だから沼津行は嫌いなのです。
東京発21時02分、ベルは鳴る鳴る、階段をオリャーコリャーと気合を入れて登りグリーン車に滑り込む。
車内はすでに満員状態であった。
チキショウめと思って探したら四席空いていた。
一席は女性らしくない女性なので辞め、一席はパソコンを叩いているのでやめ、一席はすでにビールのロング缶を二缶と、宝缶酎ハイを飲んでおり、お決まりのつま味を食べているのでやめ、で、残りの一席しかない。
後から三番目通路側、窓側のメガネをかけたおじさんはじっと目を閉じている。
とりあえず息を整える、新橋を過ぎた時、取り寄せてもらっていた松本清張の「山中鹿之介」を読むべしと思いバッグから出して読み始めた。
隣は沈思黙考、ぜひこのままでいて下さいと思っていた。
56頁「泥子を討って、隆元の弔いをせよ」のところにいった時、おじさんの目がバチッとおっぴろがった。列車は田町辺りを過ぎていた。
足元にあったバッグを膝の上にのせてチャックを引いた、中にはワンカップ白鶴が、ウィスキー(サントリー角)のポケット瓶が二つ、駅弁(牛肉ど真ん中)、焼売、焼鳥、貝柱くん製、それと柿の種などが続々と出て来た。
出しては入れ、入れては出し、まずウィスキーをラッパ飲み、プーンとウィスキーの臭いが来た。続いて焼売の臭いが、続いて貝柱、もう山中鹿之介どころではない。
品川から川崎を過ぎたあたりでウィスキーは終り、次はプーンと日本酒の臭い。
いつの間にか靴を脱いでいた。ヤローいい加減にしろと思いつつ列車は走る。
おじさんは六十五・六だろうか、否七十二・三歳かもしれない。
おやっと思うと手にはスマホを持っている。
私はすでに活字を追う気力は臭いで失っている。目はおじさんのスマホ画面に、お、なんだ、指を広げたりつぼめたり、上にしたり、下にしたりしている画面には、若い女性の姿が何分割かにされていて夥しい数である。おじさんは時々その中の気に入ったもの(?)を拡大する。
日本酒を飲む、貝柱を口に入れる。次にいよいよ柿の種の袋をくわえて破った。
目、口、左手、右手を総動員、足はズルズルとした靴下、かゆいのか足で足をかく。
慣れない読書なんかするのがいけなかった。
山中鹿之介は58頁でやめて私はじっと目を閉じた。
忍の一字だ、怒っちゃダメだと言い聞かせる(果たして怒る権利は有るや無しや)。
二分前の湘南ライナー(21時丁度発)に乗っていたらこんな事にならなかったと思った。
列車はやっと横浜を過ぎたのであった。オッと空席が出ている、私はおじさんの隣の席を立ちいそいそと移動した。目の前の網の中に缶ビールの空缶と、夕刊フジと、いかくん製とチーかまの食べ残りの袋が入っていた。
確か女性らしからぬ女性が座っていたはずだと思った。
0 件のコメント:
コメントを投稿