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2010年4月2日金曜日

人間市場 春風市


この季節になると一日に何枚か葉書がポストに入って来る。
定年退職、会社転職、昇進や地方への移動人生の縮図が小さな葉書の中にある。思い出深い人や、たった一度であった人、又すっかり忘れてしまっていた人々からだ。

一枚の葉書を読み終えると様々なシーンが甦るものだ。
入園式、入学式、入社式の季節でもある春は希望の花が咲く季節であるが散る花の季節でもある。園長先生、校長先生、社長たちは成長を語り勇気を語り、誇りや夢や責任や自覚や期待を語る。

誰もが一度は通って来た道である。その先には一人一人にそれぞれの人生が待っている。結婚式の案内状も来るのもこの季節だ。幸福は歩いて来ない、だから歩いて行くんだよとの歌もある。一歩一歩幸福に向かって欲しいと願う。

長い間のご愛顧ありがとうございました、この度店を閉店する事になりました等の葉書も来る。あの頃は若く楽しく元気だったなあと主人や奥さんの顔が目に浮かぶ。
思えば自分も閉店に近い事に気が付く。個展の案内状も多い。何でも長引く不況で画廊が空いていて凄い安い値段で個展が開けるらしい。水彩、油彩、織物、陶芸と次々に来る。みんな頑張ってるなと顔が浮かぶ。

今年は小さな庭にある梅の木に花があまりつかなかった。庭師の人は来年は一杯咲きますから、枝をかなり切りました。生き続けさせるために間引きが必要なのだと言う。その変わり牡丹が今年は立派に咲きますよと言う。確かに隅っこにある一本の牡丹が一日一日伸びて来ている。

明日人生が終わるとしても私はリンゴの木を植えるとか言った偉い人がいた。
中々そんな偉い心境にはなれない未熟者だ。
江戸時代の教訓歌に「井戸掘りて今一尺で出る水を掘らずに出ずという人ぞ憂き」というのがある。もう一尺何故掘らなかったのか後一尺掘る努力をしたら水に出会えたものを、そんな思いをする事が多くなってしまった。残念な結果には必ず努力の不足がある。
一つの物を生むために幾つもの大切な物を失ってしまう事は辛いものだ。

既に飛び始めた桜の花を見ると還らざる日々を思う。
失敗が成功の母というなら、成功は失敗の父であるかもしれない。自分の中の自分がもう一尺掘り続ける自分であるために人生の新入生になろうと思う。但し、新しいランドセルや、新しい学生服や、新しいスーツを着れる年ではない。
直ぐに人生の卒業式が待っている。しかし努力をしようと思う。一尺を掘る努力を。

会社員からアニメ作家になる人、子供達のサッカーのコーチになる人、スポーツのインストラクターになる人、農業家になる人、カマボコ屋になる人、作家になる人、画家になる人、陶芸家になる人、政治家を目指す人、みんなみんな一尺を掘る努力を。一度しかない人生、一生に一匹しか出会えない幻の魚を釣る為に旅にでるという人もいる。カナブンが網にしがみついている様な生き方はつまらないと思う。いずれはがされて外に向かって放り出されてしまうのだ。

テレビでは新入社員達が明日への熱い思いを語っている、頑張れよのエールを送る。人生は苦しいが色んな人と出会えて楽しいもんだよ。

こんな雑文を書き終えて夕刊を取りにポストへ行くと敬愛する佐藤隆介先生から一冊の本が送られて来ていた。「池波正太郎直伝 男の心得」という本です。

いざと言う時男はいかに振る舞うべきかが書いてあります。新潮文庫の新刊です。
読んで学びます。

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