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2010年3月30日火曜日

人間市場 根性なし市


実力会長がいて、社長がいて、専務がいて、常務がいる。そこに執行役員が数人いて会議は始まる。担当役員から次々と問題が提起される。

その内容が全員賛成という事はあり得ない、まして執行役員の中に頭角を現し始め実力会長のおぼえめでたい。その人間が報告するといいじゃないかそれは進める等となる。
一言も言葉を発する事のない執行役員程、外に出ると多言多弁となる。
根性無しの典型に多い。ましてテレビや新聞社かなんかの女性記者にインタビューを受けたりするとついリップサービスがエスカレートする。一杯酒が入ったりするともう止まる事はない。

あれはオレがやった、あれはオレが提案した、あれはオレが考えた、とオレオレ詐欺が始まるのだ。会社の役員会は軍の作戦会議と同じ機密を外に出した者は即断罪である。これが組織のルール、掟なのだ。

気の弱い執行役員は実力会長の前では借りて来た猫より大人しい。黙して語らずだ。古来より直訴した者は打ち首と決められている。まして軍の機密を漏らしたり、体制内批判をしたら首と胴が離れる事を覚悟しないと組織の規律は守れない。
又、その事を外からあーだ、こーだと批判する者はその組織から離れる覚悟がいる。言いたい事があれば決然と自論を公の場で話すべきなのだ。これをしないで体制を批判する者を卑怯者、武士の風下にも置けない者という。

私は大の会議嫌い、役員会等設立時以外は殆ど無し。一年に一度もない方が多い。他の役員は一ヶ月に一度三社合同でちゃんとしてくれているらしい。
役員会やりました、あっそう、今度久し振りに三社で一泊で親睦旅行をします。オッイイじゃない、飲み過ぎてメチャクチャにすんなよという程度。

十五年前ある事を機会に全てこの方式だ。ただ、会社への体制批判、仲間の中傷、会社への裏切り行為、企業秘密の漏洩、公私混同、金銭のルーズな使い方等を報告されたら即断で終わり。そうでないと緊張感のある組織は出来ない。
生方幸夫なる民主党の副幹事長が解任されそうになった。マスコミはネタ切れだったので即飛びついた。地方回りの悪代官役者の様な顔の割にはメソメソ自分の選挙区で泣きを入れていた。ある老人に批判ばかりしてないでちゃんと面と向かって喋れなんて怒鳴られてハイスミマセンと頭を下げていた。

新撰組の土方歳三だったら局中法渡に従って斬首だろう。敵を利とする行為は許されないのだ。
そう言えば小沢一郎は土方歳三が好きなんだと言っていた様な気がする。小沢一郎も六十七才、先は見えている自らの死に場所を探しているのだろう。

この国は戦後の占領政策ですっかり魂を抜かれてしまった。言わない、やらない、責任を取らない、但し少しでも手柄になりそうだと思うと横取りにかかるその習性は夜中に現れるイタチとかテンの様であり鵺(ヌエ)の様でもある。
ジャーナリズムが消えて無くなり、ジャーナリストがサラリーマン化し、ブルジョワ、プチブルジョワ化し全くのふぬけとなってしまった。主義主張しないジャーナリズムはタダの新聞紙屋さんだ。若い才能が鋭く書いた原稿が上に潰されボツとなりくず箱に投げ入れられているのだろう。
いつかこんな人材たちが世の中を正しい方向に導いて欲しいと願う。会長だ社長が何だって言ったってただの人間だ。差し違える覚悟があれば言は通る。その後立派に腹を切ればいいんだ。
働いて帰って来て女房にギャーギャーいわせんじゃない。悪妻は家の外に放出した方がいい。よく食べ、よく喋り、よく求め、よく買い、よく遊び、よく歌う、公害ではなく家害だ。自害させるべしだ。
妻をめとらば才たけて、みめ美わしく情ある」だ。

大の男が一緒に散歩しよう、一緒に図書館に行こう、一緒にゴルフの練習しよう、一緒にスーパー行こう(今日は僕が作るよなんて)一緒にテレビ見よう、一緒に寝よう(?)何でも一緒にしよう。毎日が日曜日になった人たちに多い行動形態だそうです。一緒にいないと不安なんです。もしかして捨てられたらどうしようと思っているのです。

私の知り合いの人が夜家に帰るとテーブルの上に一通の手紙と離婚届。娘さんが結婚を済ませた、私の役目は終わりました、これからは自分の好きな人生を歩みますのでと書いてあったとか。その奥さんは数カ国語を話せる女性、六十六歳(?)にして今は世界中を旅しているとか。すでに五十数カ国、時々絵葉書が来るそうです。ご主人は七十歳となってもある新聞社の顧問になり今も現役です。なんて素敵な人生じゃないですか。離れて仲良きかなです。

休日の夕方に海辺を散歩していると老年夫婦が益々多くなっている。手を繋いでいたり、肩に手を回していたり腕を組んだり、犬を散歩させたりそれぞれ一緒にいます。私は絶対一緒は大嫌い。よく観察すると奥さんよりご主人の方が離れないでくれと願っている様に見えるのです。しみじみトボトボしているのです。
このご主人たちにもう月曜日は来ないのです。明日も又、日曜日そして次の日も。

2010年3月29日月曜日

人間市場 パラサイト市


春は青雲の志の季節、青春とオサラバの季節、天下国家を目指す青嵐の季節である。朝十時も過ぎた頃、年は二五を過ぎた者、三十を過ぎた者、あろう事か四十になった者がお母さん腹減ったなんて起きて来る。

「五体満足」体には何の異常もない。ないのはヤル気だけ。そもそも義務教育という位だから中学校まで一応親としての義務、それを果たせば十分である。
二流、三流大学を出て家に居候して親にたかって共生虫になって生きて行く。
日々顔付が悪くなり貧しい顔相になる。中にはメシが旨いのマズイだの一丁前の事を言う。家を出て一人暮らしをするのが当たり前なのだ。阿呆な親はそんな阿呆で不出来な息子や娘の自慢話をしてヒンシュクを買ってしまう。

息子が娘が外国旅行に行ってさ、このシャツ買って来てくれたんだなんて言う。息子がオーストラリアでサーフィンして来たとかいう。間違いなくそんな子の母親は殺意を持っている。母親は亭主だけでも十分ストレスで殺してやりたいと思っているのに、ゴロゴロしていたらたまったもんじゃない。
ゴハン、オソージ、オコズカイ、モテナイ、ハタラカナイ、幼い頃可愛かった顔には無精髭、目ヤニ、鼻毛、体臭、日々オジサン、オバサン化して行く。サムイだ、アツイだ、風が強いだ、頭イタイだ、腹がイタイだと言ってはサボッテゴロゴロ、チョット会社に勤めると辛抱が出来ず直ぐ辞める。

そして二十代が三十代へ四十代へ、アッという間に年を重ねる。こういう若者達は生存そのものが社会の迷惑なのだ。隣近所からはあの家の子ブラブラしているから気をつけた方がいいわよなんて噂される。
そしてやがて大事件の発生となったりする。毎日家に居てゴミ出しもよくやっているイイ子だったんですよなんて言われる。イワシが死んだ様に輝かない目、体から気力が出ていない、何処かオドオドして人の目をじっと見れない。

実は私の親族にもいるんです。法事か何かで私の姿を見るとジッと下を向いて顔を上げません。何かを言われるのが判っているから、上は四十代、下は三十代後半。完全な共生虫(パラサイト)です。今の日本を悪くしているのは共生虫たち、どこかへ連れて行って深い穴を掘らしたり、石を組ませたり、埋め立てさせたり、極寒の地でペンギンの数を数えさせたりさせないといけません。こんな連中にも税金はかかっているんです。働かざる者食うべからずです。家庭内ホームレスを一掃しましょう。レーニンは「食べようと思ったら働け」と言い換えたらしい。

二流、三流とはいえ高い月謝(行かない方がよかったかも)大学を出たのだから足し算と引き算位は出来る筈なのだから働けと言いたい。
北海道から出て来て学習院に入り就職活動中のとてもいい感じの女の子。
でも百社近くに応募し、三十社位面接し、未だに一社も決まっていない。既に後輩達が就職活動開始(という事は中古品扱い)。故里のお母さんに泣きながら電話、やっぱりダメだったのと大粒の涙を流していました。私の自論では親は中学まで出したら後は本人任せ、本人のしたい事をやればいい、二十歳過ぎたら絶対家の中には置かない。

この世で自分の子供程出来が悪い、どうしようもないと思っていれば大丈夫。そう思うと意外とイイ子だったりする。この意外性が育てて来た甲斐があったというものだ。ゴロゴロしている共生虫に殺虫剤をかけましょう、アースジェットかフマキラーを。
何か大志を持っているヤル気のある子にはみんなで協力しましょう。いつかきっと恩返しをしてくれるし天下国家の為に働いてくれる筈だから。天才は忘れた頃にやって来る。待ちましょう、根気よく。

ちなみに私は昔から面接の時履歴書はほとんど見ません。ただず〜っと目を見るんです。
気配を感じるんです。
学歴家柄一切関係無し、その結果素晴らしい人材に出会い続けて来ました。
質問は、㈠お酒好き、㈠女性好き(男性好きとは聞きません)、㈠最近読んだ本は、㈠最近観た映画は、㈠好きな音楽は位でしょうか。
㈠髪の手入れの悪い人、爪が汚い人、歯の汚い人は駄目。使える奴は見た瞬間で判ります。いい目をしているんです。ただ、女性に対しては面食い過ぎとの批判もある事を知っています。

遥か昔中国では、科挙という日本でいうところの国家公務員上級試験の様なのがあった。国中から若者が集まり数週間続けて試験を受けた。その科挙の試験を受けた試験場の門が青かったという。青春という言葉はそこから生まれたとも言う。日本からも留学生が科挙に挑んだ。春は志の季節若さは羨ましい。帰らざる日々を痛感している。何しろ私は勉強が大嫌いでした。

2010年3月26日金曜日

人間市場 人事市


古賀誠、伊吹文明、二階俊博、川崎二郎、大島理森、麻生太郎、安倍晋三、福田康夫、小池百合子、町村信孝、野田毅、加藤紘一、山本一太、河野太郎、塩崎恭久、世耕弘成、谷垣禎一、谷川秀善、河村建夫、青木幹雄。(敬称略)
とりあえず思いつくまま二十名を記す。
自由民主党の主要メンバーだ。どうでしょうかこの人たちで再起は可能でしょうか(?)

私は石原伸晃氏を中心に一気に若返りをしないと再生不能だと思う。
三年は衆議院は選挙しない。一度握った権力はまず手放さない、民主党にズタズタにされて行く。朝日、毎日、読売、日経、産経その系列のテレビ局は躍起になって民主倒しをするが現実は民公に向かっているのが実体だ。

社民党はいずれ名ばかりとなる。国民新党は亀井静香氏一代の政党。跡目の下地幹郎氏(かなり実力がある)は無所属か新党へ、他に人材はいない。
辻元清美氏、この女性東京駅の構内タクシーの中ですこぶる不人気。国会議事堂まで渋滞があったりしてワンメーターでも上がるともの凄い勢いで怒るらしい。何でメーターが上がるの、ともの凄い剣幕。何でメーター上がったのドアホウとなるとの事。
人間には居て欲しい人と、潔く去って欲しい人と、頭角を現して欲しい人がいる。
「一将功なりて万骨枯る」という言葉もある。

春は人事の季節、飛ばされる人、窓際に引越する人、逆に普段のゴマスリが成功して上に昇る人、綱にひっついたカナブンの様に中々しぶとく手を離さない人、泣く人、笑う人、怒る人、グチる人、夜の一杯飲み屋はこの季節は売り上げが上がる(少しだけだが)、交際費がないためクラブ活動までは進まない。

この頃スタンドバーが大流行している。人事の話も立ち話になった。
会社は古典芸能ではないので思い切った若手を抜擢しない会社は伸びない。古い担当が又担当になりましたなんていって喜ぶ相手はまずいない。裏であの人なんとかなんないの、若くてイキイキした人にしてよなんて言われているのだ。
私の年になると昔からの知り合いは社長にとか役員にならない限り、蛍の光である。
さよなら会とか、励ます会とか、お疲れ会とかの案内がどんどん来る。

ある一人の男が居た。仲間数人で赤坂のクラブで飲んだ、付いた女の子は確か四人、ママ一人店の名はウイステリア。奥のコーナーで大盛り上がり、かなり熱気で暑くなった。その時、その男があーあムレる、アツイ、もう我慢できないと言っていきなり頭の毛をバリバリ剥がし出したではないか。出て来たのはツルツルの頭。
キャー、ギャー、止めてー、何すんの、何すんだどうしたと大パニック本人は、取れた頭をバッグの中に。

数年付き合っていて全て判らなかった。よく出来てるなとみんな感心しまくり、女の子たちは泣きまくり、私は飲みまくり。上州手延べうどんに関係していました。
今でも手延べうどんを見ると思い出す、その男から一枚の葉書。退職をしたとか、社民党関係の仕事をしていたらしい。家に電話すると奥さんが出る。もう働かないなんて言ってるんです。今はスポーツジムへ行っているという、と言うことは頭にカツラはなし、スッキリしてんだろうなと奥さんに言うと大笑いだった。まだ若いんだから働く様にと伝えてもらった。

自民も民主も国民も社民も公明もみんな頭をそっくり変えないと再生は出来ない。一度スッキリする事だ。
ある統計によると人事の季節で圧倒的に出世したり生き残ったりするのはゴマスリ上手だという。大化の改新以来この傾向は変わらないという。
仕事が出来過ぎ、才能があり過ぎると菅原道真公の様になってしまうのだ。ドイトとか東急ハンズとか無印良品でゴマスリの道具がこの季節特別の多く売れるという統計はない。

友よ生きている内は頭を使って働けよ、逃げたら負け、心に隙を作ると病にやられる。

2010年3月25日木曜日

人間市場 島国市

クリープを入れないコーヒー。福神漬けのないカレーライス。大根おろしのない秋刀魚。カラシのないおでん。甘鮭で食べるお茶漬け。キャベツのないトンカツ。ガリのないお寿司。ベースのない野球。温かいビール。そうです朝青龍のいない大相撲と同じ事です。

何が何でも把瑠都を大関にする為に八百長まみれの相撲ばかり、私の目は誤魔化されません。相手が一生懸命負け様と芝居をしているんです。相撲界の得意技なんです。お客は土日以外は半分も入っていない。取り組みは外人ばかり。どこが国技かといいたい。国際試合なんだ。

遊び好きの外人達は携帯メールでボヤキながらも明日こう行くからこうしろよなんて打合せ。大横綱だった協会のリーダーは夜の銀座で威張りくさって飲み代たかって、ふんぞり返って大騒ぎ、お店の女の子たちの嫌われ者No.1、優勝回数はNo.2。オイ、静かにしろと取り巻きに囲まれていた大横綱に言ったらNo.2は静かになりました。私たちが帰った後、大暴れをしたと次の日ママさんから電話がありました。ついでに高い請求の額も言ってました。あいつのも入ってんじゃないだろうなと言った。

輪島大士という強い横綱が居た。日大出身だった相撲部の隣が花籠部屋であった。必然的にそこに入門した。黄金の左は北の湖と輪湖時代を作った。ある夜数人の力士を連れて六本木のクラブに来た。ヘネシーのボトルを二本送るとゴッツアンですとニコニコ笑って挨拶に来た。その時言った言葉が可愛かった。今でも色紙にサインする時に「花籠」という文字が書けないんですよ、難しいんですよいっそひらがなか、カタカナにすればいいじゃないと言ったら肩をすくめて笑ってました。その後色々問題があって業界追放となりました。

ある年ラスベガスに行く用がありベニハナで食事しようという事になりそこに行くとドデカイジャイアント馬場、小さな奥さん、それと二つの大きな鞄を持った輪島の三人と隣同士になりました。横綱はプロレスに入門、ハワイで練習を重ねて来たとか。博打で親方株まで無くしたんだからベガスに来て博打なんてやったらダメですよと言ったら笑って肩をすくめてました。ジャイアント馬場さんはジャイアントな葉巻を吸っていました。
馬場さんは銀座の近藤書店のシンボルにもなった程の読書家で有名、又、座談の名手です。話が何しろ幅広く奥深く、面白い。やがて十六文キックの様なステーキが四枚出て来ました。奥さんは150g位。

深夜二時を過ぎた頃、ルーレット場やバカラの処に行くとやっぱりいました。輪島大士さんやっていました。振っていましたサイコロを。やっぱり一朝一夕には治らないのです。勝ったか負けたかは判りませんでした。プロレスへの道も厳しく志半ばで止めました。でも私はアウトロー的な人が大好きなんです。今も輪島大士ファンなのです。この頃いい顔しています。何場所か前にゲストとして相撲解説をしていました。久々に国技館に来れて嬉しかったと言葉を詰まらせていました。この企画は相撲協会にしてはいい事であった。

酒、女、博打、金、ゴッツアン体質、八百長、薬、相互補助、秘密主義。これをオープンにすると多分相撲協会は消えて無くなるでしょう。何しろ関取になったら自分のお金で何かを支払うという事が無い世界なんです。モンゴルの子供達が僕達の英雄は白鵬でも日馬富士でもない朝青龍だけだ、僕達も朝青龍を目指して横綱になるんだと目を輝かしていました。日本の土俵はモンゴルの草原の様になるでしょう。

チンギスハーンの血が占領するでしょう。柔術が柔道になり、今やJUDOとなった。かつては国技と言っていたのである。道着はブルーに畳はカラーに、ルールは国際ルールになり小よく大を制する事でなくなった。ロシアのサンボの様である。クロマグロだってほとんどスペイン産、日本人が捕り過ぎたからだ。中トロや大トロなんて昔は脂身(しみ)と言って縁起が悪く捨てていた。マグロは赤身だけ。寿司屋へ入っていきなりボク中トロ、ワタシ大トロなんて言ってごらん、いいカモが入って来たと思われゴッソリ取られるから。

この日本という国はホトホト自分勝手な国なのだ。未だ島国根性が抜けられない、世界中のカモなのだ。
ちなみにアチコチ世界へ行ってみて、日本の位置を正確に知っている人はほとんどいなかった。
インディアンは全然知らなかった、インディアンは嘘付かない。インド人はビックリしていた(?)

2010年3月24日水曜日

人間市場 テンヤワンヤ市


近頃、一晩にお客さんが一人も来ない日もあるというお寿司屋さんに一気に11人のお客が入って席が一杯となる、握るオヤジはただ一人。

ビールを入れる人、お酒をつける人、焼酎のロックを作る人、上がりを入れる人、何もかもオヤジ一人。大パニックである。盆と正月とお通夜と葬儀が一緒に来た様な状況となる。
始め嬉しさでほころんでいた顔も引きつりだす。目は血走り、猫の手も借りたいとなる。
棚の上に招き猫が二匹いる。千客万来の掛け軸もこの日は堂々と見える。

オレ赤身、ワタシイカ、ボクコハダ、オイラミル貝、ワタシ赤貝、ボク穴子、オレ中トロ、ワタシも中トロ、オレサバ、オレ車子、ワタシヒモキュウ、オイラトリガイ、オレ白身。
十一人の客が次々とオーダーする。その間に、オレ酒もう一本、オイラ焼酎ロック、ワタシお茶割り、オレウイスキーの水割りと続く。

その頃になるとオヤジはもうヘトヘト、ヘロヘロ、ボロボロ、奥さんがいい人でリーマンショック以来の大不況でお店にお客がバッタリ入らなくなり、生来の心配性が重なって体調を壊してしまった。慈恵医大を紹介してあげた。一人で寿司を食べる時はこの店に顔を出す。何しろお客さんがいないからゆっくり出来るのがいいのだ。

ある集まりがあって寿司を食べるか、となりきっと暇を持て余しているだろうと思ってゴッソリと行ったのだ。人は余りの環境の変化を与えるとやはり副作用を起こす。
11人が十貫食べるとすると百十貫、巻物二本とすると二十二本。それにお椀を入れるという行為が追加されると十一椀となる。


つい、オヤジ手伝おうかとなる。ついでに若いのにお前中に入って上がりを入れろとか、キミちょっとガリを切ってよとか次々と共同作業になる。もうテンヤワンヤである。
好事魔多し、こんな日に限って他のお客さんが来る、入るなりオオ〜満席じゃないなんて驚きの声を上げる。オヤジはヘヘエ〜、ヘヘエ〜とスミマセンと平謝りする。電話が鳴る。えっ五人前ですか、スミマセン今夜はもうシャリがないんもんでスミマセンと泣き声になる。もうヒッチャカメッチャカだ。

先輩ワタシちょっとだけ寿司屋でバイトした事あんですよと言う者が出て来た。
おおそうかそれじゃ中に入ってカッパと鉄火とタクアンとカッパを巻けとなる。ちゃんと手を洗ってよなんて言われる。なんかさぁ〜これってコントみたいだよね、三谷幸喜かなんかの、そう言えばそうだな。「ラヂオの時間」みたいだな。面白いこういうのワタシ大好きなんてよく食べる女の人が言う。

そんなこんなで約二時間と少し、私一人を残して全員お帰り。手が空いたらお土産を二人前作ってと言ったらオヤジの目から大粒の涙がこぼれ落ちた。
むかしは若い衆が二人いて女房も元気でこんな日が何日もあったんですよ。女房に見せたかったなぁー、この間見舞いに行ったらアタシの名が出ないんですよ。医者が痴呆も進んでいるので施設を探さないといけないんですよ。

何だか土産どこじゃねえな、世の中うまく行かねえもんだ。今日は帰る、勘定してくれと言うと七万四千円だった。カードを出すと受けた手に血が滲んでいた。慌てて少し切ったのだろう。

2010年3月23日火曜日

人間市場 法乱市


警視庁捜査一課長の仕事は何かと聞けば誰もが、それは事件を解決する事と言うだろう。検察庁の検事の仕事は何かと聞けば誰もが、秋霜烈日悪い奴等を眠らせないと言うだろう。だがしかし人間とは弱き者である。

前者の一課長は部下の女性と不倫関係となり離婚して一緒にならなければ死んでやると脅され続け、更にぶちまけてやると追い込まれた。
相手は警視総監賞4回の猛者の女警察官だ。
一瞬の迷い、一夜の過ち、一時の快楽がイケメン課長の人生を奈落の底へと落とした。
自分で自分を逮捕したのだ。しかしものは考えよう、愛を求めた行為の延長、人生のむなしい瞬間を埋めたいという願望、一人の男としての心の彷徨の果てと思うと極めて文学的ではないか。こういう課長とは是非一杯飲みたいものだ。

いずれこの題材は誰か書くだろう。さしずめ週刊新潮の黒の報告書が一番先だろう。女性の構造は男にとって宇宙の様なもの、吸い込まれ、吸い取られ、放り出されスターダストとなる。

後者の検事はあのミラーマンこと、植草一秀元教授と同じ見てはいけないものを見て撮ってはいけないところを撮影しまくってしまった。
法の番人が法を犯し、コラッ!スケベ何してんだとなった。
警察官が取り調べ室で相手の女性に悪さをしたり。英会話教室のアメリカ人教師が小学生のビデオを撮影し600本も部屋から押収された。ノープロブレムじゃなくてオー大問題だ。

入ってはいけない防波堤に入って釣りをする人間。釣り竿は魚を釣る為にあるのに、取材のカメラマンに向かって釣り竿で襲い掛かる釣り人達。
駐車違反を注意されてナンデアタシダケガワルインジャ、コノドアホウとお巡りさんに毒づくオバサンたち。
老人ホームで愛情のもつれで殺傷事件も起きる。
法を守る人が法を犯しはじめるともう何もかもタカが緩んで外れてしまってどんな優秀な予想屋も予測不可能の事件や事態がジャンジャン起きる。競輪場の鐘の様にジャンジャン起きるのだ。
何が起きるか判らない確かなのは太陽が東から上がり西へ沈む事とお月さんは一つしかないという事位だ。

先日主婦8人の意見を行くというテレビの特集を見た。消費者調査と言うらしい、調査の専門会社が選んだ主婦30代〜40代に一時間色々意見を聞く。専業主婦、会社員、教員、カタカナ職業の人達だ。いや〜オドロキモノノキサンショノキウエキニブリキニチクオンキ世の中の事に詳しい事もの凄い。


まるで人間ワイドショー、人間百貨店、人間スーパーマーケット、人間コンビニエンスストア。着る物、食べる物、飲む物、遊ぶ物、何から何まで詳しい事。言い方を少しばかり私的に言うと、ウルセイ静かに話せお前たち一体毎日何やってんだえー?亭主はシンドイ思いをしてストレス貯めて働いてんだぞボーナスなし、昇給なし、小遣い減額、何のために生きてんだか判らネェー。それでもカァーチャンゴメンなんて叫んでいるんだ。

家庭内の法律がすっかり狂ってしまっている。
主人が骨身を削って鰹節になりながら妻の浪費を支えている。お父ちゃんすき屋の牛丼を食べている頃、カーチャンホテルでブランチバイキングで食べまくり、飲みまくり、喋りまくり、二時間の制限時間内に帰る人はまずいないとか。
いいものプロジェクトなんていう主婦達の集まりが食べ物を商品化する大事な決め手とか。ある地方でジャムなんか作っているオジサンが主婦たちから合格マークを貰って目を潤ませている。

中国の故事に雌鶏が鳴いたら国が滅ぶと言う。であるからにしてこの国は滅びに向かっていると思う。法律は何のためにあるのかとある人に聞いたら何とその人はこう答えた。法は破るためにある。そうでないと私は失業して夜の銀座で遊べない。その人の職業は弁護士さんでした。

十九才の可愛い娘に入れ込んでいるのです。先生、くれぐれも気をつけて下さい。奥さんの目は六法全書より厳しいですからね。

2010年3月19日金曜日

人間市場 ゼニグロ市


鮭、海苔、納豆、生玉子、おひたし、ご飯一杯、お豆腐の味噌汁。
片やチゲ鍋、ユッケ、ビビンパ、カルビスープ、キムチ、デザートにフルーツ。

これある女子プロゴルフの勝った選手と負けた選手の朝食メニュー。
当然負けたのが前者の日本人、勝ったのが韓国人。
丸太の様な腕、くびれのない胴体からうなる様なボールがグリーンを目指す。
あとひと転がりで入らない日本人と、絶えずカップをオーバー気味にボールが来る韓国人。入ってお願い的な日本人とオリャー入れ的な韓国人の差だ。

この頃どのスポーツでも韓国に勝てない。サッカー、野球、スケート、柔道然りである。
又、電器やIT産業も勝てない。教育のレベルも勝てない。美男美女の数もまるで勝てない、映画のレベルもまるで勝てない。

ある夜、アメリカ人、イタリア人、フランス人、中国人、韓国人たちと食事をした。
彼等が共通して言う言葉は何で日本人は怒らないのかという事であった。まるで去勢された人間の様だと、政治の事、経済の事、会社の事、不条理や不正に対しても何も怒らない、信じられないと言う正に同感である。
怒りを忘れた国は必ず滅びるのは歴史が証明している。
一億総白痴から一億総中流、一億総バブルの後、今は一億総貧乏と言われている。農業、漁業、林業は衰退する一途。しかし農民一揆も起きない。会社員一揆も起きる気配はなし。
枝豆に冷奴、ヤキトリ二本位で憂さ晴らしだ。チューハイのジョッキで乾杯する時だけはやたら元気がいい。お決まりの会社の悪口、上司の悪口、後は愚痴の出し合いだ。

「振り返るな、後には夢がない」と言ったのは寺山修司だが、今や一億総振り返りだ。
あの頃は良かった、あの頃は楽しかった、あの頃は夢があったとなる。
われにダンテの奇才なく バイロン ハイネの熱なきも、妻をめとらば才たけて みめうるわしく情ある 友を選ばば書を読みて 六分俠気四分の熱。これが日本人気質でもあったのだ。あの頃は立派だった鎌倉鶴岡八幡宮の大銀杏もバッサリ倒れた。小さなリスたちは何処へ逃げたのだろう。

鎌倉時代あの大銀杏の木の陰に刺客が身を隠し源実朝を暗殺した血の歴史の証人であった。
倒れた木は無残を極めた。中は空洞であった樹齢800年とも1000年ともいう。
丁度今の日本人の姿であった。根本が痛んでいる。国の中が人間の心の中がポッカリ穴が空いているのだ。六分の俠気も四分の熱もない。ただただ金、又金である。世界一情緒性のあったあの頃の日本人を取り戻そう。隣に倒れている人がいればそっと手を携え起こしてあげよう。

私は反権力主義。弱い者をイジメる者、強い者に阿る者が大嫌いだ。
幸い大銀杏には樹木医たちが知恵を合わせ、力を結集して再生に取り組んでくれるという。リスたちが又、楽しく遊べる木に戻って欲しい。

百貨店が次々に閉店する。吉祥寺の伊勢丹が閉店した、泣いている女店員の姿が印象的であった。あの頃百貨店は花形だった。しかし今やその花の形は見る影もない。コンビニのオッサンが百貨店を買収しよう等という分別をわきまえない行動から全て倒木は始まった。オッサンの名はズズキビンボンというらしい。会議の時は鈴を持って現れ気が乗らないと鈴を鳴らしてお終いと言うその席に出た人に聞いた。コンプレックスの固まりで頭が悪いオッサンだと言っていた。

あの頃の成功体験しか話をしない。
君、このスパゲッティ少し固いよとか、チャーハンをもっとパラパラさせろとか。いずれ近々倒れるだろう、中味がスカスカのグループになっているのだから。暗殺者、密告者があっちこっちに隠れている。そうそう、ゼニグロっていう会社もそんなスカスカになりつつあると噂で聞いた。裸の王様貧しい金の亡者の姿だ。品質は安い、志はもっと安い。時代はいずれ変わる。六分の俠気と四分の熱さえあれば。

2010年3月17日水曜日

人間市場 愛犬市


俺は小さい頃可愛がっていた犬を行政によって殺処分された。
犬の命と人の命と何処が違うのだ。そう強く迫られるとそれは、と一瞬戸惑う。
エセ正義感はどちらも同じ命だと言うだろう。

この問いかけをした人間は犬への愛情を殺人事件という重大な行為に発展させた。
歴代の厚生事務次官を狙い続けそして実行したのだ。となると猫の命も奪った者も、イノシシ、シカ、クマの命を奪った者も河を泳ぐ鯉を殺した者も全て殺人の対象となってしまう。ペットを愛する人にとってはヘビだって。マングースだって、カメだって大好きな生き物なのだ。

ある日の夕刊に一人の動物病院長の切ない記事があった。
今イヌやネコが年間三十万匹以上、一説によると四十万匹以上とも殺処分にされているという。大学を出てから秋田県の職員になり三十五歳から三年間捨て犬の処分をした。
一回に注射したのは百二十匹。毎週、翌日の処分の準備をする木曜日は出勤したくなかったと言う。逃げられない、辛い、捨てる人間を憎んだ。
その後動物管理センターができ、五十三歳から二年間所長を務めたその時は、炭酸ガスでの処分になっていた。犬のアウシュビッツだったのだろう。甘えてくる子犬を処分する時ほど切ない時は無かったという。

ある先輩は八万匹を処分したという。
自分自身バイクの事故で右足を膝下から失った時、何度も死を実行しようとした。命の大切とは子供達に何とかそれを教えたい、イヌの命の音を聞かせた。定年の五年前に退職、徳島県の友人の動物病院で約一年の研修を受けてから開業した。

飼い主が落ち込むと、ペットが体調を崩すという。心の不安がペットに伝わるのだ。
私も今まで三頭の犬を飼った。始めは茶色の毛の長い雑種であった。
とても気の優しい犬だった。名は「ブッチ」であった。七歳の時私の目の前で車にはねられた。
二頭目は真っ白い紀州犬の血が入った雑種であった。
名はやはり「ブッチ」とした。鎌倉の知り合いから貰った。性格は激しく日々予断を許さない性格であった。よく噛んだ、飼い主に似るからねと人から言われた。
十三歳の時、市から賞状をもらったがその後病院で死んだ。息も絶え絶え私と愚妻の顔をじっと見ていた。ミルクを出してあげると少しだけペロペロと舐める格好をした後死んだ。この二頭が死んだ日自分の中にこんなに涙があるのかと思う程人前もはばからず泣き続けた。

三頭目は家族で横浜そごうにあったペットショップで小さかった娘がどうしてもこの犬が欲しいと言ったので子供の情操教育の為にいいだろうと買った。未だ目が見えない位だった。名は娘が「アラシ」とつけたミニダックスフンドだった。
毛が長くプライドが高く気品のある犬だった。家の中で飼った。
深夜、明け方に仕事を終えて帰ると短い足でコトコト音を立て玄関にチョコンと座り帰りを迎えてくれた。抱き上げてやると嬉しそうに腹を出した。
抱いているとゴロゴロ鼾をかいて寝てしまった。この犬にどれほど慰められたか計り知れない。

「アラシ」は家の王様であった。家族全員の王様だった。十七歳で深夜の病院で息を引き取ったやはり長寿の覚状を受けた。深夜二時過ぎ娘も船橋から駆けつけた。息子達、孫達に囲まれ息を引き取った。全員ウアーと号泣した。一番面倒見ていた愚妻はヨロヨロと泣き崩れた。一頭目は庭に埋めてあげ、二、三頭目は白峯寺というペットのお寺にいる。

私の会社の隣にペットショップがある。小さな犬や猫たちが仕入れられて来る。狭い中に入れられ値札をつけられている。大きくなると売る事もできず育てるには経費がかかり大学病院等に送られ解剖の実験台になる。
前を通る度にいた筈の犬や猫がいなくなると気分が重くなる。
もう犬を飼うつもりはない、飼っている内に私の方が先にあの世に行ってしまうから、でもあのお腹のプヨプヨした感触、肉球の柔らかさ、かわいい寝息と柔らかい毛の感触、コトコトする足音が忘れられない。

部屋に飾った三頭の写真が私の心を和ませてくれる。
ペットを飼う人たちよ、買ったら飼え!飼えないなら買うな貰うな。ペットは主人を選べない。ペットは言葉が喋れないのだからよくよく覚悟を決めて飼ってほしい。
犬は神「犬神」だよ。

過日ある大先生と食事をした。大先生も又、大の愛犬家。「三四郎」という愛犬を失った。以来犬の出るドラマや映画を観るとご夫婦で泣きまくるとその目が潤んでいました。この間海辺を散歩していると自分の犬に対して蹴りを入れている男女がいました。当然私は男の足を蹴ってやりました。それでも愛犬家と。すいません、躾ですと謝ったが犬の目は怯えていた。私の方をみてありがとうと言っていた(?)
こういう男女が自分の子供に対しても手を挙げたり足を出したりするのだ。
ペットはファッションでは飼えない「愛情」だ。

2010年3月16日火曜日

人間市場 殺意市


五歳の子供に果たして殺意はあるのか、松本清張はそのテーマを主題にしてある本を書いた。

その粗筋は、一人の美しい未亡人には五歳の男の子がいる。
仕事を終え帰りのバスに乗るそこで昔好意を持ち合った妻子ある男と偶然出会う。
男が近所に引っ越して来たのだ。
やがて週末になると男は未亡人の家に遊びに来る様になる、よく冷えたビール、美味しいつまみと食事に心をとらえられていく男。
快楽の後の破滅に向かうには時間を要さない。

やがて毎夜の様に二人は愛欲にまみれた。五歳の子供は息を潜めながら、目は裸体となった二人の姿を見ていた。母親のむせび泣く声を聞いた子供は鉈で男を乱打する。男が母をいじめていると思ったのだ(?)

五歳の子供に殺意はあるのか心理学者は五歳の子供の心の闇を探す。
ある児童学者によると現代では三歳にして殺意を抱くという。
テレビやゲーム、兄や姉が見せてくれるパソコンやマンガ本の影響であると分析する。

ある日の夜、私の家に友人の母娘が相談にと言うより、連日連夜時間を選ばず長い電話を掛けて来る様になった。
話の内容は朝から晩までパソコンばかりに向かっている夫と父に愛情を失っている。
ある日の午後ソファーで熟睡している隙に母娘は夫のパソコンを開いて(私にはよく判らないパソコンなんて知らないから)見てしまった。
そこに出てくるものは母娘を絶望の湖底に沈めた。世界中の変態プレイ、殺人や処刑現場、見てはいけないあらゆる情報が次々と出たという。

その時妻と22歳の娘は殺意を持ったという。
いい夫、優しい父、人から敬意を表されている父親は、最低、最悪、変態となった。
思い悩んだ母娘が私の処に電話をして来たのだ。それは微に入り細にわたった。
母と娘から交代に聞いた私は絶句した。まさかまさかである。少し冷静になり、そうかそういえば話をしている時やけに様々な情報に詳しかったし、あっそれ見たよなんて言っていたなと思い出した。マニアチックに忠実に魚を描く達人であった。

夫と生活するのが、父と生活するのが気持ち悪いんです、恐いんですと言った。耳にしたくもない辛い電話が連日時間を選ばず取っ替え、引っかえかかって来た。

結論を言うとその家族は崩壊し離婚をした。
そして現在三人は別々の精神病院に入院している。いつ出てくるかは判らない。
私は朝から深夜までパソコンをいじっている人間はある種の病気だと思っている(投資や株をやっているのもいる)。嘘の2ちゃんねるを追跡しまくる人々である。

人が知らない情報を自分だけは知っている(実はマニアはみんな知っている)と思い悦に入る。俺は凄い男だと一人ほくそ笑む。気持ち悪い人間になっているのだ。当然女性にモテない人間に圧倒的に多い。
三つ子の魂百までという、三歳の子供に殺されない様身を正し、パソコンから離れた方がいい。パソコンは仕事だけだ。

ちなみに精神病院に入っている三人は私に身元保証人になって欲しい等知らせがあった。身内の人は全て断ったからと病院の人が言った。
厄介な事にかかわらないでよ、子供や孫たちがいるんだから。直ぐに何でも引き受けるんだから絶対に止めてよといつもは多くを語らない愚妻が言った。

去る日の午前448分外は雨が激しく降っている。
私は頭を抱えている。
パソコンは使い方を間違うと人間の精神を分断してしまう凶器だ。
知らなくていい事を知り、見てはいけない事を見てしまう。
そして人間破滅となり情報バンパイヤとなってしまう。
この頃の事件には全てパソコンとメールが絡んでいる。

その日の午後娘さんが病院でリストカットをしたという連絡が来た。

2010年3月15日月曜日

人間市場 指市


人間辛抱だと言ったのは初代若乃花。土俵の鬼であった。
深夜古い東映映画を観ていたらつくづくそう思った。配役の中に今は立派な役者となった人の名がその他大勢の中にいた。辛抱の歴史があった。

「ちい散歩」でお馴染みの地井武男。
高倉健の目に留まった小林稔侍、地井武男にはそこそこセリフがあったが、小林稔侍にはほとんど無かった。大部屋俳優という、いつか俺だってという目付をしていた。

私の古い友人に昔大部屋の女優だった女性がいる。
今は小さなクラブをある処に出している。美しいが運がなかった。
この女性を私は心から尊敬している。私より二つ年上である。左手と右手の小指がない。
何故か左手は自分の男の為、右手は自分の息子の為に自分で詰めたのだ。

男は器量も十分ある愚連隊のボスであった八人の屈強な若者を従えていた。
本筋のヤクザも一目も二目も置く男だった。男の為なら八人の若者は命を張った。
毎日、毎日抗争に明け暮れた。しかしどんな屈強な男たちも強大な組織を持つ本筋のヤクザと戦い続けるには限界があった。

いつしかボスと八人はシャブ中毒となっていった。あちこちのいたずらの場(博打場の事)でモメ事を起こしていた。又、飲み屋やクラブ等のツケは溜まりに溜まっていた。女性は中学生になった息子を抱えながら必死に働いた。その地でも有名な美人ホステスとして知れ渡っていた。

ある夜、大きな博打があった。
そこにボスと二人の若者そして女性がいた。張り金も大きい金筋の博打場である。
負けが込んだボスは駒を回せと何回もねだった。三人は場を外しながらトイレでシャブを打ち続けた。深夜も二時を過ぎた頃、もう駒は回せないと言う人間に対し灰皿で頭を殴り、コップで目を突いた。若者二人も同様に暴れた。
博徒にとって博打場は命、そこを荒らされたら答えは一つしかない。三人は直ぐに大勢の人間に体を押さえ込まれ、数台の車に乗せられ運ばれた。

中学二年ですっかり不良になっていた息子はそれを聞いて駆けつけた。
ポケットには飛び出しナイフを持っていた。父親がさらわれて行った博打場に駆けつけたが取り合ってもらえない、その上数発顔を殴られた。
その時少年は飛び出しナイフで一人の男の腹と太腿を刺して逃げた。
とある倉庫の中にボスと二人の男が太い鉄条網でぐるぐるにされていた。
山に埋めるか、海に沈めるか、ミンチにして鰻やハマチの養殖のエサにするか、本気とも冗談ともつかぬ話をしながら一人の男を待っていた。組織を仕切る若頭である。

寒いよー、寒いよ、温かい物頼むよと若者の一人が言った。
温かい物とはシャブの事である。どうしようもねえな、すっかりシャブで使い物にならない男になりやがった。
ケジメもつけなければと言った時、駆けつけた女性が私の体でケジメを付けてくださいと言った。そしてその後とった行動が一つの伝説となったのだ。誰かヤッパを一本下さいと言ってそれを手にした。左手は亭主の侘びですと言って小指を落とした。
右手は息子の侘びですと言って小指を落とした。力が入らず靴を脱ぎ血油のヤッパを思い切り足で踏んづけたのだ。左手の時はガラスの置物で刃物を思い切り叩いた。
これで命だけは助けてやってくださいと言って。とかく噂の花は大きくなって飛ぶ、小指が二本ずつや三本ずつになり仕舞いには片腕になったりした。

その時、若頭だった人間はその場を収め男を上げた。
しかし皮肉な事にこの人間はこの事件の後。八ヶ月後シャブ中の愛人に刺され殺された。久々に挨拶をしに店に顔を出すと指の無い手でマイクを握っていた。
小さく頭を下げると歌いながら目で座って一杯やってと言っていた。
いつ見ても美しい女性だった。

西田佐知子の「アカシアの雨がやむとき」を歌っていた。