ページ

2018年6月5日火曜日

「だるま亭の前には、コロッケパン」

仕事を頼みに来てくれていた三人の内、一人は12時30分東京駅発の最終バスでつくば市に帰ると言う。あと二人は地下鉄の終電に間に合うからお気づかいなくと先を急ぐ。5時間近く仕事を手伝ってくれていたアートディレクターは、一杯だけ飲んで帰るかと言えば、飲んだら明日までにやらねば間に合わないので帰りますと言った。私が乗る終電にはもう間に合わない。ガッサゴソになった、仕事場のテーブルの上をいい加減に整理してアートディレクターと、鍵を閉めてビルの外に出た。朝から何も食べてなかったのだが、ある時間を過ぎると空腹感はなくなっていた。それじゃあオツカレさん、今日は本当にアリガトウ、明日もよろしくなと言って、仕事場の前で別れた。いい歳してこんな事やっていたら死ぬぞとか、死にますよとか、死ぬわよと言われても、こうとしか生きようもない自分がいる。役者は舞台の上で死ぬなら本望だと言う。人間生きている内は、間違いなく死んでない。これがモットーであり、「あしたのジョー」のように、白い灰になるまで戦うのが自分の人生だと思っている。そんな私より何倍も熱心な人が(私よりほんの少し年下の人)仕事に取り組んでいる。つくづく頭が下がる。つくば市まで終バスで帰る人は、モダンジャズを大学でやっていた。テナーサックスの話になるとふっくらとやさしくて、かわいい顔がほころぶ。学校で音楽の先生をしていたら、きっと似合っていた人だ。いい人過ぎる人に、育ちのよさを感じる。もう一人は、学歴不詳だ。別に仕事に学歴は関係はない。45・6歳ではじめはどうなっているのと思っていたが、10ヶ月近くまい日同じ釜の飯を食っているような関係を続けているうちに、確実に仕事ができるようになって行く。日々逞しくなって行く。実はこんな事が何より嬉しい。きっとこの仕事でスキルを上げるだろう。後輩のアートディレクターが実に頼りになっている姿を見るのが嬉しい。私が独立をすすめたのは正解だった。仕事は人を育ててくれる。仕方ない一人で一杯やって行こうと、中国人が午前2時頃までやっている、「だるま亭」いわゆるフツーの中華店へ。だけどその味は私の好きな「菊鳳」と甲乙つけがたい。いつもは会社員の人や夜の仕事の人で、一階、二階も混んでいるのに、お客さんは太った中国人の男と細っそりとした女性の二人だけ。ビーフンを食べビールを飲んでいた。タンメンを食べたいと思ったが、それの弟分みたいなメンを抜いたタンだけの野菜スープを頼んだ。一合の冷や酒。壁の上のテレビには中居正広が出ていた。いいんだなこの旅芸人的気分、流れ者みたいなかんじ。店終えた女を待っているような、ヒモみたいな時間。この店のニラレバ炒めは抜群なのだ。カニ玉、エビ玉は泣けるし、タンメンは極上だ。今度はそれらを食べようと、メニューに語りかけた。私がこの仕事で組んでいるもう一人のアートディレクターは、腰痛がもう我慢できず今年の一月についに手術した。タイガーウッズが手術したものと同じものだ。幅広い腹巻きみたいなコルセットと、週に1度何故か手のくるぶしのところにカルシウムを注射しているのだとか。もの凄く優秀な女性のスタッフが5人いる。まだ完治していない体で次々と仕事をこなしている。私と違い一流のプロはどんな時も穏やかで冷静で優秀なのだ。オマチーサンシター、頼んだスープが湯気を立てて運ばれてきた。「だるま亭」のすぐ前には、コッペパン&マーガリン&ソースたっぷりコロッケの歴史的食べ物を売っている。有名な「チョーシ屋」だ。もとは精肉屋、若い女性に人気で昼は行列に近い。現在6月5日午前4時24分12秒。少し眠くなってきた
残してやるぞ、誰もやらなかった仕事を。(文中敬称略)

2018年6月4日月曜日

「ノートマージャン 」

ゆでがえるの時代となっている。いくら我々が一生懸命働いても国の借金は1100兆円近くなっている。 オギャーと産まれた赤ちゃんからお年寄りまで一人アタマ 約850万(以上)。その現金を目の前にしたら、ア然、ボー然として、ジョーダンじゃないというだろう。 ぬるま湯にのんびりつかっていた「ゆでがえるがだんだんと湯の温度が上がり、やがて熱湯となった時、すでに飛び出る力はなく、オジャンとなる。」少子化はさらに進み高齢化は加速する。晩婚化はもう止めることができない。お医者さん代は上がり、年金は下がる。現在の子どもたちが、年金をもらうことは、ほぼ無くなる。税金はアレコレ上がりつづける。ノートマージャンに例えると(やったことがない人はスミマセン)その日は負けても月末給料日精算方式(勝ち負けはノートにつけておく)それゆえいくら負けていても精算日までは、忘れている。で給料日に精算係が来てハイ3万、 ハイ 5万、ハイ12万なんて言われて、エッウソー、そんなに負けてねえよ、となり、その日その負けを返すべきと思い、またポンだ、リーチだ、ロンだとつづける。そしてハコテン(点棒が箱にない状態)となる。バクチは結局胴元が勝つと決まっている。オレは新聞を読まねえんだという財務大臣が今、国の胴元となっている。街のマージャン屋(一人でもお気軽にって看板がある)に八百長はつきものだ。(店の主や店員もグルになってサイン送ったりする。これを通しと言う)ちょっと時間があるからと、すでにいた三人とジャラ、ジャラやりはじめると、とんでもないことになる。現在この国はこの状態にある。ゆでがえるとなっている国民は精算日にエッまた税金が上がっているとびっくりするがすでに怒る気力もない。現在日本の成長(?)企業の大株主は日本銀行だ。国民に配当はない。昨日はいい天気で気持ちいい風が吹いていた。海岸を歩いていたら、ふとゆでがえるのことを考えてしまった。チクショウと思ったら砂の中に足がズボッと入ってしまった。"やせ蛙 まけるな一茶 これにあり” さて、一茶は誰か。

国民一人あたり、これくらいの借金を抱えている。


2018年6月1日金曜日

「ジュークボックス」

栃ノ心が大関に昇進した。大相撲14日目 を 観戦に両国国技館に行った。デザイン界の名人とそのお弟子さん夫妻と。 午前中は運動会の応援だった。知人の市会議員が来賓として二人来ていた。地方議会選挙が近いから市会議員もあっちこっちに顔を出す。大相撲のチケットは簡単には手に入らない。これ以上義理固い人はいないのではと日頃思っている代理店のオーナーがプラチナチケットをプレゼントしてくれた。感謝感激で御礼 の言葉 もない。14日目栃ノ心は豪快に勝った。大怪我をして幕下まで番付を落としながらの復活を心からよろこび、敬意を表すのだ。その逆にす ぐ に横綱にと言われていた元大関が大怪我と持病により、 来 場所は幕下に落ちる。ガンバレ照ノ富士と応援する。私の古い友人で土佐出身の男がいる(デザイナー)。相当に相撲好きで「タニマチ」なんて言う本まで出した。自分自身のタニマチ人生の本であった。土佐出身の元関脇豊ノ島は幕下で勝ち越していた。スバラシイ! 大怪我をしながら引退をせずに関取を目指す姿に感涙する。裸一貫の勝負の世界は厳しい世界だ。我が街茅ヶ崎出身の序二段(ずっと)「足立」が 4勝3敗 と勝ち越した。ヤッタァーである。もう一人が切ない。「服部桜」が全敗であった。番付け最下位で通算 1 勝107敗である。立ち会った瞬間にスベって手をついて敗ける姿を、知人がユーチューブというので見せてくれた。相手に触れずに敗けるという珍敗であった。決まり手はお手つきかもしれない。が、余程相撲が好きなのだろう。なんとか2勝目をあげてほしいと願う。私は決してメゲずに一途な人間、特に怪我とか病気とかと闘いながら我が道を行く人に憧れる。

土俵に生死を賭けている男を尊敬する。かの哲人「ニーチェ」は言った。「自分の道を行け」と。人間はもがき、苦しみ、憎悪と嫌悪の中に生き、不信、不満、不平、不安の中から光明を見い出す。若い頃の苦労は買ってでもしろという先達の教えはここにある。仕事に生死を賭けろと言うと、近頃ではブラック企業となるが、その気構えを持てと言う事だから一度相撲部屋の朝稽古を見ることをすすめる。それはそれは半端ではない。冷暖房の効いた仕事場で一席をぶっている我が身を恥じる。若い人が育つことほどうれしい事はない。だから私は徹底的に嫌な奴である。きっとわら人形に五寸釘を打たれているだろう。日々胸が痛いのはそのせいかもしれない。ある大先輩から日本で初めてアイドルという言葉で呼ばれた、御年98才の女性舞踊家の企画話を受けた。この大先輩は大 健 筆家で、86才(多分)になっても、バンバン小説を書いている。近々著作が電子化されると昨日電話でおっしゃっていた。近々練馬区石神井公園三宝 寺 池近くのご自宅に伺う。時代小説を書いているせいか、剣豪のような人である。前夜親愛なる兄弟分と話をした。人間好かれるようになったら終わりだなと。あらゆる業界で名を成した人は、狂人、変人、詐欺師、ヒモ。奇人、変態、酒乱、借金魔、自殺マニア、色情狂などばかりであった。そしてみんな悩んで我が道で名を成した。「最善の敵は善」であると言う。妥協からは斬新は生まれない。直感を養うためには、坂口安吾ではないが、堕落するしかない。そしてこそ自らの明日が見える。「壺中に天あり」。今日一日がんばって、いい週末にしたいと思っている。「服部桜」に会いたいと思っている。日曜日には久々に海岸を歩いて砂と語るつもりだ。映画も五本見る。フランスの名優ジャンギャバンの作品と、名優ルイ・ジューベの名作「北ホテル」。ジャンヌモローの「死刑台のエレベーター」ピエトロジェルミの「刑事」ルイマル監督の「甘い生活」ジャンギャバンは「現金に手を出すな」主題曲、グリスビーブルースは最高だ。パリの店ジュークボックスから流れる。

2018年5月31日木曜日

「ある達成感」

三日振りに帰宅した。現在5月31日午前3時47分08秒。都心から約1時間とある街のとある会社のとある物件の撮影をしてきた。プロフェッショナルの見本ような高潔なカメラマン。信頼するアートディレクター。目を輝かせてがんばってくれた期待の新人。冷静にしてセンスあふれるスタイリスト。初日はベテラン、二日目は新人のメイクアップアーティスト。やはり持つべきものは兄弟分と、そのスタッフ外人男女と飛び切り美しい11歳の外人少女をキャスティングしてくれてよかった。そしてあと一人、少女の付き人。久々に出会った天才的相手がとある会社の担当部長。早朝から夜11時まで撮って、撮って、撮りまくった。昨日は昼にこの次の日本を背負って立つのはこの人と、思う人のパーティーがあり途中中抜けして東京のホテルへ。そしてすぐに撮影地に戻った。私のような何の学歴もない者にとって、出来ることといえば、人の二倍も、三倍も、何倍も一生懸命働くことしかない。仕事を出してくれた人に全力で期待に応えるしかない。プロはプロの仕事をして当たり前。それ以上の仕事を目指してやり遂げる。私たち芸人は、お客さんに喜んでもらってこそ生きる糧を得ることができる。どんな世界でも同じで、生死を賭けてこそ成果が出る。あ〜めんどくせえとか、あ〜やってられねえとか、ブータレてる人間は芸を売ることはできない。学校を終えて付き人と共に東京から撮影地に来てくれた11歳の外人少女モデルはプロ意識に溢れていた。疲れているはずであったが、実に毅然としていて誇り高く、堂々と約束の2時間半を演じてくれた。その姿勢に学ぶこと大であった。11時14分の最終電車に乗るために私と兄弟分、期待の新人三人で雨の中駅に向かった。無線でタクシーを呼んだが、車がありませんという事だった。他の人達は後始末、掃除を済まして車で帰る。それではオツカレさんアリガトウ、ホントにアリガトウと言って雨に濡れた。何か達成感があり雨が気持ちよかった。私の右手には数キロはあるであろう、ゴッソリと資料の入ったパンパンのトートバッグが雨に濡れてさらに重くなっていた。 首も肩も、腰も足もパンパンになっていたが、これは一生懸命働いた証だ。朝から三枚の卵サンドのみ。何故かやたらに焼肉が食べたくなっていた。そして午前一時頃やっとこさ赤坂の焼肉店へ。お客さんは私たち三人のみ、店内のテレビには韓国のドラマが放映されていた。人生とは新しいことを求めてビビンバ(かきまぜる)なのだ。成功はその先にある。キムチが腹にキムチよかった。で、午前2時赤坂を後にした。


アイディアとは何のためにあるか、それはただ一つ、出すためにある。直感と直感を徹底的にかき混ぜることにある。納豆は右回りで50回、左回りで50回かき混ぜると、絶好の味になるという。ネバーギブアップだ。

2018年5月28日月曜日

「パターソンはいい男だ」

2017年度キネマ旬報ベストテンの内、3本見てない外国映画の一本を昨日深夜に見た。No.1が「わたしはダニエルブレイク」で、No.2が「パターソン」。その「パターソン」を見た。 アメリカ映画は時々、ハリウッド離れしたかのような上質な短編映画のようないい作品を生む。「パリテキサス」とか「 バクダットカフェ」とか「ランブルフィッシュ」とか「 ストレンジャー・ザ・パラダイス」などであり、私は大好きである。パーシー・アドロン、ムベンダース・ジム・ジャームッシュ監督だ。F・コッポラは大作もいいが 、小作品はとてもgoodだ。さて「パターソン」だがいかにもジム・ジャームッシュである。主なる登場人物は、アメリカのとある小さな町(パターソン)に住むパターソンという名のバスの運転手(35歳位)その恋人(あるいは妻)インテリアデザイナーを家で営んでいる。それと名演技のブルドッグ。仕事から帰った後、犬を散歩させる途中一杯のビールをジョッキで飲む、カウンターバーのマスター(黒人)その店に来るお客さん。勤務する会社の男一人。10歳くらいの双子の女の子(詩を書く)。月曜日の朝6時10分から次の曜日の朝までの一週間の出来事。と言っても毎日同じような日が静かに続く。小さな家。小さなベッドに男と女。それを見守るブルドッグ。朝食はミルクとコーンフレーク(みたい)昼食はサンドウィッチ、作ってくれたものを小さなブリキの工具箱のような弁当箱に入れて出勤する。朝6時10分腕時計を見て起きる。眠っている女性にそっとキスをしてベッド離れる。まい日同じだ。傾いた郵便ポストはモスグリーン。家の中の壁の色はプルシャンブルー。電気スタンドからこぼれる赤い灯。粒子が見えるような映像、うす暗いバー。 赤い服、ピンクの服の女性。ジャジーな音楽。ジム・ジャームッシュのフォトグラフィックの映像が実にいい。毎日同じようだが一つ違いというか、習慣がある。 それはバスの運転手の主人公が、詩を書くことだ。運転台で休んでいる時、家に帰って小さな机で。恋人あるいは妻は、いい詩だからコピーをとって出版社に持って行けばと言う。白地に黒いドット柄のカーテンを作る女。サンドウィッチと、大きなチーズケーキを焼く。映画は本をめくるように進む。今は僕は気に入ったマッチ箱がある。 小さなブルーの箱。イヤホンのように書かれた文字、、ブルーマッチの中にはマッチ棒、僕が煙草なら彼女はマッチの火。 あるいはその逆かも知れない。そんな詩をまい日書くのである。詩を書く少女はノオトにこう書いていた。宙(そら)から水が落ちてくる。長い髪のように少女の肩に落ちてくる。それを雨と呼ぶことにした。そんなを運転手の男に読んであげる。 いい詩だねという男。 映画は月曜日の朝を迎えて静かに終わる。静かなジャズのような映画であった。ピアノは似合わない。トランペットもギターも、ドラムはいらない。そう、クラリネットか、アルトサックスのソロだけがいい。だが映画はそれさえも拒否するように、ステキな音楽が静かにうすく、うすく流れていた。 イライラ、ムカムカ、ガタガタのまい日を送っている身に、何より安定剤となった。パターソンはいいだ。

2018年5月25日金曜日

「大船軒が大船駅ホームから消えていた」

時間がある時は、わざわざ列車から降りて隣のホームに渡った。大船駅ホームの階段下にあった立食いそば「大船軒」に行くために。私はアチコチ旅先のホームで立食いそばをすするのが好きだった。その中で大船軒のかき揚げそばはNO.1であった。スープの味が絶妙であった。カツオ節のだしとしょうゆの濃さが、愛し合う男女のように合体していてひと口すするともう離れられなくなる。かき揚げがいい味で、それがスープに合体しはじめるとさらに離れがたき関係となる。立食いそばの平均すすり時間は約3分位というが、私は10分くらいかけていた。昨夜その大船軒が閉店していたことを知った。この頃行ってなかったからだ。サッパリしょうゆ味のラーメンも旨かった。チャーシュウ一枚に太めのシナチクがちりちりのメンと実に素朴に出会っていた。少年と少女の淡い恋のように。小皿に小さなおいなりさんも旨かった。列車に急いで乗り込む前に一気に食べている人を見るのが楽しかった。一気にすすってアチアチと目から涙を流す男、かき揚げに生玉子とコロッケをのせて、箸でそれをガツガツに崩してメンと混合させ、左手においなりさんを持ちながら、あっという間に食べ切って、水をガバッと飲んで列車に向かって乗り遅れた男。カレーうどんをあわててすすってアチ、カレ、ヤバッとうどんを椀の中に落として白いTシャツに黄色いカレーが飛びついた男。白いTシャツにスマイルマークみたいになっていた。立食いそばに会話はない。時間もない。がルールがある。どんなに混んでいても決して割り込むことはない。日本人はちゃんと並ぶ国民である。大船軒から「軒」を抜いたら「大船」だけになってしまった。大船と言えば「小鯛の押し寿司弁当」と「鯵の押し寿司弁当」が有名であり、駅弁通の故渡辺文雄(東大出の俳優さん)は、この二種の弁当を全国一か、二か、三だと何かに書いていた。この駅弁を売っているのがやはり大船軒という名の駅弁ショップである。私は小田原駅で買う、東華軒の「デラックスこゆるぎ」という釜メシ風、竹の輪の中に入ったのが大好きであり、岡山駅の「下津井弁当」がNO.1に近いと思っている。岡山の駅弁は種類の多さと内容の多さにおいて日本一だと思っている。ロンドンオリンピックの年に突然ホタテ貝アレルギーになって以来、横浜名物崎陽軒のシウマイ弁当が遠い関係となった。何故ならば崎陽軒のシュウマイの売りはホタテがしっかり入っているのがポイントだからだ。冷たく小さなシュウマイに楊枝を刺し、小さな袋に入ったカラシをつけて、ヒョウタン形の小さな入れ物に入ったしょうゆをつけて食す。これだけでザ・横浜気分となる。NO.1という人も多い。あったものがなくなるのは淋しい。食べれたものが食べれなくなるのは、つらくて悲しい。ほんの3分の停車時間にかつてそこにあった大船軒の過去を思い出した。列車はガタンと動き出した。人は過去という名の駅から降りて来る。そんなフレーズの歌を思い出した。確か奥村チヨが唄っていた。その奥村チヨも先日引退を表明した。男と女の間をさまよっていたピーターが、これからは池畑慎之介で生きていくと表明した。そんなことを思い出した。列車は藤沢駅に着いた。ガンバレ人生。たった一度しかない。まい日板にへばりついたカマボコのように机にへばりつき、パソコンにへばりついていないだろうか。休む時は休んで駅弁を食べる旅に出よう。休みはよく働いた人にのみ楽しむことができる。だから私も働く。現在午前一時三十分四十六秒。テレビでは「世紀の凡戦ゲーム実況」という番組をやっている。


2018年5月24日木曜日

「雨音を聞きながら」

大、大的に宣伝をした「孤狼の血」が不入りだと言うので、先日それを確かめに丸の内東映に観に行った。午後一時三十分の回であった。現在ピカイチの活躍をしている「白石和彌」監督の作品だからだ。「狂悪」「牝猫」「彼女がまだ名前を知らない鳥たち」いずれも意欲的であり、強烈な個性を発揮していた。「孤狼の血」は深作欣二監督の名作「仁義なき戦い」を意識したのか、あるいはしすぎたのか。デンゼルワシントン主役でアカデミー賞を受賞した「トレーニングデー」の影響がありすぎていた。又、故今村昌平監督の上映時ナンバーワンになった名作「豚と軍艦」の影響もありすぎていた。ダイワハウスのCMで人工知能AIは、愛だとウエスタン調にハミングしていた名優役所広司がいくら気張っても、目がやさしすぎて超ワル刑事に見えない。(本人がいい人すぎるからだろう)CMでビールを飲んで、ウマイ!なんて言っている江口洋介がいくらスゴンでもヤクザ者の目にはなれない。あなたは本当は狭いところが好き。なんて言うハウジングの CM に出ている、竹野内豊が思い切りスゴンでもヤクザ者の目になれない。二人とも対立する組の若頭役だがミスキャストと言っていいだろう。石橋蓮司の親分役はいつもの芝居の域を出ていない。広島弁が「仁義なき戦い」のように、イキイキとしてない。タドタドシイのだ。CMのイメージはやはり強い。

「仁義なき戦い」のリアリティはやはり脚本がいい。 主役からセリフのない若い衆まで一人一人が深作欣二監督のとてつもないしつこい演出で躍動する。人間の持つズルさを徹底的に追求した。そして人間の持つ弱さを表現した。残念ながら、「孤狼の血」には主題が見えなかった。何かみんなマネッコしていた。「トレーニングデー」のデンゼルワシントンと新入りの刑事の間には、哲学的、文学的言葉が激しく飛んでいた。超ワルの上を行くウルトラ超ワルの恐怖があった。で、私は「トレーニングデー」をレンタルして来て見直した。白石和彌監督の次作に期待する。俳優さんたちには心からおつかれさまでしたと言う。本物のヤクザは CM に出まくっていてはまず演じられない。大スター小林旭は「仁義なき戦い」で最高の存在感だった。千葉真一が特筆もの。二人は 当時CM に出ていなかった。昨日朝早く神田のあるエージェントに入って版権の難問に取り組み、次につくばエクスプレスに乗って、ロケハンを五時から八時過ぎまで、カメラマン、アートディレクター、スタイリストのヒトたちと。腹ペコになったが外人さんのオーディションをするために恵比寿へ。長髪がシンボルのスタイリストとモデルさんの寸法を計る。フランス人の男性と女性。雨がシトシト降っていた。十一時頃の恵比寿は酔客でいっぱいだった。電車に乗るとトイメン(目の前)の男が夕刊紙を広げていた。そこには「哀しみのコンチェルト」秋元順子、五月九日発売。「別れの港」佐々木新一、五月二十三日発売。「ぼたん雪」西方裕之、五月二十三日発売。「日豊本線」池田輝郎、五月二十三日発売。「よされ恋唄」なでしこ姉妹、五月二十三日発売。こんな広告ががあった。売れたらいいなと思った。レコードの裏面表記もあったが、省略する。午前一時少し前辻堂は雨が激しくなっていた。哀しみのコンチェルトな気分となっていた。このブログを書き終わったのは午前二時四十二分十一秒。 NHK テレビでは"あの日、あのとき、あの番組"という番組をやっていた。「孤狼の血」の関係者にご無礼があったらお許しを願いたい。どこまでも私見である。最高におもしろかったという人も多くいることを加筆する。未だ観てない人はぜひ観てください。そして映画談義をしましょう。酒代は私が持ちます。(文中敬称略)

2018年5月21日月曜日

「滅亡と必死」

先日名古屋に行った。現在手掛けているプロジェクトの建築現場を見に行くことと、 大きな屋外広告を制作したので、それが掲出されている金山駅へ見に行った。 ウェブデザイナーのパートナーと共に。"名古屋は独立国" と言うが、行くたびに本当にそうだなと思う。街は活気があり若者たちが多い。東京の若者たちと違って、皆大きな声で話し合い、大声で笑う。街行く人々は上を向いて歩いている。スマホばかり見ている東京では見かけない元気な姿がある。建築家黒川紀章氏(故人)の弟さんが設計したと言う、モード学園の巨大なネジのような変形体 のビルも違和感がない。人口230万人以上の大都会の繁栄を支えているのは、トヨタである。何しろトヨタ一社で売上高29兆円以上を越す。国家予算の三分の一近くを、トヨタは売上げる。一円でも円高になると繁華街のお客は減ると言う。名古屋では、地場産業と一族経営の会社が多い。東京の一族経営と違って結束力が抜群に強く、代々家訓を守り続ける。


何が会社を繁栄させ、何が滅ぼすかを徹底的に学んで来た。100年200年、300年、400年と。京都もある意味、”特別国”である。何しろ御所があり、天皇家の歴史がある。日々"カイゼン"をしないでいると、代々続く老舗も、大なる会社も、小なる会社も必然的に滅亡する。ダイエー、西武、シャープ、サンヨー、ソニー、PARCO、日産、三菱自動車などいくらでもあり、気がつけば外資系になっている。「一人一国」の気構えがあれば他人に占拠されることはない。学べ、学べ、学べと私は言う。酒に学び、女性に学び、芸術に学び、食に学ぶ。その上で、人間に学ぶ。そして遊べ、遊べと言う。

名古屋で私は今たくさん学ばしてもらっている。信長、秀吉、家康を生んだ必然が見えてくる。中国の教えに、「成功の下に久しく居るべからず」というのがある。一度成功したのがずっと続くことはないぞ、だから常に危機感を持って次に備えねばならない。29兆円のトヨタの社長会見に笑顔はなく、これから更に「カイゼン」を進めなければならないと言った。むかし銭湯で飲む定番のコーヒー牛乳は、「名糖牛乳」であった。そうです名古屋だったのです。一生に一度しかない人生を切り拓くために。四苦八苦して行くことがあることほど有り難いことはない。必死に生きるとは、必ず死ぬから悔いを残すなということだと私は思っている。売り上げ29兆円の会社も、売り上げ10万円の会社も社長は一人だ。

2018年5月18日金曜日

「新しいヒロイン像」

大事件が起きると警察にまず最初に疑われるのが、第一発見者。次に身内や親類縁者、その次が出入りの人たち。宅急便や郵便配達の人。その次が隣人、周辺の人。その次が元警察官やガードマンさんたち。これは知人だった元刑事に聞いた嫌な話。刑事たちは猟犬のように追い回す。連休中に見た映画、「エルELLE」を昨日思い出した。新潟で起きたあまりに酷い事件の犯人逮捕をニュースで知ってからだ。その映画の主人公はゲーム会社の女社長。日々スタッフと超エログロなゲームソフトを開発している。つくり出すアニメーションは異常なレイプものが多い。
過激なシーンが生み出されると、スタッフ一同が歓声をあげて、拍手また拍手、ヤッホーとばかりパーティで盛り上がる。この女社長を演じるのが、フランスの名女優イザベル・ユベール。映画は官能的サイコスリラーとしてカテゴライズされている。アラフォーになっているであろうこの女社長が、仕事を終えて、夜帰宅すると、突然窓を破って侵入して来た黒い覆面の男に殴られまくってレイプされる。自分の会社で開発したゲームソフトのように。女社長は一人住まい、別居中(?)の男がいる。友人たちと会食しながらレイプされたと言う。が決して警察には訴えない。自分の手でレイプ魔を捕まえたいからだ。そして又、レイプされる夜が来る。犯人は殴りまくらないと欲情しない。バチンバチンのボッコボコ。服や下着は破られる。顔面からは赤い血が、それでも警察には訴えず、平然と出社して、さらに異常なレイプゲームを開発しつづける。そして又、黒い覆面の男が現れる。さあ~どうぞ好き勝手にという態度を見せると、犯人の男は殴らないと犯せないと言う。とその時女社長は猛然と犯人に襲いかかる。たじろぐ犯人の男が分かる。それは、目の前に住むよくパーティなどで出会う、三十代位の男だった。監督は「氷の微笑」のポール・ヴァーホーヴェン。このエグい表現をする監督は、フランスのブルジョワ的スノビズムと背徳性や偽善を洗練されたタッチで表現する。犯人以上に異常な驚くべきゲーム会社の女社長。悪女映画の歴史を塗りかえるヒロイン像である。
何度も言うが、男は絶対に女性にはかなわない。


2018年5月17日木曜日

「チャップリンは」

「マヒ」している。と言っても和田弘とマヒナスターズの歌を聴いている訳ではない。漢字で書くと「麻痺」である。近所の子を殺す。自分の妹の子を殺す。当たり前のように他人を殺す。七十一歳の菅主が女性問題でいわば破門にされる。日大のフットボールでは、信じられない殺人タックル。世界各国ではテロリストによる殺人の連鎖。トランプ大統領によるイスラエル大使館移転問題は、政治的、地政学的殺人行為。混乱と殺人は終わらない。我が日本国は、野党が死にもの狂いでない。つまり必死でない。嘘八百の人間を追い込むには、決定的証拠が絶対要素だ。将棋的には、完全に「王」は詰んでいるのに。ホンボシ(真犯人)を追う刑事のような執念がなければならない。でかいオデキを治すには、膿だけ出してもダメ。オデキの芯を出さねばならない。さてその芯とは(?)。

現代人は、人が死のうが生きようが、どんな殺され方をしようが、テレビを見ながらパソコンやアイフォンやアイパッドなどを見ながら、ハンバーガーを食べ、ラーメンをすすり込み、コーヒーにケーキを楽しみ、とんかつやアジフライを食べている。ゲーム世代に育った人間たちにとっては、現実に起きている事なんか「へ」みたいなものである。グレープフルーツハイやワインやビールを飲みながら、もっと絶対的な悪を求め絶対的な悪やエロを求め続ける。ゲームを開発する天才プログラマーたちは、人間の想像を超える。
マヒにマヒを重ね、さらにマヒやマヒを抱えた“ヒマ”人は、すでに病的人間であり、それらがどっと世の中にいる。ネットカフェや漫画喫茶で生活する人間たちは、自己表現することができなく、書き込みなどという行為で炎上を楽しむという。

そういう私もおぞましい事件を見ながら、読みながら食事をしている。やはり和田弘とマヒナスターズの歌などを聴くしかない。いや待てよ、“マヒ”と言えば。“ヒマ”がコインの裏表、五月みどりの“おひまなら来てよね わたしさびしいの お願い・・・!”で一週間に十日来いとなる。現代社会は一週間に十日分以上のオドロオドロシイ事が起きている。国家のトップがルールを持たないと、国民全体も当然ルールなどを持たない。“ジコアイとセツナテキ”生き方となる。恩だ義理は死語となる。♪好きだった 好きだった 嘘じゃなかった 好きだった ほんのひとことあの時に言えばよかったあ…。チャップリンの名画に「殺人狂時代」というのがある。天才はずっとむかしに現代社会を予言していた。「独裁者」というのもある。人は人を愛することで救い、救われるしかない。

2018年5月14日月曜日

「親分と子分」

首相秘書官柳瀬唯夫の国会でのバックレ(しらばっくれる)た答弁を聞いていて、ふと十代の頃を思い出した。その頃私はいつも荻窪駅南口(阿佐ヶ谷寄り)にある「富士」という純喫茶に昼ごろまでいた。(つまり学校はサボッテ)その1階はスマートボールとラッキーボールの店であった。当然損はなし。朝そこに行き、景品を受け取り、路地裏にある景品買いの小屋(人間一人しか入れない)に景品を持って行く。ヤクザ者が二人(九州出身)がいて、景品買いをやっていた。午前中にひと稼ぎして昼に二階の富士で珈琲を飲んで、新聞を読むのが習慣であり、そこを終えると北口の「ポルテニア」という美人喫茶に行った。店のオーナーが特別に四人掛けを提供してくれていた。さて、富士には、階段上に赤電話があった。十一時四十五分になるとヤクザ者はその赤電話を占拠する。何故なら12時キッカリに親分から電話が入る(住吉会系佐野組組長)私たちはサノをもじってノサの親分と言っていた。12時になるとピッタリ赤電話に親分から電話が入る。一分一秒でも遅れる事は許されない。受話器が鳴った瞬間、パットそれをつかみ、昨日あった出来事をすべて報告する。ヤクザ者にとって波風モメ事がない日は、殆どない。直立不動でハイ、ハイと応える。そして景品の売り上げ、イタズラ(小さな賭場)の上がりを報告する。又、あいつがこう言っていた。あのヤローがこんなことをなどを、全て報告する。つまり後になって報告を忘れていましたなどは許されない。秘書官にとって総理大臣は親分である。万が一にもその事は忘れてました。報告を忘れましたと言う事は、絶対にありえなはずなのだ。総理の大親友の案件を報告してないなんて事は、太陽が西から上ってもありえない。全く質問力がないどーすることもアイ・キャン・ノットの野党の連中は、自分たちが労を尽くして絶対的証拠をつかむ努力をしていないから、手も足もでない。久々にスマートボールがしたいと思った。ちなみにノサの親分は、府中刑務所で自殺した。脱走途中でという説もある。今日又、国会でむなしい野党の質問大会がある。東京新聞の朝刊では、国民民主党の支持率はわずかに1.1%であった。

2018年5月10日木曜日

「連休の三日間」



五月三、四、五日と連休をした。混雑、行列、集団が苦手なので借りて来た映画を見た。新作、準新作、旧作十七本、目標二十本には届かなかった。「質屋」、「密偵」、「彼女がその名を知らない鳥たち」、「アウトレイジ・最終章」、「エクザイル・絆」、「エル」、「狂気の夜」、「鞄を持った女」、「ポルト」、「光」、「全員死刑」、「ドリーム」、「ゲットアウト」、「セザンヌと過ごした時間」、「新世紀・パリオペラ座」以上である。「質屋」はホロコーストの生き残りのユダヤ人がアメリカの下町で質屋を営んでいる。帰る国のない人間(ユダヤ人)にとって頼れるのは金でしかない。この言葉は現代の世界経済から情報化社会の中で生き続けている。「密偵」は日本が韓国をほぼ統治下に置いていた時のスパイ物、期待外れ。「彼女は、、、」は阿部サダオの演技が凄い。SEXをしない夫婦(?)に愛を奉仕をする男。蒼井優も凄い。一人の女に惚れ込んだ男の一途な愛は、当然狂気を呼ぶ。「アウトレイジ」は、バカヤロー、バカヤローを相変わらず連発するだけ。大杉漣が親分役であった。そして大杉漣は本当に死んでしまった。合掌。「マスター」全然期待外れ。「エクザイル」も同じ、香港映画がこの頃よくない。私を支えてくれていた凄腕の女史は香港映画の大ファンで連休に香港に行くと言っていた。いい作品に出会えただろうか。ジョニー・トーよがんばれ。「僕の村は戦場だった」タルコフスキーの名作、言うことなし。「エル」女性は男を支配する。中々よかった。「狂気の夜」ずっとむかしのイタリア。若い男女のファンキーな日々。「鞄を持った女」クラウディアカルデナールの若々しき作品。大好きな女優であった。名作「刑事」のラストシーンは最高である。近々借りて来て又見ることにしている。アモーレ、アモーレ、アモレミーオ、主題曲は忘れられない。「ポルト」これはいい短篇小説を読んだ後みたいな作品。26才の若者と32才(?)の女性と運命的な出会い。ポルトガル(?)の駅ポルトが舞台。”恋人たちの嘘は、やがて真実になる。”プルーストの言葉がよかった。恋と愛は偶然の産物だ。「光」実の兄の妻を抱く弟。破滅的な世界。井浦新が静かな狂気を演じる。橋本ナオミが満たされない人妻をよく演じていた。「全員死刑」実話をネタにした若手作家の作品。ヤクザな両親とヤクザな兄弟。「ドリーム」アメリカがソ連に遅れをとっていた宇宙開発、成功に導いたのは、三人の黒人女性、一人は大天才。NASA宇宙開発研究所は当時人種差別が酷かった。91才でこの世を去った大天才の数式が宇宙への第一歩に導いた。現在もこの女性の名を冠した研究施設があり、最高の栄誉賞を受ける。大統領はJFケネディだ。大成功した後、上司の所長がこう言う、「この研究所のトイレで流す小便の色は、同じなのだ」差別する表示板を所長はハンマーで壊して回る。「ゲットアウト」オカルト物でつまんなかった。「セザンヌと過ごした時代」、象徴派の巨匠の若き日々、貧しき日々、悲しき日々、友人ゾラとの日々。”愛人でも長く付き合えばいい妻となる。”このフレーズがよかった。画家はモデル次第のところがある。「新世紀・パリオペラ座」私の尊敬する大先輩である、元東急文化な社長、田中珍彦(ウズヒコ)さんが、ワーグナーのバイロイトを文化村の柿落としとして招いた。総勢約300人、改めてその凄さを知った。オペラを成功させるためにパリオペラ座は闘う、オーケストラ、美術、衣豪、バレエダンサー、オーディション、一年間かけてのゲネプロ(練習)の厳しさ。予算がない。芸術を生むという事は、正に生死をかけた闘いの日々。人間はなんてすばらしいんだと、早朝見終わり拍手をした。ちょっと書く順番を間違えたが、三日間で17本を早送りなしで見た。あ~映画がつくりたい。


2018年5月2日水曜日

「ぼっこうきょうてい」

四月二十七日は思い出深い日一日となった。
小社社長と期待の新人と私の三人で、私の故里岡山に日帰り弾丸出張をした。
期待の新人は一泊して岡山研究をした。新横浜→岡山までは「のぞみ」で約三時間二十分程だ。目的はかつて小社にてデザイナーをしていた、土佐出身の女性が、岡山の男性と結婚して岡山市内にある広告代理店にディレクターとして入社して、私たちとつないでくれたのだ。
「ビザビ」さんという広告代理店は、昭和九年創業という歴史ある会社、現在三代目社長であった。ビザビさんは100周年を前に、実に若々しく、活気があり、私たちと会ってくれた七人は、とても目が澄んでいた。社長さんは四十代。
社員数は120人余りの総合代理店であった。メディア局、クリエイティブ局プロモーションの人などが、それぞれオシャレなファッションで対応してくれた。
ビックリしたのは出版物であった。100万都市岡山市は広く、美しく、若い人が多く、まるで銀座のように有名ブランド、スーパーブランドのショップが勢揃いしていた。
岡山は日本一ハレの日が多いことで有名だ。二十七日も見事なハレの日であった。
ビザビさんが発行している月刊紙「おかやま」は、販売部数なんと56,000部で、女性に大人気であった。内容は実に豊富で充実しており、編集、撮影、記事もすばらしい。東京で人気の女性誌と比較しても全く見劣りしない。大人のための情報誌「オセラ」は20,000部を発行していた。
これだけの雑誌を出すのは毎日大変でしょう、と言ったら、遅くとも夜八時頃までには皆退社するとか。私の知っている限り月刊誌の発行はハンパではないほど大変なはずであった。
「ビザビ」とはフランス語で、「お互いが顔を向け合い、見つめ合うこと」であるとか。
365日ビューティフルであることを目指している。大いに感動し、感激した。岡山と言えばジーンズで有名。みなさんいいジーンズを身につけていた。小社にいた女性は一人の若い(と言っても一児のパパ)デザイナーも紹介してくれた。月に二週間は東京に来て仕事をしているとか。ビザビさんはクリエイティブの仕事を東京のスタッフと組んでいる、ネット社会に距離はない。自社ビルを持ち質の高い仕事の数々、イベントからショップ販売まで、すっかり勉強させてもらった。
何かの縁だと思うので大切にしたい出会いであった。
四月二十七日、金正恩と文在寅が38度線を共に超えるという歴史的出会いをした。
これほど用意周到に事を運ぶには相当の日数と下打合せが必要である。が、日本国政府はその情報を知らず、知らされずであった。まさに蚊帳の外、世界はすでに現在の日本政権を見限っているのだろう。CIAというスパイ機関のトップを国務長官にするというトランプ大統領。
日本で言えば陸軍中野学校の校長が外務大臣になるようなものだ。まだ春なのに真夏の夢(悪夢)のような話が持ち上がっている。
トランプ大統領+金正恩+文在寅の三人がノーベル平和賞の筆頭候補だと。一人殺せば殺人犯だが、100万人殺せば英雄だと言う。岡山でビューティフルな気分になったのに、新幹線の中で見る電光掲示のニュースに、ア然、ボー然とした。
それにしてもこの情報化社会の中で、日本政府の情報入手能力の無力さは世界の恥であろう。岡山弁で言えばさしずめこんな風である。
「ぼっこうきょうてい金正恩」金正恩は父、金正日よりはるかに残忍であり、政略家、謀略家である。“ぼっこうきょうてい”は、“ものすごくおそろしい”のことである。岡山駅で大好物の「ままかり」を買って帰った。このコハダのような小さな魚は、今は亡き祖母と母の味である。一箱680円、酢漬けと照り焼きである。嘘で固めたこの国の経済は、“ぼっこうきょうてい”事になっている。
日銀は物価高目標2%の数字を削除した。大借金大国を立て直す人物の出現を待つ。
米、中、露、は勿論、南北朝鮮、アジア諸国、中東、中南米、あらゆる国が日本をシカトしている。
金配り外交は世界中の物笑いなのだ。くれるものは、いただきますと。400字のリングは五月十日まで休業します。みなさんいい連休を。



2018年4月27日金曜日


本日は岡山へ日帰り弾丸で、ブログはお休み。みなさんいい休日を。

2018年4月25日水曜日

「お赤飯のおにぎり」




昨日朝辻堂駅、列車は確か高崎行(眠気があり記憶が定かではない)七時ちょっと過ぎ(少し遅れて来た)当然満員に近い。
(グリーン車も満員)ラッシュの時間、2-3分遅れただけでも混み方が大違い。
どうしても書いて渡さなければならない原稿があり、満員列車に乗車した。
きっと藤沢で学生さんたちが降りると思い前の方へ向った。
辻堂駅は何んの取り柄もないが、ホームの長さは相当なものらしい、かなり長い、本当に長い。前から三両目に乗った。満員の中に入った。大船で横須賀線に乗り換えるかと思った。
わざといちばん後から乗ってドア側に立つことにした。やれやれと思っていると、体の小さなおばあちゃんが、グイグイと私を押しながら乗って来た。
大きなズタ袋みたいなバッグを肩から斜め掛けにし、手にはたっぷり物が入っていた麻のトートバッグ。
下を向いているので顔が見えない。ドアが閉まると同時にトートバッグの中からゴソゴソっと物を出した。それはお赤飯のおにぎりと、ポカリスウェットのペットボトル。狭い中でおにぎりを包んでいたビニールを取り、ガブリと口に入れた。列車が揺れる中誰に遠慮することなく丸いお赤飯を食べる。
列車がスピードアップすると、食べ方は逆にゆっくりとなる。眠気の覚めない私は悪い夢を見ている様にじっと事の成りゆきを見る。辻堂→藤沢間は4分位だと思うが、10分以上に感じる。藤沢駅に着くと、どっと人が降りる。当然私も降りて人が降り切るのをホームの上で待つ。おばあさんは残り少なくなったお赤飯のおにぎりをホームの上で食べては、ポカリスウェットを飲む。さて又乗車、私の後におばあさんがくっついて乗って来た。やはり満員状態、やっぱり次の大船で降りようと思った。と、その時おばあさんは二つめのおにぎりを出した。濃い茶色をしていた。やはり円形である。列車がスピードアップするとおばあさんは私にへばりついたようになって来た。しかし正体不明の濃い茶色のおにぎりを食べては、ポカリスウェットを飲んでいる。かなり器用なのだ。藤沢→大船間は短い、おばあさんの顔を見たいが見ることができない。濃い茶色のおにぎりは何かを知りたいが、混雑から抜け出したい。戸塚まで行けばドア・ツー・ドアで乗り換えられる。迷う私、食べては飲むおばあさん。大船だと階段を上って下りてホームチェンジが必要だ。迷う私なのであった。実はこのおばあさんと戸塚駅のホーム上で会話を交わすこととなった。この話は後日に。私にはいろんなドラマがついて回る。否ドラマに近づき過ぎるのだ。 

2018年4月23日月曜日

「映画少年と映画少女」



「人間発電所」が死んだ。フツーの人なら、えっ電力会社の人がダムかなんかで死んだの(?)と思うのが常識である。だがプロレスリング全盛時代を知っている人なら、えっあのブルーノ・サンマルチノが死んだのと思う。あるいわあの人間発電所はまだ生きていたんだと思う。私はその両方であった。途方もない怪力であったネツクハンキング(首を絞めながら持ち上げてドスンと落とす。)ベアハッグ(胴絞め(サバ折り)が得意技。この二つだけで、ニューヨークのマジリンスクエアガーデン(格闘のスポーツの本場)で187回チケット完売の記録をつくった。
身長178センチ、体重115キロ(全盛期)ボディビルで鍛え上げた肉体は、筋肉の塊りだった。
イタリア移民の子でもあった。がプロレスは少年をスーパースターWWWF世界チャンピオンにした。プロレスは純粋スポーツか、それともショーか、という意見があった。
私は両方だと思っている。サンマルチノは、首、アゴ、鎖骨、肋骨、腕にヒザ、アチコチ折れたり、外れてたりしたという。単なるショーならこんなリスクは迫わない。
その一方でプロレス界でいわれるブック(シナリオ)がなければ、死人の山となるだろう。この頃のプロレスはサーカスのように空中を100キロ以上のレスラーが飛ぶ。
鍛え続けていないとボクシング同様命を落とす。ブルーノ・サンマルチノはその怪力から人間発電所と呼ばれ、プロレスファンを熱狂させた。
イタリア降伏後、ナチス突撃隊の占領から逃れていた少年は、アメリカンドリームの体現者であった。82歳であった。四月二十日、午後七時~十時銀座に、人間映画発電所っみたいな人間が約30人集った。四万十映画祭で最優秀を受賞したことを祝うパーティーであった。大阪や愛知からも来てくれた。映画大好き人間が、まるで仲良かった中学時代のクラス会みたいに集った。表彰状とトロフィ、賞金10万円、監督、プロデューサー、アートディレクター、コピーライター、撮影、照明、編集、スタイリスト、キャスティング、主役、脇役、音楽の男たち。そして女性たち。店のオーナーは高級クラブも経営しているので、人気の女性も呼んでいてくれた。一人ひとりトロフィーを持ってハイチーズ、そして乾杯、あとは飲み放題、みんなこんなによろこんでくれたのかと言う程、宝物を見つけた少年少女のような笑顔の渦。四万十市の人から祝い酒も送っていただき一同感謝、プロデューサーが編集してくれた、4/23、24、25日の授賞式のドキュメンタルフィルムにみんな大感激であった。私はパーティー後オーナーにお礼に行って帰ったが、あとは、二次会、三次会、ついには数人で四次会まで行ったとか。
楽しかった。久々にイラだっていた気分が納まった。大好きな映画の男たちと女性たちを見ていてつくづく思った。みんな本当にいい顔だ。照明のボスは八田直哉さん、握手したら、プロレスラーの手のように、分厚く強かった。きっとブルーノ・サンマルチノの手も八田直哉さんみたいだったのだろう。ヨーシ次は○△だ、と又、大風宮敦を広げてしまった。私の悪いビョーキなのだ。ダンボール箱いっぱいブック(シナリオ)は書いてあるのだが。「映画」という2文字は、人間に熱気を呼び、そしてそれぞれの才能を発電する魔力がある。



2018年4月20日金曜日

「酒は学校、女性は先生」




東大法学部卒だからといってアタマがいいとは、殆ど限らない。彼等は答案用紙に向えば、ほぼ満点を取る。WHY何故か、と言えば記憶力が抜群だから。試験問題はいわゆる「過去問」だ。過去に何があったかである。過去に詳しい人が、その先には詳しい訳ではない。アタマが悪いからだ。WHY何故か、と言えば勉強ばかりしていて遊んでない。目の前に美しい女性、豊かな胸の谷間、やさしい微笑。しなだれかかりながら耳元でささやく誘惑。どうしたらいいのか、過去問に出ていなかった、判らない。でもクラクラする。そんな問題に直面した時の解決力はない。どうしよう、どうしようと思っていると、さらに美しい女性は、接近して、密着してくる。かけてるメガネなどを外されて、かわいいー。なんて言われたら、もう何も見えなくなる。濃い目のウイスキーなどをグイグイさせられて、目が覚めた時、その先の人生はパアとなる。

夜の街、酒の学校、女性専科に学んでない勉強だけできる人が、バカみたいに沈んで行く。女性を敵に回して本当に勝っている男はいない。女性という問題は簡単には解けない難問なのだ。ちなみに夜の学校の月謝はかなり高い。諸兄よご注意あれ。

2018年4月18日水曜日

「ただ一灯を」



♪~何から何まで まっ暗闇よ 筋の通らぬことばかり 右を向いても 左を見ても 馬鹿と阿呆の……。ずっと昔東映映画の仁侠路線が絶頂期の頃、大スターであった故鶴田浩二が唄った歌の中のフレーズだ。この世に「世の中とか、世間」というのが生まれた時から、人の世は筋の通らない、不条理がまかり通ることになった。近頃あまりのグダグダ感に、さすがに脱力感と我が身の無力感を感じる。人間はまい日同じような”うんざり”を感じ続けると、うんざりがマヒしてしまう。「なんでこうなるの」というギャグで大人気を得た、コント55号の萩本欽一さんの言葉を思い出す。”なんでこうなるの”ということが山のように起きている。日本語が乱れに乱れている。記憶にないということを記憶しているとか。大変申し訳なく、申し訳なく存じ上げますとか。夜の街でホステスさんと言葉遊びをしていたとか。朝から晩まで一生懸命真面目に働いて、税金をしこたま取られている人々に、ちゃんと詫びを入れろといいたい。本当に”なんでこうなるの”なのだ。彼の国ならばとっくに暴動が起きているだろう。「人間の長所は、短所があるところだ」とある哲人が言ったが、私のような短所ばかりのような人間はとやかく言えないが、税金はちゃんと払っているので、少しばかりは文句は言える権利はある。”なんでこうなるの”をしっかりと説明しろと。東映の映画では堪忍袋を破った鶴田浩二が筋を通さない外道たちを、バッサバサとヤッパ(短刀)で斬りまくった。今の社会ヤッパのかわりは、ジャーナリズム、そして民衆の声だ。そういえば故高倉健の名セリフもあった。”てめえらは人間じゃねえ”故夏目雅子のセリフも良かった。”なめたらいかんぜよ””人間辛抱だ”という初代若ノ花の言葉を思い出す。「暗夜を憂うること勿れ、只一燈を頼め。」(言四緑・佐藤玄斉)
決して私は諦めない。手許?に一灯がある限り、”一刀”ではない。

2018年4月11日水曜日

「バカ者たち」


すぐに人のせいにする、自分は責任をとらずに人に責任をとらせる。サッカー日本代表監督を解任した。特別にサッカーファンでもない。ただ深夜によくヨーロッパのサッカーの試合を見る。メッシの大ファンである。ハリル監督を解任したサッカー協会の会長たちボンクラは何故か責任をとらない。解任の理由は監督と選手とのコミュニケーション不足とか、作戦や戦略、戦術に問題があり、二ヶ月後のW杯ロシア大陸が心配だとか。バカも休み休み言えだ。後任の監督はとても優秀だからと言う、だったらはじめからこの人に頼めばよかったはずだ、そもそもプレーをする選手がちゃんとしっかりしていれば、何もこんなブザマなことにならない。ハリル監督は26勝6敗か8敗位の成績を残している。もともと世界ランク40位か50位をウロウロしている選手が一丁前のスター気取りになっているから、世界に出て行くと、フツーの選手であることを思い知る。スポーツマスコミがチヤホヤするから選手は大いなる勘違いをする。サッカー協会の会長たちは、私もやめますと言うひと言からはじめないと、これから日本にいい指導者は来ないだろう。日本のサッカーをここまでにした代表選手、三浦知良を岡田監督はW杯に招集しなかった。大バカ者である。映画界から石原裕次郎、プロ野球から長島茂雄、プロレス界から力道山、そして歌謡曲から美空ひばりを抜くような
信じがたき好き嫌い感情である。かりにもプロと名のつく選手は天才たちである。好きだ嫌いだは、酒でも飲んでいる席での話で終らせねばならない。元巨人軍の村田修一選手は、まだまだ活躍できる選手だが、監督たちに意見らしきことか、作戦にブータレたとかで、放出されどこのチームにも入れないようにした。年俸2億円以上から、栃木の

独立リーグへ、給料は月40万位になったとか。名球会に入るまであちヒットわずかな球界の功労者だ、元三冠王の松中選手、元2000本安打の中村選手、彼らも同じ好き嫌い、チームの規律を乱すとかで放出された。プロの監督とは個性的で自分勝手で、天才的な選手を使いこなすのが仕事だ。政官両方ともグダグダ状態になった。責任のなすり合いだ。小学校五年生の孫が、アベはもうダメだよと言った。小学生でも誰が責任をとるべきかを知っている。もう遠慮なしと思ったNHKやシンパの読売まで見限った。頂点から転がり始めた石の速度はオソロシクピードアップする。サッカー協会のアホ共にハリル監督に土下座しておわびして、キミたちもやめなさい。監督は三浦知良に、資格無ければせめてコーチとかアドバンイザーで起用せよ。(文中敬称略)

「服部桜は散らない」







突然パッと咲いた。もう絶対咲かないと言われていた牡丹である。まさに狂い咲きだ。ルージュ色であるから、ルージュマジックである。一気にドバーッと花開いた様は、かなり淫乱である。どこか夜の世界の性悪女的でもある。こんな時望遠レンズのついたカメラがあればいい写真が撮れるのだが、私はカメラを持っていない。使い捨てカメラが専門である。が、それもないので仕方なく携帯で撮ってもらった。七日土曜日銀座のジャズバーで、知人のヘアーメイクアーティストの出版記念パーティーがあった。夜六時半~八時半、30名が招待されていた。ルールは何故か着物、もしくは着物的でとあった。友人を誘い二人で行った。このパーティーはかなり富裕層の人々(女性がほとんど、男は三人)ヘアーメイクアーティストの鈴木冨美子さんはじめ、着物姿は見ごたえがあった。友人はちゃんと着物姿であった。私は着物などはないので、知人がプレゼントしてくれていた、着物地で作ったアロハシャツをジャケットの下に着て行った。DJも着物、店内にはLPレコードが棚の中にビッシリとあった。私はこういう席が大の苦手であり、余程でないと行くことはないのだが、鈴木冨美子さんの本で、オルハの商品をとてもいいと書いてくれていたからであった。又、オルハのPRもさせてくれるとのことであった。ビンゴの商品にオルハさんから提供があり、一等賞は高級な枕セットであった。次々と数字が呼ばれた。ハ~イビンゴ、ハ~イビンゴと喚声が、そしていよいよ一等賞となった。オッビンゴと声を発したのは、私の連れの友人であった。黒字に金色の線が入った羽織、斜めに赤いポシェット、独特の薄笑いを浮かべて一等賞の大きな品を席に持って来た。何故かシメのあいさつをと指名されたので、最高級の羽毛ふとんについて、銀座一丁目オルハショップについて、羽毛に含まれる成分、ケラチンから生まれた各商品について話させてもらった。着物姿の女性たちは熱気にあふれていた。前日の六日元神奈川県特別参与、知事の右腕だった友人に誘われて、毎年恒例の花相撲「藤沢場所」のプロモーションパーティーの席に行った。私の隣りに歓進元の最上重夫様、実に26回目となる藤沢場所を取り仕切っていた。斜め前には担当である錣山親方(元寺尾関)であった。聞けば十四日の花相撲を目指して、何日も前からホテル住まい、そして朝から晩まであいさつ回りと、夜のお付き合い。歓進元の人は地元で建設業を営んでいる。知事の右腕だった友人はさすがに顔が広く、いろんな人があいさつに来て、一人ひとり私に紹介してくれた。店は貸し切り、四十人以上入っていて席は満杯であった。歓進元のスピーチは実に楽しくておもしろい。あっという間に時間が過ぎて、それではお開きとなった。ゲストに芸大出身のサックス奏者の美人。お相撲とお寿司と、ジャズ。いつもながら湘南で名高いヨットマンの友人は、いい席に誘ってくれる。大好きな大相撲はいろんな人々によって支えられている。茅ヶ崎出身の「服部桜」について錣山親方に聞いたら、入門以来1勝100敗であった。がんばれ服部桜、2勝目を目指して。決してその前に散ってはイケナイ。

2018年4月6日金曜日

「アラカンタン」




男と男、男と女、女と女、親と子、親族と親族、会社と社員、親兄弟。およそ人間社会における関係の中で、いちばん多いモメゴトが金と金の問題による対立と別れ話。
あなたを死ぬほど愛しているとか、君のために命をかける、なんて言っていたりしても、いざ金の問題がからむと、日本語の中にあるあらゆる罵詈雑言、悪口雑言を浴びせ合い、酷い時には殺人事件とか、一族一家全滅とかに発展する。「ビートたけし」の話題がワイドショーネタになっている。
ビートたけしが「オイラは金より、弟子より、会社より若いネエちゃんの方がいいの、オイラのつくった会社は、皆にあげっから、あとは仲良くな」ジャンジャン、と言ったらなかなかの男だったなと思ったはずだが、どこにでもある金の話になった。
金の切れ目は縁の切れ目、オイラが稼いだ、オイラがつくった、オイラが、オイラがを連発すると、がっかりであった。
私は毒のあるビートたけしを男として、芸人として、映画人として、画家として認めていただけに残念であった。ずっと昔だが、嵐寿郎(通称アラカン)という大スターがいた。”鞍馬天狗”と”明治天皇”を演じたら、天下一品。この役者の上を行くものはいない。
この大スターは次々と天狗を演じ、次々と豪邸を建て、次々と愛人をつくり、次々と別れた。その別れのときには、金財産を愛人に渡した。
見事というしかない。
アラカンの本の中に、マネージャーが「先生もう愛人に渡す財産、(家屋敷)はありません」と、言うと大スターはこう言った。
「ええがな、ええがな、また鞍馬天狗になれば」と。アラカンタンなのであった。
古人はお金のことを、”オアシ(お足)”と言った。惚れた相手と同じ、追えば逃げ足はやく去って行くのである。
ビートたけしは本屋さんに行って、アラカンの一代記を読むべしである。
オイラがオナラにならないように。


「印象派のちヤキトン」



急募バイトさん時給980円!元気な人を求む。これで不足なら時給1000円!と、私の目の前に貼り紙があった。ヤキトン屋さんの入り口横である。限りなく銀座に近い店である。ヤキトリで一杯は酒飲みの基本である。ヤキトンは更に基本である。この頃はヤキトンの店が減り続けて銀座にあまり見かけない。知人の個展を朝日ホール(日劇マリオン)で観て、その達人ぶりに感動したのでクールダウンさせようと、春風にのったヤキトンの香りの中に入ることにした。そこでバイト募集を見たのであった。店内には日中はさしたる仕事をせず、夕方から夜にかけてがぜん元気になる会社員風の人々で満員に近い。午後七時少し前。時は人事の春、当然のように話題は会社の人事の話のようであった。日中はサボっていてスタミナをたくわえていた人々は、やたらめったら元気がいい。人手不足なのだろう、かつては五人はいた店だ。ヤキトンを焼く汗だくの六十代位の男、両手にでかいビールのジョッキやウーロンハイ、緑茶ハイ、ハイボールとハイハイづくしを一度に持って動く四十代位の男。やるなプロだなと感心する。バタバタ団扇を叩く男が、タン、ハツ、コブクロ、カワ、ボンジリ、レバー、ネギイカダ、ギンナン、シシトウなどを串刺しにして、焼いてはヤキトンを運び役の蚊トンボみたいにやせてメガネをかけた三十代位の男に渡す。三十代らしき男が実にキビキビと動く。ハイ冷や奴、ハイ厚揚げ、ハイ手羽先、ハイもつ煮込みと、ハイハイの大声。私と言えば一人ポツンと日本酒一合をとりあえず。気分はかなりアカデミックだったので、ヤキトンと印象派的ヨーロッパの風景がシンクロしない。が、ヤキトンは食べたいと心は騒ぐ。で、まずカワ、タン(塩で)レバー、ギンナン、ボンジリをオーダーした。バイトが全然来ないんですよ、時給を1000円にしても一人も来ない。私はもう六十三歳このままではもうオシマイと、焼く男が目の前でヤキトンを食う会社員風としゃべり合っている。煙がたちこめる中、アルコールの入った人々はあのバカ、あのアホ、ザマーミロ、いやマイッタな、マサカの坂だよな、なんて話で大盛り上がりとなっていた。人間観察と時代の声はこういう風景の中にたんまりとある。♪~逃げた女房に未練はないがお乳ほしがるこの子がかわい!などと突然、”一節太郎”の浪曲子守唄を唄い出してギャハハハと笑う、そのオジサンが立ち上がった。見ると私の気のせいか目には涙があった。この人たち聞けば四時過ぎから飲んでいるとのことであった。つまり会社で働いていないで給料をもらっている人々であった。バッグの中から雑誌を出してパラパラとめくると、こんな言葉がコラムに書いてあった。「金をつくる法」金をつくるには三かく術を覚えなくちゃいけない。義理をかく。人情を欠く。恥を欠く。この三かくだ。(夏目漱石「吾輩は猫である」)むかし読んだがすっかり忘れていた。オッ!ヤキトンが来た!アノヤローへらず口をたたきやがってと、アタマに来たことを思い出し、コップ酒をゴクッ、ゴクッと飲んだ。左手にはヤキトンが、そして極上の香りがあった。

2018年4月2日月曜日

「かくも長き不在」




これほどまでに妻に愛されていた夫がいたら幸せ者の見本だろう。
近頃こんな主人公の女性はいるだろうか。昨日アマゾンで購入してもらった名作中の名作を、何年ぶりかで見た。第14回カンヌ国際映画祭グランプリ(パルムドール)受賞作だ。
「かくも長き不在」1961年アンリ・コルビ監督作、フランス映画全盛期の頃の名作だ。ビデオだったが、ブルーレイ化された。第2次世界対戦から16年、パリ郊外で食堂を営む女性(テレーズ)の前を一人のホームレスの男が横切る。”陰口はそよかぜのよう”と口ずさみながら、この歌はテレーズにとって思い出のオペラの詞。
汚れきった男はもしかして生き別れになった夫ではないかと思う。
男を店に招き入れると、記憶を失ったと告白する。夫は戦争中ナチに逮捕されて拷問を受け、行方不明になっていたのだ。テレーズは男は夫だと言い親戚2人に引き合わせるが、2人とも違うと言う。パリは夏のバカンスを迎え人々は太陽を求めてパリを出て行く。人の気配がなくなったパリ。河の側で古い新聞や雑誌を集めて帰る男。首からヒモをぶらさげているハサミで、ひたすら気になったところを切る男。テレーズを演じるのは、あの「第三の男」で映画史に残るラストシーンを演じた、アリタ・ヴァリだ。
テレーズは男を招き食事やワイン、そして夫が好きだったブルーチーズを用意する。店のジュークボックスには、夫が好きだったオペラやワルツを10曲入れる。
店の前を通る男に聞かせるために。
ある日テレーズは招き入れた男とダンスを踊る。戦争で失った時間を取り戻したかのようにテレーズは喜びを感じる。汗ばむ毎日、同じ日々、店に来るのは同じ男たち、同じ会話。
テレーズは夫だと信じる事によって生き生きとする。
男を見る目は店の中で見せる厳しい目と違って慈愛に満ちている。この映画は女の情念の物語だ。そしてテレーズは希望を失うラストシーンとなる。店で働く少女は「残るのは私たちだけね」と言う。テレーズは「夏は悪い季節だわ」とつぶやく。字幕には「夏は開放的になる」と訳されている。
バカンスの語源は「空虚」であると、解説書に載っていた。大切な思い出や記憶は稀薄なのだろう。恋愛の会話はフランス語が一番と言うが、この「かくも長き不在」はその通りを証明する。
小さな庭の片隅でもう二度と咲くことはないと、植木屋さんに断じうれた牡丹の木に花芽が出てきて、日々ふくらんで来た。奇跡が起きるかも知れない。
がんばれ牡丹よなのだ。私の記憶では、妖しい女性の口紅のように赤く美しい。
夫婦生活とは二流のシナリオライターが書いた、マンネリの日々、退屈の日々だと言う。
ふと心ときめかした日々を思い出すといい。心にワルツが聞こえて来るだろう。


2018年3月30日金曜日

「四万十映画祭」



3月23、24、25、26日と、高知県四万十市に行って来た。
2015年に製作した短篇(27分)映画が、第三回四万十映画祭の短編部門にノミネートされて、それに参加するためであった。出品数38作品の中から最優秀賞、優秀賞、観客賞が選ばれる。長篇部門もある。今、日本中の地方都市は衰退している。高知には多くの映画館があったが、今は姿を消した。四万十映画祭も第二回以来開催ができなかった。資金集めや、行政との問題、四万十市の人々との問題や商店街との問題などなど、いろんな問題をクリアしなければならない。四万十市までは、龍馬空港から8人乗りレンタカーで約二時間半、途中で一服すると三時間余りであった。23日にINする人、24日にINする人、なんと25日に来た出演者は、平塚⇔羽田⇔龍馬空港⇔四万十市という弾丸日帰りをやり遂げた。自主映画のため自費参加なのだが、この出演者は(若い衆役)通常は鍼灸、マッサージの先生を仕事としている。リハビリをしている患者さんたちにとって先生が来てくれることが何よりのことなのだ。で、日帰りとなった。滞在時間わずか一時間半ほどであった。一度だけ出演した映画であり思い出深い、一目だけでも皆んなに会いたいと。監督の寺尾学ぶさん、プロデューサーをしてくれた奥野和明さん、上原有美さん(25日戻り)、カメラマンの河西宏一さん、主役の指宿豪さん、リヨン樺澤さん(前橋から来た)アートディレクターの前島一郎さん(25日戻り)そして、本作品に出資もしてくれて、若頭役を演じてくれたコピーライターの赤城廣治さん。この旅の全てのコーディネートをしてくれた、小社、経理の正田智美さん(25日戻り)それぞれ多忙の中参加してくれた。25日ノミネートされたスタッフやキャストが、この映画祭名物の、四万十川にかかる「沈下橋」上に敷かれた200メートルのレッドカーペットの上を礼服で歩く。(雨、風の場合は危険なので中止)皆モーニングやビシッとしたスーツで歩いた。(私は遠慮した)天気はこれ以上なく晴天、風はそよそよと春風、四万十川は堂々と流れていた。スギ花粉が多いのが予想外で、花粉症の酷い人はグション、グションになってしまった。奥野和明君はこんな過酷なドライバーをこなしてくれた。大阪→龍馬空港→四万十市。四万十市⇔龍馬空港⇔四万十市⇔龍馬空港、そして大阪へ。オツカレさん、ありがとうであった。嬉しいことにかつて小社にいた、門田プロデューサー親子5人が家族旅行をかねて埼玉県入間市から来てくれた。門田剛というこの男は今、「いち」という飲食店を経営して10数人のスタッフを動かしている。フグの調理までできる。いつ会ってもニコニコしている。会いたかったんですよと言ってくれた。映画製作にあたり、缶詰や食品を用意してくれた。更に製作費まで。25日5時過ぎから長篇、短篇部門の授賞式であった。厳正な審査であったと、経過を委員長が語り、元ミス高知のアナウンサーから発表があった。結果短篇部門の最優秀賞(グランプリ)を受賞できた。「寺尾学ぶ監督」が壇上に上がり、立派なトロフィー、表彰状、賞金を授かった。スピーチがとてもよかった。映画は映画バカしか作れない。夜は主催者の人たちがパーティーの席を用意してくれていた。私たち映画製作者より、この映画祭を何年もかけて実行した多くの人々の街おこしへの熱情と細やかな心くばり、街の人々のやさしさに最大限の敬意を表したい。この事については後日記す。もう一つ嬉しいことに元東急エージェンシーのクリエイティブディレクターだった、福井正文さんが(高知在住)はるばると来てくれた。この人についても後日記す。24日夜、ブリのシャブシャブ、カツオの塩たたき、最高のサバの刺身などを皆で食した。今年は土佐が生んだ坂本龍馬たちが成し遂げた明治維新150年の記念の年であった。四万十市長が四万十から世界へと語っていた。地方創生は全然進んでいない。

2018年3月22日木曜日

「それぞれの役目」


日比谷公園の中に「松本楼」という洋食レストランの草分けがある。
その入り口に古いピアノがある。孫文が弾いたというようなことがプレートに書いてあったと思う。
孫文は「辛亥革命」によって中国王朝に終止符をうった。
最後の皇帝溥儀を引っ張り出して、満州国皇帝にしたのが日本政府、中でも中国を占領下に置いてしまおうと企図したのが、関東軍参謀たちである。
「天下為公」この四文字は、孫文が遺した言葉である。
天下は国民の為にある。昨日は真冬のような寒さであった。
氷雨が降り続いた。
仕分けした三日分の新聞を再読すると、暗然たる思いになった。
日本国は孫たちが大きくなった頃、五年先、十年先、どうなっているのだろうかと思った。
孫という字と孫文がアタマの中で重なった。
そしてふと松本楼のピアノと、「天下為公」の文字が浮かんだ。
世には利用する者と、利用される者の役割が決まっている。
井戸を見つける人、井戸を掘る人、その井戸の水を飲む人の役目も決まっている。
籠に乗る人、籠を担ぐ人、その人の草履を作る人の役目も決まっている。
ある運命占いのオバサンがそう言っていたのを思い出す。私は人の保証人になると失敗するから気をつけなさいと言われた。
バブル時代赤坂一ツ木通りに出ていた占い師だった。
私は運命論者だから、きっとオバサンの言う通りになるはずだ。
私は利用される者になりたく、井戸を見つける人になりたく、草履を作る人になりたいと思ってきた。将棋界伝説の第四代名人であった、升田幸三が遺した言葉が何かに迷った時、元気をくれる。
それは「新手一生」と言う四文字だ。
誰も考えてなかった一手、常識を超える一手、歴史上なかった一手。升田幸三はそれを打ち続けた。
苦敗あり、大敗あり、惨敗ありだったが、新手を生んだ。
1991年七十三歳で没したが、現在日本将棋連盟が新しい戦法、新手を編み出した棋士に贈る「升田幸三賞」がある。他の世界にも類いのない賞を生んだ唯一の勝負師である。
新手に勝つ保証はない。むしろ敗ける確率の方が多いに決まっている。
一日中家の中に閉じこもっていたせいかパッと明るい気にならず、二つの四文字を思い出していた。
「天下為公」孫文の草命を支えたのは、渋沢栄一たち日本の経済人の軍資金だった。「新手一生」に渋沢栄一たちは賭けたのかも知れない。
あるいは革命を利用したのかも知れない。
日比谷松本楼は一年に一度(確か)100円のカレーを出すことで有名である。
人を見る目は、歴史の先きを見る目でもある。
渋沢栄一は150センチ足らずであったが、スケールの大きさは壮大であった。日本史上並ぶ人間は一人もいない。武士からの身分で新手一生をあらゆる分野に打った。
自分の運命に逆らわずに、自分の道を行くしかない。
寒椿はその役を終えて、バサッ、バサッと落ちている。
桜咲く頃の雨、風、青嵐は、それぞれの役目を演じているのである。



2018年3月20日火曜日

「甘く見ると」


南北朝時代乱世の頃、武士は武士と呼ばれず「悪党」と言われた。裏切ったり、寝返ったり、逃げたり出たりを繰り返してた「足利尊氏」が室町幕府をつくった後、悪党は武士と呼ばれるようになった。
足利幕府とも言われる。その足利尊氏(アシカガタカウジ)の執権(NO.2)に高師直(コウノモロナオ)という武士になりきれない悪党がいた。
塩谷判官という役人に美しい奥方がいた。高師直はひとかたならぬ思いを持っていたのだろう。ある夜、奥方が入浴しているのをのぞき見する。
この話は今も歌舞伎の演目としてある。
悪党だった高師直がどんな最後を遂げたかは多分想像通りだ。前川元文科省事務次官が悪党たちによって、学校での講演内容をいわばのぞき見された。あるいわ密告(チクル)させた。
新聞、テレビの現場に不法介入し、マスコミを封殺。コノヤローと思ったMCやコメンテーターは姿を消した。悪党たちが手を焼いているのが、週刊文春や新潮などの雑誌だ。
かつて梶山季之(カジヤマトシユキ)がそのリーダーだった”トップ屋”という独立愚連隊のようなモノ書きがいた。独自の取材力で、スクープ記事になるネタを仕入れて、それを書き雑誌社に売り込むのだ。
梶山季之には四天王がいた。その一人にある会社の取材物を手伝ってもらっていたのを思い出す。いつも上着のポケットにウイスキーのポケット瓶を二つ入れ、塩豆の袋を持ち、ウイスキーをキャップの中に入れて朝からチビチビと飲み、塩豆をポリポリとかじっていた。
悪党の裏、その裏、そのまた裏をあぶり出してやる、そして地獄を見せてやるんだと、ボッソリと言っていた。が、取材三回目(確か)が終った後、肝硬変で死んだ、未だ五十才位だった。
「黒の試走車」という自動車業界の秘密の世界を書いて、梶山季之は直木賞候補となり、一躍トップ屋”梶山軍団”は有名になった。黒の試走車は産業スパイという言葉を世に出し、大映で映画化され大ヒットした。
主役は田宮二郎だった。文壇でいちばん銀座でモテたのが、吉行淳之介と言われているが、梶山季之はもっとモテたと伝えられた。週刊誌の記者たちは今でもトップ屋的魂があり、権力何するものぞの気迫がある。但し殆どは人のスキャンダルばかり(男女関係)だ。
週刊誌がいちばん売れるのが、(一)に離婚、(二)に不倫、(三)に二股、三股である。人間という悪党は、高師直的のぞき見習性が誰にでもある。
そのことをデバガメとも言う。
壁に耳あり、障子に目あり、裏切り者はいちばん近くにありと決まっている。
そいつはユダであり、ブルータスよお前もかなのである。
官僚組織を甘く見ると、とんでもない事が世に流出する。これから続々と・・・。
(文中敬称略)

2018年3月19日月曜日

「刊」の中の「リ」について



春なのにつるべ落とし、内閣支持率が急落しはじめた。
どうせ日本国民は一ヶ月もすれば忘れるだろう、と思っているかも知れない。
事実に日本国民は忘れることが習性のようなところがある。三権分立すら忘れている。
一つの事が起きると、どこもかしこも一斉にその話題で、ワァーワァーと大騒ぎになる。その昔税務署に徹底的にイジメられた経験がある。解釈の違いが通らない。
まるで刑事かよと思うほど調べられた。
延々と続いたバトルの結果は実にこの国の官僚システムが鉄の規律があるようなことを体験した。
上から下へは絶対の指示である。軍の掟のようでもある。
中国に未だ紙ができていない時代、重要な文書は、竹とか木に書かれた。
消しゴムとか修正液のない時代だから、誤字や修正をする時は、文字を削り落としそこ(改たな?文書を書き書いた?)
出版社から発行するという「刑」の文字に「リ」の部分があるのは、そこから来ているらしい。
刑罪の刑も同じ「リ」の部分があるから公式な文書を勝手に削り落としたり書き換えたりすると、重罪であったはずだ。研究者や評論家、小説家をはじめモノ書きが書いたオリジナルの文章は一言一句、書き手のものであり、出版社は勝手に書き換えたり、削除は許されない。
かつて小説家は文士と言われた。
武士の魂を持っていたのだ。
この頃はこの魂はかなり怪しい。
が現代でも一文字に命をかけている文士もいる。
我が国のNO.1とNO.2が、今、「刑」の対象となっている。
我々は身を削る思いで日々四苦八苦で生きている。
もはや削れるところは骨の髄にもない。政と官が五分と五分で渡り合わなければ、真の国政とは言えない。
政も官も怒れと言いたい。
寛容な国民もいよいよ頭から角が出て来た。
落ちて来たつるべで、アタマを打たれ終わった政権になる時は近い。



2018年3月15日木曜日

「牛丼、今道子先生、ちらし寿司」


午後八時五分新橋駅、定刻通り沼津行が入線して来た。
昨日も又、財務大臣が佐川が、佐川が、佐川がを聞いて見苦しくうんざりだった。
又、改ざんされた、公文書に対し妻に聞いてみたら、そんなことは言ってないと言っていた。
だから関係してないと、これまた見苦しくうんざりだった。
列車が入線する前グリーン車に乗って座って帰ろうと、数分行列の後に並びながら、
細長く畳んだ夕刊を見ると英国では1000年分の公文書が保管されてあり、国民はいつでもそれを閲覧できると書いてあった。
公文書とは国家国民の公式文書であり、一文字たりとも改ざんは許されない。
今回の信じがたいケースは、例えで言うなら、六法全書を改ざんするようなものであろうか。
この国は一体全体どうなってるんだと思いながらホームいっぱいの人、人、人の中に居た。
殆ど無言であって、殆どスマホを見ている。こりゃ多分グリーン車も座れないなと思っていた。
入線して来た沼津行きはやはりぎっしり満員であった。
仕方ない、一度外に出て一杯飲むかと思ったが、早く家に帰ってやることがある。で、行列のルール通り順番に乗り込んだ。
立っていても980円の特別料金はしっかりとられる。
さて満員のグリーン車の中で、吉野家の牛丼を食べている人を想像して下さい。
最前列進行方向右側の窓側、年は二十六、七才、小さくて、細くてメガネをかけている。
誰かに似ている。そうだ芥川賞作家の芸人又吉直樹さんだ。勿論別人なのだが、テイクアウトしてきたであろう牛丼を、
ガツガツと食べているではないか、隣りに座っている中年のオジサンは、不快の極みのようにそれをニラミつけている。
心がイライラ、ムラムラと乱れているのが、立っている私に伝わってくる。
牛丼の臭いがプーンとする。
小さなビニール袋に入った紅しょうがを出して、割り箸でチョンチョンとつまみとりながら口に入れる。
オッオッと見ると生玉子のせであって、残り半分位になった、肉、タマネギ、紅しょうがとビビンバ状態にしていくではないか。
ビビンバとはかきまぜるであるからだ。
手の動きが箸と共にワサワサとする。
隣りのオジサンはいよいよ肩をゆすって、オレはヒジョーに不快だと表す。ズレたメガネを指で直しながら、
その若者のデイナーは続く。何だか腹が減ったなという気になり、やけに吉野家の牛丼か、牛すき膳が食べたくなっていた。
ラッキーなことに川崎で黒い大きなバックを持っていた男が、すいませんちょっとと言って立ち上がった。
つまり席が空いた。おおなんと川崎でと思いよろこんで座った。
そして私はいつも下りる辻堂駅を通過し、次の茅ヶ崎駅で下りた。
Why何故か、茅ヶ崎駅南口長谷川書店と浜田屋の間には、吉野家があるのだ。午後九時十七分十九分秒、私はそこに吸い込まれていた。
スイマセンとおだやかに若い娘さん(バイト嬢)に、特盛、ごはん半分、それにお新香と、生玉子単品でと注文をしたのだった。
朝日新聞はもともと司法に強い。検察のリークは朝日へと決まっている。そんなことを思っていた。
ひとまずレジ横にある水道と、緑色の液体石けん(?)で手を洗った。
やけに汚れていた。何だか気が重くなった。
安い、旨い、早い。特盛がすぐにテーブルの上に登場した。昨日友人と鎌倉在住の写真家「今道子」さんの個展を見に行った。
アジ、サバ、イワシ、コハダ、アナゴなど魚を使い、人形、鳥たち、果物と共にこれ以上ないという驚異の発想で、異次元の世界を生む。
フツーの人は言葉を見失う。
最高の栄誉木村伊兵衛賞をはじめ、幾多の賞を受けている。
クリエイターは絶対見るべし。昼食は当然、私の大好きな新富町、「寿し辰」のちらし寿司であった。
これも又、実に芸術的作品のように、美しい。







※画像はイメージです。




2018年3月13日火曜日

「罪務省」



これは通説であった。
道産ん子といえば、”逞しい”東北県人といえば”粘り強い”関東県人と言えば”田舎武士”但し福島県人は武士の鑑みと言われた。
静岡県人は出世欲がなく日本一温和と言われた。
愛知県は天下人を出すほど才気と商才があり、大阪人はいつでも明るく、浪花の土根性といわれる。越中富山は情報通、紀州和歌山は山の民と海の民が混在していて、複雑な一面がある。水戸と紀州は徳川御三家なのでプライドが高く、教育が進んでいて特に水戸は過激思想を生んだ。
”水戸っぽ”と言われた。京都人は京都人以外は”へ”みたいな存在である。何しろ京都には御所があった。特に洛中の京都人は他を寄せ付けない。山陽、山陰は読んで字の如くである。
又、日本の神話の主でもある。本州の南の端山口県人は議論大好きで、談論風発が永遠と続く。四国4県はそれぞれ特徴がある。特に土佐っぽと言えば、酔鯨と言われるほど酒が好きであり、女性はその男を尻に敷くほど強い。村上水軍を生んだほど戦闘的なのが四国人でもあり、特に船造りは有名だ。
さて、前置きが長くなったが、九州男児である。
無法松の一生で有名なように、男一代である。川筋者といえば九州男児の代名詞であり、侠客の見本吉田磯吉という大親分を生んだ。今大河ドラマでやっている”西郷どん”の鹿児島はイモ侍、薩摩隼人とも言われた。鹿児島といえば島津、島津といえば日本最強と言われた。
鹿児島は独立国であった。
話を前にもどす。九州男児として恥ずべき男が財務大臣、麻生太郎である。佐川がよ、佐川がよと、自らの部下に罪をかぶせて自分は逃げを打つ。
最低の男で、きっと本物の九州男児からコケ(バカにされる)にされているだろう。きっと自分は安倍総理夫妻の被害者だ、と思っているのだろう。
だが自分の名前や派閥の人間の名も出ていた。そこで俺が腹を切る!とひと言発すればかなり男を上げたはずだ。マアとてもそう言える器量はないだろう。
残り少ない政治家人生の晩節を見事に汚した。その名は恥ずべき男の代名詞として後世まで残るだろう。私には男の中の男のような、九州男児の知人、友人は多い。皆決して逃げを打たない。それにしてもこの国の官邸政治は醜い状態となっている。
そしてそれを追求する野党の面々を見ると愕然とする。
日本国は今、応仁の時代に戻ったようである。他県のことは後日書く。
そういえば、明治維新の立役者、長州人代表木戸孝允は、桂小五郎と呼ばれた時代は、逃げを打つ天才であったようだ。時事通信の田崎史郎という官邸ヨイショ男の姿は見るに耐えない
どの県の出身だろうか。
財務省は罪務省となるも我々から税金をしぼり取る。

(文中敬称略)

2018年3月12日月曜日

「孤独担当大臣」

昨日三月十一日は東日本大震災の日、つまり七回忌であった。
「辛」いという文字に横一文字を加えると、「幸」となる。「歩」くという文字を分けると、「止」と「少」となる。七年前に生まれた新しい命もある。
新しい勇気もある。新しい友情や、新しい愛との出会いもある。辛い事も多いが幸せに向って、「止」まることなく「少」しづつ歩んで行こう。
歩くという字はそういう意味でもある。
大歌手であり、大金持ちで大馬主でもある歌手北島三郎さんの息子さんが、孤独死をしていたというニュースを見て、北島さんの持ち馬で昨年の年度代表馬「キタサンブラック」という名の中にある。”ブラック”という四文字に不吉を感じた。父親より三十歳近く若い五十一歳であった。大ヒット曲「風雪ながれ旅」を唄う北島三郎さんは正に絶唱、絶品で、私は大好きである。
東日本大震災の被災地では、

孤独死が多い。否、日本中で孤独死が多い世の中となった。
人口約6500万人の国英国では、900万人が孤独を感じ、65歳以上のうち360万人が、「テレビが主な友達」だという。その英国に「孤独担当相」が設置された。
孤独は伝染する病。テクノロジーで最も人とつながる時代なのに、デジタル化が進み、人と人が直接つながらない世の中となったのが、原因の一つだと言う。
経済協力機構(OECD)が21カ国を調べたところ、「友達や同僚と過ごす時間があまりない」と答えた男性は日本がトップ、女性もメキシコに次いで2位、日本は世界で最も孤独な国の1つなのだ。(日経2月19日/福山絵里子さんのコラムより抜粋)”孤独のグルメ”という番組があり、私はよくそれを見て安くて旨い店を知る。マンガが原作のようだが、この主人公も孤独死となるのだろうか。
永井荷風のように。(この大作家はまい日大黒屋のカツ丼であった)結婚をしない若者が増え続ける。一方老人となった孤独身の男性と女性が、ホテルなどで婚活をする。日本にも、「孤独担当大臣」が必要なのだ。デジタル化した社会は歪んでいく。ご近所づき合いも無くなって行く。
北島三郎さんが「風雪ながれ旅」を唄う時、舞台には吹雪が乱舞する。
それは白い雪であって、キタサンブラック(黒い喪服を着た、北島さん)ではない。
人生とは辛く、そして皮肉である。孤独に強くならねばならない。仙台出身の人気芸人、”サンドウィッチマン”の二人が立ち上げた、基金に4億円以上が全国から集まったという記事を読んで、この二人を孤独担当大臣にしたらと思った。名コンビがきっと明るいアイデアを出しまくってくれるはずだ。
復興大臣の名も顔も浮かばない。ヨシ!今日はサンドウィッチを食べよう。



2018年3月1日木曜日

「目玉焼きとノザキのコンビーフ」

この世にこんなに美味しい食べ物はなかった。
と言ったのは、美輪明宏さんであった。私は丸山明宏さんの方がなじみやすい。
ある食べ物番組のゲストとして、メケメケとかヨイトマケの唄で有名な美輪明宏さんが出演していた。先週の土曜日の夜十一時半~十二時であった。美輪明宏さんは長崎県出身であったから、やはり思い出の食べ物となると、チャンポンと皿うどんであった。なんだフツーじゃないかと思ったのだが、やはりフツーじゃなかった。
最も美味しいと思った一品として、目玉焼きと共に皿にのったコンビーフと言った。
(二つで一品料理)目玉焼きは実はむずかしいのだ。
例えば結婚してすぐにシマッタこの女性とは結婚すべきでなかったと思うのが、ある調査によると(私ひとりです)目玉焼きが上手いか、下手かにある。
白身の部分が円形か、あるいわ異型か、黄身の部分が固すぎないか、はたまたグニョグニョでないか。それは円形の白身のまん中あたりにちゃんとあるか否か。
又目玉焼きの引き立て役(あるいわ主役)としてコンビーフが何気なくあるか否か。
ロースハムエッグなどは邪道である。
又、目玉焼きにプチトマトとか、パセリやセロリ、いわんやレタスなどは論外である。
白い大きめな皿に、目玉焼きのみ、そのすこし離れたところにコンビーフが何気なくあるか否か。
美輪明宏さんはこんな目玉焼きをはじめて食べた時の思い出を語っていた。
コンビーフといえばなんと言ってもノザキのコンビーフと大六法、小六法全書に載っている(ウソです。)
私にとってはノザキのコンビーフ、それも台形が法律である。
何故台形になったかと言うと、保存性を高めるため。
面積が大きい側から肉を詰めることで缶の空気を抜き、肉の酸化を防ぐのだと、ノザキのコンビーフの人が言っている。11年にプルトップ式ができたが、やはり巻き取り鍵式でないとダメだとファンは声を大にして言っているらしい。
コンビーフは誰が考案したか知らないが、実にアイデア抜群の開け方ができるのだ。
黄身の部分にお箸の先かナイフでプチッと刺すと、かなりもったいぶって黄身が割れて、白身の部分にとろり、どろりとしたたり落ちる。
白身の円形のふちにはほんのりと焼きコゲがある。
目玉焼き三回にコンビーフ一回位のリズムで食べるとベストである。
私は目玉焼きをつくらせたらかなりのものである。
火加減が命、フライパンの大きさ、ちゃんと水平か。玉子を落とす高さ、油の温度。
フタをするタイミング、勿論油の量が決め手となる。
バターはダメ。ゴマ油もダメ。
日清オイリオ(綿実油)がいいのだ。
目玉焼きは一流シェフでもむずかしいのだ。ぜひやってトーライ。そしてノザキのコンビーフのご用意を。
ちなみに目玉焼きは一皿に一つが基本です。明日から一週間、少々とり混んでいますので400字のリングは休筆します。