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2010年8月20日金曜日

湘南の嵐便り


猛暑 危暑 甚暑 過暑 渇暑 熱暑 仰暑 荒暑 傷暑 嚇暑 狂暑 兇暑 虐暑 極暑 厳暑 死暑 汗暑 凄暑 嘆暑 難暑 烈暑 乱暑 剛暑 焦暑 驚暑 叫暑 戒暑 哭暑 絶暑 刺暑 射暑 搾暑 直暑 咆暑 拳暑 蒸暑 致暑 昂暑 殺暑 厭暑 刃暑 毒暑 荊暑 獄暑 凶暑 邪暑 鬼暑 酷暑 仇暑 怨暑 強暑 劇暑 牙暑 栲暑 猟暑 暴暑 圧暑 排暑 喝暑 窮暑 怒暑 焔暑 蝕暑 犯暑 歪暑 焼暑 鋭暑 刑暑 狩暑 超暑 壊暑と、まあここまで書いていると一人の坊主頭の男の人登場。
お寺のお坊さんみたいな人がTシャツを着て首に商店街のタオル(かなり使っている)を巻き、頭から湯気を出し体は汗まみれ沢山のキャンバスを抱えトートバックを肩に掛けてどーうも、アレキサンドル今井です。どーうもお願いします、一点でもいいから絵を買って下さいお願いしますと目をギョロギョロ。



私が今手掛けている展覧会のために知人の美術館長が紹介してくれた現代アートの旗手でした。そうか確かあの洋画界の巨人今井俊満さんの息子と言っておられた。

今井俊満さんは京都生まれ、フランス芸術文化勲章(コマンドール)受賞。
紺綬褒章受賞、パリアンフォルメルの旗手として活躍。数度の癌の手術をしながら2002年、74歳で亡くなるまで一年に200人の女性と関係を持ち、75カ国5500人以上の女性遍歴を持つスーパーアーティスト。



18時間をセックスに励み、8時間寝て、8時間絵などを描く。「絵なんて一瞬にして描くもの」と対談で語っている。晩年、死を目前にしながらも「サヨナラ」「エロチカ」などの個展で話題を呼んだ。



いやはや凄い人がいたもんでした。
私の目の前の息子さんも三人目の奥さんが出て行ってしまったとか。打合せテーブルの上にアクリル絵の具をバックからバラバラと投げ出しそこいら中の紙にバンバン絵の具で直接描き出しました。

もう汗びしょびしょ。猛暑だなんのって言ってらんない程の感激ショー。
勿論参加してくれることになりました。

お願いします絵を買って下さい、を連発してエレベーターに乗りました。私の下手な絵をベタ褒めしてくれたのはご愛敬。(私も絵の具で直接描く手法)でも何やら嬉しいのでした。パリで個展しろと勧められました。中々におだて上手の人でもありました。



今井俊満画伯にならって頑張らないと。

2010年8月9日月曜日

人間市場 夏休み市

猛暑、熱暑、炎暑。
ともかく連日消耗戦の様な日々が続いています。

昨年十一月よりブログなるものを書き始めてから十ヶ月、原稿用紙にして千二百枚を超えました。

本日より八月二十日まで夏休みを取ります。
二十三日から新しいスタイルのブログにしていきたいと思います。
夏休みにゆっくり考えます。

みなさん、どうかいい夏休みを。御身大切にして下さい。

2010年8月6日金曜日

人間市場 カバ市




カバの「デカ」が死んだ。
「デカ」といっても刑事ではない。体がでかいから「デカ」。

石川県能美市の「いしかわ動物園」で飼育されていた長寿日本一、世界第二位のカバちゃんであった。当年五十八歳、人間なら百歳を超えているという。

アフリカ生まれ岡山のキャラメルメーカー、カバヤがキャンペーンガールとして入手したらしい。キャンペーンガールという位だから女性であった。

私は動物園や水族館が大好きである。
何日見ていても飽きないが、何日も見てはいられない。
貧乏人はバカみたいに働かないといけないのだから。世の中に自動車とか飛行機とか掃除機とかドライヤーとか洗濯機とかの形体をデザインするインダストリアルデザイナーという才能あふれる人達がいる。


だがしかし、誰があのカバの形体を発想しただろうか。
サイ、バク、ワニ、アナコンダ、ゾウ、ライオン、トラ、ヒョウ、ペンギン、クジラ、イルカ、カニ、イカ、タコ、エビ、サザエ、ウニ、ナマコ等々誰も真似できない素晴らしいデザインを自然界は創造進化させて来た。


カバが人間を見たら何と思うだろうか、多分バカみたいと言うだろう。

私は実はバカが大好きである。
何にでもひとつの事にバカみたいに取り組み遊ぶ人は羨ましい。
釣りバカ、山歩きバカ、映画バカ、落語バカ、読書バカ、旅バカ、サーフィンバカ、スキューバダイビングバカ、飛行機バカ等々世の中には尊敬すべきバカが沢山いる。

一番困るのは何もしないバカとかパチンコバカ、競馬バカ、オートバカ、競輪バカ、競艇バカとか投資バカ等のあぶく銭ばかりを追い求めるバカは嫌いだ。

仕事バカも悲しい。
SEXバカ、ホモバカ、SM変態バカとかいうのは病気だから論外だ。


小さな庭に黒い蝶々が飛んでいた。直ぐ使い捨てカメラ(コレしか使えないので)で撮った。何て美しい色と形なんだろう、どんなに才能あるデザイナーも創れない。

人生デザインに例えるなら一人一人の人生はみんなひとつの作品なのだ。傑作もあれば駄作もある、又、大作もあれば小品もある。それぞれみんな人生なのだ。

人は誰でも一度だけは名作を書けるというのはそういう事なのだ。
諦めや投げやり、絶望はいけない。山谷親平曰く「絶望は愚か者の結論なり」だ。
絶望している時間があったらどんな小さな希望も見つけ一生懸命バカになるといい。

「カバ」のデカちゃんはひと言も物言わず生涯を閉じた。きっと色々文句もブータレたい事もあったであろう、だがしかしひたすら身を固め、その身をさらし続けた。アフリカの大地にいればどんな苦労があっても幸福だったと思う。

草原からコンクリートの上に、あーあワタシの人生って一体何だったのかしら、このニッポンっていう国は一体何ていう国なんだろうか、こんな暑い中アタシをわざわざ見に来るなんてバカみたい。みんな同じ顔に見えるわ、何かカバより固い意志を感じない。
最近同じ顔した中国人や韓国人も多いけど時代は変わったのね、信じられないアンビリーバブルよ。ニッポン人はもっともっとバカにならないと、ひとつの事に夢中になる事が大事なのよ、みなさん長い間ワタシを見てくれてありがとう、サヨウナラ。

人生には必ずサヨウナラがある。
とりあえずこの思い切りヤクザな暑さとサヨウナラしたい。今日はカバヤキでも食べよう。




2010年8月5日木曜日

人間市場 お隣市


隣は何をする人ぞ。
最近お隣さんと言葉を交わしましたか?一緒に食事をしたりしましたか?一緒に人生を語り合ったり、教育について語り合ったり、腹を抱えて笑い合ったりしましたか?

今の世の中強盗が入ったり、泥棒が入ったりして「助けてー」なんて大声出しても誰も助けてくれません。みんな関わりたくないのです。どんな異臭がしようが、老人が居なくなろうが、赤ん坊や子供が泣きわめいていようが関わりたくないのです。

大きな事件になった後決まって、実はこんな事があんな事が気になっていたのだがとお隣さん達はかしましい事となる。

さて、お隣さんで一番近いのは隣に寝ている夫であり、妻であり、息子であり、娘であります。実はこのお隣さんについて知らない事が多いのです。

夫が最近やけに色気づいている、喫茶店の隅っこでずーっと携帯をいじっていたという人がいた。何か変だ。
妻がやけにはしゃいでいる、友達と会う等といって外出が多い。何か変だ。
息子が部屋から出て来ない学校にも行ってない様だ。何か変だ。
娘が派手になってきた、髪の毛も染め爪もキラキラ何だか恐い。何か変だ。

この家族は現代ニッポンのモデルケース。
一緒に食事もしない、それぞれ無関心、それぞれ話したくない、バラバラの積み木細工なのだ。

えっ、夫に若い女がいた!
妻が不倫を!
えっ、息子が大麻を!
えっ、娘が婦人科から出て来た!
嘘、嘘、嘘だという事態になってはじめて一大事となる。

「淡交(たんこう)」という言葉がある。
淡泊な交際。わだかまりがなくあっさりした君子の交わり、の事である。

君子の交わりは淡きこと水の如く、小人の代わりは甘きこと「醴(れい)」の如し。
「醴」とは甘酒の様な物、甘くてベタベタしている。立派な人物の交際は水の様に淡泊であり、つまらない人間の交際は甘酒の様にベタベタしている。

「荘子」にこういう教えがある。無関心は一番悪く、感心が過ぎるのも又いけないといえるのだろう。携帯とメールの発達がドンドン家庭の中の空気を分断している。

二階の息子が一階の母親にメールでラーメンとカレーを出前させろとか、着替えを持って来いなどと命令したりする。寝室から一階のリビングで風呂上がりの髪を乾かしている妻に何やってるんだ早く来いなんてメールする。
そこに部屋の中にいる娘から母親にメールが入る。いい歳して恥ずかしい事しないでよ、もうすぐ友達が来るんだからなんて事がニッポン中の一般家庭で起こっているのだ。

現在この国に百歳以上のお年寄りが四万人以上いるという。
その方達の行方不明が多いというではないか。この国は儒教の国であり、何より年長者を大切にしてきた筈である。なんとも痛ましい親子関係、地域社会だ。

自分の産んだ子供を生ゴミと一緒に部屋に閉じこめてホストクラブで遊び続けた若い母親がいた。子供が泣こうが臭いがしようが誰も行動を起こさない。
無関心社会が現状なのである。一切関わらない社会なのだ。


今、あるカルタを企画している。
そのためにある離婚弁護士に取材した、離婚の原因の第一は性格不一致だがその中で妻はしつこい夫が嫌、夫は疑い深い妻が嫌というのが多い。
又、気持ち悪い位優しいというのが多かった。(怒らない夫)当然収入が少ないとか向上心が無い、無気力、無関心が続く。

一番近いお隣と仲良くして下さい。
粗大ゴミとかババアなんて決して言わないで下さい。
先日近所の路上で粗大ゴミの出し方でお隣さん同士が喧嘩していました。
その内容はお互いの家の中をよく知っている事だらけでビックリした。そんなだらしない分別の仕方だからご主人が出て行ったのよとか、そんなのだから息子が引きこもったままなのとか、いやはやお隣同士は近いようで恐い仲なのだ。

2010年8月4日水曜日

人間市場 公園市

結婚式の豪華さと幸福さは比例するか、ウエディングケーキの大きさと結婚後の未来の大きさは比例するか、答えはNOである。

例えば
貴乃花と河野景子/ニューオータニ 四億円
古田敦也と中井美穂/オークラ 二億円
小室哲哉とKEIKO/新高輪プリンス 五億円
谷佳和と田村亮子/新高輪プリンス 三億円
陣内知則と藤原紀香/オークラ神戸 五億円
西村拓郎と神田うの/ニューオータニ 六億円

数字は推定である。ちなみに貴乃花夫妻は母親と兄と断絶、古田夫妻は離婚危機、小室夫婦は破産(KEIKOの内助の功あり)、谷夫婦は妻が参議院議員へ、陣内夫婦は離婚した。


貴乃花は風水しか信じず、古田はデータしか信じず、小室は金しか信じず、谷は勝負しか信じず、陣内は暴力しか信じなかった。紀香は全て風水に従った。
西村、神田は見栄と虚飾しか信じず夫婦とは形ばかりであったと友人の芸能記者はいった。

市川海老蔵と小林麻央がザ・プリンスター東京で超豪華披露宴を行った。
出席者千人とか、この手の結婚式のご祝儀は最低で十万、後は二十万、三十万、五十万。多い人は百万を包むと聞く。十万の人とは付き合いを止め、二十万、三十万とはまあ、ありがとう位の付き合いとなる。一門の若い衆が一斉に祝儀袋を開ける。

どの夫婦も結婚式では永遠の愛を誓い合いそしていつか破る。
野次馬的大衆はこの破るを期待する。特に週刊誌やテレビのワイドショーは人の不幸や破綻が何よりの好物である。特に離婚は一番売れる。


隣近所の目も同じである。実にオバサン達の目はアチコチに向かっている。
あの家のご主人の会社潰れたらしいわよ、とか、あのご主人リストラされたらしいわとか、ほらあそこの家の嫁さん子供連れで出戻ったらしいわ、DVだったんだって。あの家の息子さんかなりの「うつ」で引きこもっているらしいわよ。あの奥さん若い愛人がいるらいしいわ、見かけによらないわね、おー恐いなんてベチャクチャ喋り合っている。

私の家の前は公園である、その側に大京のマンション。昼頃、夕方になると必ずオバサンの固まりがある。私を見かけるとどうもなんて愛想笑いをしているが、頭の中は何だろうあの人、朝はタクシーで出掛け、夜は遅くタクシーで帰って来る。黒いスーツにアロハ、ジーンズにアロハ、やたら人の出入りが多い。やたらに宅急便が来る、きっとヤクザ系よ、何かいかがわしい事をやっているに違いないわ。なんて噂のタネにされている。それ故愚妻はタクシーを余程でないと利用しない、バス専用である。

私はタクシー、愚妻はバスで同じ目的地に向かうのである。
ババア達うるせえぞ、一時間も二時間も公園でグダグダつまんねえ噂話をしてんじゃない、ここは公園、子供達が遊べないじゃないか、ドケドケと言った事が何度もある。
ババア達は何度言っても集まって来て私を見るとシラーとコ・ン・ニ・チ・ワ、オホホと来たもんである。

あのババア最近見かけないね、離婚したらしいわぁ。
あの派手な人も見かけないね、ご主人が病気で入院したらしい。あの陽に灼けたのは引っ越ししたのよ、会社が駄目になったんだって。詳しいね、何でも知っているじゃないと言っている相手はアジアン雑貨店を経営している女主人だ。この人に聞くとおおよその近辺情報が判る。別に知りたくもないがよく家にお茶しに来るので色々耳に入る。まあ、家の数だけドラマがあるものだ。人の口には戸は立てたれない。

私の家は塾のような家と言われる。この地区で唯一駐車場がなく、車がないからだ。
その代わり自転車が六台置いてある。大人用四台、子供用二台、だから塾の様なのである。
色んな種類の人間が出入りする。そんな中に超豪華な結婚披露宴をあげたが性格の不一致、性の不一致、育ちの不一致、何もかも不一致、もう顔も見るのも嫌なんですと離婚の相談に来る男・女も多い。

何しろ何でも相談室なんです、私の処は。
何!魚の食べ方があんまりにもヒドイんです耐えられないんです!そんな事位で離婚するか、あんなにお金を掛けた結婚式を挙げてまだ四ヶ月だぞ、我慢しろよと言ったのだが。

2010年8月3日火曜日

人間市場 嘘でも市


嘘でも信じたい、嘘でも美しくなりたい、嘘でも若返りたい、嘘でも痩せたい、嘘でも死にたくない等人は男女変わりなく願う生き物である。

私の仕事場の直ぐ近くに変身専門ショップがある。
入り口に一枚のポスターが貼ってある。女性のシワシワの顔がツルツルになった使用前、使用後の写真である。何でも顔のシワを取る専門ショップとの事。好奇心が強い私はあんまり嘘まみれのポスターなので一度中に入った。

女性が一人居た、当たらない手相占いみたいな中年女性だった。
何ですかと聞かれたのであのポスターあまりにも嘘過ぎない?あんなにシワ取れる訳ないでしょうと言うと、あっあれは印刷で修正したのよと来たもんだ。そっ、そうだろうどうりでと次の言葉が出なかった。

私達のビジネスは嘘で夢を叶えてあげるのよ、一時でもシワシワの顔がツルツルになればと思う希望を満たしてあげればいいの。本人だってマサカ本当にツルツルになるなんて思っていないんだから。占いと同じ当たるはずがないと判っていても行動するでしょ、あれと同じ。化粧品やビタミン剤と同じと来たもんだ。
その開き直りにすっかり感心してしまった。

ビタミン剤といえば新潟大学教授、岡田正彦氏が「ほどほど健康術」という一文を書いていた。何でもビタミンには元気の素というイメージがあるが、ビタミンは体内で潤滑油の様な動きをしていてこれなしでは生きていけないが、エネルギー源ではないため元気が出る事はないという。

ビタミンは13種類あるが健康な人が日常的に補給し病気を予防で出来る訳ではない。
大規模調査のデータを見る限り目が良くなったり、毛が生えたり、神経痛が治ったり、肌がすべすべになったり、風邪に罹りにくくなったり、心臓病の予防になったりという効能は認められない結果が出たという。

ビタミンは数ヶ月分の必要量が体内に備蓄されているらしい。取りすぎたビタミンは体外に排泄されるか、体内に蓄積されて副作用を起こすかのどっちかしかないのだ。
人間の体は余計な事をしなくとも生きていけるよう、上手くできているのだ。
高いお金を出してビタミンABCを買って毎日飲むのは、高いおしっこを出すための手段でしかないのだ。

ただ外国のある調査によると八万人の医師の内三割もの医師が習慣的にビタミン補給をしているらしい。シミが取れる、若返れる、ツルツルになる、シワがなくなる、エネルギーが沸く等につられて買い求める、ちなみに私は一切飲まない。

近所のクリエイトという大きなドラッグストアに行くとカゴに何種類ものビタミン剤を買っている男女が多い。それを止めるだけでかなり家計は楽になる。
回転寿司2回分、焼肉2回分、ファミレス2回分、ディズニーランド1.5回分位は浮くと思う。


あっ、あの変身ショップに女性が入って行くではないか。
一人、又一人。狭い中に何万も何十万円もかかるのに、絶対シワシワは直らないのに、ツルツルにはなれないのに、そもそも土台が良くないのだからと声を掛けたいが夢を見たいと思っている人たちなんだからいいんじゃないのと一枚のポスターを見直した。

昔を思い出した。一日にユンケル黄帝液を二本も三本も飲んだ日々があった。
何か元気が出る気がした。徹夜続きの中でのデートの前などは奮発してゴールドを飲んだものだ。あんまり役に立った記憶はない。ずっとユンケルを飲んでない。何故だろうかその答えが分かっているだけに哀しい。

シルバー世代の友人と飲むとかなり切ない話となる。
盛り上がってシュンとなる。たちあがれ日本ていう政党名哀しいねと相槌を打つ。そして必ず回春剤やビタミン剤の話になる。幸い私は友人達に勝っていると思う。

ただし少しだけかもしれない。ずっと現役の恋愛をしていればきっと嘘でもたちあがるのだ。人が人を愛せなくなった時人生は終わる。

2010年8月2日月曜日

人間市場 つけ麺市

過日恵比寿で初めて「つけ麺」というものを食べた、パリパリ餃子と一緒に。

「つけ麺」ファンには申し訳ないが私には何とも言えず不可解極まる食べ物であった。
人間でいうと半竹な奴(半端な事)であった。鴨せいろでもなく肉せいろでもない。麺はヌルヌルと生温かく、つけ汁も生温かい。

まず見た目が美しくない。ラーメンの上にある決まりの品々、チャーシュウ、メンマ、ナルト、モヤシ等は見えない。勿論煮玉子はない。チャーシュウ、メンマやネギは小さく刻まれてつけ麺の中に沈んでいる。何か全てが中途半端で納得がいかない。

連れの人間と入った時、外とは違い冷房が効いていたので普通のラーメンにしようか迷いに迷ったが、よし食べてみるかと二人で挑戦した。
連れは経験者らしくごく自然に「つけ麺」を受け入れている。私はかなり戸惑い心が乱れている。失敗したなと思ったのだ。

太目の麺を箸で掴みつけ汁に入れてすすった。
何だいこの食感は、ギモヂワルイよと言った。生温い食感がどうにも馴染まない。

オイ!「つけ麺」お前は中華系なのか和食系なのかハッキリしろ!お前の親分はラーメンなのか鴨せいろなのかハッキリしろと思った。つけた麺にチャーシュウとメンマとネギがくっついてくる。麺なら麺、チャーシュウならチャーシュウ、メンマはメンマとラーメンならそれぞれ主張しているが全然自己主張してないでゴッタ汁じゃないか。
こんな事していると鴨せいろから怒られるぞ、正直そう思いながら泣き泣きすすって半分で止めた。本当のラーメンを食べている人がえらく美味しそうだった。

「つけ麺」みたいにどっちつかずの人間がこの世にはびこっている。
例えば居酒屋「和民」の会長、渡邉美樹氏。居酒屋のくせして政府の委員になったり相撲協会の独立委員になったり介護の会社を経営したりする、一体本業は何かと訪ねたいのだ。いずれ馬脚を現すだろう出たがりで屋である。

勝間和代なる蛇顔の経営コンサルタントがいる。この女性も自らは結婚に失敗しているのにもかかわらず人生相談なんかを受ける。目と目は離ればなれとなっていてどう見ても幸福にしてくれそうもない舌足らずな話し方が耳障りだ。

大学教授とか客員教授は余程暇なのかテレビに出まくっている人が多い。
又、弁護士、元地検検事も多い。しっかり仕事をしてんのかと言いたい。名前を売らないと仕事が来ないのだろう。みんなタレント事務所に所属していてテレビ出演最優先の人種たちだ。当然国会議員も選挙に勝つためにテレビから声が掛かれば例え足がつっていようと身内に不幸があろうとテレビ局に向かうのである。テレビ局のプロデューサーやディレクターから「アレ」呼ばわりされているのだ。

オイ、アレとアレとアレ、いつもの幕の内弁当で揃えとけよなんて言われているのだ。
この国には何とかの第一人者というのが山ほどいる。
野菜選びの第一人者、化粧品選びの第一人者、経済学の第一人者、選挙戦の第一人者、シルバー世代の性生活の第一人者、引きこもりの第一人者、ブランド品の第一人者、ラーメンの第一人者、つけ麺の第一人者、もう石を投げれば第一人者に当たるのがこの国なのだ。

気を付けよう昼の雷と第一人者。一歩使い方を間違うと詐欺師と云われる行為をしている。私の知り合いはこんな第一人者にヒドイ目にあった。
知り合いの息子は医大志望、しかし学力不足で一浪そして二浪、母親は焦った。そこにある人が現れ医大入学の第一人者を紹介すると言われた、早い話裏口入学の第一人者という事であった。一千万で入学出来るならと思い父親に内緒で渡してしまった。

一ヶ月後夕刊を見てビックリギョーテン、新聞の見出しに「医大入学詐欺師集団検挙」
と大きく出ていた。被害者の数、数百人、被害総額数十億円と。
母親と父親はガックリしながら二人で「つけ麺」をすすったとか。
確か池袋警察署の側であった。「鴨せいろ」だったかもしれない、いやもり蕎麦だったかもしれない。

「つけ麺」を食べた後、車の中でそんな話を思い出した。
二度と「つけ麺」を食べる事はない。

2010年7月30日金曜日

人間市場 金々節市


大正末期。
第一次世界大戦のバブル景気で成金が出現し、貧富の差が拡大した。

丁度かつての日本が今の中国である。
その頃、今でいうなら超人気の路上シンガーソングライターがいた。庶民の声を代弁し、権力や権威、特権階級を風刺し続けた。

「金々節」というのがある。
「金だ金々 金々金だ 金だ金々 この世は金だ 金だ金だよ 誰が何と言おうと
金だ金だよ 黄金万能 金だ力だ 力だ金だ その金欲しや 欲しや欲しやの
顔色目色 見やれ血眼 くまたか眼」
そして「学者、議員も政治も金だ」 「神も仏も坊主も金だ」 「金だ教育 学校も金だ」と二十一番まで続く。

当時演歌とは演説歌の略の事、シンガーソングライターの添田唖蝉坊という。
神奈川県大磯生まれ本名は「平吉」、中農の生まれであった。豊かな長髪を肩まで垂らし、細く透き通るような美声で歌ったという。
唖蝉坊をずっと尾行していた刑事がその演歌に共感して定年になった時に弟子入りを申し込んだという逸話があると朝日新聞、加藤明氏のコラムで知った。

今の日本や中国、いや世界60億近い地球の民の頭の中は見事に金、金、金、金の拝金主義だ。唖蝉坊は大正末期とまるで同じ人間の姿に「呆然ボー」となるだろう。

尾崎紅葉の小説に「金色夜叉」というのがある。私は始めてその字を見た時「コンジキヨルマタ」と読んだ。死んだ母親が正月にみんなで集まると一杯気分で「貫一とお宮」の有名な熱海の海岸のシーンを演じた。

熱海の海岸散歩する貫一、お宮の二人連れ、共に歩むも今日限り、共に語るも今日限り、お宮さんあなたはダイヤモンドに目が眩んだのかと問い詰める。今月今夜この月を決して忘れないと、足許にすがるお宮を下駄で足蹴りにする。
やがて貫一は学校を出て金貸しになる。一方お宮が結婚した相手は事業に失敗し、一文無しになるという様な復讐の話だ。今も熱海の海岸のお宮の松は観光名所である。


母がなんでこの物語が好きであったかは判らない。清く貧しく美しくという言葉が死語になってしまった。汚く金追い醜くくだ。こんな時代の風潮を子供達や孫達の世代に遺したくない。


妻に先立たれた後、唖蝉坊は関東大震災で被災するまでの十三年間、息子と下町の四畳半一間きりの長屋に住んだという。「ノンキ節」というのにこんな一節がある。

貧乏でこそあれ日本人はエライ それに第一辛抱強い 天井知らずに物価は上がっても 湯なり粥なりすすって生きている あ、ノンキだね。

まるで地球をイジメた人間に復讐する様に、地球上で天変地異が起きている。もの凄い暑さと集中豪雨だ。

金正日がプッツン起こして核を飛ばすやもしれない。
追いつめられると何をするか判らない。この国はテロリストの女性にノンキに料理を作らしたり遊覧飛行をさせたりする。どこがいけないの、二度と来れないのだから東京やそこいらを見せてあげたかったんだ、と中井恰(ハマグリと言われている)大臣は眉をつり上げて言った。

拉致家族は日本の特権階級である全ての言動が優先される。別にどこの味方でもないが、日本が中国人や韓国人、朝鮮人、台湾人に行って来た悪夢の数々は途方もない神をも恐れぬ行為であった。

外交とは相方win,winにならないと話は進まない。
夏の夜の悪夢が起きない事を祈るのみだ。かなりきな臭いテロリストの来日である。米国、韓国、中国、ロシアがその裏側を知らない訳がない。
日本の政治やマスコミはノンキにアーデモないコーデモないといつものコップの中の嵐だ。

私の心境は「呆然坊」だ。役者がいない。夏の役者「蝉」が一度も鳴かない。

人間市場 アサリ市


法は破る為にある、ルールは犯すためにある。
約束はあくまで約束である。


そんな光景を映像を見た、所は静岡県浜名湖である。
うるせーんだよ、捨てりゃいいんだろ捨てれば、バカヤローと言いながら網の中の沢山のアサリを湖に投げたオバサンとオジサン。

アサリの密漁である。
浜名湖は日本でも有数なアサリの産地なのだ。で、密漁者達が続々と出る。
密漁を取り締まる湖上パトロール船と追い駆けっこをする。年間一億円以上の被害が出るというではないか。アサリは誰の物かについては色々法的解釈があるらしい。密漁するのは実は漁師が殆どだという。あの手、この手で密漁しアサリを隠す。

大概釣り道具を船に積んでいて、あなたなにやってんの駄目だよなんて言われると、うっせえな釣りだよ釣りなんてバックレる。船底を見せてもらうよなんて言われて船底を見られるとしっかり網の中にアサリが入っているてフックで繋がっている。

やっちゃいけない事は犯罪だよ、ドロボーだよと言われると俺たちの浜名湖だ、誰に権利あんだよなんて開き直る始末だ。


私はふとある高名な民族学者の一説を思い出した。ある人国記である。
そこに静岡県についてこの様に書いてあった。静岡県、この地に悪人はいない。気候温暖にして富士の名峰を日々仰ぎ、いい茶、いい魚、いい果実に恵まれている。

人間に欲がない、しかるに清水次郎長以外に歴史上の大人物は排出していない、とまあこんな風に書いてあった。それはかなり当たっていて私が知っている静岡人は実に温厚にして欲がなく奉仕型の人ばかりである。

あの清水の次郎長は晩年は日本で初めての英語学校を創ったりした。山岡鉄舟に会い、心を改め堅気になり明治新政府に尽くした。だから何で静岡人が浜名湖で密漁をと思ったのである。


私の生まれた国、岡山などはその学者によると魚にすればサヨリの如し、外見はキラキラ美しいが捌けば腹の中は真っ黒であるという。いやつくづく当たっている。岡山人が密漁するなら判らないでもないがと思った。


アサリといえば大劇団の浅利○×の話の事を思い出した。
友人の画家の娘さんがやっとこさの思いで大劇団に入り夢と希望に燃えて毎日激しい稽古をしていた。だがしかし、浅利○×は密漁者であったらしい。
劇団員の中の気に入った女の子を手当たり次第に漁るという。その娘さんもその魔の手に遭いそうになりご両親に相談して退団した。

この手の話はよくあるが、確かな証拠がないので何とも言えない。
劇団なのでちょっとした作り話と思いたいのだが。肉体言語(ボディランゲージ)という言葉もある。新興宗教の教祖がよく使う手だ。肉体を通して教えをするという何とも都合のいい教えだ。

いいセリフを、大好きな役を、この役は君にそういいながら肉体を言語化する。古典的手法で毒牙にかけて行く。一度でも拒んだら永遠に日の目は見れない。


○○団、○×劇団、□△教と名が付くと多いらしい。
マルチ商法も同じである。一度入ったら蟻地獄の様に出る事は出来ない。上にのし上がって行くには自己犠牲を払うしかないのである。

ファッションや絵画、芸術の世界で名を上げるには、本場フランス人の密漁の餌食になるしかない。同性愛以外の日本人が名を上げた例はほとんど皆無である。イボ痔、切れ痔がその代償となる。芸術家に痔主が多いのはその為である。

フランスの男女程、後が好きな国民はいない。
それ故決してフランス人に後を見せてはいけない。ボンジュールなんて言って近づいて来たら両手で×(バツ)を示した方がいい。

私の後輩が20年前からフランスで絵画を学んでいる。最近個展の知らせが来た。
数々の賞を受賞し始めた。と同時に絵の世界が怪しくなってきた。
描く対象が若い男の裸体ばっかりだ。今度ボラギノールを送ってやろうと思っている。
密漁されているのだきっと。

2010年7月28日水曜日

人間市場 さくらと一郎市

猫の額ほどの小さな庭に偉そうに小さな瓢箪池がある。

子供の頃育った家に池があったのでどうしても池を作りたかった。
亡くなった庭師夫婦が丹精込めて一畳半の茶室と坪庭と池を作ってくれた。ずっと枯れ池にしておいたのだが久々に水を張りたくなって水を入れる事にした。
愚妻は池に水を入れていた時、私が病気になったので縁起が悪いと反対であったが、今更命に未練はないので池に水を入れる事にした。



ある日新しい庭師の人が三匹のでっかい鯉をビニール袋に入れて持って来てくれた。
何でもサッポロビールの創業者の人の家に大きな池があり、数十匹の鯉がいたという。庭を直すに当たり庭を枯れ山水にしたい、それ故鯉たちを鎌倉の遊行寺などの池に放つという、それを聞いたので貰って来てくれたのだ。

残念ながら一番大きな鯉は直ぐ死んでしまった。場所を移され過度のストレスのせいだという。大きな屋敷の家から小さな池に移されたからだ。

庭の片隅に埋めて赤レンガで墓を作ってあげお線香をあげた。
愚妻はだから言ったじゃない、あなたは生き物を飼ってそれが死ぬと酷く落ち込むからと言った。確かに人が死んでも滅多に人前で涙は流さないが、愛犬が死んだり金魚が死んだりするとガックリし涙を流す。

相手が口を効けないものの死には責任を感じるのだ。

赤い模様の鯉にはさくら、黒い模様の鯉には一郎と名を付けた。
あのヒット曲、さくらと一郎の「昭和枯れすすき」からだ。
ポールとポーラとか、ヒデとロザンナとか、ケンとメリーとか候補にしたが、やはり私は昭和生まれなので「さくらと一郎」にした。「貧しさに負けた、いいえ世間に負けた」というフレーズが好きだった。

さくらと一郎は酷く警戒心が強く、窓をちょっと開けた音で大きく反応した。
鯉のエサを買って来てあげても全然食べない。庭師に電話すると環境が変わって警戒しているという。公園の鯉なんか何でもぱくぱく食べるじゃないかと思ったが、ブルジョワの大きな池から突然小さな池に移り、きっとプライドが傷ついたのだろう。

あまりエサを食べないので心配して庭師に電話し、引地川にでも放してやってくれと言った。判りました時間が出来たら取りに行きますと言った。
それから目隠しの竹蓙を買い、ホースで水を引き一日中チョロチョロと水を出した。夏の暑さで水が蒸発してしまうのである。鯉たちはそのチョロチョロ水が出る所に来て息を吸う、きっと気持ちいいのだろう。

生き物たちは愛情を注げばちゃんとそれに反応してくれる。
始めは決して食べなかった粒々の鯉のエサも今ではホラッと投げて池に入れるとサッと来て美味しそうに食べる。蓮の花も育ちいい塩梅になってきた。

世間に流れさて来たさくらと一郎の安らぎの場になってくれたら嬉しい。
さくらと一郎が何で今日現在私の家に居るのかは科学的に証明出来ない。人間の夫婦も同じ様に偶然の産物でしかない。恋と鯉は同じといえる、ある日突然出会い生まれる。そしていつか別れが来る。生き別れ、死に別れ、又は一緒に。鯉にはいい褒美を上げねばならない。人間も同じ、いつも何かに恋をしていい酸素を吸い込まないといけない。

さくらと一郎はこの頃仲がいい、鯉が恋したのかもしれない。
二匹仲良く狭い池の中を気持ちよさそうに泳いでいる。夜中帰って懐中電灯で照らす、水面に顔を出す。恋は丹精を込めないと育たない。

私の人生で映画は一番の恋人である。日々形にならないシナリオを書き続ける。
頭の中では名作が何本も出来上がっているのだが。

近々渋谷、宮益坂にあるスペインレストラン「ラ・プラーヤ」でランチ&シネマを実現する。
マスターは凄くユニークな文化人、シネマラ・プラーヤ&東本と名付け美味しいラ・プラーヤのランチ1600円位+私の作品や若手の短編映画を定期的に上映する。
合計2800円で十一時半から一時半まで至福の時間を過ごしてもらう。
客席は約四十名、お楽しみに。