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2014年5月8日木曜日

「女」




67分の映画は、映画作りの教本の様であった。
昭和三十三年松竹映画製作。
監督は「木下恵介」撮影が「楠田浩之」という日本の映画史に幾多の名作を生んだ黄金コンビである。

楠田浩之の作り出す映像は斬新を極めていた。
スリ、窃盗、強盗を繰り返し逃げる男、別れたくても別れられない女(女はショーダンサー)二人は逃げる。セリフを言う役者は二人だけ、男は小沢栄太郎、女は水戸光子だ。タイトルにも二人しか名は出ない。

だがしかし、この映画は大群衆劇だ。日本の映画史上、エキストラや名も出ない、セリフもない人々が見事に芝居をする映画は無いだろう。
楠田浩之の映像、数百人のエキストラたちを思いのまま演出する木下恵介は想像を絶する。

画面は一度たりとも止まらず、水平を保たない。
真上から、真下から、真横から、斜めから、動き、走り、揺れる。
クローズアップで表現される、目、口、歯、腕、足、指、爪、その一つひとつに女を離したくない逃げる男の心理がえぐりだされる。女は時に一度は心と体を与えてしまった悪党に哀れみを感じながらも、別れたい、逃げたいと心が揺れる。

 演出と映像が手持ちのカメラで不安定を作り出し続ける。
 走る東海道線から真鶴ホームに飛び出し転げる女、追う男。
雲の動きはどこまでも怪しい。その雲が作り出す不気味な光と影。
木の枝一本一本、野草、雑草のざわめく動き、細部の細部まで二人の心理をえぐりだす。

画家中川一政がこよなく愛した真鶴湾を見下ろしながら弁当を食べ合う二人、眼下には畑の農作物を盗んで農民たちに追われる貧しい少年と少女。
それはまるで男と女の過去の姿の様であり、暗示的シーンだ。

この映画は映像心理劇のエッセンスの全てを出し切っている。
木下恵介は「二十四の瞳」や「野菊の如き君なりき」などの代表作は静的叙情的世界と言われているが、男と女の愛憎劇、戦争と軍人、権力と暴力に抗する映画の名作も多い。この映画のラスト15分位の長回しはとにかく凄い。黒澤明が絶賛した。

箱根町の大震災だ。
撮影のために箱根の旅館街を本当に燃やしてしまったのではないだろうかと思うほどリアルである。何軒もの旅館から出る火と煙、逃げ出す客たち、荷物を積んで逃げる大八車の夥しい数、絶叫、悲鳴、大蛇の様な太いホースが破裂し吹き出す水、水、水、町は阿鼻叫喚となる。その中で逃げる女、追うナイフを持った男。人殺し、人殺し、助けて、助けて、この人人殺しなんですと人々に訴える女。
放水される水に足をとられて倒れる男、そこにどっと集まる警官や群衆たち。
男は暴れるバッタを抑えれられる様にして動きを止められていく。

三日間だけの連休であったが十六本の映画を借りてきて観た。
厳選した映画であったが、この67分の映画は他を圧した。
映画の題名は「女」のひと文字であった。この一本を見つけ出しただけでもゴールデンウィークであった。

女性が別れたい、逃げたいと言うと、男が追い、命を奪うという法則じみた痛ましい事件が後を絶たない。女性の心はトンネルの様に奥深く、時に怪しく、時に優しく、時に残酷であり、魔性を浮かび出す。「女」はラストに教訓的言葉を残して終わる。
タイトルには「おしまい」という文字が出る。

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