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六月七日、日曜日。
早朝地引き網を見る、深夜TSUTAYAから借りたDVDを観る、渥美清主演「泣いてたまるか」全20巻に挑戦して遂にあと4巻となった。全部観ると1800分近くだ。
いい人ばかりが出るドラマだったのだが第15巻「ある日曜日」にはじめて嫌な人間が出て来た。脚本は大巨匠となった「木下恵介」だった。
主人公は渥美清、市原悦子が演じる夫婦(一人の男の子、一人の女の子)。
結婚して十年になる家族であった。嫌な奴とは隣に住む夫婦の妻と、その居候の弟、妻の母親だ。50年ほど前の社宅、壁一枚で話は筒抜け、野心家の居候の弟は小説家志望で、渥美清家を二階からいつも見ている。
“ある日曜日”渥美清家はデパートに行くこととなり子どもたちは大喜び、妻もこの日はと一張羅の着物を来てお出かけとなった。
お隣の家に「すみませんちょっと横浜まで出かけますので留守をします、何ぶんよろしく」とご挨拶をします。
隣の妻と母(主人は養子で無言)は、なんだね横浜行くのがそんなに嬉しいのかねと嫌味をたっぷりという(当時は留守にする時お隣さんにひと言いっていた)。
事件はデパートで起きた。
買い物をしていた時、下の女の子(四歳位)がハンドバックを持って動きだしてしまった。母親はダメよ返してらっしゃいといって叱りバッグを持っていたら万引きと間違えられてしまったのです。その姿をお隣の居候に見られてしまいました。
居候はそれを姉や母にしゃべり、それを聞いていた子どもたちがご近所にふれて回ります。社宅みたいなところはそんな話はあっという間に広がってしまいます。
意気消沈した奥さんはダンナに私が無実だったことを説明して回ってと強くいいます。
人のよいダンナさんはそんなことをする必要はないよ、ちゃんと無実が証明されたのだから。母は四歳位の娘にきつく当たります。
あんたがバッグを持って動いてしまったからよと、娘は泣きじゃくります。
そんなシーンを隣の居候は「日曜日の悲劇」という題名の小説にして懸賞小説に応募して入選します。出版社がカメラを持って取材に来ます。
姉と母は魚屋から鯛を出前させて御祝いをします。
居候の彼女は人の不幸を本に書く男に嫌悪感を持ち別れの手紙をよこします。
渥美清の妻は悶々とします。
そして、その日ふとんに横になり下の娘とガス自殺を図ります。
上の男の子が学校から帰り、ぐったりしている母と妹を見て、大変だ、大変だとご近所に助けを求めて事なきをえたのです。
渥美清と市原悦子夫婦は故郷に引越をします。
渥美清は仕事があるので単身となり、アパートの一人住まいへと引越します。
お隣のご主人が申し訳ありませんでしたとお詫びに来ます。
柱時計を外し風呂敷に包んで渥美清は道をトボトボと歩いて行きます。
後姿に無念が浮かんでいます。
たった1つの誤解、子どもの無邪気な行為が大不幸を生んだのです。
そして噂の拡散。
現代社会はメールとかツイッターとか、ラインなどというものが人の大不幸を生んでいる。ちなみに居候役は「新克利」だった。
♪〜上を向いたらきりがない 下を向いたらあとがない 匙をなげるはまだまだはやい 五分の魂 泣いてたまるか・・・が渥美清の後姿にかぶり、遠くに横須賀線が走っていた。
かつてこの国には隣人同士“おすそ分け”などというあったかい習慣があった、私の家もお隣さんから時々おすそ分けをいただく、私はそんな時子どもの頃を思い出す。
隣のおばさんからもらった水戸納豆の味を思い出す。
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