAZZが生まれるだろう。
70代と20代がセッションしたら素敵なファッションが生まれるだろう。
60代と30代がセッションしたら素敵な映画が生まれだろう。
50代なんて100歳の半分でしかない。

私は誰もやらなかったことをプロデュースする。
新しくなければアイデアではない。毎日同じ人間と同じ話をするほど無駄な時間はない。真のクリエイティブとは危険を求めることだ。

ほとんどが失敗に終わるが、なんちゃって一丁前のことを考えながら昨日は、茅ヶ崎↔橋本↔八王子↔立川↔昭島と往復した。ガッタンゴットン電車に揺れながら。
ある店のあるディスプレイを見るために。

頭が悪いのでアイデアは足で考えるのが私のモットーだ。
この頃の新聞記者は足で取材せず、もっぱらパソコンで取材するらしい。
「一生けんめい一秒」こんな名コピーを書いた人がいる。SEIKOの広告であった。

2015年7月2日木曜日

「こゆるぎ」


 
写真はデラックスこゆるぎ弁当
小田原といえばまず浮かぶのが北条早雲であり、小田原城である。
小田原提灯も、そうそう豊臣秀吉と伊達政宗の小田原のつれしょんも有名だ。
駅前には干物、乾物、蒲鉾屋が軒を連ねる。

駅弁といえばやはり「鯛めし」が有名だが、私は断然「こゆるぎ弁当」が好きだ。
丸い竹わっぱの中に味付けごはん、グリンピース入りとろり味の玉子と肉そぼろ、四角に切った小さな竹の子の煮付け、えび天ぷらや鳥肉ヤキなどがふたを取ると見た目キレイに楽しそうに顔を出す。

小田原に着いたり、小田原に行くと必ず買う。
大磯、平塚両駅でも売っている。
お茶と一緒で1000円である(デラックスこゆるぎだと1000円を少し出る)。

確か乙川優三郎さんだったと思うが、「小田原鰹」という短編小説があった。
夫婦にはいろんなことが起きる、故あって夫と別れた妻が実家の小田原に帰る。
そして初鰹の季節になるとそれを送る、確かそんな話であった。
この作家は市井の民のほんの小さな心の動きや出来事を映像的に書く名手だ。
山本周五郎さんのようにである。

京都から帰る途中小田原駅で「こゆるぎ弁当」を二つ買って帰った次の日、そこ付近で焼身自殺があった。なんと新幹線の中でだ。言葉を失う出来事だ。

年金だけで生きて行けない七十一歳の人間が道連れにしてしまったのは、五十二歳の整体師の女性。お伊勢参りが目的であった。人の心と体を整えてあげたいとその職業についたとか。

小田原での惨事は、防災、防犯罪の在り方について永遠に語り継がれる歴史的場所となった。国の政権が乱れると必ず人の心も乱れまくる。
大馬鹿な作家や、戦争大好きな阿呆な政治家や、権力にひれ伏す法律家などが続々と出る。大都市のどこかで小田原の惨事みたいなのが起きるやもしれない。

事前防災・できることから始めよう。
このテーマにずっと取り組んでいるステキな女性社長と私の仲間たちとで、近々ある法則を発表する。日本列島は災害列島なのだから。いつくるか分からないが、どこかへ必ず来ることだけは分かっている。いずれみなさんに報告をする。国を救うのは決して戦争ではないのだ。

2015年7月1日水曜日

「狼の詩、ヨーイスタート」



映画チラシです。


六月二十八日(日)群馬県前橋市にて新作の短編映画(27分)の第一回上映会を行った。主役を演じてくれた一人が前橋出身の現役のムエタイの世界チャンピオンだからである。

その名をリヨン樺澤さんという。無敵の人だ。
そのリヨンさんの父上が空手家の樺澤春雄さん、国土會の総裁である。
 若かりし頃、国士舘大学時代はケンカの鉄人といわれた人である。

父は息子を尊敬し、息子は父を敬愛する。
これぞ日本の親子なのだと思った。

樺澤総裁のご尽力でシネマまえばしの120席はほぼ満員となった。
心より感謝御礼であった。
制作資金の一部を出してくれた指宿豪さん、赤城廣治さん、内藤泰憲さん、恐くてステキなポスター11点をデザインしてくれたアドビジョン銀座の社長、前島一郎さんとステキな奥さん、映画初出演であった沖縄の仲里健太さんとそのボディーガード&ドライバーの方、それにプロデューサー&スタイリストの上原有美さんが前橋に来てくれた。

映画の題名は「狼の詩」、岡倉天心の名著「茶の本」を読んでインスパイアされ脚本を書いた。監督は新進気鋭の寺尾学ぶさん。残念ながら舞台演出中で来れなかった。
親分役のベンガルさん、親分の女役の美美さんもスケジュールが合わず来れなかった。

若頭役の赤城廣治さんは日本の広告界を代表するコピーライター&クリエイティブディレクターで若手のリーダーである。
日常生活では正義感の塊なのだがヤクザ役を頼んだ(抜群の演技)。
兄貴分役の指宿豪さんは、銀座でクラブを経営する一方、劇団を主宰、演出と出演をしている。また現在真言密教の修行中(すでに法名を受けている)
弟分役のリヨンさんは指宿さんとVシネマで共演したことがある。
若い衆役の仲里さんは食品関係の会社を運営中。

指宿さん、仲里さん、そのボディーガード(そこいらのタレントの数倍カッコイイ)には見事な刺青が入っている。何故でしょう(?)この人たちの礼儀正しいことこの上なし。
若い衆役の内藤さんの本業は鍼灸マッサージ師、その道の達人で週に一度私の体の手入れをしてくれている。優しいオトーサンが恐いオニイサンになってくれた。

何時も鋭い批評をしてくれる中野裕之監督に見てもらったら高評価をしてくれたのでひとまずホッとしている。それにグラフィックデザインの大巨匠井上嗣也さんも。
また日本の映画界で賞を獲りまくっているプロデューサーの星野秀樹さん、PARCOの文化担当金子学さんからも高評価をいただいた。手応えは十分ある。

次は東京で岡山(倉敷)で、ひょっとすると四国の四万十でも上映会をするかもしれない(友人が四万十映画祭をやっている)。
映画バカが集まって、お金を出し合って、仕事の合間を作って一年二ヶ月かけてやっとここまで来たのだ。

青山学院大学の学生時代アルバイトとして私のところに来てからずっと一緒だったチーフプロデューサーの奥野和明君は事情があって実家のある大阪に帰った。
心から御礼を申し上げる。誰か会ったらよろしくいって下さい。
タクシーの運転手さんになって大阪の街を流しているはずだから。
本人はこの方が性に合っているといっていた。バカな私を支えてくれた。

日本映画史上初めてのシーンを見ることが出来ます。拝金主義反対の映画。
正しいヤクザは必要なんだ(?)の映画です。協力をしてくれた多くのスタッフの方々のためにもきっと大きな評価を受けてその恩に報いたい。
私のような映画バカは死ななきゃ治らないのです。

2015年6月30日火曜日

「敷ふとんとフェルメール」




ギリシャ悲劇が目前に迫った。借金が返せないからだ。
すでに銀行に金はない。

会社経営なら金融機関から資金を借りつつ再起を図る。
が、国家経営となると話が違う。
ギリシャ、ロンドン、北京、スペインこの国はあるイベントを行って以後国家経営がメタメタにダメになってしまった。

そして日本国もそのダメに一直線に向かっている。
あるイベントを行うからだ。1000兆円以上も借金がある世界一の借金国なのに。
イベントの名はオリンピックだ。

そのメイン会場の建設費が1300億の見積もりから2500億以上にどっかーんとふくらんだ。通常こんなケースはコンペで勝ち取っても一度白紙にされるはずだ。
コンペが詐欺的行為となってしまうからだ。
藝大、東大、国立大学コンプレックスの建築家安藤忠雄という人間が暗躍した結果だ。
日本でやるイベントは日本人の建築家に任せるのが筋というものではないか。

聞くところによると安藤忠雄はプリツカー賞を受賞した者しか参加させない方針を立てたとか。そうではないと自分の嫌いな人から選ばれてしまうチンケで浅はかな考えだからだ。
芸術家が政治や権力者に近づくと、千利休や古田織部のように結局腹を切らされ首をさらされる。商業イベントと化した、たかだか三週間の世界大運動会のために国が滅びてなんとすると私は思う。

ギリシャの借金に比べて日本国の借金は桁違いに大きいのだが日銀がバンバン刷るお金に邪悪な連中は目が眩んでしまっている。日本大悲劇が確実に起きると断言する。
あー嫌だ嫌だ、利権屋のパシリと化した安藤忠雄のダミ声なんか聞きたくないのだ。
こんな不快な気分を五人のかわゆい舞妓さんが晴らしてくれた。


昨日行った京都のイベント開場にゲストとして舞妓さんが来てくれた。
祇園のみなさんが芸ごとをお稽古する書院通りの祗園甲部歌舞練場に大広間、中広間、小部屋がありそこにフェルメールの絵が日本建築と調和しながらある。
大庭園の見える大広間の窓際に一台のベッドがあり、そこにoluha(オルハ)の羽毛敷ふとんがある。そこで横になりながらフェルメールの絵を見れるのだ。
レセプションに来ていた女性たちは横になり気持ちいい、最高を連発していた。
(文中敬称略)

2015年6月29日月曜日

前橋から京都へ


昨日は群馬県前橋市で新作の短編映画(27分)の上映会を行った。

本日ただいま京都へ向かう車中にいる(プロデューサー&デスクの女性が打って発信してくれている)。
祇園で行うフェルメール リ・クリエイト展に参加するためだ。

青山学院大学教授・福岡伸一さんと、ソトコト編集長・小黒一三さんのライフワークのような展覧会だ。

音声ガイドは小林薫さんと宮沢りえさん。ヴァイオリン演奏は川井郁子さんだ。
えっ、

と驚くことをやる。
詳細は後日に記す。

2015年6月26日金曜日

「未練心に…」





作詞家・横井弘さんが死去したという記事が昨日の朝刊に載っていた。
八十八歳というから米寿である。
横井弘さんの名を知っている人は音楽関係以外の人ではかなりの作詞通といえる。

横井弘さんは大ヒットを世に出した。
この詩を読んだら、あっ知ってる、唄っているはずだ。
で、代表作を二つ書く。

♪〜惚れて 惚れて 惚れていながら 行くおれに 旅をせかせる ベルの音 つらいホームに 来は来たが 未練心につまづいて 落とす涙の 哀愁列車…
今は亡き三橋美智也さんが唄った名曲「哀愁列車」である。

その昔私は酒を飲んでいる時、こんばんわといってギター片手に店に入って来た流しの歌手にこの歌を唄ってもらった。
何!知らないだと、それじゃこれはどうだ。

♪〜下町の空に かがやく太陽は よろこびと 悲しみ写す ガラス窓 心のいたむ その朝は 足音しみる 橋の上 あゝ太陽に呼びかける…
倍賞千恵子さんが今も日本のアチコチで唄い続ける名曲「下町の太陽」だ。
この歌を知らない人は十代か二十代だと思う。

♪〜下町の恋を 育てた太陽は 縁日に 二人で分けた 丸いあめ 口さえきけず 別れては 祭りの午後の なつかしく あゝ太陽に 涙ぐむ。

初恋に胸をトキメカした頃を思い出しませんか。
好きな子が縁日に来て浴衣姿で金魚すくいや水飴をなめていた姿を。
目と目が合ったその夜はきっとまんじりともせず起きていたはずです。
横井弘さんの詞は印象派の絵のようであり、写実画のようでもある。

この頃は詞のいい曲がありません。覚えられない詞ばかりです。
♪〜泣いて 泣いて 泣いているのを知らぬげに 窓はふたりを 遠くする 見返れば すがるせつない 瞳(め)のような 星が飛ぶ飛ぶ 哀愁列車…。
さようなら横井弘さん。私はずっと未練心につまづいています。

2015年6月25日木曜日

「賞について少々」




“物書き風情”に惚れやがって出て行け、家を出て行け、お前なんか俺の娘じゃない、とっとと出て行け。
なんて親から嫌われた職業が、物書き風情といわれた自称小説家だった。

小説ではメシは食べて行けない時代(今でもそうだが)文学少女たちに、ややこし文学論をショパンとかモーツァルトの流れる薄暗い珈琲店で延々と語り続ける。
キミに分かるかな、今ボクがどれほど文学に悩みもがき苦しんでいるか、いかに生活が困窮しているか、あーボクはもう駄目だ、ボクは生きている価値がない。
ボクと死んでくれ、なんて新派の劇みたいに演じる。
 純情な文学少女はそんな男に、出来ることならなんでもする、お金ならきっと何とかする、なんていってついには身を滅ぼしていく。

物書きはヒモみたいなのが殆どだった。
それでも必死に小説を書き出版社に持っていったり、編集長に送る。
その結果99.9%がボツですという返事を受ける(返事すら来ない場合も多い)。
0.01%に選ばれた小説は編集者によって朱を入れられて、真っ赤っ赤、空の雲みたい原稿は真っ赤になる。原型をとどめない。

これじゃボクの書いた小説じゃないと叫ぶも、編集者はいう、キミねえ、本気で書いているの、この程度で世の中に出して売れると思ってんの、主人公の存在感が日常的すぎるんだよ。
文句あんなら一から書き直して見なさいよ、持って帰ってよく考えてよなんていわれる。
チキショーバカにしやがって、あんな奴にボクの(あるいはオレの)小説が分かるかと安酒を煽ってクダを巻く。

かつての文学少女は厚化粧の女となり、これからよ頑張って、私も頑張るからと物書きに尽くす。小説家は100%編集者によって作られていく(自費出版以外は)。
画家は画商によって見い出されなければ路上で売るしかない。ヘビー級チャンピオンはマフィアが生み出すといわれている。

お笑い芸人さんが書いた作品「火花」が芥川賞の候補作になった。
私は立ち読みでパラパラとめくったが、こりゃ駄目だと思ってしまった。
世にはいい小説を書くが残念ながら世に出れない物書きがいる、いい編集者との出会いがないために。そんな物書きの影に、必死に尽くす女性がいる。

小説はかつては文学作品といわれたが今では“文学製品”となっている。
私もそんな製品を恥知らずに出している。全然売れていないのでほっとしている。
お笑い芸人の作品が芥川賞を受賞することを願っている。
その次の作品をじっくりと読ませてもらう。

佐藤泰志というすばらしい作品を書いた北海道の小説家は、芥川賞の候補に四度なりながら受賞出来ず、やがて自ら命を断った。
太宰治はなんとか芥川賞を下さいと審査委員に手紙を送った。
その頃は芥川賞に文学的価値があった。いい小説ははじめの一行で決まる。

ちなみに文学少女に年代の決まりはありません。
文学を愛する女性は等しく文学少女なのです(?)

2015年6月24日水曜日

「赤い列島と赤紙」




北は北海道から南は沖縄まで、日本列島の大地は、名主や地主、庄屋や地頭、悪代官や大名たち、置屋や金貸し、軍閥や財閥による抑圧と搾取、権力と暴力による弾圧によって歴史の中に血と汗と涙を染み込ませている(血涙という)。

大地は決して笑うことはない。山は怒り、河は怒り、海は怒る。
貧しき者、小作人はいかなるときも、めげず、へこたれず、よく働きつづけた。

そして赤紙一枚で戦争に引きずりだされた。
美しい日本列島は、実は赤い血の色をしているのだ。

敗戦後七十年、この国の歴史を今一度学ばねばならない。
あとで振り返った時、あの年が地獄への入り口だったとならないために。 

2015年はバカなテレビを見て笑っている場合ではない。
マズイ、私はバカなテレビをずっとつけっ放しだ。

マッカーサーたち占領軍の第一の目的は、爆弾を抱いて飛び込んで来る怖ろしい国民を徹底的にバカにすることであった。
もう一つは日本列島を永遠に米軍の基地にすることであった。
沖縄に目を向けよ、沖縄から学べ。

昨日六月二十三日は「慰霊の日」であった。
沖縄を血の島と化したマッカーサーたち占領軍が残したいいものがある。
民主主義と憲法九条だ。数百、数千万の命の代償だ。

コラッ、聞いてんのか、テレビを消せっていってんだよ、何!戦争なんか起きる訳ないってか、お前たち今度ヒロシマとナガサキに連れて行ってやる。
七十年前私たちはこの世に生まれた。戦後っ子として。

七十年前沖縄で部下たちを殺しまくった分隊長、小隊長、中隊長、大隊長たちはまだしぶとく生きている。戦争は終わっていないのだ。今年は沖縄の友人のところに行く。
きっと行く。ナベちゃん待ってろヤー!なのだ。

2015年6月23日火曜日

「裏も表も」



ある親分が書いた新刊本を読んだ。
正確にいえば元親分六十九歳、今は代を譲り堅気になっている。
過去に三冊自費出版しているのだが今度の本は有名な出版社から出されている。

題名は「ヤクザとシノギ」。シノギとは食べていく手段だ。
ヤクザ社会では引退し堅気になった人間は的にかけない(手を出してはならない)という決まりがある。あくまで正しいヤクザ(?)であればの話だが。
254頁の中に波瀾万丈の侠(オトコ)の人生がある。

読むと若い頃私が数年間勤務した一般会社社会と同じである。
上司への不信、上司への裏切り、仲間との出世争い。
利権の取り合い、人事への不満、金の貸し借り(バクチや賭けゴルフで)組織防衛(MAみたいなものから)これらはいつの世も会社人間が日々直面しているものだろう。
違いといえばヤクザ者が下手を打ったり、モメゴトの仲裁に失敗した時には指を詰めることだ。この本の書き手である元親分も三度指を詰めている。

一般社会ではそんなことはありえない。上司は部下を見捨てる、部下は上司を見限る。
チクリ(密告)と風を吹かせる(ネットなどにガセネタを流したり、針小棒大にする)ことに仕事を忘れる。ネットカフェに入り浸る会社人間はほぼこのことに熱中しているといっても過言ではない。会社とは社会の逆文字だから、正しいことの逆が多い。

あのバカヤロー仲間のみんなが心配しているのに裏切りやがって。
とんでもない反社会行為をしやがって。
久々にいつものグラスで飲む酒も悲しくまずい夜がある。

ヤクザ者の世界ではキッチリとけじめをつけるのだが一般社会ではケジメはファジー(曖昧)のまま終わることが多い。表社会を学ぶには裏社会を学ばねばならない。
元親分の本はその教科書となる。

高校とか大学の教科に「裏学科」を作るべきだと思っている。
暴対法でシノギが減った人々の仕事場が生まれる。
「裏学科」で、喧嘩道、博打道、女道&男道、人事道、裏切り&ケジメ道、シノギ道などを重点的に教えるのだ。

現在午前四時三分五十一秒、なにやら酔いが回ってしまった。
国会は長期延長、内閣支持率がついに30%台の危険水域に(朝日新聞調査)そして9月末まで大幅会期延長となった。かなりキナ臭くなってきた。
親分を裏切る者共がこぞってスタートラインに立ち始めた。
政界の一寸先は闇に向かって、もうすぐヨーイドンだ。