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2020年3月30日月曜日

第42話「私は火口」

私は「火口」である。火口といえば噴火口のこと。活火山であればいつかそこから爆発の火柱と噴煙、火砕流があふれ出す。活火山が現在であれば、休火山は過去。死火山はあの世といえる。金曜日から日曜日は気が滅入ることばかりであった。恩人、知人、友人から入る電話は、コロナウイルスの影響で気が晴れるものはない。ただ金曜日の夜、親愛なる兄弟分と久々に会い、男気健在、意気軒昂、流石のセンスと根性に惚れ直した。又、大きな借りができた。(その侠気に)二次会はなしで会食後家路についた。暗く、重く、辛いニュースを見てから、映画を見た。映画の友から、白石一文原作、荒井晴彦脚本・監督の「火口のふたり」がNO1というほど、いい作品だと聞いていた。で、その作品をまず見た。舞台は秋田県である。顔を黒い布で隠して踊る祭りの季節である。それは過去を隠しているとか(?) 結婚式をするために一人の女が帰省して来る。久々に出会った、三十代後半の男と女は、かつて恋人同士であった。男は子を一人持つが、浮気がバレて離婚していた。フリーターである。女は四十代になるまでに子を生みたいと思い、自衛官との結婚を控えている。(子宮を痛めている)二人は若い時から激しい肉体関係を持っていた。その行為の数々を自撮りして、アルバムとして残していた。男と女は女の相手があと5日後に、任務を終えて帰って来る。その後結婚式がある。それまでずっとSEXをしようと話す。私火口は女が大事に持っていた、冨士山の大きな火口を空撮した写真を、女が大事に持っているの見て、映画の題名(原作と同じ)の意味を知った。火口は女性であり、(暗闇のようなその中は子宮という宇宙である)男はそこに熱情を突き立てる。二人は五日間部屋で、走るバスの中で、ホテルで、露地裏で。キッチンで。風呂の中で、ひたすら性欲を爆発させる。だがこの映画は文学作品である。エロ映画ではない。現代版愛のコリーダのようである。私火口は名優柄本明の息子、柄本佑と瀧内公美に賛辞を送る。すばらしい演技であった。二人共全裸で、人間の原点を演じる。タンタンメンを食べ、ギョーザやレバニライタメを食べ、ラーメンを食べ空腹を満たし、又、肉体を消費させる行為をする。きっと冨士山から火が出ていた頃、縄文人や弥生人たちは、生きるための労働をした後、食で腹を満たし、ひたすら子孫をのこすことに励んだのだろう。映画との違いは、男と女は働いていないことだ。私火口は見た。登場人物はほぼ主人公二人だけ、あとはエキストラの作品に、映画の原点を。新藤兼人監督の「裸の島」と同じだ。シナリオが抜群に良く、男と女とのからみの表現も抜群だった。さすがに荒井晴彦だけのことがあった。おススメの一作である。私火口はその後、黒澤明監督の「羅生門」三隅研二監督の「女系家族」という名作を見た。その後ネットフリックスで「汚れた真実」シリーズを見た。アメリカの銀行の腐敗、マレーシアの権力者の腐敗、コロンビアの麻薬王とそれに群がる人間たちの腐敗、チリの森林を伐採し、その地下鉱脈にある金を採出して、莫大な利益にと資金洗浄する、腐敗した人間たちを見た。私火口は思った。大自然を怒らせた人類は、きっとポンペイのように火山の大爆発のようなもので滅ぶのではと。新型コロナウイルスは人類を滅ぼすための、大自然からのメッセージではないかと。不要不急以外出るべからずを守るために、20時間位映画とドキュメンタリーシリーズを見た。「世界の麻薬王」シリーズは見応え十分であった。私火口は三月二十九日日曜日、冷たい雨、時々雪の日、これを書いている。午後三時四十分テレビの画面には、東京都内で最多の感染者が出たことを、テロップで流していた。義兄弟とは、ずっと活火山の関係でいたいと思った。
                               (文中敬称略)


2020年3月26日木曜日

第41話「私は出張」

私は「出張」である。仕事で東京を離れていた。仕事の内容はこれから仕上げるため、書くことはできない。新幹線はガランガランであった。私出張がいままで経験したことがないほど空いていた。フツーなら夜はスタッフみんなで食事をするのだが、コロナウイルスが拡散しているので、夜仕事仲間のプロデューサーと、新幹線へ乗って帰路についた。私出張は夜遅く帰宅してニュースを見ながら、たまっていた新聞を読んだ。午前二時半頃までかかった。私出張は思った。この国は●人の命ファーストか(アスリート含む)●世界大運動会ファーストか ●リーマンショック以来の不況対策ファーストか ●世界と協力して新型コロナウイルス開発ファーストか ●世界大運動会利権ファーストか ●クーベルタンが提唱した真のオリンピック憲章ファーストか ●大企業優先か中小企業優先ファーストか ●安倍政権維持ファーストか ●東京都知事選挙ファーストか ●株価大暴落、円安対策ファーストか ●小・中・高校授業開始ファーストか。等々いろいろであった。で、私出張はもし世界人類の人命ファーストか、世界大運動会ファーストか。(商業化になりすぎて、本来のアマチュアイズムでなくなった)世界規模の大不況対策ファーストかの三つに絞った。テレビ、新聞マスコミは殆どオリンピック延期一色である。バカ者、マヌケ顔、ヒマ顔がいつもの如く揃って、アーダ、コーダ、ソーダと大騒ぎ。もううんざりで大運動会延期は私出張の中では中止にした。報道ステーションの後藤謙次氏のみが鋭く分析していた。私出張は日本国という世界で唯一の被爆国、いまだに主権米国で独立国ではない、数奇な運命の国の将来に暗雲を見た。この国は世界史にも類のない終り方をするだろうと。一日でも早く嘘八百から脱しないと、天は怒りの刃を向けて日本列島を切り壊すだろう。2月13日夜マグネチュード7.2の地震が北方領土択捉島沖で起きていた。そのことが3月24日の新聞に載っていた。震源が深く津波は起きなかったが、日本列島のアチコチでマグネチュード8.8クラスの大地震が、30年以内に起きる可能性が「7~40%」あるという。日本列島は原発列島でもある。私出張は日本全国に行ったが、つくづく恐ろしい国だと思った。“嘘をついたら針千本飲まされる”と、幼い頃オトナからオドされた。私出張は反省しきりである。福島の汚染水は完全にアンダーコントロールしているという、大嘘から始まった世界大運動会は、ハナから天にツバしていた。一日たりとも防災を忘れてはいけない。私出張は、森友学園問題で自ら命を絶った、役人さんの遺書を読んで、再びこの国はすでに法治国家ではなくなったと思った。救国の星の登場が待たれる。私出張はこの人ファーストと思う人の死を悼んだ。からだの不自由な子どもたちの養護施設「ねむの木学園」の設立者にして、子どもたちのやさしい親であり、やさしい先生だった。「宮城まり子」さんだ。九十三歳であった。文壇でいちばん女性にモテたといわれる故吉行淳之介さんが生涯愛した女性である。小さな体、クリクリした目、宮城まり子さんは、歌手であり女優であった。「やさしくね、やさしくね、やさしいことは強いことよ」といって、子どもたちの側にいた。こんな人が必要な人なのだ。バカ者、アホ者、ヒマ者よといいたい。♪~「紅い夕陽が ガードを染めて ビルの向うに 沈んだら 街にゃネオンの 花が咲く 俺ら貧しい 靴みがき ああ 夜になっても 帰れない 「ネ 小父さん みがかせておくれよ ホラ まだ これっぽちさ てんで しけてんだ エ お父さん? 死んじゃった……お母さん 病気なんだ」私出張は少年の頃この「ガード下の靴みがき」を聞いて涙した。宮城まり子が歌った、大ヒット曲だった。♪~「なんでこの世の 幸福(しあわせ)は ああ みんなそっぽを 向くんだろ」でこの曲は終る。生涯を弱者に尽くした。その死を悼むテレビは一局もなかった。バカヤローなマスコミだった。私出張はきっと時間をつくりお墓に参る。“人の命ファースト”なのだと、深く思った。 




2020年3月23日月曜日

26日(木)まで休筆

400字のリングは都合により、26日(木)まで休筆致します。

2020年3月20日金曜日

第40話「私は裏話」

私は「裏話」である。昨日午後十一時半頃に電話が入った。東京オリンピックは延期だよと。元電通の高橋氏が延期でやむなしと発言して、一気に延期論が流された。実はこれは日本の実行委員会委員長である、森喜朗氏がひとまずアドバルーンを上げて、世間の様子を見てみようとなったらしい。森喜朗氏と言えば芝居がかったことで有名である。元電通専務の高橋氏といえば、世界中のスポーツ界の動きを熟知している。この人の抜きでは、オリンピックは語れない。私裏話はスポーツ大好き人間だが、ロスオリンピック以後の商業オリンピック化に、疑問を持っている。別にオリンピック種目にするほどでもないのが、次々に種目化される。そうなるとそのスポーツの協会に選手強化費として、莫大な予算がつく。オイシイ話ばかりとなる。あまりオイシすぎて、関係者の人生は大きく変わり、夜な夜な夜の世界に出没し、悪知恵を出し合う。私裏話が知るところでは、森喜朗氏は少しばかりリスクを背負うが、とりあえず世論から延期容認の流れを作ろうとして高橋氏を使ったのではないだろうか。結果各新聞社の世論調査によれば、ほぼ6割が延期やむなしと出た。麻生太郎氏が呪われたオリンピックは40年ごとに来る、なんて一席ぶって悦に入っている。小池百合子氏都知事は、すでにオリンピックより、自身の選挙対策を練っているように見える。例によってこの国は、金をWHOとかIOCにバラマキ、とりあえず中止、延期をしないというポーズに、ご協力をとお願いする。で、誰もいない(関係者以外)聖火の引き継ぎ式。誰もいない道を一人ユニホームを着て、聖火を持って走る、気抜けランナー。えっな、なんで私が(?)Whyとばかりオドロクのは、ずっとむかしオリンピック出場したという、中年女性。とにかくオリンピックに関係してればいいよと、キャスティングされた。言語多量、内容少量我が国のリーダーは、福島の汚染水はアンダーコントロールをしていますとか、日本の七月八月は、スポーツにとってベリーグッドですと口を滑らす。ところが日本の夏は狂熱と知ったIOCは、マラソンを東京から札幌へ。誰も文句はいえなかった。自分の身をしばってしまう。手柄は自分に、失敗は部下と役人にと露骨だ。森友学園問題で自から命を絶った、役人さんのふるえる文字の遺書を見ても、きっと何の感情も起こさないだろう。そんなことより、早くゴルフがしたいよが本音ではないだろうか。否、実はとてもいい人なんだよという人の声も聞こえるが、私裏話にはほとんどビョーキにしか見えない。今は延期に向かって、やってる感を演出中、四方八方手をつくしたが、断腸の思いで延期を決断しました、アスリートファーストですからと言うのだろう。外国から来るアスリートの健康を守らねばなりません。と、いつの間にか自分が勇断したことになって行く。そして延期したオリンピックの「お・も・て・な・し」は、私が四選して行ないますとなる。私裏話はその姿に、業の深さを見る。電話をくれた人に、これはデキレースだ。五輪じゃなくて七、五輪だよ、たっぷり配当金を手にする奴が出るだろう。何しろ1.5回もオリンピックができるのだから。こんなオイシイことはない。泣きを見るのは、いつでも弱き立場の者なのだ。もう一度書くが、延期をすればこの国のリーダーと側近たちにとって、一石三鳥のオイシイ話だ。(一)1.5回分かせげる。(二)任期が延長できる(三)憲法改正ができる。不足していた時間がこれで満足となる。リスクは側近政治にもう我慢できないと。乱を仕かけるのが出るかもだが、数の力にひれ伏しかねないだろう。そう言って電話を切った。おもてなしはなし、つまりばかり。長電話で腹が減ってしまったので、お茶漬けを食べた。あったまった体に赤城乳業のガリガリ君、少しクールダウンができた。



2020年3月18日水曜日

第39話「私は苦笑」

私は「苦笑」である。ボーと海を見ていて。ふと考えた。長い間大声で笑っていないと。中声でも小声でも笑っていないなと。これは私苦笑だけが思っているだけでは、ないはずだ。世の中が笑ってる場合じゃないことだらけで、人が笑わなくなった。お笑い芸人の人たちが、ひととき笑わせてくれるが、その笑いは腹の底からのものではなく、芸人さんの芸で笑わしてもらっただけなのだ。ボーと海を見た日曜日の夜、何か笑わせてもらいたいなと思い、ネットフリックスで、大好きな芸人さんのシリーズを見ていた。中川家の漫才である。兄弟のコンビで兄は小さく、弟は大きい。お笑い界の大賞を得ている人気コンビだ。弟は鉄道ファンで有名である。何しろ人間に対する観察が驚異的で、私苦笑は中川家を師匠と思っている。四日間完全禁酒をしたあとの日曜日、大好きなサンマの開き(干物)たら子を焼いたもの、松前漬け(数の子がサイコー)鯛のアラのすまし汁、ホタルイカ。ネギとカラシたっぷりの納豆を食した。五日ぶりの日本酒を二合飲んだ。街にはすっかり定食屋さんがなくなり、いわゆる家庭料理が食せない。私苦笑は、ムギトロ&メザシとか、イワシのショーガ煮&肉ジャガとか、アジの開き&ウインナー炊めなどがウレシイ。愚妻は私苦笑が何を欲しているかは、ほぼ分かる。白米は一日茶わん一杯半位しか食べない。NHKの大河ドラマを見て、一人ブツブツ注文をつける。酒が回ってなんだか気持ちいい。口の中に数の子の粒々がいくつかあるのを、大切に味わう。その後ウー、ウー、とうなされた。紙に自分の名前を書くが、いくら書いてもちゃんと書けない。変な奴が早く書けと現われる。ほんの三十分ほど眠っている間に、嫌な夢を見たのだ。忘れない内にその夢をサインペンで新聞紙の上に書きなぐった。あ~気分悪いと思い、中川家で笑いたいと思った。それにしても笑ってねえな、この頃と思った。地球上の動物の中で、夢を見るのと、大声で笑えるのは人間だけのはずだ。その人間から笑顔が消えて久しい。中川家の芸は芸人たちも、腹をかかえて笑う程すばらしい。悪夢がまだ脳内に残っているが、大阪の通天閣近所でロケをしているのをジャマする。酔っ払いのオジサンに笑った。だが私苦笑は実のところ笑っている場合じゃない。小一時間中川家を見たあと、現実に呼び戻された。久々の酒はすでに覚めていた。私苦笑は新型コロナウイルスをかかえて、一つの仕事を成し遂げねばならない。スタッフやキャストの人に、感染させてはならない。私苦笑に決断を要するものは何か。昨夜(十一時五十分頃)IOCがオリンピックを予定通り開催すると決めたというニュースを見た。フェイクニュースではと耳を疑った。アテネの聖火リレーの大事な引きつぎの儀式に、日本の委員会のボスとその次が行かないことに決めたという。金メダルスト二人も。完全な形での開催が、すでに不完全なのに、完全な形でという。共同通信と時事通信は、日本のニュースの発信源だが、内閣の支持率が、8%近くも違う。片や49%、片や41%。ある新聞では36%であった。私苦笑は首をかしげる。で、今をときめく講談師、神田伯山の悪事の馴れ初めを見る(全8話)。100年に一人の天才といわれている。私苦笑はその才能の凄さに、身を正した。チケットは全く手に入らない。若い才能がいろんな分野で花を咲かせてほしいと、思いながら魅入った。神田松之丞改め神田伯山は、過日真打ちに昇進したばかりだ。一話一時間位ある話を、百話近くマスターしているという。ダダン、ジャンジャン、ババン。名調子をナマで見聞きしたい。チケットを手に入れて、私苦笑はうれし笑いをしたい。外が明るくなった頃、敬愛するフリーのライターさんから借りた、パリ、テキサスのサウンドトラック版のCDを聞いた。メザシとライ・クーダーは絶妙であった。
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2020年3月17日火曜日

第38話「私は結局」

私は「結局」である。世の中は手を洗え、顔を洗え、人が触れる物を消毒せよとなっている。私結局はある賢人から先日教えられた。この世で一番汚いのは、お金だよ。国内は勿論各国の紙幣、硬貨だよと。いくら手を洗っても、人から人へ渡って来た紙幣は洗えない。硬貨もだ。誰も触っていない、“お金”は、ない。悪業をして稼いだ金を、正業をして稼いだ金の如くするのを、「マネーロンダリング」という。例えは悪いが今、新型コロナウイルスから身を守るために、あるいわ人に感染させないためには、日本国にいる人間全部が、持ち金を洗浄(マネーロンダリング)しなければならない。ずっと前からあちこちに知恵をしぼって、隠し持っているのはきっと大丈夫だろう。まい日紙幣や硬貨を使用する度に、アルコールで消毒する生活が必要だ。かつては大人たちから、紙幣や硬貨を触れると手が汚れるから洗いなさい、なんていわれた。最も手を洗うほど手にはして来なかった。私結局は鎌倉の八幡様の近くにある。“銭洗い弁天”を思い出した。むかしから銭は不浄だったのだろう。敬愛する漫画家さんの作品に、“銭ゲバ”というのがある。以前ある会社の仕事をお願いに行った。大先生は狭い部屋の三角地帯みたいな所で、シコシコと仕事をしていた。数多くの大ヒット作を生んでいたので、さぞかしスゴイ仕事場だろうと想像していたが、全く違った。数人のお弟子さんが、無言でいた。大先生は後姿からふり返りながら、私結局と広告代理店の人に、早く銀座に行って飲もうよ、さ、行こ行こと言った。私結局がB3サイズの紙に描いてくださいと言うと、そんな大きな紙持ってないよ、文房具屋さんに行って買って来てと言った。そ、そうかB4の紙をセロテープで貼ればいいかと言った。私結局はこの瞬間、大先生の大ファンになった。で、夜銀座に行きその後ホステスさんたちをタクシーにギューギュー詰めにして、六本木の店に連れて行ってもらった。大先生は、大型クルーザーも持っていて、今度一緒にどお、なんて言った。金はやだね、持っていたくないね、そんなことを言っていた。私結局は、天が教えているのではと思う。結局お金こそが汚れている代表で、消毒すべきモノなのだよと。人間は一人ひとりの中に、“銭洗い弁天”を持たねばならないのだろう。「シンドラーのリスト」という名作映画がある。アウシュヴィッツの収容所から、多くのユダヤ人を救った人である。その原作の中に、こんな言葉があった。「金は汚く稼いでもいい、それをきれいに使えば」私結局は、結局シコシコと働くことしかできない。大先生はお元気だろうか。同じ仕事をもう一人の大先生に頼んだが、意外にもその大先生は超のつく銭ゲバで、金の話(ギャラ)ばかりをして崇高な人格者である、広告代理店の人を激怒させた。“人は見かけによらない”ものなのだ。さあ、皆さん持っている紙幣や硬貨をシコシコと、プシュプシューと消毒を。世界人口の中の30億人が、手を洗う生活ができていない。つまり発展途上国の人々だ。インドや、アラブなど多くの民が、日常生活の中の食事を、素手で行なっている。私結局は天命に従うしかないと思っている。但し人に迷惑をかけてはならない、とも思っている。“お金をもうけてはいけないんですか”“悪いことなんですか”。そんなことを言い放った嫌な男の言葉を思い出した。(文中敬称略)



2020年3月16日月曜日

第37話「私は三学」

私は「三学」である。と言っても三つの学問を学んだなどと大それたものではない。若かりし頃、(一)漁業民、(二)農業民、(三)森林民に少しばかり触れて学んだことを言う。新型コロナウイルスの対応に対して、一国のリーダーが記者会見で話した内容を見聞して、民俗学を全く学んでないと思った。空虚な精神論でしかない。私を信じ、私について来てほしい責任は全て私がとる。その上で、ああする、こうする。で、しばしあるいわ半永久的に、耐え忍び、我慢し、かくなるものを共に実行して行こう。資源なき島国の宿命、大戦に敗北した米国従属国としての運命に、立ち向って行かねばならないと。私三学は思った。国のリーダーになる者は、国を支える民を肌身で知らねばならないと。私三学は、二十代~三十代漁船用エンジンのPR誌を、大先輩から引き継いだ。北は稚内から、南は沖縄まで、いろんな漁港に行き、早朝より船に同船してあらゆる伝統漁法を取材する。漁師さんと一緒に乗り、漁の写真を撮り、夜にはみんなに集まってもらって、エンジンの調子とか、漁業の現状とか、漁法について、とりたての魚を食べながら、共に酒を飲みながら取材する。(一)漁師は板子(イタコ)一枚で死ぬか生きるかである。大時化になった中での漁は地獄である。早く逃げ帰らねばならない。エンジンの性能は、人間の心臓と同じである。生か死か。漁師と港の女は連帯している。取材に対し正直である。(二)農民に対しては、不整地走行車の仕事をさせてもらった。やはりレポートが主体となる。その土地独特の土地の個性がある。デコボコの荒地、ヌルヌルの沼地、ビッシリ草の根が張りめぐたされた土地、不整地走行車は、その地に対して立ち向かって行く。農民は漁師とは違う。漁師が海なら、農民は大地だ。雨、風も味方になる。土地を育て養う。こうすればこうなるからと、耐え忍ぶ、取材に対しては、正直に応えない。お代官からの年貢をかくすことが習性となっている。作物は隠す。(三)森林民はある仕事で、あちこちの山の民と接触した。山の民は極めて閉鎖的である。と同時に宗教的である。秘密の民と言ってもいい。ここは夜になると獣道になる。その山には、こんな風の道がある。だから一見すばらし木も伐採する。いわば若者を育てるために、老木を切り倒す。長い間おつかれさんだったなと。私三学は学んだ。三つの民は、10年先、30年先、50年、100年先の、海、大地、山を見ていた。自然を知る本能と、ずっと先きを見るビジョンがあったのだ。漁師は博徒のようであり、農民は忍徒のようであり、森林の民は、宗徒であった。日本という国は世界に稀れな、三つの民が対等に共存して来た。そこに入って来たのが、欧米的資本主義である。国際的ユダヤ資本主義である。彼等は戦争こそが最大のビジネスであり、地球規模のマッチポンプであった。新型コロナウイルスで、世界は株式大乱高下、だがこれを演出しているのが、国際ユダヤ資本だ。そして今ではそれ以上の力を持ちつつある。中国資本だ。気がつけば、新型コロナを発染させた国が、世界を救済するみたいな行動をする。WHOは中国資本が握り、IOCは国際ユダヤ資本が握っている。オリンピック、延期も中止もこの二つが握っている。私三学は思う、これから国のリーダーとなる人間は、この島国の民の特異性を徹底的に学ばねばならないと。一神教ヤオヨロズの神の違いを肌で知るべきだ。漁船に暮らし、農家に暮らし、山の番屋で暮らしてこそリーダーとなれる。私三学は、いま思う少なからず、三つの仕事をさせていただいたありがたさを。美辞零句、主語のない文章を読んでいる我が国のリーダーを見て、荒波の中の漁に連れ出したいと思った。いつ止むこのないような雨の中で、耐えることをさせたいと思った。何が出るか分からないような、深遠な山の中で、何日間もビバークさせ、恐ろしい風の音を聞かせたいと思った。私三学はこの国が主体性を持つには、民俗学の復活しかないと。
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2020年3月13日金曜日

第36話「私は2輪」

私は「2輪」である。五輪は平和の祭典だが、今では商業五輪(オリンピック)になっている。私2輪は自転車である。オートバイのように力強いスピード感はない。私2輪はひたすらペダルをこいでないと倒れてしまう。人はそれを自転車操業という。私2輪は半世紀ペダルをこいで来た。おしりはずっとサドルの上にのせていたので、きっと人よりは固いはずだ。私2輪はハイコロとか、チャリンコなどといわれて来た。少年の頃は自転車が持てなくて、貸し自転車に乗っていた。ちくしょう、いつかピカピカのチャリンコを買ってやると思っていた。貸し自転車はタイヤの大きさで値段が違った。一時間とか二時間借りて乗った。10円とか30円、長くて50円位だった。ブレーキがついてないので、こいでないとフラフラとして転倒する。つまり少年の頃から自転車操業をしていたのだ。当時小坂一也とワゴンマスターズというバンドに人気があった。原田実がバンドマスターであったが、小坂一也の人気は絶頂だった。故小坂一也は人気女優の永遠の恋人と言われた。~ サイクリング サイクリング ヤッホー ヤッホー なんて歌ってサイクリングブームを呼んだ。「青い山脈」という戦後を代表する青春映画には、~ 若くあかるい 歌声に 雪崩は消える 花も咲く 青い山脈 雪割桜 などと若い男女が美しい山並みを見ながら、丘の上を自転車で走る。青春の先には、明るい未来と四苦八苦がある。それを乗り越えるんだと暗示した。戦争が終った空には爆撃機も、戦闘機も飛んでなく。青い空、白い雲たちが意気高く歌っていた。貸し自転車に乗った、私2輪少年は暗示されてた通りの茨の道を進む。十代の頃は「日月火木金土」と競輪場に通った。水曜日は休みなので、川崎競馬や多摩川、平和島の競艇に行った。未成年だったのに、お化粧をした年上の女性と一緒だった。独特の人間たちの中に、マブイ(美しい)女性はキラキラしていた。ランチはアジフライとか、クジラのカツ。揚げたてにブルドックソースとか、イカリソースをかける。ジュワーと音がする。それを食べながら、差せとか逃げろとか、まくれとか声を出す。かませ、かませと声を出す。夜ふとんに入ると頭の中に、京王閣、松戸、西武園、立川、競輪場の打鐘(ジャン)の音が、ジャンジャン鳴る。競艇場のエンジンの音や、川口のオートレース場のバイク音が唸りを上げる。学校からの呼び出しを持って母が来る。ガバッと起きて、我に返る。ハイナシだ。ハイナシとは金が無いという事だ。ハイナシの人生を経験し、私2輪は自転車操業をして来た。だが天は味方をしてくれた。私2輪は競輪、競馬、パチンコ、麻雀。花札。チンチロリン、オートに競艇、スマートボールにラッキーボール。トータルするとかなりプラスであった。たくさんの後輩たちを面倒見て来れた。だが会ったら土下座して、お詫びをしなければならない人も多い。二十代になって殆ど止めた。会社経営(プレゼンテーションに勝つか負けるか)がバクチと同じであった。この世とあの世がくっつき出した歳になった今、世界は株価大暴落、大不況へのジャンの音が鳴りはじめた。アメリカのトランプが、守りに滅法弱いことを証明した。カジノ経営を失敗した男が、アメリカの経営の失敗を世界にさらけ出した。私2輪にまた、また、また、また……。大不況の波が押し寄せて来た。サイクリング サイクリング ヤッホー ヤッホーとは行かないだろう。なだれは消えなく、花も咲かないかも知れない。土壇場は修羅場になるだろう。私2輪はジャンの音をBGMに(耳鳴りが酷い)勝負に出る。勝負は最後に生き残った者の勝ちだ。攻撃は最大の防御だ。私2輪には長い間苦楽を共にして来た。仲間たちがいっぱいいる。この日が来るのを数年前から読んで、手を打って来た。皆で支え合い、励まし合い、助け合って行く。仲間は宝だ。アジフライと、クジラのカツを食べて。私2輪にブレーキはついてない。グチをこぼした者は負ける。アベノミクスは見る影もない。私2輪は人生を土壇場と、修羅場の中の人間から学んだ。教科書には人生がない。正しいか、間違いか。その間がない。本当の正解はそこにある。人の心は難解な問題だ。

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2020年3月12日木曜日

第35話「私は今日」

私は「今日」である。昨日でも明日でもない。その今日は残りあと12分16秒だ。このまま生きていれば、明日がもうすぐ来る。なんていうと少し宗教的か、哲学的になる。私今日にそんなことを書くはない。学がないことは自慢にならないが、物事を簡単に考えるので、如何なる逆境に置かれても、がんばれば何とかなるで片付けられる。だがしかしそれは自分だけの話で、愛する人々、愛する家族のこととなると、簡単にはいかない。故遠藤周作先生は小説「沈黙」の中で、神よあなたは何故いつでも沈黙していらっしゃるのか、と書いた。神は人に試練を与えつづける存在なのだろう。私今日は「荒野の誘惑」という映画を見ながらこれを書いている。イエス・キリストが広大な砂漠の中で、40日間の断食をする。(受難節)断食の中なのに痩せてないのが気になる。イエス・キリスト関係の映画は、たくさん見てきたが、この作品は失敗作だ。英語が砂漠の風景に合わない。私今日は何か得るものがあるやも知れないと思ったが、イエスはノーであった。砂漠に言葉は必要ない。一人の老人と一人の少年、それと一人の女性と出会い、探し物はなんですかと井上陽水の歌みたいな会話をする。ヴィム・ベンダースの「パリ、テキサス」(カンヌ映画祭受賞作品)では、赤い野球帽にヨレたスーツにネクタイの一人の男が、ひたすら荒野と砂漠を歩き続ける。ライ・クーダーのギターが体中に響いて、心が張り裂ける。パリ、テキサスとは荒野にある町の名だ。ひたすら歩く求道者のような男の目的は、小さな男の子を置いて、逃げた女房を探すためだった。「一節太郎」の名曲にこんなのがあった。~逃げた女房にゃ 未練はないが お乳ほしがる この子がかわい 子守唄など苦手な俺だが……(浪曲子守唄)ヒトフシタローは、この一曲で一生食べている大ヒット曲だ。パリ、テキサスの男がやっと見つけた女房は、町の場末にあるテレフォン喫茶(?)にいた。ガラス越しに電話でSEXをするような仕組みだ。お互いに顔は見えない。真っ赤なドレスを着た、ナスターシャ・キンスキーは、まるでマリア様、美しすぎる官能。全身が視覚言語(ボデイランゲジー)であった。神は何故二人を切り離したのか、長い沈黙のあと、電話でのやりとりでそれが明かされる。荒野、風の音、砂漠、空の音。ライ・クーダーのギター。100点満点の映画にしたのは、感情の静けさと、沈黙の熟情だ。私今日は、昨日深夜に見た、映画に監督の力量の差を見た。ロドリゴ・ガルシア監督、カメラワークも音楽も、メイクアップも、コスチュームもダメ子ちゃんだった。私今日は新型コロナウイルスの、人類への攻撃から愛するものを守る策を考えねばならない。とはいえ神は沈黙する。私今日にできることは、雑草魂をふるいたたせるしかない。負けてたまるか。新型コロナウイルスを退治するのは、きっと太陽(コロナ)にあるはずだ。現在世界中の防疫機関が、新しいワクチンの開発に全力を投じているだろう。スパイ大作戦のように。日本国は1944年(12月)と1945年(1月)にあった。東南海大地震と三河大地震を軍の命令で、新聞各社に一切報道させずに、隠ぺいをした。アメリカ軍は大地震による大被害を全て知っていた。東海地方は日本の一大軍事工場地帯であった。そしてB-29がそこを集中的に空爆して破壊した。日本の新薬開発能力は、世界に誇れる英知がある。但し情報がどこからかダダモレするらしい。私今日は、もう一本の映画「ガーンジー島の読書会の秘密」を見た。その後午前四時04分WHOが遂にパンデミック宣言を出した。ポストに音がした。朝刊を取りに行く。森雅子というとんでもない法務大臣を辞めさせないと、もっと大きな何かが起きるのではと思う。死刑を命令する法の番人が滅茶苦茶だ。中村文則氏という若手作家が、ある新聞にこの内閣は出来てはいけないものだったと書いていた。私今日も同感だ。(文中敬称略)


2020年3月11日水曜日

第34話「私は服薬」

私は「服薬」である。生涯何も薬を服用しなかった人は、現代社会が生じた頃から誰もいないだろう。人それぞれに体質があり、各器官、各臓器の性能が違い、遺伝子が違う。頭痛、腹痛、鼻炎、歯痛、尿モレ、便秘、下痢、喉、扁排線、咳、アレルギーなど、人間がかかる病は分かっているだけでも、ぶ厚い家庭の医学の本になる。お医者さんに行くと、それらに適した薬を処方してくれる。かつては病院内で薬をもらったが、現在は調剤薬局に行って薬をもらう。その時に、私服薬が発生して、お薬手帳”をもらう。○△さんお薬ですよ、ファイハイとオバアチャン、イヤになっちゃうねマッタク、こんなに薬を飲まなけりゃイケナイなんて、私服薬はたくさんの袋に入れられる。オバアちゃんお薬手帳は、ファイハイありますよ、こんなにたくさん。そんなに全部を持って来なくてもいいんですよ、嫁が持たせてくれたバッグの中に入ってますよ。え~と、え~と、よく分からないけど、あっ、それそれですよ、アラそうみんな同じだけど。今度も朝、昼、夜、就寝前に分けてあげますからね。アラそういつもと同じね。私服薬は小さな四角いビニール袋に入れられる。そこには、朝とか昼とスタンプがされている。オバアちゃん、これはヒンニョウ、これは血圧、これは便秘、これは腰痛、これは尿酸、これは血糖、これは偏頭痛、これは……これは……。マッタクこんなに薬を飲んだらおなかがいっぱいになっちゃうわ、ダハハハ……。私服薬は治験を経て、許可されたもののみに服用が許される。ハイこれはウイルス用ですよと出される薬はない。人類の歴史は、ウイルスとの闘いの歴史でもある。文明の進歩が新たなウイルスを生む。お薬手帳にペタッとシールを貼るには、途方もない時間がかかる。人間は戦争で何千万人を殺すが、ある人間の思いもよらぬ発見と発想から、何千万人もの命を守って来た。私服薬はアイデアの証である。中国五千年の歴史は、漢方の歴史だ。その調合は奇跡に近い。昨夜「コンテイジョン」という映画を見た。現在の新型コロナウイルスを予言していたような映画であった。スティーブン・ソダーバーグ監督、マット・デイモン主演。世界は突然発生したウイルスに攻撃される。はじめは咳と喉の痛みと頭痛、そして発熱であった。生魚から(?)生肉から(?)生ゴミ、あるいわ人体から、現代社会は新しいウイルスを生む宝庫だ。私服薬が出番となる日は遠い。人とヒトはパニックを起こす。愛しているわ、なんて言いながら抱き合い、Kissをしようと思った時、ゴホン、ゴホンと相手が咳込んだら、その瞬間に愛は終る。離れて、離れてと。世界保健機構は感染者の致死率は20%という。世界人口が70億か80億人とすると、15・6億が死んでしまう。人類を救う物は何か、カビからペニシリンができたように。生き物を救うのは動物か植物からでしかない。パンデミックはネズミ算のように増え続ける。ネット上にはデマが乱れ飛ぶ。過去のワクチンにヒントはないか。映画では人間の12人の内の一人が致死すると予想する。世界中はマスク、マスク、マスク。アメリカ合衆国は250万人が致死する。私服薬は出番が来ない。かつて戦争用にあるあらゆる細菌兵器が研究された。その研究ストックは、どの国にも秘密のまま隠されている。人類を救う大発見は、一木一草”とその周囲にある。地の中の虫にもある。オバアちゃんのお薬手帳に貼られるまでには、世界中で数千万人が死ぬ。誰のせいだといえば、文明の進化のせいだ。新薬のワクチンは当然のように、夥しい数の人体実験(治験)が行なわれる。私服薬は一日も早く、お薬手帳にペタッと貼ってほしいと願う。最早オリンピックなどは、夢のまた夢だ。人が集まる所はウイルスが集まる所。映画では……。今と同じだからぜひ見てもらいたい。映画ではコウモリが落とした、フンを食べた豚たちから、私服薬は生まれた。SARSのワクチンである。何! とんかつが食べたいだと。