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2015年6月26日金曜日

「未練心に…」





作詞家・横井弘さんが死去したという記事が昨日の朝刊に載っていた。
八十八歳というから米寿である。
横井弘さんの名を知っている人は音楽関係以外の人ではかなりの作詞通といえる。

横井弘さんは大ヒットを世に出した。
この詩を読んだら、あっ知ってる、唄っているはずだ。
で、代表作を二つ書く。

♪〜惚れて 惚れて 惚れていながら 行くおれに 旅をせかせる ベルの音 つらいホームに 来は来たが 未練心につまづいて 落とす涙の 哀愁列車…
今は亡き三橋美智也さんが唄った名曲「哀愁列車」である。

その昔私は酒を飲んでいる時、こんばんわといってギター片手に店に入って来た流しの歌手にこの歌を唄ってもらった。
何!知らないだと、それじゃこれはどうだ。

♪〜下町の空に かがやく太陽は よろこびと 悲しみ写す ガラス窓 心のいたむ その朝は 足音しみる 橋の上 あゝ太陽に呼びかける…
倍賞千恵子さんが今も日本のアチコチで唄い続ける名曲「下町の太陽」だ。
この歌を知らない人は十代か二十代だと思う。

♪〜下町の恋を 育てた太陽は 縁日に 二人で分けた 丸いあめ 口さえきけず 別れては 祭りの午後の なつかしく あゝ太陽に 涙ぐむ。

初恋に胸をトキメカした頃を思い出しませんか。
好きな子が縁日に来て浴衣姿で金魚すくいや水飴をなめていた姿を。
目と目が合ったその夜はきっとまんじりともせず起きていたはずです。
横井弘さんの詞は印象派の絵のようであり、写実画のようでもある。

この頃は詞のいい曲がありません。覚えられない詞ばかりです。
♪〜泣いて 泣いて 泣いているのを知らぬげに 窓はふたりを 遠くする 見返れば すがるせつない 瞳(め)のような 星が飛ぶ飛ぶ 哀愁列車…。
さようなら横井弘さん。私はずっと未練心につまづいています。

2015年6月25日木曜日

「賞について少々」




“物書き風情”に惚れやがって出て行け、家を出て行け、お前なんか俺の娘じゃない、とっとと出て行け。
なんて親から嫌われた職業が、物書き風情といわれた自称小説家だった。

小説ではメシは食べて行けない時代(今でもそうだが)文学少女たちに、ややこし文学論をショパンとかモーツァルトの流れる薄暗い珈琲店で延々と語り続ける。
キミに分かるかな、今ボクがどれほど文学に悩みもがき苦しんでいるか、いかに生活が困窮しているか、あーボクはもう駄目だ、ボクは生きている価値がない。
ボクと死んでくれ、なんて新派の劇みたいに演じる。
 純情な文学少女はそんな男に、出来ることならなんでもする、お金ならきっと何とかする、なんていってついには身を滅ぼしていく。

物書きはヒモみたいなのが殆どだった。
それでも必死に小説を書き出版社に持っていったり、編集長に送る。
その結果99.9%がボツですという返事を受ける(返事すら来ない場合も多い)。
0.01%に選ばれた小説は編集者によって朱を入れられて、真っ赤っ赤、空の雲みたい原稿は真っ赤になる。原型をとどめない。

これじゃボクの書いた小説じゃないと叫ぶも、編集者はいう、キミねえ、本気で書いているの、この程度で世の中に出して売れると思ってんの、主人公の存在感が日常的すぎるんだよ。
文句あんなら一から書き直して見なさいよ、持って帰ってよく考えてよなんていわれる。
チキショーバカにしやがって、あんな奴にボクの(あるいはオレの)小説が分かるかと安酒を煽ってクダを巻く。

かつての文学少女は厚化粧の女となり、これからよ頑張って、私も頑張るからと物書きに尽くす。小説家は100%編集者によって作られていく(自費出版以外は)。
画家は画商によって見い出されなければ路上で売るしかない。ヘビー級チャンピオンはマフィアが生み出すといわれている。

お笑い芸人さんが書いた作品「火花」が芥川賞の候補作になった。
私は立ち読みでパラパラとめくったが、こりゃ駄目だと思ってしまった。
世にはいい小説を書くが残念ながら世に出れない物書きがいる、いい編集者との出会いがないために。そんな物書きの影に、必死に尽くす女性がいる。

小説はかつては文学作品といわれたが今では“文学製品”となっている。
私もそんな製品を恥知らずに出している。全然売れていないのでほっとしている。
お笑い芸人の作品が芥川賞を受賞することを願っている。
その次の作品をじっくりと読ませてもらう。

佐藤泰志というすばらしい作品を書いた北海道の小説家は、芥川賞の候補に四度なりながら受賞出来ず、やがて自ら命を断った。
太宰治はなんとか芥川賞を下さいと審査委員に手紙を送った。
その頃は芥川賞に文学的価値があった。いい小説ははじめの一行で決まる。

ちなみに文学少女に年代の決まりはありません。
文学を愛する女性は等しく文学少女なのです(?)

2015年6月24日水曜日

「赤い列島と赤紙」




北は北海道から南は沖縄まで、日本列島の大地は、名主や地主、庄屋や地頭、悪代官や大名たち、置屋や金貸し、軍閥や財閥による抑圧と搾取、権力と暴力による弾圧によって歴史の中に血と汗と涙を染み込ませている(血涙という)。

大地は決して笑うことはない。山は怒り、河は怒り、海は怒る。
貧しき者、小作人はいかなるときも、めげず、へこたれず、よく働きつづけた。

そして赤紙一枚で戦争に引きずりだされた。
美しい日本列島は、実は赤い血の色をしているのだ。

敗戦後七十年、この国の歴史を今一度学ばねばならない。
あとで振り返った時、あの年が地獄への入り口だったとならないために。 

2015年はバカなテレビを見て笑っている場合ではない。
マズイ、私はバカなテレビをずっとつけっ放しだ。

マッカーサーたち占領軍の第一の目的は、爆弾を抱いて飛び込んで来る怖ろしい国民を徹底的にバカにすることであった。
もう一つは日本列島を永遠に米軍の基地にすることであった。
沖縄に目を向けよ、沖縄から学べ。

昨日六月二十三日は「慰霊の日」であった。
沖縄を血の島と化したマッカーサーたち占領軍が残したいいものがある。
民主主義と憲法九条だ。数百、数千万の命の代償だ。

コラッ、聞いてんのか、テレビを消せっていってんだよ、何!戦争なんか起きる訳ないってか、お前たち今度ヒロシマとナガサキに連れて行ってやる。
七十年前私たちはこの世に生まれた。戦後っ子として。

七十年前沖縄で部下たちを殺しまくった分隊長、小隊長、中隊長、大隊長たちはまだしぶとく生きている。戦争は終わっていないのだ。今年は沖縄の友人のところに行く。
きっと行く。ナベちゃん待ってろヤー!なのだ。

2015年6月23日火曜日

「裏も表も」



ある親分が書いた新刊本を読んだ。
正確にいえば元親分六十九歳、今は代を譲り堅気になっている。
過去に三冊自費出版しているのだが今度の本は有名な出版社から出されている。

題名は「ヤクザとシノギ」。シノギとは食べていく手段だ。
ヤクザ社会では引退し堅気になった人間は的にかけない(手を出してはならない)という決まりがある。あくまで正しいヤクザ(?)であればの話だが。
254頁の中に波瀾万丈の侠(オトコ)の人生がある。

読むと若い頃私が数年間勤務した一般会社社会と同じである。
上司への不信、上司への裏切り、仲間との出世争い。
利権の取り合い、人事への不満、金の貸し借り(バクチや賭けゴルフで)組織防衛(MAみたいなものから)これらはいつの世も会社人間が日々直面しているものだろう。
違いといえばヤクザ者が下手を打ったり、モメゴトの仲裁に失敗した時には指を詰めることだ。この本の書き手である元親分も三度指を詰めている。

一般社会ではそんなことはありえない。上司は部下を見捨てる、部下は上司を見限る。
チクリ(密告)と風を吹かせる(ネットなどにガセネタを流したり、針小棒大にする)ことに仕事を忘れる。ネットカフェに入り浸る会社人間はほぼこのことに熱中しているといっても過言ではない。会社とは社会の逆文字だから、正しいことの逆が多い。

あのバカヤロー仲間のみんなが心配しているのに裏切りやがって。
とんでもない反社会行為をしやがって。
久々にいつものグラスで飲む酒も悲しくまずい夜がある。

ヤクザ者の世界ではキッチリとけじめをつけるのだが一般社会ではケジメはファジー(曖昧)のまま終わることが多い。表社会を学ぶには裏社会を学ばねばならない。
元親分の本はその教科書となる。

高校とか大学の教科に「裏学科」を作るべきだと思っている。
暴対法でシノギが減った人々の仕事場が生まれる。
「裏学科」で、喧嘩道、博打道、女道&男道、人事道、裏切り&ケジメ道、シノギ道などを重点的に教えるのだ。

現在午前四時三分五十一秒、なにやら酔いが回ってしまった。
国会は長期延長、内閣支持率がついに30%台の危険水域に(朝日新聞調査)そして9月末まで大幅会期延長となった。かなりキナ臭くなってきた。
親分を裏切る者共がこぞってスタートラインに立ち始めた。
政界の一寸先は闇に向かって、もうすぐヨーイドンだ。

2015年6月22日月曜日

「三國連太郎の役は、三国連太郎」




「悪魔みたいな人間」という存在は多く知っている。
私も人から悪魔の如く思われている存在の一人だ。

さて、「善魔」という存在を知っていますか。
とにかく徹底的に善い人なのだ。
純粋で、純朴で、素直で、気高く、慈愛にあふれ情愛が噴出しまくるのだ。

こんな人がいるのかいないのかを描いた映画が木下恵介の「善魔」だ。
撮影は勿論名人、楠田浩之なのだ。1951年松竹の作品だ。
名優三國連太郎の新人第一作であり、若い新聞記者役である。
その記者役の名が三国連太郎でありその後その名を役者名とした記念すべき作品である。

六月二十一日朝4時頃から観た。
その前にアメリカの大学であった実話からインスパイアされた。
「神は死んだのか」を観た。無神論者の教授と有神論者の学生とのディベートだ。
聖書の言葉が次々と出る。

尊敬している友人の教授から送っていただいて以来、青い聖書を仕事場の座右の書としているので出るたびに少しずつ読み、少しずつ忘れてしまう。
私はいつまで経っても不出来なのだ。私にはイエスもノーもない。

さて「善魔」なのだが、劇中新聞社の上司である社会部長(森雅之)がこんな言葉をいう。世の中で素直ほど厄介なものはない。
悪魔は分かりやすいが、悪魔は分かりにくいと。

木下恵介は、大学時代に恋心を持った女性ですら冷徹にスクープの対象とする。
決して悪人ではないが現実的でしたたかな社会部長をより人間的に描く。
一方新人記者の三国連太郎はスクープの対象である女性の妹を徹底的に愛してしまう。
悲しいかなその妹は二十歳を前に病気で死んでしまう。
だが僕はどうしても結婚するんだといって、なんと処女のまま死んだ妹と結婚をする。
姉役(淡島千景)、父役(笠智衆)、妹役(桂木洋子)。

富士山が美しく見えるモノクロームな山の中、社会部長はその場を去って行く。
彼は官僚の力で出版局参与という閑職に追いやられるのだがそれを現実として受け入れて行く。善と悪、現実と非現実とを見事に描いていた。そして結婚とは何かを。
 ある人はいう、世に人に好かれたく善い人ぶっている者ほど始末の悪い人はいないと。
いざという時にいつだって沈黙する神こそ善い人ぶっている始末の悪いいちばんの存在だと(神がいればだが)。

六月二十日(日)早朝映画を見終わりそのまま少々時間をつぶした後、孫の野球の応援に行った。平塚の山の中にある日本トラック協会総合野球場、リーグ戦の第一戦、相手は横浜の港北から来たチームだ。
相手は23人、当方は13人。
00でむかえた最終回一点を取りそれを守り切って10で勝った。
雨の中応援するのは20人ほどのチーム関係者。
コーチや当番のお母さんたち以外では私一人のようであった。

私はどこへでも行く。
雨に濡れますからテントの中に入って下さいとお母さんたちにいわれた。
最終回に神はいたのかもしれない。

2015年6月19日金曜日

「藤井保さんと新良太さん、そして…」


藤井保氏「ぐんげんどう・経(たて)」より
新良太氏、井上嗣也氏の写真集より





天才的な作曲家がいる。
天才的な作詞家がいる。
天才的な編曲家がいる。
天才的な歌手が唄う。
だがヒット曲というのはここ数年アニメの主題歌位しかない。
才能がある人は音楽界にあふれるほどいるのに何故だろうか。

天才的な画家がいる、だが売れない。
天才的な陶芸家、天才的な彫刻家、天才的な書家。
だがみんな売れない。

銀座には数多くの画廊があり、個展やグループ展が催されているが、残念ながらこの一年一度も身震いするような作品に出会うことはない。

十数年前通称「通天」といわれる人の大作を見た衝撃はない(この時は心臓がバクバクした)。時間があると画廊を回るのだが、そこには工夫がなくいつも入りにくい。
どこかまったりとしている。いつか見たような、どこかで見たような作品ばかりが天才的(?)に描かれていたり作られている。
「性」がないからだろうか、「狂」がないからだろうか、「死」がないからだろうか。

先日二冊の写真集が送られて来た。
一冊は藤井保さんという広告写真の巨匠の作品である。
葛西薫さんとのコンビで数々の広告賞やデザイン賞を受けて有名だ。

ご自身の故郷島根の民話とか伝承の世界を独特の階調ある写真で語り継ぐ。
藤井保さんと北海道出身の葛西薫さんは階調が合うのではと思った。
作品で表現される色温や色感は生まれ育った地のものだからだ。
二人の作品にスカッ晴れの空はなく、真っ白い雲はなく、緑の大地はない。
だがいかなる絵画より心の深くに迫り来る。
クリエイティブディレクションは佐藤卓氏、デザインは林里佳子氏。
 素晴らしい写真集であった。

題は「ぐんげんどう・経(たて)」平凡社刊、本体5,000円である。
ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の世界を感じたい人にぜひおすすめしたい。
松葉大吉著の自分史も読める。

もう一冊には言葉を失った。
新良太氏の写真をグラフィックデザインの巨匠井上嗣也氏がアートディレクション&デザインをしている、と来れば常識はない。
月という存在がグラフィカルにデザイン化されている。
北海道で撮ったという太陽は原爆化されている。
未だかつて見たことのない写真集である。
哲学的であり、観念的であり、無邪気な遊戯でもある。
大判の写真集は売るためのものでなく、見てもらいたい人だけの限定であった。

藤井保さん、新良太さんの作品はきっと大きな評価を得ると確信する。
本当の天才は実にひっそりとしていることを改めて知った。
残念ながら絵画ではそんな人を味わっていない。
但し今私の手元には一人の天才的画家の絵がある。
友人からその発表を託されている。

六月十六日ある画廊のオーナーと打合せをした。
来年の三月に世に出すことを確認した。すでにイメージの中でセレクションをはじめた。話題を呼ぶであろうと思う。画廊の世界観とはまるで違う、スポーツマンのようにステキなオーナーも興奮(?)していた。ご期待されたし。

2015年6月18日木曜日

「浅間山と恋」




昭和二十一年製作といえば敗戦後直ぐにである。
「わが恋せし乙女」という70分ほどの映画だ。

監督は木下恵介、撮影は楠田浩之というやがて日本映画史上に名作を残す名コンビの出発点といっていい作品だ。私はこのところ木下恵介を研究中。
モノクロ作品で木下恵介と名人楠田浩之の絵を超える作品はないと思っているからだ。

映画の舞台は長野県浅間山を見上げる牧場だ。
その牧場には数十頭の牛と馬が放牧されている。その牧場の入口に赤ん坊が捨てられる。
母親は投身自殺をする。
牧場の夫婦は二人の男の子がいるがその赤ん坊を我が子として育てる。

やがてその赤ん坊は美しい娘となる。胸のボタンを一つ外すとすっかり大人っぽい。
白いスカートから見える両の足は躍動する。
体全体が快活であり笑顔はどこまでも無邪気だ。
やさしい兄を実の兄でないとは露ほど知らない。

村の青年たちは戦争から解放された自由を歌で、踊りで、祭りで満喫する。
娘は乗馬も楽しむ。兄はそんな妹を眩しくみつつ恋を感じる。

楠田浩之のカメラはロングで、真俯瞰で、クローズアップで移動車で自由奔放に撮る。
浅間山からは白い噴煙が上がっている。戦争のない日本はどこまでも美しい。

兄は母からもう本当のことをいってもいいよといわれその機会を待つ。
もう一人の兄は戦争に行って帰って来ていない。
今日こそと思った日、妹は好きな人がいるのと兄に相談する。
その相手は戦争で片足が不自由になった、年の離れた小学校の教師であった。
兄は二人が手をつないで牧場の側を歩く姿を丘の上から見る。そして…。

この先はTSUTAYAで借りて下さい。映画屋たちは戦争に負けてなかった。
さて、浅間山で噴火し始めたとニュースで報じられている。山は怒っているのだ。
戦争参加に突き進む愚かな者たちに。

この国は小松左京の日本沈没によると、浅間、白根、富士山が大噴火しやがて日本列島が消失する。難民となった日本人の少数はどこぞの国を走る列車の中に詰め込まれる。
何やらそんなストーリーがリアリティを持って来た。

2015年6月17日水曜日

「大関は横綱」




俗世の小説家などと違って本を売ることとか原稿料のこととか、印税がどーしたとか、あわよくば文学賞でもとかにまったく関心も興味もない。

魚料理が自慢のご主人とか、おでん屋のご主人、珈琲店のマスターたちが書いた小説やエッセーにこれぞ名文というのが多い。
誰の手も借りず欲がないから文章に汚れがない。青空のように澄み切っているのだ。
それらはお店の目立たないところにそっと置いてある。

私が住んでいる家の側に湘南工科大学(高校もある)がある。
その斜め前に「とんかつ大関」がある。これ以上はないというほど旨い。
一ヶ月半に一度位この店に行く。

人気があるのでいつも外で待つことになる、またはレジ前の空間で。
一階に五十人位、二階の座敷に五十人位が入れる。
入り口に大相撲の番付表が貼ってある。
長い間通っているのだがお店の名前はきっと大相撲好きだからと思い続けていた。

六月十四日(日)夜久々に行った。
おじさんは小柄でメガネをかけている。
頭髪をいつもキレイに手入れしてある。テキパキ度120%位でお客さんをさばいていく。
何しろ見事なのだ。

で、とんかつの話ではなくおじさんが名文家であることをはじめて知った。
よく相撲談義をしたりしていた。
その夜息子たち家族と行って、あ〜やっぱり大関のとんかつは最高だなと思いつつ二階から降り、レジにいたおじさんにごちそうさんでしたといいお勘定となった。
さて、帰るべしと思ったら、ちょっと、といって私の名前を呼んだ。

あいよどうしたと思っていたら、これをといってB4判の茶封筒を渡された。
いや〜いつも、いつかと思っていたのだが恥ずかしいからずっと控えていたんだがぜひ読んでよといった。
えっ、何!というと、オジサンが書き続けている湘南新聞のコラムや、江ノ電沿線新聞に書いているコラムだった。
へぇ〜すばらしいぜひ家に帰って読ませてもらいますよといって店を出た。

家に帰り四篇のコラムを読む。おじさんの名は「大関好司」さんであった。
昭和九年生まれであることを知った。
ということは八十歳か、私はずっと七十四・五歳位と思っていた。昭和三十五年に東京・田端で店を構えた後、神奈川・辻堂に来たことを知った。

コラムは六十一歳で亡くなった友人のこと(八百屋さん)。
辻堂の歴史、欲しい茶飲み友だちのこと。駅弁のこと(峠の釜めし)が実に清々しく書いてあった。とても嬉しくなった。おやじとんかつも旨いが、文章も上手いぞと思った。

とんかつの好きな人はぜひ一度食してほしい。
東京中のとんかつ屋さんで大関に勝てる店はないと断言できる。
日本とんかつ界の横綱だ。15002000円でキャベツ山盛り、豚汁、お新香二種付。
私の悪名をいえばきっと大関好司さんはコラムを渡してくれるはずだ。


「北野里沙さん」






六月十三日(土)午後四時十分〜六時三十分、大手町よみうりホールで「北野里沙」さんのコンサートに行った。

写真家の新良太さんと友人三人であった。読売新聞本社ビルはまるで超高級ホテルのようである。一階フロアにある電光掲示板に流れるニュースを見なければ誰も新聞社とは思わないであろう。長いエスカレーターの先にホールがある。

500席の客席はほとんど満員に近かった。お世話になっている広告代理店の社長から新宿の小さなライブハウスで存在を知らされてから三年近く経っている。
前回は渋谷であった。

F1レーサーの中野信治さんと久々にお会いした。
相変わらずカッコよくてステキだ。
二人で出羽三山の2500段近い石の階段を登った日を思い出した。

12日(金)恵比寿で世界スーパーフェザー級チャンピオンの内山高志選手の写真展のレセプションがあり、チャンピオンとお会いした。
よみうりホールにチャンピオンが来たのでご挨拶をした。
内山選手はスポーツマンのお手本のような人である。
品格、人格共、別格である。
内山選手はいつかこの国を正しく鍛え直す道に進んでほしいと願う。

北野里沙さんは国立音大出身、単身イタリアに渡り、一人で唄うストリートライブを行い続けたど根性のある美人アーティストだ。
メジャーデビューを遂に果たしたあとの第一回目のコンサートだ。

ゲストに吉武大地さん、平林龍さんという日本を代表する若きアーティスト。
オペラをそれぞれデュエットで唄った。クラシック出身なのでマイクはいらない。
とびきり歌唱力にすぐれていることを証明して見せた。
新しいジャンルの曲にも挑んでいた。「香港ナイト」という、とてもいい曲であった。
 
美しい歌声に“人生のザラツキ”が加わったとき更に進化をして行くと思う。
それには恋愛を重ね、挫折し、絶望し、傷を負わねばならない。
その傷口から流れる赤い血と、滴り落ちる泪が混ざり合い一筋の川の流れとなる。
その川に身を沈め、そして立ち上がり目を見開き、希望への思いを唄い出すとき。
傍若無人と自らいう魂に、未だ見ぬ世界が生まれて行くのだろう。

北野里沙さんのメジャーデビュー曲は、クラウンレコードから発売されている、「母からの手紙」。芸術とは負の術である。私はそう思っている。
何度も何度も絶望を経験した者だけがその為す術を身につけることができる。
一人の歌姫が誕生する影には、無償の愛の応援が静かにある。
私はこれを“影の光”といっている。

2015年6月12日金曜日

「鋭いね、木村草太」



防衛大学特任教授「森本敏」、民主党政権の元防衛大臣である。
特任教授なんて代物は肩書ほしさだけ。
一年の内に一度位どうでもいいことを話しているだけ。

今度の戦争法案がまるっきり法案の体を成していないのは一人の国家リーダー以外みんなわかっている。
それ故TV局が出たがり学者に連絡しても腰が痛いとか、頭が痛いとかいって断りを入れる。TVに出れば下手を打ってしまうからだ。

で、森本敏なのだが、あんたは一体何なのかねと思ってしまう。民主党政権でホイホイしてたが、政権が変わるとTVに出まくってペラペラしてた。
戦争法案が出ると無理筋の法案を正当化しようとTV局をハシゴする。いつの世もこんなスヤイ(安い)学者がいるもんだ。

こういう輩を“御用学者”という。
ある番組で「中谷元」防衛大臣とペアを組んで、今売り出し中の首都大学の准教授・憲法学者「木村草太」と小泉政権の元内閣副長官補「柳澤協二」のペアと論戦をした。
論戦といってもまるで論戦にならない。
木村、柳澤ペアの冷静且つ正しい指摘についていけない。
やられっ放し、何しろ国民の6080%が抜け穴だらけ、ツギハギだらけの法案に反対している。

官僚言葉でどうにでも拡大解釈が可能な作文をオウム返しするだけで、さすがに司会者も苦笑する。中谷大臣に至っては目が泳ぎまくって油汗をかいていた。
森本敏は懸命に自論をいうのだがひたすら恥をかくばかり。
若き憲法学者木村草太は鋭く看破していた。

一方的に成立させられると思っていた戦争法案(平和法案という人もいる)が日増したその行方が怪しくなって来た。
きっと強行採決をし、来年の参議院選挙は衆議院選挙と同時に行うだろう。
得意の戦法だ。これで信を得たというやり方だ。

森本敏は次はどっちにつくかをまた考えることとなる。
官僚にもなかなかの人物がいると思ったのは柳澤協二だ。
鷹の様な鋭い目で森本敏を圧倒する、この法案は駄目だと。

中谷元はディベート下手で有名、体はでかいがハートは小さいのでオロオロ感が際立ってしまう。中谷元防衛大臣の首にはすでに秋風が吹いている。
森本敏は性懲りもなくTVに出まくって恥の上塗りをしている。

それにしても木村草太という男は久々に出来る学者だ。
正宗の刀のように切れ味が鋭い。(文中敬称略)