日本画壇の最高峰であった、小磯良平。
現在の東京芸術大学在学中23歳の時、日展の特選に入選、開校以来の秀才と言われた。
晩年ある事業家に肖像画を頼まれた。その出来栄えを見て実業家は気に入らなかったと言う。それから数年後その実業家が死んだ。
棺に入ったその顔を見て人々は息をのんだと言う。小磯良平が描いた肖像画にそっくりであったのだ。
小磯良平は好んで人の顔を描いた。その対象である人間の深部をその先の顔を見ていたのだろう、恐るべしである。
先日亡くなった関西大学教授の木村洋二(61歳)は笑い顔を計る発明家であった。30歳の時、山で採ったキノコを食べてその毒にあたった。笑いキノコであった。三時間笑い転げたという。笑いが納まった時、不思議なすがすがしさを感じたと共に何かを悟ったのだ。笑いはコンピューターの再起動みたいなもの。フリーズした時、つまり苦しい時、悲しい時も笑い飛ばせば新しい世界が現れる、と。以後「人間にとっての笑い」が学問上のライフワークとなる。
そして、「笑い測定器」なる物を開発する。計測単位を「AH・アッハ」と名付けた。最高の爆笑は一秒当たり5アッハが目安という。愛想笑いなどには反応しない。
アッハが世界を救うよと、アッハハハハとアッハ5で笑っていたとも伝えられる。この頃、この国の民は爆笑しない。笑わない民となってしまった。
ある友人の友人の話である。
その人は生まれながらの笑い顔であった。眉が八の字、頬は緩み口はいつも開いていた(鼻が悪かった)。眼がクリクリと大きくビックリした時の目であり、目尻が下がっていた。人から見ると笑って見えるのである。入園式の時、笑ってはいけませんと叱られ、入学式の時笑ってるなと叱られ、中学生の時授業中に笑うんじゃないと叱られ、高校生の時に笑いながら走るなと叱られ、大学生の時教授から笑ってる場合かと叱られ、会社の面接の時何笑ってるんだと怒鳴られた。父親が死んだ時お通夜の席で笑っている気が知れないと親戚の人からビールをかけられた。笑っている場合じゃないと思っても顔は笑っているのである。笑っている場合じゃないのにマッハ5クラスなのです。
でもなと、友人に言いました。怒っている顔よりかいいんではないかと。一年中怒った顔はしんどいぜ、俺知ってるんだそういう顔の人。そんな話をしていたら友人の友人がお店に入って来ました。お待たせお待たせみたいな感じではなく、静かに紳士然としてバリッとスーツを着こなして、でも本当に顔が笑っていました。いい笑顔でした。でも相談された話の内容はすこぶる深刻、すこぶるデンジャラス、すこぶる打つ手無し。でも笑ってました。
小磯良平の画集を久々に見ていたら思い出したのです。友人の友人はきっと、どんな苦境の中にいても笑ってくれている筈です。
※写真は読売新聞より。
3 件のコメント:
良い笑顔ですね~!何か大きさが伝わってきます。最近本気で笑ったかな?これまでで一番笑ったのはいつだったかな?とか、、しみじみ考えました。
いつも楽しく読ませていただいてます。
年明け早々素敵な笑顔で新年迎えられた事と思います。
私も常に笑顔で頑張っていきたいです。
いつも笑顔でいるためには
心も健康でなければいけません。
そんな一年になれるように努力します。
コメントを投稿