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2012年9月3日月曜日

「その蝶はきっと」




九月一日(土)朝日新聞の朝刊を読んで怒りで体が震えた。
「アマゾン先住民80人殺される?」という見出しであった。ベネズエラ当局が調査と追記されていた。

ベネズエラ南部のアマゾン地域に住む先住民「ヤノマミ族」の集落が金の採掘業者と見られる男たちに襲われ80人が虐殺されたのだという。
「ヤノマミ」とは“人間の事、ヤノマミ族は一切の文明を拒否し狩猟民族として生き続けていたのだ。
そこへ、ヘリコプターでやって来て撃ち殺したのだ。狩りに出ていた3人だけが生き残った。
 
昨年NHKスペシャルで「ヤノマミ族」を知った。
ヤノマミ族は死んだら精霊となり輪廻転生をするという。それは蛇であり、蝶であり、蟻であったりする。
森羅万象生きといし生けるもの全てが精霊の生まれ変わりなのだ。
だが「ヤノマミ族」を殺した人間は決して地獄の苦しみから解放される事はないだろう。

レヴィ・ストロースは文明はその文明をつくった者によって滅ぼされるといった。
文明人に出会うまでは全裸であった。たった一枚のフンドシを与えられた。
そして文明人たちは奥アマゾンにヒタヒタと入ってきた。「金」などには全く興味も必要性のないヤノマミ族たちであった。NHKスペシャルでは舞踏家田中泯が重厚なナレーションを語った。

この事を知ったならば、どんな言葉でこの惨劇を語るだろうか。
また、何ヶ月もヤノマミ族と生活を共にしたスタッフはどれ程打ちのめされるだろうか。
我が家の小さな庭に蝶々が飛んでいる。ヤノマミ族の生まれ変わりだろうか。
今日からいかなる生き物を殺すまいと思った。

但しヤノマミ族を殺した人間は絶対に許さない。
呪い殺してやりたい。残った3人で種族を残してくれる事を願う。

2012年8月31日金曜日

「急ぎ働き」




猛暑猛烈。残暑強烈。
頭の中が蜃気楼の様になってしまうと人間は欲情するという。

日本IBMの最高顧問が、現役の判事が、学校の教師が、警察官が続々と盗撮や下着泥棒や猥褻行為や迷惑条例違反やらで逮捕されたりしている。何故かと問えばそこに女性がいたから、そこに下着が見えたからと答えるらしい。
カミュの代表的小説、異邦人は主人公がただ太陽がまぶしかったから程度の理由でピストルの引き金を引いてしまった。

灼熱は人間の本性を炙り出す。
コスプレ不倫の橋下徹、未成年淫行の東国原英夫、合コンマニアの中田宏。
また、愛人宅のベッド上でゲーム三昧の中川秀直、その道の巨人達人が維新の会などという政党を立ち上げるやもしれないという記事が目に入る。
あろう事か安倍晋三なるダークな血筋の名まで出る始末。

真夏の悪夢の様な名ばかりの洪水だ。
私の見立てでは橋下徹は“急ぎ働きだ(池波正太郎の小説に出て来る盗賊の手口だ)。
儲けの山(政党助成金)を一気に手にして後はハイサヨナラだ。

ある世界では、金が必要だが金の回りが悪い、そんな状況を“今、急がしいんだという。
そんな時にひと仕事する事を“急ぎ働きをするという。
ちなみに人を傷つけてもひと仕事、ひと儲けをする事を“畜生働きという。

2012年8月30日木曜日

「成せばなる」

 


諦めていた子宝を授かる事程、幸福な事はない。
お世話になっている会社の有能な女性と、私の長年の行きつけのお寿司屋さんの女性が子宝を授かった。
少子化の時代なので社会貢献といえる。

で、安産の御守りを頂きに水天宮に行った。朝九時を少し過ぎていた。
若い巫女さんが二人受付ていた。私の他に二人いた。

前日知り合いのフランス人ヴァイオリニストに二人目の赤ちゃんが生まれた。
友の死あれば新しき生命の誕生もある。生と死は一体誰が何処でどうやって決めているのだろうか。

今もし子宝を諦めているご夫婦がいたら決して諦めないで、やる事をやって欲しいと願う。
その方法は極めて簡単なのだから。動物的行為の後にしか子宝は授からない。

水天宮は犬神様といってもいいだろう。犬は沢山の子を生むからだ。境内に小学生たちの描いた絵が発表されていた。
実にいい絵ばかりだ。子供達からも馬鹿にされつつある大人たち、私もその一人。

既に手遅れになってしまった歳になったが、なんとか子供に褒められる様な事を残したいと思う。
若い人たちには好きな人が出来たらどんどん結婚を勧めたい。そして子づくりを、これは救国なのだから。
何、こんな暑い中やってられないだって。愛は熱いのだよ。

2012年8月29日水曜日

「靴の先」




小プラス大と書いて「尖」せんとなる。
この文字を私なりに解釈すると、小さいことを放っておくと大きい事となる。
更にそれは鋭く尖った武器となっていく。

“凡事徹底といっていたのは大和ハウスの樋口武男社長だと思う。
日々平凡な事、当たり前の事が大事なのだ。
特に挨拶がキチンと徹底できない会社は駄目だといい社員にそれを徹底させた。
電話が鳴ったら一回で取れ、相手が苦情の電話であったら何回呼んでも電話に出なければ怒りが大きくなってしまうはずだ。

話は変わるが西麻布の高級クラブのホステスさんがこんなインタビューに応えていた。
皆さんから見て成功していく人はまずどこで判断しますか?
8人のホステスさんの応えは全く同じだった。


それは靴の先です。
靴の手入れが行き届いていない人はまず成功しませんね。
足を組んだ時、黒光りする靴の先はとってもセクシーだそうだ。

尖閣問題はいよいよ大問題に発展してしまった。
小さな事と放っておいた結果だ。
行ってらっしゃい。お帰りなさい。いただきます。ごちそうさまでした。
道で知り合いにあったら、おはようございますや、こんにちわ、まずこれだけ教えればいい。

大人にも子供にも、凡事徹底を。

2012年8月28日火曜日

「あるカントリーソング」




スペアリブは明るい処で食べてはいけない。

私が本物のスペアリブを食べたのはアメリカテキサス州の小さな町にある店だった。
薄暗い明かり、古ぼけたビリヤード台、煙草の煙、それが染み込んだBARのカウンター。
ショットグラスで一気に飲み込む、バーボン。白い泡のないビールを大きなジョッキで飲む男たち、テンガロンハット、ジーンズにブーツ、ダンガリーのシャツに大鹿とかライフル銃の刺繍の入ったジャンパー。

小さな舞台に四人のカントリーミュージシャン。
太った老人のバンジョー、中年男のバイオリン、陽に灼けた男のウエスタンソング、若い女性のアコーディオン。
私たちを見るといかにもヨソ者が何しに来たという感じで全員視線を向ける。

木製の丸テーブルにアルミの大皿、そこにスペアリブが無造作に山の様に置いてある。
それをむしゃぶる様に食べる男と女。手についたスペアリブの脂を大きなペーパータオルで拭き始める。
乾いたビリヤードの球が当たる音、木の床を歩くブーツの音、ブーツに着いた風車のビジョーの金属音。
何もかもがまったりしている様だが独特の生命感が充満している。
労働の後の汗を感じる。トランプを切っていた老人が私たちに声を掛けた。
煤けた店の空気の中に笑い声が起こった。その夜私はスペアリブを何本も食べた。

 先日あるレストランに居た。
明るくキレイな店に3人の女性が居た。その店はアメリカ風のステーキハウス。
スペアリブは若い人に人気であった。大きな話し声、笑い声、両手で指先で骨に付いた肉をむしり取り突き崩す。
 ベトベトした手を何枚もの紙を使って拭きまくる。見ているだけでベトベトして来た。
女の子たちの口の周りは脂まみれだ。美しくない、汚らしい、似合わないのだ。

一人の女の子の白いシャツにスペアリブの脂の付いた指の跡があった。
きっとクリーニングに出しても消えないだろう。

あの日ロデオ大会を見終わった後食べたスペアリブは最高に旨かった。
トランプのカードを切っていた老人が私たちにかけた言葉を後で聞いてみると「お前たちはアパッチ族か」であった。

♪私たちは生きてゆく、なぜこうなのかと一日中悩みながら、私たちの隣には幸せな人々がいて、何の苦しみもなく暮らしているのに、ずっと歩んでいけばきっと分かる時があるだろう。
妹よ元気を出してその中で生きて行こう・・・。

久々にウエスタンの映画をDVDで観た。そのテーマソングの詩が良かった。

2012年8月27日月曜日

「伝説の応援団長」




私が中学、高校生(1.5年のみ)だった今から50年前の頃、学校対学校の喧嘩が絶えなかった。
大なり小なり毎日の様に繰り返していた。

日本人学校対日本人学校でいがみあっていた者に共通の天敵がいた。
それは朝鮮中学、高校であった。南と北に分かれていた。彼等もまた日々争っていたが、相手が日本人学生になると団結した。その団結力は固い。日本人学生と大きな争いになると100人、200人が集まり相手の学校を取り囲んだ。

東京池袋の方にあった(J)高校などは学校を完全に取り囲まれて学校が手配したバスで生徒を下校させ大きな問題となった。戦争中、日本人が朝鮮の人々を過酷な状況に追い込み差別した結果だ(親の恨みが子に移りだ)。
今なら分かるが当時の少年たちには分からなかった。
彼等は日本人学生狩りをし、日本人学生は朝鮮人学生狩りをした。何人か死人が出て国会で問題となった。
当時の社会党がその急先鋒であった。
私の友達、先輩、後輩が何人も病院送りとなった。私も生傷が絶えなかった。
そして相方の代表が話し合う事となった。今はなくなったが新宿コマ劇場前のカドーという喫茶店であった。
二階はギッシリ50人位の学生で埋まった。番長の上の総番長、その上の大先輩が集まってこのままではイケネェーからもうヤメルベェと話し合った。

しかし血気盛ん、相方何人も鑑別所や少年院送り、また病院送り、話はつかない。
1回、第2回と行った。ヤクザ者の世界では抗争があった時その仲裁人として現れる侠客がいる。
それを時の氏神という。この氏神様は仲裁に失敗すると、器量不足だったと自らの小指を詰める。
それでもって相方手打ちとなる(ならない事も多いが)私たちの氏神様は伝説の応援団長だった。

東都大学の(S)にいた。
空手、剣道、少林寺拳法全て有段であり、その応援スタイルは見事であり、東京六大学の応援団は必ず見る事が決められていた。第3回も不調に終わった後、朝鮮系の伝説の総番長とその人(K)さんが話をつけ合う事となった。
そして2人は新宿の花園神社で一対一の戦いとなった。その結果(K)さんが相手の右腕をボキッボキッと折ってしまった。(K)さんは鼻骨を折った。

戦いが終わりトップリーダー2人が手を握りこれからは仲良くしようという事になり新宿警察に報告した。
それから当分の間喧嘩は消えた(日本人VS朝鮮人)

なんでこんなつまんない過去を今書くかというと、米国組系、日本組組長野田佳彦と韓国組組長李明博が、少年少女のラブレターじゃあるまいし、送っただの、受け取らないなどとやりあっている。

親書もつくづく地に落ちたもんだ。
松下政経塾では喧嘩の仕方、そのケジメの付け方をカリキュラムに入れていないのだろう。
まるで現場に弱い玄葉外相では話にもならない。

さて時の氏神は親分米国のはずだがあちらも跡目争いの真最中で子分同士の争いにかまっている場合でない。先日歌舞伎を観た後からではないが、おのおの方、サア、サアどうする、どうするだ。
どこぞの国から大器量の侠客が現れて腕の一本か二本を差し出して争いを止めてほしいものだ。

私が今でも憧景の念を持ち続けている伝説の応援団長(K)さんは、27歳の時ヤクザ者同士の争いの仲裁に入り、19歳の若者に斬られて死んだ。わざと斬られたのだ。新宿武蔵野館という映画館前の路上であった。

男と男がとことん勝負する事を、どこまでも踊るという。
さて日韓はどこまで踊るのか。アジアはやがて戦局を迎える。
だが待てよ、これは米国日韓共に跡目争いの中、手の込んだ合作のヤラセかもしれない。
シナリオは勿論親分米国CIAだ。これくらいは朝飯前だ。戦争ほど支持率をあげるものはない。
戦争ほどの不況対策はないからだ。

2012年8月24日金曜日

「孫とマゴマゴ」




♪なんでそんなに可愛いのかよ、孫という名の宝物〜。
と山形出身の歌手、大泉逸郎さんが「孫」という歌を大ヒットさせた。

あれから何年経っただろうか。今やじじ、ばば。孫の時代となって来た。
ある記事にこんな見出しがあった“孫消費に意欲示す。「育G調査」結果発表。
それによると小学生以下の孫がいて年三回以上会っている50歳以上の人に対し調査した。
それによると孫にかかる年間支出の平均は約11万円という。
その内訳はおもちゃ66.8%、衣類・靴53.6%、絵本・本53.6%、さらに孫に為に家までなどとある。

少子高齢化社会の象徴的現象といえる。
私の知り合いの女の子26歳は歯の矯正代を全ておじいちゃんに出して貰ったというし、31歳の男は一年間の海外旅行(勉強とか?)のお金をおばあちゃんにおねだりしたという。

じじ、ばば、は何より孫に好かれたい、嫌われたくない。そう願っているらしい。
これから孫とじじ、ばば、ビジネスが大きく成長するだろう。
「孫は来てうれし、帰ってうれし」という。たまに会うといいのだろう。

「もしもしグランパ」と孫から電話が来た。来年小学校に入る孫からだ。
「あのねぇー、ランドセル今度来たとき買ってくれるのぉ?」「うん買ってあげるよ、何色がいいのぉ?」なんてデレデレっと話をする。

「もしもし○△銀行××支店ですが」「えっ何!」といえば、残高不足でカードのお金や何やかんやが落ちないという。
「えっ本当!」とマゴマゴしたのだ。そうかずっと入金をしていなかった。残金は1646円ですといわれた。
入るのより出るのが多くなるのがグランパの今なのだ。

人生二勝九十八敗を目指しているが、二勝の道は遠く険しい。
だが必ず金ぴかの一勝をしてやろうと思っている。「やると思えばどこまでやるさ、それが男の生きる道」なのだ。

2012年8月23日木曜日

「男の血」




プロの男の世界では人を判断する時にこんな表現をする。
1、使える。2、器量がある。
この二つで十分なのだ。勿論この逆であいつは使えない、器量がないとなるとまず伸びないし大きく育たない。

“使える”は何事にも頭が切れている男をいう。
“器量”は金の切り方が見事で金離れがいい。
器が大きい、若いけど心配りが行き届いて万事抜かりがない、あいつはきっと上にたつとか、親分にもリーダー、社長にもなるという男だ。酒を飲んで割り勘などという男や、向こう傷を負わない(万事人の責任にする、逃げを打つ)、女性に対して優しさがない、先輩後輩に気配りのない男はまず使えない。

よくチンケでケチな男というのは金に汚い男をいう。あいつはチンケなナンパ師といわれてしまった笑い者の男だ。
女房を質屋に入れても困った人間が相談に来たらそれに乗ってあげねば男はつとまらない。
男の器量は店の支払をする時によく分かるものだ。

ある飲み屋で会社員とおぼしき人たちが三人で飲んでいた。
当然話題は会社へのグチ、上司へのグチ、同僚への悪口だ。
私は知人二人と飲んでいたのだがあまりにグチグチうるさいのでいつもの悪い癖でひと言いってしまった。

君たちさっきから聞いているとよくまあ〜給料貰っている会社のグチばかり言っているねぇ。
君たちみたいな男は会社もきっと辞めてほしいと思っているよ、と。シラーっとした空気が流れた。
私は知人にこういう男達が使えない、器量がないっていうんですよと言った。

すっかり静になった三人は話題を変えた。
そして20分後もう帰ろうぜとなって立ち上がった。
レジの前で三人の男達が割り勘の計算をしてそれぞれ金を出し合って店を出て行った。

その夜私は新橋演舞場で歌舞伎を観た。市川海老蔵の「伊達の十役」だ。
一人十役早替わりを四時間あまりかけて演じる。悪人四役、善人六役。

やっぱり海老蔵は使える、器量がある、華がある、なにより男の色気、男の殺気、男の狂気、男の佇まい、男の眼力がある。西麻布で酒乱を演じたのもボコボコにされたのもキッチリ芸の肥やしに活かしている。
以前に増して風格が出ていた。

その翌朝八月二十三日、日刊スポーツ朝刊に海老蔵をボコッた男の先輩であった男が一冊の本を出版したという記事が大きく書いてあった。
今では市川海老蔵を尊敬している、自分も俳優になると書いてあった。歌舞伎を是非観たいとも。

世の中で一番美しいものは「悪の華」ともいう。
人生という舞台で悪の華を演じれる様な名優になるには自ら“血”を流すという月謝代が掛かるのである。

2012年8月22日水曜日

「トイレで携帯」




東京駅八重洲中央口地下にトイレがある。その日は猛暑でみんなイラだっていた。

朝十時過ぎ私は小用を足しに行った。
大用のために人が五人並んでいた。その中の一つが中々でない。
その前に待つ事久しの40歳位の会社員がイライラもじもじ時々ブルブルっとしている。
中からジッパーを上げる音、バンドを絞める音がした。ザァーと水を流す音、私は小用を終え手を洗っていた。

とその時バァーンとトイレを蹴る音がした。
バカヤローいつまで入ってんだコノヤロー、そんな処で携帯をかけてんじゃねえ早く出ろ、こっちは出そうなんだみたいに震え声、目は心なしか涙が浮かんでいる、もう一度バァーンとドアを蹴っ飛ばした、何事にも好奇心を持つ私は事の成り行きをじっと見ていた。

この頃トイレの中で携帯を使う不届き者が多いのでどんな男か見てみたかったのだ。
再びザァーと水を流す音がして一人の男が出て来た。シラーっとした顔であった。
歳の頃は45歳位であった。怒っていた男の顔をジーッとみて手洗い場に向かった。

並んでいた人たちは何だコノヤローはという顔であった。
シラーっとした男の手には少年ジャンプがあった。黒い鞄はパンパンに膨らんでいた。
グレーの背広に白いワイシャツ、鞄からはみ出した封筒に三菱UFJ銀行と印刷されていた。
ペットボトルもはみ出ていた。私ならきっとこの男を殴っていただろうと思った。
我慢できない人は我慢できないのがトイレなのだ。

2012年8月21日火曜日

「霧子のタンゴ」

 


私がこの世で一番苦手なのが、ミーチャン、ハーチャンだ。

八月二十日オリンピックのメダリストがパレードをするというのをすっかり忘れて銀座四丁目の和光に御礼の品を買いに行った。時計を見ると午前十一時四十三分六秒であった。イヤ〜いたのなんのミーハーがそこいら中にぎっしりといた。

おばさん二人に何かあんの?と聞けば、何を聞くのかこの阿呆みたいな顔をされた。
顔は炎天下の中で汗まみれ、厚化粧が崩落し、首筋には転々と白粉がある。

夥しい数のガードマンや警官、空にはヘリコプターがバタバタ、なにすんのよ押さないでよ〜、とオバサン二人いつ合流したのか連れ合い二人。もっと前へ行きたいのよぉ〜、ボーッとしないで何とかしてよ、全く役立たずみたいな熱い空気。左手にはミネラルウォーター、右手に団扇でバタバタする。
なんだこりゃ〜、ミーハーの大洪水だといったらギョロとガンつけられた。

で、結局和光へは行けず、群れから離れ昭和通りにある江戸切子のグラスにしたのであった。
そのむかしフランク永井の歌で“霧子のタンゴ”といういい歌があった。
店の入口には宮内庁御用品とある。それはそれは見事な江戸切子の数々。

一人の女店員に“霧子のタンゴ”って知ってる?って聞いたら、ハア、といってポッカーンとされた。
当たり前であった。
変なお客が暑さに頭がイカレてやって来たと顔に描いてあった。
店の中で霧子のタンゴを口ずさんでいた。

だが待てよ、村田諒太の姿を見たいな、48年振りにボクシングで金メダル、それもミドル級でだ。
「金メダルが価値でない。これからの人生こそが価値だ」みたいないい事をいっていた。手の付けられなかった不良少年は武元前川先生と出会って見事な男となった。ボクシングはやっぱりすばらしい。先生は50歳でこの世を去ったがその人生は金メダルだ。イカン、歌など口ずさんでいる場合でない。と、ミーハーになりに行ったのだが。