大好きであり心から尊敬する作家、井上ひさしさんが亡くなった。
「記憶せよ、抗議せよ、しかして生き延びよ」がモットーであったという。そこに「笑い」を足したかったのだろう、反戦を言葉と笑いという武器で貫いた。
五歳の時から養護施設で過ごしたという。映画が大好きであったそうで、最後にこの一本を選ぶと云えば黒澤明監督の初期の作品、「素晴らしき日曜日」だと何かに書いてあった。
コーヒーが一杯5円の敗戦直後、35円しか持っていない若い男女のデートの物語だ。10円足らずに「未完成交響曲」のコンサートに入れない。二人は無人の野外音楽堂に行く、男は舞台に立ち指揮者の真似をする。
そして「未完成」を指揮する。拍手する聴衆は彼女一人だ。しかしそこには若い男女の明日への希望が満ち溢れている。いい作品を生むには日頃からよく勉強し、よく考え、大事な時にそういったものを捨て去って自然体にならなければならないと語っていた。「むずかしいことをやさしく」と言い更に、「やさしいことをふかく」と心掛けていらしたのだ。
こんなコラムを読んだ、今から十五年前警視庁上野署の取調室で中学三年生の非行グループのリーダーが一人の少年係の捜査員の取調べを受けていた。そこら中につけていたピアスを外された。その後冷えた缶コーヒーを出して貰った。その時少年はふと何で俺はこんな所に居るんだろうと思った。やがて両親に付き添われて署を出た。
一から勉強し高校に入り非行グループからも抜けた。専門学校に入りコンピューター会社に勤めた。世間からどう見られているんだろうと不安になる度にあの時の取調官のところに行ったという。五年間の保護観察が終わった後、挨拶に行くとこれからは大人と大人の付き合いだなと言われた。成人式を終えていたのだ。今29歳になった男は雪深い群馬の温泉旅館で結婚式をした。
乾杯の挨拶は取調官に頼んだ。本当の息子の事の様で嬉しいと声を震わせて話をしてくれた。今同じ年の奥さんの体の中には小さな命が宿っているという。
今度は赤ちゃんを挟んで一緒にコーヒーを飲みたいと思っているそうだ。きっとその日は来るだろう。
井上ひさし先生の「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく」という言葉と重なり合った。「文学は声だ」と言った。ある文学者がいたが正に人と人の心は言葉と声で救われる。井上ひさしさんが舞台にこだわったのもその現れだろう。
いい文学は声を出して読むといいという。不出来な文章は声を出して読むとその正体が直ぐにバレてしまう。
宇宙に行った山崎直子さんから「瑠璃色の地球も花も宇宙の子」という俳句が届いた。声を出して読んでみると何と美しい句だろうと思った。山崎さんの心自体がきっと宇宙から見た瑠璃色の地球の様に汚れなく美しい心なのだろう。その地球を滅ぼしてしまうかもわからない核から地球を守ろうと核セキュリティサミットが始まった。
やっと地球のリーダー達は地球の危機を感じ始めたのだろう。地球の温暖化も待ったなしになって来た。四月なのに真冬のようだ。やはり井上ひさし先生の言葉を思う。「大きく見えた恐ろしいものの姿を小さくし、そのことによって、わたしたちの小さい力を大きく見せる」言葉と声はその武器なのだ。
一人の人間の力は小さいかも知れないが、一人の人間の遺した言葉と声は永遠の強さとして人の心の中に生き続ける。言葉も声も行動も軽い時代となってしまった。
小説家は自殺するために旅に出る。書き出しの一行を探すために何ヶ月も旅をすると、かつて開高健は云った。本屋に行って立ち読みし書き出しの一行が駄目な本は先ず買わない事にしている。
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