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2010年8月30日月曜日

湘南の嵐便り 「命懸け」

皇帝ペンギンは自分の卵を守るために氷点下60℃の厳しい状況の中、約65日余り動くことなく卵を守る。その役目は父親(オス)である。

人間社会とは別に食べ物を捕って来るのは母親(メス)の役目である。風速数十メートルを越す吹きすさぶ嵐の中でひたすら卵を守る。

子の為に親は自らの命を懸けるのだ。人間が窮地に陥った時、子は皆「お母さーん」といい、「お父さーん」といって散っていった特攻隊員はいないと云える。
母親の中で10ヶ月守り育てられた小さな命はへその緒で繋がった瞬間から太い絆で繋がっているのである。


今から15年前私は突然心臓がバコバコして全く眠れなくなった。
2日で心臓外科を4つ周りいろんな検査をしたが心電図には全く異常ない。
その頃娘は20歳、息子は14歳であった。マズイ、なんとしても娘を嫁に出し息子を成人させる迄は命を落とす訳にはいかない。そう思うと余計に心臓はバクバクし横になるとオイッ地震だなんて口走りだした。

一日、二日、三日ずっと起きていた。
ウイスキーと市販の睡眠導入剤を飲んでも頭は覚醒している。眠りたいきっと夢を見ているんだ、そんな中でも毎日仕事に行った。会社に着くと床に横になりちょっと眠りたいんだと言った。

内科でないと思っていたので主治医の所には未だ行ってなかったが四日目に行った。
事情を言うと主治医は、ハイ直ぐシェルターに入って仕事の事は一切忘れる事と言って慈恵医大に電話してくれた。

先生駄目ですよ、子供達がいるんですよ、会社も仕事も心配だしと言うと、何言ってんだと凄く叱られた。その日強い薬を飲んで深い眠りについた。
君はね、人間じゃない生活をして体を酷使して来たから体が悲鳴をあげてもう勘弁してくれと叫んでいるんだよ。


翌日自宅に役員全員とお世話になっている方々が集まり入院を決意した。
自律神経失調症、慢性疲労から来る抑鬱状態であったらしい。治療方法はただ何もしないで頭と体を休め規則正しく投薬を続ける事であった。外との電話も駄目、人生で初めてのリタイア45日を経験した。それを期に毎日早朝一時間海岸のサイクリングロードを歩く事を決めた、ロケや出張の時はシューズをバッグに入れた。

十年間ほぼ毎日歩き続けた。
チクショウチクショウなんとしても娘の花嫁姿を見るぞ、息子を成人させる、ぞといい聞かせながら寒い日は目からボロボロ涙が、風の強い日は砂が目に入り目が開けられない。
雪の日は膝まで埋まりながら一歩一歩、行きは江の島に向かって、帰りは夜明けの富士に向かってひたすら歩いた。毎日新橋に迎えに来てくれた若い者の車は止めた。会社まで歩いた。

斬ったり刺したり撃ったり撃たれたりしていた頃、死ぬなんて事はどうって事はなかったが初めて命が惜しい、死んだらマズイと思った。

幸いいい知人、先輩、友人そして何よりタフで優しい一致団結の会社の幹部を始めスタッフが支えてくれた。

来年六月二日から八日、人生の集大成といえる画期的な展覧会を東急文化村一階ギャラリーで行う。それまではくたばる訳にはいかない。

娘は28歳で結婚し、息子は22歳で結婚した。



近頃子が親を、親が子を育てる事を放棄する残酷な事が日常茶飯事として起きている。
何とも痛ましい事だ。みんな何かせねばならない時ですぞ、世のため人の為に。

2010年8月27日金曜日

湘南の嵐便り 「見立て」


生け花の世界に「見立て」というのがある。

立派な花器、由緒ある花器でなく、割れた花器や壊れた籠や流木や死に絶えた葉っぱ等に花を生けるのである。



千利休は特に竹を見立てたと伝えられている。
実に侘びさびがあり、一度死んだ物に命を宿らせる事が出来る、つまりいい花器はそこいら中に落ちていたり捨てられたいたり流れ着いているのだ。

要はそれを見立てる人ブツのセンスといえる。
一片の枯葉に一輪の花、その仕上がりが瞬時にイメージ出来るからだ。



リストラ社会で大切なのは見立てだと思う。
それを仕事としている人は再発見、再活用のプロフェッショナルだ。

先ず話し方、その次に目の輝きを見る、髪の手入れを見る、足許の靴の手入れを見る、ワイシャツの手入れを見る、口許の締まり具合を見る、ネクタイとスーツのセンスを見る、フリースタイルの場合は更にセンスを見る。

おおよそこれだけでこの人は再生できるかを見立てられるという。
学歴やキャリアをひけらかす人物には興味ないという。
逆に私は会社から捨てられた人間ですから的な雰囲気の人もいけませんねという。私がよくいく海辺のカフェでそんな話をした。

私なんかどうでしょかね、何か使い物になりますかねと聞くと全然無理。
私も壊れ物、いいセンスの人が花を生けてくれたら結構行けるかもよと再度言うとダメダメ、生ける花がありませんよ、今のまま枯れ果てて下さいと言われました。


2010年8月26日木曜日

湘南の嵐便り 「貢ぐ女」


ゴルフを教えるプロに江連忠という人がいる。

上田桃子、佐伯三貴は江連氏のところを離れた、というより別れたのかもしれない。
江連氏はこの頃、諸見里しのぶを教えている。



鈍臭かった女の子がドンドン女性ぽくなっている。
ゴルフ以外のレッスンも受けているというのが業界の定説らしい。

優勝の副賞のショベルカーを江連氏が主宰するゴルフアカデミーに寄付、チーム江連事務所のリビングにある大型液晶テレビも諸見里がプレゼント、その他にも色々愛をプレゼントしている。



今年不調なのはゴルフ以外のレッスンが影響しているのではという業界スズメも多い。
女の戦いはそれは凄まじいものであるという。
勝てば可愛がって貰える、優しくレッスンしてくれるからなのだろう。

勝って貢ぐ女がいい女子プロゴルファーなのである。
試合前、試合後などは異様な化粧の臭い、香水の匂い、汗の臭いで鼻をつくとゴルフ記者が言っていた。

通常レッスンプロはその賞金の10%と聞いた。
一億なら一千万円というところか、ただし契約は複雑でもっと貢がされるという。

芸者に例えるとレッスンプロは置屋のヤリ手ババアで選手は芸者さん、勝っている内は花よ蝶だが、勝てなくなればお座敷がまるでかからなくなった老桜となる。

中々に辛く厳しい。
プライドと誇りと女の性をかけた猛烈な戦いの世界なのだ。

九月にある女子プロと食事をする予定だ。
勿論仕事の打合せである。

2010年8月25日水曜日

湘南の嵐について


「湘南の嵐」とは、実は私の家に17年住んでいた愛犬、ミニチュアダックスフンドの名前です。

横浜そごうのペットショップで買い求めた。
未だ目が良く見えない位だったが英国の正式な血統書が付いているので直ぐ売れてしまうと言われた。小学生だった娘がどうしても欲しいというので買った。
そして娘が嵐と名を付けた。

家の中ではアッちゃんと呼ばれた。
前の犬はブッチといって真っ白い紀州犬の血が入った犬だった。13年の表彰を市から受けて直ぐに死んだ。その知らせを会社で打合せ中に聞いた。土曜の午後だった。

午前中入院先に愚妻と見舞うとへったりしていたが牛乳を入れてあげるとなんとか起き上がろうとしたが動けなかった。ただじっと目を潤ませてハアハアしながら私たちを見つめていた。明日又来るからねと言って仕事に向かった。ブッチが死んだのという声を聞き私の目から滝の様に涙が出た、自分の中にこれ程の涙があるのかと思った。



打合せに来ていた人達は鬼の目から流れる涙に騒然となった。一人にさせてもらいずっとずっと泣き続けた。もう二度と生き物は飼わないとその日誓ったのだが、「嵐」と出会う事となる。



家の中の囲みの中に牛乳がポタポタと落ちる瓶を付けた。
それ以来「嵐」は我が家の王様となった。17年の表彰を茅ヶ崎の市民会館で受けた。13年と17年が表彰されるようになっている。当日2000人入る会館はなんとギッシリ満員だった。



毎夜遅く又朝方帰宅すると短い足でコトコトコトコト小さな玄関に迎えに出てくれ女座りになっていた。私の姿を見ると長いフサフサの毛を大きく振って時々おしっこをチビッた。
抱きかかえて椅子に座ると手足を大きく広げお腹を見せた、そこを撫でてやり肉球を触ってやると大きな鼾をかいて眠りだす。

私は嵐と呼び愚妻と二人の子供はアッちゃんと呼んだ。
生活の全てが嵐が中心であった。半ば老衰であったが一月六日の深夜入院先から連絡が入り呼吸困難になっていた。医者から楽にしてあげましょうと言われた。診察台の上で押さえられていた嵐は私たちを見ると必死に起きようとした。

ゼイゼイしていた。
船橋に嫁に行っていた娘が二時頃着いた、家族五人揃ったので先生楽にしてやって下さいとお願いした。

一本の注射で嵐は永い眠りについた。数年ぶりに号泣していた。
散歩をいつもさせていた愚妻は床にへたり込んだ。

その一ヶ月後娘に赤ちゃんが宿った事を知った。

とにかくよく人を噛む犬であった私に似ていると人々は言ったものだ。
「湘南の嵐便り」は私の愛犬二匹の魂がこもっているのです。


2010年8月24日火曜日

湘南の嵐便り 「あこぎ」


あの野郎は本当に「あこぎ」な奴だ、殺されたっていい位だ。
あの家のあの人も酷い「あこぎ」な人よ、高利で金を貸して取り立て、恐い人を使って厳しいって話よ。

この「あこぎ」の語源を講談で知った。



三重県津市に阿漕浦(あこぎうら)というのがある。
そこにある悲話が伝えられている。悲話ゆかりの寺、上宮寺(通称あこぎ寺)。
主人公は、貧しい漁師「阿漕の平治」。伊勢神宮の神饌を調達する神聖な海のための禁漁区に平治は禁を犯して毎夜密漁を重ねてしまう。
そして捕まり簀巻きにされ海に放り込まれ死罪となった。そこから図々しく貪欲な様を「あこぎ」というようになったという。世阿弥の作にもなっている。

ところが平治は私利私欲の為ではなく、病の床に伏す母に精を付けさせたいと密漁を重ねたのだ。死してなお母を思い続ける平治の涙の後日談もある。
地元では平治は孝行息子の代名詞となって今も語り継がれている。

昨今老母達が息子達に放っぽらかしにされたり、粉々に砕かれたり、どこへ行ったから判らなくされている。消えた老母の年金だけで暮らしている息子もいた。
まるで社会全体が「あこぎ」な姥捨山と化している。

若い頃の苦労は買ってでもしろといわれた。
それはやがて親孝行をするための苦労なのだと思う。
つくづく「あこぎ」な出来事にため息が出る。

老人を大切にしよう。そうしないときっと化けて出てくるよ。

2010年8月23日月曜日

湘南の嵐便り 「デバ亀とサザエのつぼ焼き」


ごく普通の亀は日光が大好き。
必要な体温は太陽から得ています。
ほ乳類や鳥類たちとは違うのです。光は殺菌効果や骨や甲羅の成長に欠かせないのです。

ところが湘南の夏の夜には暗闇が大好きな亀が大量に出没します。
その亀の名を「デバ亀」といいます。公園の植え込みの中や海岸の防砂林の中、砂浜に上げている漁船の下などにヒッソリジックリ首を出し、目を輝かしているのです。

つまりは若いカップル達の愛の行為を覗くのです。
カップル一組に数人なんというケースもあるのです。住民が持ち回りで「デバ亀」狩りをする日があるのです。勿論若くないカップルも「愛しのエリー」なんか口ずさみながら若き日を思い出したりしているのです。

「デバ亀」をしていた奴と海辺のおでん屋でバッチリ出会った事があります。
その夜、私は海辺のサイクリングロードを走っていました。自転車の灯りの向こうに地引き網をする漁船がありました、そこに黒い影がモゾモゾゴゾゴゾしていました。
自転車に装着してある懐中電灯で、誰だ、何やってんだ(判っているんですが)と言って照らし出しました。黒い鞄で顔を隠し砂浜を走って遠のいていきました。

私はおでん屋で一杯飲むつもりだったのです。
私が店に入り、ちくわぶ、はんぺん、ウインナー巻き、コンニャク&鰺のタタキを頼んで小生ビールをグイと飲むと間違いなく浜辺に消え去った「デバ亀」です。

私から五席離れた処に座りました。
生ビール下さいと言ってから砂だらけの足許を手で払っていました。

私がマスターにさっき「デバ亀」を一匹見つけたよと言ったら生ビールを持つ手がドキッと止まりました。体がヤバイ早くこの店を出なければと言っています。
でも直ぐ出たらやばいとも言っています。マスターがおでん何かと言うと、ハイ、エーと、シドロモドロです。

よしこってり搾ってやろうと心に決め、サザエのつぼ焼きを追加したのです。

湘南に来た人はくれぐれも「デバ亀」に気をつけて下さい。
湘南の亀は暗い処が大好きですから。





えっ、その男はどうしたかって?そのおでん屋の30メートル先は交番なのです。
つぼ焼きの中身が偶数なら今夜は見逃し、奇数ならお巡りさんの処と決めました。


つぼの中の最後のはらわたを箸でつまみ出したら12個でした。

2010年8月20日金曜日

湘南の嵐便り


猛暑 危暑 甚暑 過暑 渇暑 熱暑 仰暑 荒暑 傷暑 嚇暑 狂暑 兇暑 虐暑 極暑 厳暑 死暑 汗暑 凄暑 嘆暑 難暑 烈暑 乱暑 剛暑 焦暑 驚暑 叫暑 戒暑 哭暑 絶暑 刺暑 射暑 搾暑 直暑 咆暑 拳暑 蒸暑 致暑 昂暑 殺暑 厭暑 刃暑 毒暑 荊暑 獄暑 凶暑 邪暑 鬼暑 酷暑 仇暑 怨暑 強暑 劇暑 牙暑 栲暑 猟暑 暴暑 圧暑 排暑 喝暑 窮暑 怒暑 焔暑 蝕暑 犯暑 歪暑 焼暑 鋭暑 刑暑 狩暑 超暑 壊暑と、まあここまで書いていると一人の坊主頭の男の人登場。
お寺のお坊さんみたいな人がTシャツを着て首に商店街のタオル(かなり使っている)を巻き、頭から湯気を出し体は汗まみれ沢山のキャンバスを抱えトートバックを肩に掛けてどーうも、アレキサンドル今井です。どーうもお願いします、一点でもいいから絵を買って下さいお願いしますと目をギョロギョロ。



私が今手掛けている展覧会のために知人の美術館長が紹介してくれた現代アートの旗手でした。そうか確かあの洋画界の巨人今井俊満さんの息子と言っておられた。

今井俊満さんは京都生まれ、フランス芸術文化勲章(コマンドール)受賞。
紺綬褒章受賞、パリアンフォルメルの旗手として活躍。数度の癌の手術をしながら2002年、74歳で亡くなるまで一年に200人の女性と関係を持ち、75カ国5500人以上の女性遍歴を持つスーパーアーティスト。



18時間をセックスに励み、8時間寝て、8時間絵などを描く。「絵なんて一瞬にして描くもの」と対談で語っている。晩年、死を目前にしながらも「サヨナラ」「エロチカ」などの個展で話題を呼んだ。



いやはや凄い人がいたもんでした。
私の目の前の息子さんも三人目の奥さんが出て行ってしまったとか。打合せテーブルの上にアクリル絵の具をバックからバラバラと投げ出しそこいら中の紙にバンバン絵の具で直接描き出しました。

もう汗びしょびしょ。猛暑だなんのって言ってらんない程の感激ショー。
勿論参加してくれることになりました。

お願いします絵を買って下さい、を連発してエレベーターに乗りました。私の下手な絵をベタ褒めしてくれたのはご愛敬。(私も絵の具で直接描く手法)でも何やら嬉しいのでした。パリで個展しろと勧められました。中々におだて上手の人でもありました。



今井俊満画伯にならって頑張らないと。

2010年8月9日月曜日

人間市場 夏休み市

猛暑、熱暑、炎暑。
ともかく連日消耗戦の様な日々が続いています。

昨年十一月よりブログなるものを書き始めてから十ヶ月、原稿用紙にして千二百枚を超えました。

本日より八月二十日まで夏休みを取ります。
二十三日から新しいスタイルのブログにしていきたいと思います。
夏休みにゆっくり考えます。

みなさん、どうかいい夏休みを。御身大切にして下さい。

2010年8月6日金曜日

人間市場 カバ市




カバの「デカ」が死んだ。
「デカ」といっても刑事ではない。体がでかいから「デカ」。

石川県能美市の「いしかわ動物園」で飼育されていた長寿日本一、世界第二位のカバちゃんであった。当年五十八歳、人間なら百歳を超えているという。

アフリカ生まれ岡山のキャラメルメーカー、カバヤがキャンペーンガールとして入手したらしい。キャンペーンガールという位だから女性であった。

私は動物園や水族館が大好きである。
何日見ていても飽きないが、何日も見てはいられない。
貧乏人はバカみたいに働かないといけないのだから。世の中に自動車とか飛行機とか掃除機とかドライヤーとか洗濯機とかの形体をデザインするインダストリアルデザイナーという才能あふれる人達がいる。


だがしかし、誰があのカバの形体を発想しただろうか。
サイ、バク、ワニ、アナコンダ、ゾウ、ライオン、トラ、ヒョウ、ペンギン、クジラ、イルカ、カニ、イカ、タコ、エビ、サザエ、ウニ、ナマコ等々誰も真似できない素晴らしいデザインを自然界は創造進化させて来た。


カバが人間を見たら何と思うだろうか、多分バカみたいと言うだろう。

私は実はバカが大好きである。
何にでもひとつの事にバカみたいに取り組み遊ぶ人は羨ましい。
釣りバカ、山歩きバカ、映画バカ、落語バカ、読書バカ、旅バカ、サーフィンバカ、スキューバダイビングバカ、飛行機バカ等々世の中には尊敬すべきバカが沢山いる。

一番困るのは何もしないバカとかパチンコバカ、競馬バカ、オートバカ、競輪バカ、競艇バカとか投資バカ等のあぶく銭ばかりを追い求めるバカは嫌いだ。

仕事バカも悲しい。
SEXバカ、ホモバカ、SM変態バカとかいうのは病気だから論外だ。


小さな庭に黒い蝶々が飛んでいた。直ぐ使い捨てカメラ(コレしか使えないので)で撮った。何て美しい色と形なんだろう、どんなに才能あるデザイナーも創れない。

人生デザインに例えるなら一人一人の人生はみんなひとつの作品なのだ。傑作もあれば駄作もある、又、大作もあれば小品もある。それぞれみんな人生なのだ。

人は誰でも一度だけは名作を書けるというのはそういう事なのだ。
諦めや投げやり、絶望はいけない。山谷親平曰く「絶望は愚か者の結論なり」だ。
絶望している時間があったらどんな小さな希望も見つけ一生懸命バカになるといい。

「カバ」のデカちゃんはひと言も物言わず生涯を閉じた。きっと色々文句もブータレたい事もあったであろう、だがしかしひたすら身を固め、その身をさらし続けた。アフリカの大地にいればどんな苦労があっても幸福だったと思う。

草原からコンクリートの上に、あーあワタシの人生って一体何だったのかしら、このニッポンっていう国は一体何ていう国なんだろうか、こんな暑い中アタシをわざわざ見に来るなんてバカみたい。みんな同じ顔に見えるわ、何かカバより固い意志を感じない。
最近同じ顔した中国人や韓国人も多いけど時代は変わったのね、信じられないアンビリーバブルよ。ニッポン人はもっともっとバカにならないと、ひとつの事に夢中になる事が大事なのよ、みなさん長い間ワタシを見てくれてありがとう、サヨウナラ。

人生には必ずサヨウナラがある。
とりあえずこの思い切りヤクザな暑さとサヨウナラしたい。今日はカバヤキでも食べよう。




2010年8月5日木曜日

人間市場 お隣市


隣は何をする人ぞ。
最近お隣さんと言葉を交わしましたか?一緒に食事をしたりしましたか?一緒に人生を語り合ったり、教育について語り合ったり、腹を抱えて笑い合ったりしましたか?

今の世の中強盗が入ったり、泥棒が入ったりして「助けてー」なんて大声出しても誰も助けてくれません。みんな関わりたくないのです。どんな異臭がしようが、老人が居なくなろうが、赤ん坊や子供が泣きわめいていようが関わりたくないのです。

大きな事件になった後決まって、実はこんな事があんな事が気になっていたのだがとお隣さん達はかしましい事となる。

さて、お隣さんで一番近いのは隣に寝ている夫であり、妻であり、息子であり、娘であります。実はこのお隣さんについて知らない事が多いのです。

夫が最近やけに色気づいている、喫茶店の隅っこでずーっと携帯をいじっていたという人がいた。何か変だ。
妻がやけにはしゃいでいる、友達と会う等といって外出が多い。何か変だ。
息子が部屋から出て来ない学校にも行ってない様だ。何か変だ。
娘が派手になってきた、髪の毛も染め爪もキラキラ何だか恐い。何か変だ。

この家族は現代ニッポンのモデルケース。
一緒に食事もしない、それぞれ無関心、それぞれ話したくない、バラバラの積み木細工なのだ。

えっ、夫に若い女がいた!
妻が不倫を!
えっ、息子が大麻を!
えっ、娘が婦人科から出て来た!
嘘、嘘、嘘だという事態になってはじめて一大事となる。

「淡交(たんこう)」という言葉がある。
淡泊な交際。わだかまりがなくあっさりした君子の交わり、の事である。

君子の交わりは淡きこと水の如く、小人の代わりは甘きこと「醴(れい)」の如し。
「醴」とは甘酒の様な物、甘くてベタベタしている。立派な人物の交際は水の様に淡泊であり、つまらない人間の交際は甘酒の様にベタベタしている。

「荘子」にこういう教えがある。無関心は一番悪く、感心が過ぎるのも又いけないといえるのだろう。携帯とメールの発達がドンドン家庭の中の空気を分断している。

二階の息子が一階の母親にメールでラーメンとカレーを出前させろとか、着替えを持って来いなどと命令したりする。寝室から一階のリビングで風呂上がりの髪を乾かしている妻に何やってるんだ早く来いなんてメールする。
そこに部屋の中にいる娘から母親にメールが入る。いい歳して恥ずかしい事しないでよ、もうすぐ友達が来るんだからなんて事がニッポン中の一般家庭で起こっているのだ。

現在この国に百歳以上のお年寄りが四万人以上いるという。
その方達の行方不明が多いというではないか。この国は儒教の国であり、何より年長者を大切にしてきた筈である。なんとも痛ましい親子関係、地域社会だ。

自分の産んだ子供を生ゴミと一緒に部屋に閉じこめてホストクラブで遊び続けた若い母親がいた。子供が泣こうが臭いがしようが誰も行動を起こさない。
無関心社会が現状なのである。一切関わらない社会なのだ。


今、あるカルタを企画している。
そのためにある離婚弁護士に取材した、離婚の原因の第一は性格不一致だがその中で妻はしつこい夫が嫌、夫は疑い深い妻が嫌というのが多い。
又、気持ち悪い位優しいというのが多かった。(怒らない夫)当然収入が少ないとか向上心が無い、無気力、無関心が続く。

一番近いお隣と仲良くして下さい。
粗大ゴミとかババアなんて決して言わないで下さい。
先日近所の路上で粗大ゴミの出し方でお隣さん同士が喧嘩していました。
その内容はお互いの家の中をよく知っている事だらけでビックリした。そんなだらしない分別の仕方だからご主人が出て行ったのよとか、そんなのだから息子が引きこもったままなのとか、いやはやお隣同士は近いようで恐い仲なのだ。