鮭、海苔、納豆、生玉子、おひたし、ご飯一杯、お豆腐の味噌汁。
片やチゲ鍋、ユッケ、ビビンパ、カルビスープ、キムチ、デザートにフルーツ。
これある女子プロゴルフの勝った選手と負けた選手の朝食メニュー。
当然負けたのが前者の日本人、勝ったのが韓国人。
丸太の様な腕、くびれのない胴体からうなる様なボールがグリーンを目指す。
あとひと転がりで入らない日本人と、絶えずカップをオーバー気味にボールが来る韓国人。入ってお願い的な日本人とオリャー入れ的な韓国人の差だ。
この頃どのスポーツでも韓国に勝てない。サッカー、野球、スケート、柔道然りである。
又、電器やIT産業も勝てない。教育のレベルも勝てない。美男美女の数もまるで勝てない、映画のレベルもまるで勝てない。
ある夜、アメリカ人、イタリア人、フランス人、中国人、韓国人たちと食事をした。
彼等が共通して言う言葉は何で日本人は怒らないのかという事であった。まるで去勢された人間の様だと、政治の事、経済の事、会社の事、不条理や不正に対しても何も怒らない、信じられないと言う正に同感である。
怒りを忘れた国は必ず滅びるのは歴史が証明している。
一億総白痴から一億総中流、一億総バブルの後、今は一億総貧乏と言われている。農業、漁業、林業は衰退する一途。しかし農民一揆も起きない。会社員一揆も起きる気配はなし。
枝豆に冷奴、ヤキトリ二本位で憂さ晴らしだ。チューハイのジョッキで乾杯する時だけはやたら元気がいい。お決まりの会社の悪口、上司の悪口、後は愚痴の出し合いだ。
「振り返るな、後には夢がない」と言ったのは寺山修司だが、今や一億総振り返りだ。
あの頃は良かった、あの頃は楽しかった、あの頃は夢があったとなる。
われにダンテの奇才なく バイロン ハイネの熱なきも、妻をめとらば才たけて みめうるわしく情ある 友を選ばば書を読みて 六分俠気四分の熱。これが日本人気質でもあったのだ。あの頃は立派だった鎌倉鶴岡八幡宮の大銀杏もバッサリ倒れた。小さなリスたちは何処へ逃げたのだろう。
鎌倉時代あの大銀杏の木の陰に刺客が身を隠し源実朝を暗殺した血の歴史の証人であった。
倒れた木は無残を極めた。中は空洞であった樹齢800年とも1000年ともいう。
丁度今の日本人の姿であった。根本が痛んでいる。国の中が人間の心の中がポッカリ穴が空いているのだ。六分の俠気も四分の熱もない。ただただ金、又金である。世界一情緒性のあったあの頃の日本人を取り戻そう。隣に倒れている人がいればそっと手を携え起こしてあげよう。
私は反権力主義。弱い者をイジメる者、強い者に阿る者が大嫌いだ。
幸い大銀杏には樹木医たちが知恵を合わせ、力を結集して再生に取り組んでくれるという。リスたちが又、楽しく遊べる木に戻って欲しい。
百貨店が次々に閉店する。吉祥寺の伊勢丹が閉店した、泣いている女店員の姿が印象的であった。あの頃百貨店は花形だった。しかし今やその花の形は見る影もない。コンビニのオッサンが百貨店を買収しよう等という分別をわきまえない行動から全て倒木は始まった。オッサンの名はズズキビンボンというらしい。会議の時は鈴を持って現れ気が乗らないと鈴を鳴らしてお終いと言うその席に出た人に聞いた。コンプレックスの固まりで頭が悪いオッサンだと言っていた。
あの頃の成功体験しか話をしない。
君、このスパゲッティ少し固いよとか、チャーハンをもっとパラパラさせろとか。いずれ近々倒れるだろう、中味がスカスカのグループになっているのだから。暗殺者、密告者があっちこっちに隠れている。そうそう、ゼニグロっていう会社もそんなスカスカになりつつあると噂で聞いた。裸の王様貧しい金の亡者の姿だ。品質は安い、志はもっと安い。時代はいずれ変わる。六分の俠気と四分の熱さえあれば。
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