六月朝の雨は泪のように光っていた。
花弁をいっぱいにした薄青い紫陽花はまるでくすだまの様であった。
公園の片隅に咲いているくすだまたちを見ていて緑の葉っぱたちの方が美しいなと思った。不規則な木の部分が逞しいなと思った。
背の低い紫陽花の根の部分を見るとふてぶてしいように力強く見えた。
紫陽花は絵を描く人たちのよき題材であった。
その日久々に絵を描こうと思った。ノオトにスケッチを描いた。
私が紫陽花を描こうと思っているのは根の部分だけだった。
花弁は画一的でつまらないと思った。
根の部分には生きていくための必死が見えた。
根の下を掘って見てみたいと思った。
小さな子どもたちが遊ぶ公園の下には生き残っていくための根と根が無数に絡み合っているのだろう。
人間も同じだなと思った。
人にはそれぞれ役柄がある。土の下の根の役、土から出た木の役、そして咲く花の役だ。私が土の下にて乱れに乱れる根の脈になりたいと思うのはいうまでもない。
美は乱調にあるという。
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