このところ三人の友人を失った。
一人は病で失った、本当に男らしくいつも少年の様ないい奴だった。
一人は友人として認めることが出来ず失った。もう一人はこれ以上仕事上で付き合うとお互いに心身に支障をきたすと判断したからだ。
人生の四コーナーを回った時に共に戦った戦友を失うのは辛いがそれも又人生だろう。人の心の中がギザギザになり始めて長い。いよいよその傷口は深く広くなってしまっている。夢を持って入ったある大会社の若い社員が会社に行くのが毎朝辛いという。
「綸言汗のごとし」というが一度口から出た言葉は二度と自分の口の中には戻らない。言葉程恐いものはないとつくづく考える。今頃になって何だと思うが自分が放ったひと言、人が放ったひと言がその言葉を受けた者に積年の憎悪となって心の中に染み込まれるまで刺青の様に消す事が出来なく刺し込まれているのだ。
今からでも謝る事が許されるなら日本中を回ってでもお詫びしたいと思う。
若気の至りと言えばそれまでだが「天上天下唯我独尊」だなんてうそぶいて生きていた自分を恥じるばかりだ。それ故この残り人生の前に受けた言葉の許されざる者は許す事はできないのだ。
今は別離した戦友の幸せを祈るしかない。又、私自身もその責務を背負って生きて行かねばならない。プロの仕事をするという事は正に「強者どもが夢の跡」となる。何百枚の企画の案もあらゆる案もただゴミ箱に入る紙くずと化すのだから。
売れない案はただの代物がプロの企画の世界なのだ。
何年もかけて描いた日展への出品作が「ハイ次!」のひと言でただの絵の具の壁となり、何年もかけ千枚も二千枚もかけて書いた力作の小説も編集者の「ボツ」のひと言で紙くずとなる。陶芸然り、塗然り、織物然り、努力の結果が作品の評価となり得ない。それ故私は世に潜む無名の作家たちを求めて歩く。
その中に本物の作家がいるのだ。高名な審査員に付け届けもしない、編集者や画商に接待もしない、身も心も売らない、新聞社や専門誌の批評家、評論家に接待もしない。自分の先生の作品づくりの手伝いをしない(代書き)それ故可愛くない奴だという事になる。
力があればある程潰す必要があるのだ。
フランス等では芸術とは「ゲイ術」とも言われる。ゲイは身を助けるのである。
駄文の本を書き、絵本をつくり、短編の自主映画をつくる。友人から誰々に幾ら払えばチョーチン記事を書いてくれますよとか、あの新聞社の文化部の誰を「ゲイ」に連れて行けば直ぐチョーチン記事を書きますよとか。ちょっと広告出せばいい書評を書きますよとか色々言って来る。
評論家を招いてパーティをすればどうですか、みんなやっていますからと言ってくる。小田原提灯じゃあるまいしそんな事できるかと思う。見る人が観て一人でもいいと行ってくれたらそれでいい。一人でもいい本だったですよと言ってくれたらそれでいいのだ。商業製作でなく自主製作なのだから。
「ボロは着てても心は錦」みたいな作品を作って行きたいと思う。近々新作、新本の試写会と発表会を行う予定である。
「敵を恨む事なかれ、自分もきっと敵に似ているから」誰だか忘れたがある哲人が言っていた様な気がする。