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2015年6月17日水曜日

「大関は横綱」




俗世の小説家などと違って本を売ることとか原稿料のこととか、印税がどーしたとか、あわよくば文学賞でもとかにまったく関心も興味もない。

魚料理が自慢のご主人とか、おでん屋のご主人、珈琲店のマスターたちが書いた小説やエッセーにこれぞ名文というのが多い。
誰の手も借りず欲がないから文章に汚れがない。青空のように澄み切っているのだ。
それらはお店の目立たないところにそっと置いてある。

私が住んでいる家の側に湘南工科大学(高校もある)がある。
その斜め前に「とんかつ大関」がある。これ以上はないというほど旨い。
一ヶ月半に一度位この店に行く。

人気があるのでいつも外で待つことになる、またはレジ前の空間で。
一階に五十人位、二階の座敷に五十人位が入れる。
入り口に大相撲の番付表が貼ってある。
長い間通っているのだがお店の名前はきっと大相撲好きだからと思い続けていた。

六月十四日(日)夜久々に行った。
おじさんは小柄でメガネをかけている。
頭髪をいつもキレイに手入れしてある。テキパキ度120%位でお客さんをさばいていく。
何しろ見事なのだ。

で、とんかつの話ではなくおじさんが名文家であることをはじめて知った。
よく相撲談義をしたりしていた。
その夜息子たち家族と行って、あ〜やっぱり大関のとんかつは最高だなと思いつつ二階から降り、レジにいたおじさんにごちそうさんでしたといいお勘定となった。
さて、帰るべしと思ったら、ちょっと、といって私の名前を呼んだ。

あいよどうしたと思っていたら、これをといってB4判の茶封筒を渡された。
いや〜いつも、いつかと思っていたのだが恥ずかしいからずっと控えていたんだがぜひ読んでよといった。
えっ、何!というと、オジサンが書き続けている湘南新聞のコラムや、江ノ電沿線新聞に書いているコラムだった。
へぇ〜すばらしいぜひ家に帰って読ませてもらいますよといって店を出た。

家に帰り四篇のコラムを読む。おじさんの名は「大関好司」さんであった。
昭和九年生まれであることを知った。
ということは八十歳か、私はずっと七十四・五歳位と思っていた。昭和三十五年に東京・田端で店を構えた後、神奈川・辻堂に来たことを知った。

コラムは六十一歳で亡くなった友人のこと(八百屋さん)。
辻堂の歴史、欲しい茶飲み友だちのこと。駅弁のこと(峠の釜めし)が実に清々しく書いてあった。とても嬉しくなった。おやじとんかつも旨いが、文章も上手いぞと思った。

とんかつの好きな人はぜひ一度食してほしい。
東京中のとんかつ屋さんで大関に勝てる店はないと断言できる。
日本とんかつ界の横綱だ。15002000円でキャベツ山盛り、豚汁、お新香二種付。
私の悪名をいえばきっと大関好司さんはコラムを渡してくれるはずだ。


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